麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第681回)

2020-01-26 09:05:15 | Weblog
1月26日

バカな話。タイムマシンがあったとしても自分が若くなれるわけではないのに。プルーストの本について書いたので、最後はどうしても「~のように」で終わりたかった、だから「タイムマシン」という言葉を使った、それだけです。

ところで、私がプルーストを読み終えた91年は、ちょうど、柳瀬訳「フィネガンズ・ウェイク」も出たりして、文学がにぎやかな年でした(私的には)。――意味なく書けば、ジョイスにも世界文学大系の思い出があります。大系の67、68は、当初「ジョイスⅠ、Ⅱ」に当てられていて、「Ⅱ」は、岩波文庫「若い芸術家の肖像」の翻訳や「ジョイスのための長い通夜」などの著書のある大澤正佳さんを中心としたメンバーによる「ユリシーズ」の新訳になるはずでした。想像してみてください。集英社の単行本で3冊、文庫で4冊のボリュームの長編小説が1冊に収められるんですよ(絶対欲しい)。しかも、大澤さんは、丸谷才一さんたちの世代よりはるかに若く、実現すれば、ジョイスといえば丸谷世代の解釈を通じてしか近寄ることのできなかった私たちが、もっと自分にぴったりくる言葉でこの大作を読めるかもしれないチャンスだったのです。「失われた時~」の大系版全3冊化計画は、それを知ったときにはすでに挫折していました。しかし、「ユリシーズ全1冊化」は、91年前半の時点ではこれから実現される、ものすごく楽しみな、生きた計画でした。ところが、9月に「名詩集」(大系88巻)が出ると、その計画も死んだことを知ります。その巻の月報には、大系の、残る配本は「セリーヌ」(80巻)と「ジョイスⅡ/オブライエン」(68巻)の2冊になったこと、また「諸般の事情により」、「ジョイスⅡ」は(ユリシーズではなく)アイルランド作家の二人集になったことが書かれていました。「諸般の事情ってなに? オブライエンって誰?」。一読頭の中はパニック状態。大げさでなく、それほど楽しみにしていたので。あとになって、この「諸般の事情」とは、これまで河出書房の世界文学全集に収められていた丸谷/永川/高松訳「ユリシーズ」(学生時代に読了)の全面的改訳が進められていたこと(その成果が現行の集英社版です)だとわかりました。おそらく、大先輩の偉業にぶちあてるようなタイミングで新訳を出すのはよくない、ということだったのでしょう。結局、「ジョイスⅡ/オブライエン」(98年刊行)のジョイスの部分は、「スティーヴン・ヒアロー」を中心に編まれました。2020年現在は、この作品(草稿?)にも別訳の単行本がありますが、大系68巻のそれは本邦初訳だと思います。いまになれば、それまで伝説だった「スティーヴン~」が読めるようになったので、これはこれでよかったというところもあります。けれども、「全1冊ユリシーズ」は、あれからもときどき私の目の前にその幻の姿を現わし、人をどうしようもない気持ちにさせて、消えていきます。まるでひと言も言葉を交わせなかった夢の中の女のように――さて、確かに刊行はされなかったけど、途中まで準備されていたに違いない「ユリシーズ」の、新訳原稿はどこに行ったのでしょうか。頓挫したまま陽の目を見ることはないのでしょうか。1冊化はないとしても、完成されて、どこかから出てくれればうれしいのですが。――私はひそかに岩波文庫に注目しています。実は、最初に文庫で「ユリシーズ」の翻訳を出したのは、どこでもない、岩波文庫なのです。そのプライドと、いまや「失われた時~」の新訳を収め終えた同文庫は次の最高峰制覇を狙っているに違いなく、そうならそれは「ユリシーズ」以外ないと思うから。そう考えると大澤訳「若い芸術家の~」がいきなり岩波文庫から出たのもその布石か、という気もしてくるのです。――べつに電子書籍でもかまいません。丸谷才一さんたちの訳は十分浸透したはずです。柳瀬さんも亡くなって、ジョイスの名前を見ることが前より減ったこのタイミングで、どうにかならないものでしょうか。
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生活と意見 (第680回)

