麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第640回)

2019-03-31 20:27:21 | Weblog
3月31日

神保町は古本まつりでした。「特性のない男」の、今では手に入らない訳者バージョンの全巻そろいを初めて見ました。すごく欲しかったけど、高いのであきらめました。

最後と考えてポメラの最新機を購入。思わず原稿書きに熱中してめまいがしました。比喩ではなく本当に。すばらしい機械だと思います。私にはこれだけでいいかも。

何十年ぶりに雑誌「ニュートン」を買いました。「無とは何か」が特集だったから。すごくおもしろかったです。

寒い。
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生活と意見 (第639回)

2019-03-24 22:24:51 | Weblog
友だち

1

 新宿区夏目坂は、若松町(上)と早稲田(下)を結ぶ約700メートルの、広いとはいえない坂道だ(車線変更禁止の黄色い線が一本真ん中を通り、両脇に狭い歩道がある)。その道に沿って喜久井町という、番地しかない小さな町がある。町の名をつけたのは菊づくりが好きだったという、文豪・夏目漱石の父親で、漱石はこの町で生まれた。夏目坂という名称もそこからきている。
 この坂のちょうど半ばあたりに、猫の額ほどの平坦な土地がある。川にたとえるなら、若松町からまっすぐ速く下ってきた流れが、ここで左に折れ、淀む。その淀みの周りが踊り場のようになっているのだ(そのあとはまた、早稲田まで一直線に下る)。いまでは、古くからある寺、石屋、ガソリンスタンド以外は、地元住民あいての飲食店がわずかに残るだけだが、この物語の時制である40年前には、主に早稲田大学の学生の下宿街としてこぢんまりとにぎわっていた。大きな銭湯(昭和の末期に火災を出し、それが元でつぶれてしまった)、タバコ屋兼本屋、理髪店、八百屋、コインランドリー、夜の12時まで開いているパン屋(コンビニのない当時は重宝したものだ)など、坂を上り下りしないでも、いちおうはここで生活できる環境が整っていた。この踊り場の、下方に向かって右手には支流のように細い坂道が何本かのびていて、多くの住宅がそれらの間にまるで段々畑のように着地面である早稲田通りまで続いていた。
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生活と意見 (第638回)

2019-03-03 20:05:22 | Weblog
3月3日

30年以上通っている恵比寿の理髪店のご主人の口から、とうとう「あと1、2年かな」という言葉が出てきました。「住みたい町」上位にランキングされるなどとは夢にも思っていなかった、80年代終盤からの10年間、昼夜恵比寿をよだれのように這いまわって過ごしました。初めは版元の下請けの編プロにいて、やがてその版元に就職して。編プロ時代版元は大田区にあったのに、私が入る少し前、恵比寿に移転してきたのです。それで結局ずっと恵比寿に居座ることになりました。ご主人は、新宿で修業されたあと、約40年前に恵比寿で開業されたそうです。職場が変わり、老いても、ここに散髪にきさえすれば、なにも変わっていないような気分になれました。この何年かは、「恵比寿、昔はよかった」話をご主人とするのがとても楽しかった。「ラーメン北斗」が大好きだったというご主人に、「レスポアール」の玉子サンドセットが好きだった私は、あと5年はお願いします、と言いましたが、どうでしょうか。悲しいです。
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