麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第652回)

2019-06-30 20:36:46 | Weblog
6月30日

8月26日(月曜)から9月1日(日曜)まで、新宿 PLACE Mで、カメラマン・宮島径氏と、「裏山現像」というタイトルでコラボ展をやります。――数年前に宮島さんが「裏山」というテーマで作品を撮り始めたときから、私の心の中にも「裏山」が居座って、一種オカルト的な共鳴音をつねに発信してきたような気がします。その結果、とうとう私の故郷の山まで宮島さんの作品として登場することになり驚きましたが、また同時にそれがとても自然なことのようにも感じました。実作業としては、私は言葉をいくつか書いただけなのに、宮島さんが「コラボ展にしたい」といったのは、きっとそういう目に見えない共鳴も含めてのことだと思います。そのように、今回の展示は宮島さんにとっても私にとっても非常にパーソナルなものになっています。といって、それは、和気あいあいとか、馴れ合いといった意味ではありません。ただ、二人とも、もはや身構えずに自分の背景を披露できる年齢になった、とはいえるでしょう。しかし、これはたんに展示の成立の楽屋話にすぎません。「世界とは、その瞬間の世界の雰囲気のこと」――私自身の言葉ですが、展示会場には、宮島さんにも私にも予想できない「世界の雰囲気」が、見る人の数だけ現像されるに違いありません。ぜひ現場でそれを感じてみてください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第651回)

2019-06-23 14:20:48 | Weblog
友だち

4

「川島荘」は、さっき彼が上ってきた坂道を下りた最初の右角にあり、「コ」の字型につながった白い建物の、下の横棒は、ブロックの上に黒い鉄柵を立てた壁を隔てて坂道に沿っていた。開いている空間は庭で、低いコンクリートの門を抜けると、右奥に椿、左の奥に柳が植えられ、柳の木の下には小さな池があった。コの字の横棒二本は二階建てで、下の棒の二階には大家一家が住んでいた。上の横棒には12人、下の横棒の一階には6人の下宿人がいて、ほとんどは早大の学生だった(縦棒は一階だけの渡り廊下のような建物で、ここにも二部屋あったので下宿人は全部で20人だった)。コの字の角はそれぞれ玄関だったが、下の角のほうの玄関は、大家の玄関を兼ねているだけに、反対側より数段こぎれいな感じで、その磨かれた下駄箱の上には、大きな木の板が二枚立てかけてある。「○○○茶道教授」「○○○いけばな教室」(両方とも達筆の筆書きなので彼には読めなかった)。川島たみえはお茶の先生であり、お花の先生でもあり、その生徒たち(ほとんどが近所の主婦たち)が毎日のように川島荘に出入りしていた。川島たみえは彼女たちに若いオスどもの生臭さを感じさせないよう玄関を聖域のように毎日磨き清めていたのだ。生徒たちはこの玄関をあがるとすぐ右にある階段で下宿とは別世界の上の部屋へ逃げるように直行した。――青年の部屋はその階段の真下にあった。正確には、階段の裏の空間が彼の部屋の三角形の押し入れになっていた。もと入院患者の病室。つまり、ここで何人もが死んでいった細長い四畳の部屋。こちらの棟には、そのほぼ同じつくりの部屋が廊下を挟んで三部屋ずつ向かい合っていたが、板張りの洋室なので彼の部屋以外に押し入れはなく、みんなそなえつけのベッドで寝ていた。彼はベッドで寝たことがなかったので違和感を感じて、はじめにそれをとっぱらってもらい、カーペットの上に布団を敷いて寝ていた。今の季節(春先もそうだったが)、夜になると部屋は恐ろしく冷えた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第650回)

2019-06-16 19:49:24 | Weblog
6月16日

子供のころに予感したように、私には、「社会人」という時期は不必要だったな、とつくづく思います。結局、スーツは一度も買わなかったし、選挙にはほとんど行かなかったし、酒は飲めるようにならなかったし、魚介類を食べられるようにならなかったし、社会人として何かあらためて覚悟したということもないし。ただ生活費を稼ぐために時間を費やしたというだけ。あほくさいなあ、と心底感じます。いま、誰からも相手にされない老人として生きている自分のほうが、少年の自分と直結していて、自分にとってはわかりやすい。多くの人が何のために忙しがっているのかわからないし、世界が何のためにあるのかわからないという点で、「社会人」の前後で何も変わっていない。最近体が縮みはじめていて、そちら側からも少年に回帰しようとしているような気がします。――まあ、いまもまだぎりぎり社会人と呼ばれる者であることはたしかなのですが。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活と意見 (第649回)

2019-06-02 12:23:13 | Weblog
6月2日

「瘋癲老人日記」を読みました。とてもよかったです。感じたのは、作者は少年のころから老人みたいな人だったのではないか、ということ。この作者には「若さゆえの苦悩」というものはないんですよね。若いころぜんぜん読む気にならなかったのはそのせいだと思います。「ラビリンス」の初期作品はよかったけど、再読はしないだろうと思い、何年か前に全巻手放しました。私にとっては、谷崎潤一郎は、なんといっても「源氏物語」のすばらしい訳者、それにつきます。でも、「瘋癲老人日記」はまた読むと思います。

「友だち」は、中断することは絶対にしません。最後まで書きます。でも、終わりが5年後とかになるかもしれません。まあ、待たれているとも思いませんが、気長におつき合いください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする