麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第822回)

2023-08-20 01:17:53 | Weblog
8月19日

今年になってから、めずらしく村上春樹をまとめて読みました。「1973年のピンボール」→「風の歌を聴け」→「羊をめぐる冒険」→「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。若い時に読もうとしてどれも途中で挫折していたのですが、今回は読めました。三部作についてひとつ感じたのは、やはり人間には階級があって、作者は自分の生まれた階級としては当たり前の話し方をしているのだろうけど(けれど、のほうがいいか)、それが下層階級に生まれた若いころの私には、きざったらしくて耐えられなかった、ということ。そういう階級の話なんだ、として読めばべつに気にならなくなりました。

「世界の終わりと~」は、とてもおもしろかったです。若いとき、読もうとして冒頭近く、「プルーストのように長い廊下」という表現が出てきたとき、「プルーストをバカにしてるのか」と憤慨してもう読めなくなりました(たぶん、もともと好きではないから余計引っかかったんでしょうね)。大江健三郎みたいなくどくどしい記述もうんざりでした。が、今回はそこを押して進みました。と、「世界の終わり」の世界がすごく自分の好みに合っている、と感じました。童話的であり、カフカ的であり、これから惨劇が起こるのを待っている世界のようでもあるけど、なにかよかったです。

そうして(主に書きたいのはここからですが)、「世界の終わりと~」のように、二つの物語が交互に進んでいくものがたしかあったな、と思い探してみたら、フォークナーの「野生の棕櫚」の文庫が出てきました。これは、「野生の棕櫚」という物語と「オールド・マン」という物語が交互に進んでいくもので、たぶん、こんな試みはフォークナーがこの作品で行ったのが初めてだと思います。この文庫は私が生まれる五年前に初版が出ていて、それを94年に復刊になったとき買って読まずにいたもの。旧漢字、旧仮名遣いです。また、訳者が、ちょっと癖のある大久保康雄さんで、意味がとりにくいところや、明らかに誤訳だろうというところもあります(たとえば訳文の記述が矛盾していて「オールド・マン」の主人公の年齢が本当はいくつなのかわからない)。が、それでも今回、これを機会にがんばって読み進んでみると、大変おもしろかったです。フォークナーは「響きと怒り」をかなり前に読んで、ここでもなにか書いた覚えがありますが、再読はしていないし、好きな作家ではありませんでした。が、今回この作品を読んで、にわかに興味がわきました。可能なら少しほかのものも読んでみようと思っています。
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