10月31日
「とげぬきばあさん」
疲れ切っていた。
心臓にやる気がなくなって
入院して、退院して、しばらくたったころ。
誰にも会いたくなく、なにもしたくなかった。
だが、死ねないかぎりは生きないといけない。
生きるかぎりは働かないといけない。
事務職の面接に出かけて、完全に失敗して
三田線で四時ころ巣鴨まで戻ったとき、
なんとなく、とげぬき地蔵にお参りしようと考えた。
平日だが、老人や観光客はけっこういて、
大した長さではないが順番待ちの列ができていた。
しんがりに並び、ゆっくり前進していく。
地蔵に向かって左手には、店が出ていて、
70くらいのおやじさんが、ピップエレキバンそっくりの
でもそうではない磁気治療器を売っていた。
「厚生労働省認可の……。足、腰のしびれる方、調子の悪い方はぜひお試し……」
そのとき、向こうの門のほうから
小さい、ほとんど直角に腰の曲がったばあさんが現れ
アヒルみたいにこっちへ歩いてきた。
口上を述べるおやじさんの店の前を過ぎ、
ばあさんは笑いながら、なぜか俺の顔をずっと見て
近くに来ると、言った。自分の頭を指さして。
「足腰が悪いったって、一番悪いのは、ここの中身だよ。ねー」
たまらなくおかしくなって、俺は、ハッ、ハッ、ハッ、と声をあげて笑った。
ばあさんも笑いながらそのまま反対側の門のほうへ消えていった。
俺の心のとげは、一瞬、完全に抜けた。
俺は誰でもない。俺はいくつでもない。俺はなんでもない。
俺はただの白紙だ。
とげぬきばあさん。
あのときのあんたのひと言は
地蔵さんの何倍もご利益があったよ。
いや、それともあんたが地蔵だったのか。
そうかもしれないな。
ありがとう。
「とげぬきばあさん」
疲れ切っていた。
心臓にやる気がなくなって
入院して、退院して、しばらくたったころ。
誰にも会いたくなく、なにもしたくなかった。
だが、死ねないかぎりは生きないといけない。
生きるかぎりは働かないといけない。
事務職の面接に出かけて、完全に失敗して
三田線で四時ころ巣鴨まで戻ったとき、
なんとなく、とげぬき地蔵にお参りしようと考えた。
平日だが、老人や観光客はけっこういて、
大した長さではないが順番待ちの列ができていた。
しんがりに並び、ゆっくり前進していく。
地蔵に向かって左手には、店が出ていて、
70くらいのおやじさんが、ピップエレキバンそっくりの
でもそうではない磁気治療器を売っていた。
「厚生労働省認可の……。足、腰のしびれる方、調子の悪い方はぜひお試し……」
そのとき、向こうの門のほうから
小さい、ほとんど直角に腰の曲がったばあさんが現れ
アヒルみたいにこっちへ歩いてきた。
口上を述べるおやじさんの店の前を過ぎ、
ばあさんは笑いながら、なぜか俺の顔をずっと見て
近くに来ると、言った。自分の頭を指さして。
「足腰が悪いったって、一番悪いのは、ここの中身だよ。ねー」
たまらなくおかしくなって、俺は、ハッ、ハッ、ハッ、と声をあげて笑った。
ばあさんも笑いながらそのまま反対側の門のほうへ消えていった。
俺の心のとげは、一瞬、完全に抜けた。
俺は誰でもない。俺はいくつでもない。俺はなんでもない。
俺はただの白紙だ。
とげぬきばあさん。
あのときのあんたのひと言は
地蔵さんの何倍もご利益があったよ。
いや、それともあんたが地蔵だったのか。
そうかもしれないな。
ありがとう。