6月24日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
とうとう、本当に夏が来ましたね。
賞味期限の切れたレトルトパックを温めるように、すでに死につつあるこの私を夏が温めたところで、まったく無益なわけですが……。
間違って、心だけ沸騰したとしても、体がついていかないので、なおむなしい。
ラジオ体操 帰ってきてからまた眠り
こんな句をなにかの雑誌の編集後記に書いたのは、20代のころ。いまではそう書いた自分をなつかしむ30代の自分をなつかしんでいる、といったような心境です。
今日、いつも食事をする中華料理屋で、隣のテーブルにいた60歳くらいの男の人が、連れの初老の女性ふたりに、なにかのうんちくを垂れていました。「本来なら……」「それが正しい道なんだよ」「いまはそういう時代になっているけど……」私の壊れた耳ではよく聞こえませんが、その人は語気荒くそんなセリフを吐き、男特有の「自分で自分の語気の荒さに興奮して、思ってもみなかったはっきりした自分を手に入れたような気分になる」といった状態に入っていったようです。女の人は、また、そういうとき女の人がとる態度として最も賢い態度――終わるまで黙って待つ。なぜなら、口を挟んでうんちくが長引けば食事がまずくなるから――をとり続けていました。
むなしい。なんというむなしい場面。また、なんという男のむなしさでしょう。自分に「生きていてもいい」と言うために、つねに理屈をこねあげていなければならないむなしさ。さらに、その理屈の根拠を自分ではなく、「社会とはそういうものだ」とか「世間が許さない」とか「大人としての責任が」とか、彼らがどこかにあるという絶対的正義(私はそれがどこにあるのか知りませんが)に置いて、結局発言の責任のがれをしているむなしさ。本能的に、そういう男のうんちくには価値がないことを知っている女に尊敬や愛情を求めるむなしさ。それでもその男の人が寝たきりになれば、大小便の世話はその女の人たちがするかもしれず、それでもなお男は大小便とともにうんちくを垂れ続け、女の人は物を扱う手際のよさで、それを処理するだろうむなしさ。そうして、やがて両者ともあとかたもなく消え去り、誰一人彼らを思い出すこともなくなるというむなしさ。
それでも、いま、現実に夏が訪れ、まだ曇っていない意識を持っている年少の人々には、やがて強烈な思い出を残すかもしれない現在がここにいるという強烈な厚み。
――やっぱり、脳だけ無益にも加熱されてしまったようですね。
ラジオ体操 帰ってきたら血圧測定
これがいまの私の句でしょうか。
今週は、なんとなく6年前に書いた詩のようなものを読んでいただこうかと思います。書き出しの「こもよ」は、ご存知のように、万葉集の最初の歌の書き出しです。いまだに全体の三分の一しか読んでいませんが、死ぬまでには残りも読む予定です。
では、また来週。
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
とうとう、本当に夏が来ましたね。
賞味期限の切れたレトルトパックを温めるように、すでに死につつあるこの私を夏が温めたところで、まったく無益なわけですが……。
間違って、心だけ沸騰したとしても、体がついていかないので、なおむなしい。
ラジオ体操 帰ってきてからまた眠り
こんな句をなにかの雑誌の編集後記に書いたのは、20代のころ。いまではそう書いた自分をなつかしむ30代の自分をなつかしんでいる、といったような心境です。
今日、いつも食事をする中華料理屋で、隣のテーブルにいた60歳くらいの男の人が、連れの初老の女性ふたりに、なにかのうんちくを垂れていました。「本来なら……」「それが正しい道なんだよ」「いまはそういう時代になっているけど……」私の壊れた耳ではよく聞こえませんが、その人は語気荒くそんなセリフを吐き、男特有の「自分で自分の語気の荒さに興奮して、思ってもみなかったはっきりした自分を手に入れたような気分になる」といった状態に入っていったようです。女の人は、また、そういうとき女の人がとる態度として最も賢い態度――終わるまで黙って待つ。なぜなら、口を挟んでうんちくが長引けば食事がまずくなるから――をとり続けていました。
むなしい。なんというむなしい場面。また、なんという男のむなしさでしょう。自分に「生きていてもいい」と言うために、つねに理屈をこねあげていなければならないむなしさ。さらに、その理屈の根拠を自分ではなく、「社会とはそういうものだ」とか「世間が許さない」とか「大人としての責任が」とか、彼らがどこかにあるという絶対的正義(私はそれがどこにあるのか知りませんが)に置いて、結局発言の責任のがれをしているむなしさ。本能的に、そういう男のうんちくには価値がないことを知っている女に尊敬や愛情を求めるむなしさ。それでもその男の人が寝たきりになれば、大小便の世話はその女の人たちがするかもしれず、それでもなお男は大小便とともにうんちくを垂れ続け、女の人は物を扱う手際のよさで、それを処理するだろうむなしさ。そうして、やがて両者ともあとかたもなく消え去り、誰一人彼らを思い出すこともなくなるというむなしさ。
それでも、いま、現実に夏が訪れ、まだ曇っていない意識を持っている年少の人々には、やがて強烈な思い出を残すかもしれない現在がここにいるという強烈な厚み。
――やっぱり、脳だけ無益にも加熱されてしまったようですね。
ラジオ体操 帰ってきたら血圧測定
これがいまの私の句でしょうか。
今週は、なんとなく6年前に書いた詩のようなものを読んでいただこうかと思います。書き出しの「こもよ」は、ご存知のように、万葉集の最初の歌の書き出しです。いまだに全体の三分の一しか読んでいませんが、死ぬまでには残りも読む予定です。
では、また来週。