麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

彼の青春

2023-12-13 23:35:36 | Weblog
 彼は美しくない青年だった。どれくらいそうかといえば、およそ下位五分の一に入るくらいだろう。少なくとも自分自身では、そう感じていた。
 だから、彼は自分には存在意義がないのだと感じていた。
 ――いったい、美しくない青年に生きる意味があるだろうか?
 この、若さという難所を越え、だらだらと生きていれば、彼にも少しの財力ができ、そうすれば使い道も出てくるかもしれない。
 女性はいい。若い女性は、たとえ美しくなくても、すでに自分のエネルギーの衰えを感じた中年や老年の男からすれば、つねに意味がある。
 もし、美しくない青年に意味があるとすれば、それは、父親の財力のおかげで「育ちがいい」「金持ちである」という場合だけだろう。
 貧しい家に生まれた美しくない青年に、いったいどんな意味があるというのか? なにもない。
 彼には、そのことがよくわかっていた。
 大学の教室に入っていくとき、クラスの女の子の目が、さっとこちらを向く。本能的に品定めをせずにはおけない若い彼女たちの目が、すぐに、「何の意味もない男」と、彼に対して答えを出し、そらされるのを彼は何度感じたことだろう。
 それは、電車やバスの中、サークルの部室などでも同じことだった。

 彼は自分の醜さを知っていたので、服装や髪型に気を使ったことが一度もなかった。
 第一、鏡を見るのが耐えられなかった。たかが髪を撫でつけようとするのさえ、「おまえはそんなどうしようもない容姿なのに、髪を撫でつけるのか」と、自分で自分を非難せずにはいられなかった。
 また、とうとう破れてしまった、何年も着古したシャツを買い換えようと、安物売りの店に入っていくだけで、「おまえは服を買うのか? そんな容姿のくせに」という思いがこみ上げてきて恥ずかしさで赤面し、結局何も見ることができずに出てくるのだった。

 彼は、当然、どんな女性とも触れ合ったことがなかった。大学時代、女性と会話をしたのは、一度きりだった。
 それは、ほとんど出向くことのなかったサークル(映画研究会)の部室でのことで、たまたまある女の子とふたりきりになったときだった。
 会話といっても、ただ彼はそのとき、自分の好きな古い映画について、聞かれるままにひとりごとを言っただけだった。
 その女の子は彼を映画に誘った。
 待ち合わせをして、ふたりは映画に行った。
 彼はまったく緊張などしなかった。というのも、彼は、彼女が自分に特別な好意を抱くなどということは、まったくありえないとわかっていたからだ。それが当然であり、そんな彼女に対して、もし自分がほんの少しでも彼女を特別に意識などしてしまったら、それはなにより彼女に悪いことをすることになる。そう思った。
 彼女はそのとき、恋人と別れたばかりで、そういうときの女の子がなりがちな、「誰でもいいから一緒にいたい」というような気持ちがあった。しかし、そこからまた、彼を好きになる可能性もゼロではなかったことだろう。
 古いラブストーリーだったので、女の子はなんとなく非日常的な気分になり、ほんの少し、隣の座席の彼のほうへ体を近づけてみた。
 とたんに彼は彼女をはねのけ、
「バカにしないでください」
 と言った。
 「誰でもいいと思っている気持ちがばれたかな」と、彼女は一瞬考えたが、そんなところまで、まだ自分のことを彼に話してはいないはずだ。
 彼は、彼女にからかわれたと思っていた。自分のような男に、異性が少しでも好意を持つわけがないというのは、彼にとって、三角形の内角の和は180度であるということと同じ定理だったから、そのうえで、彼女がこんなことをする理由は、自分の醜さをバカにし、からかっている以外ないと結論したからだ。彼はふいに席を立ち、映画館を出た。くやし涙がぽろぽろと出た。

 しばらくすると、彼女は、同じサークルの中に新しい恋人を見つけた。
 相手は美しいというほどではなかったが、上位三分の一くらいに入る容姿の男だった。
 ベッドの中で、彼女は、醜い青年とのことを恋人に話した。
「あいつは頭がおかしいよ」
 と、恋人は言った。そのひとことで、彼女の復讐心と自尊心は満たされた。

 青年は、ふたりが仲よくキャンパスを歩くのを見かけた。そうして安心し、心の中でこうつぶやいた。
 ――彼女がなぜあのとき僕をバカにしようと思ったのかはわからない。だが、それがきっと女性特有の残酷さというものなのだ。
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