2020-01-18 22:04:33 | Weblog
1月18日

神保町で、筑摩世界文学大系版「失われた時を求めて」の一巻を300円で買いました。もちろんすでに同じものを持っている本です。昭和49年に出た初版第6刷ですが、すごく状態がよかったからなんとなく買ったのです。そうして家で、カバーの破れたところを、本に貼る透明ビニールで修繕しました。「失われた時~」のこの版は初め、当時のプレイヤード文庫に倣って全3巻になるはずでした。先日完結した岩波文庫で全14巻のこの作品をたった3巻に収めようというのです。判型も違うし、文学大系は三段組みですが、もし実現していたら壮観だったろうと思います(絶対欲しい)。しかし、訳者である井上先生のご都合か、それはただの計画に終わりました。一巻の奥付の裏には、大系全巻の構成が出ています。それを見ると、57、58、59巻がプルーストⅠ、Ⅱ,Ⅲにあてられていることがわかります。Ⅱには、「ゲルマントのほう」(58-a)と「ソドムとゴモラ」(58-b)が合わせて収められるはずだったのですが、実際には間をあけて「プルーストⅡA、ⅡB」として別々に出版されました。その二冊のカバーの裏には、「プルーストⅢ」に「囚われの女」「逃げ去る女」「見出された時」を収めて全4巻になると明記されています。ところがこれも計画倒れに終わります。「Ⅲ」もAとBの二冊に分かれ、結局全五冊になってしまうのです。しかも、おかしなことに、まず「ⅢB 見出された時」が出て、数年の間をおいて「ⅢA」が出たのです。ひとつながりの物語がこんな順番で刊行されるなんて驚きですよね。あとで考えると、私がプルーストを読み始めたのは、この「ⅢA 囚われの女、逃げ去る女」が出て、大系版が完結したころだったのですが、当初はいま書いた事情などまったく知らず、そのころ刊行中だった全集版で全編を読もうとすると5万円もかかってしまうため、読み進めながら古本屋で必死に大系版を探したものです。5冊を一冊ずつ手に入れてそろえたころには、刊行の経緯もわかり、大系版の訳文(とくに「スワン家」と「花咲く乙女たち」)はもはや最新ではなくなっているということも知りました。それで、「見出された時」は最新のテキストを収めた全集版で読みました。今回大系版一巻をまた買ってしまったのは、あまり退色が進んでいないカバーと、まだ破れていない、本を包むきれいなトレペを見ているうちに、なにかこの本と一緒にいれば、自分の体と心がそれを必死に探していた30年前に戻れるような気がしたからかもしれません。まるでそれがタイムマシンだとでもいうように。
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生活と意見 (第679回)

2020-01-13 02:01:16 | Weblog
1月13日

「暗夜行路」を、日本の長編小説で一番好き、と書きましたが、読み返した回数からいうと「豊饒の海」のほうが多いですね。ただ、前者は50を過ぎてから好きになり、後者は高校生のころから読んでいるので、単純に比較できませんが。

どうやら60歳になって、人間としての“正規の活動”は終わった、という感じがしています。身辺であやしい出来事が起きています。いよいよあとは、「自分を始末する」だけの時期に入ったのでしょう。うまく処理できればいいのですが。
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生活と意見 (第678回)

2020-01-04 15:01:52 | Weblog
1月4日

講談社からキンドル版「暗夜行路」が出ました。知らなかったのですが、去年の10月に出たようです。日本の長編小説で最も好きな作品の初めての電子化。うれしくてすぐに買いました。さすが大手出版社の仕事。つくりもていねいで安心して物語に入れます。

今年は三島由紀夫の著作権が切れ、来年は志賀直哉の著作権が切れるはず。作品の電子化も進むと思います。たぶん最後は病院のベッドで死ぬのでしょうが、そこでも電子書籍端末があれば、最期まで好きな作品を読める。そこだけは「いい時代だ」と思います。
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