イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
罪と恵み
「律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20-21)
---
「恵み」。
私はこの言葉が指し示す概念が分からなかった。
それでこの語句を用いることを、意識して避けていた。
今も、はっきり分かったなどとは全く思っていない。
うっすらと見えかけてきた、というところだろうか。
ところであれは何年前のことになるだろうか。
日光(鬼怒川?)にあるキリスト教施設?? そこの常駐牧師がこう言った。
「ここは『たまり漬け』が名物ですが、いやあ、正に『恵み漬け』で……」。
これだけアホな発言だと、今でもはっきり覚えている。
(1度見たきりの牧師の顔は全く覚えていないが。)
思ったものだ。「それって、心地よかったとか、爽やかだとかいうのと、いったい何が違うというのだろうか……」。
この「牧師発言」が、私の「『恵み』って何さ?」ということの原点になった。
それで「恵み」という言葉は分からない、と、やり続けた。
その……なんだかんだとあってぐちぐち言ったり感情の起伏が大きかったり云々かんぬんしていても、そのさなか、ふと、しんからほっと一息つける。
これは、「恵み」と言っていいのだろう。
「満ちあふれている」かどうか、それは知らない。ここに量りはない。
ただ、これはそうだと思うのは、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」という箇所。
罪の自覚が累積してゆくと、あるところで神の恵みを受けることができる(または、恵みに与りやすい)。
罪、それは律法に照らし合わせて判断される。
誰が?
声を大にして言いたいが、自分自身が判断主体だ。
というより、自分自身で気付かざるを得なくなる。十字架が大きく大きく迫ってくる瞬間だ。
だから、罪と恵みとが対置される。
更に言えば、罪と恵みとは、「イエスの十字架」という接着剤によってはじめて対置される。
「罪が死によって支配したように」とあるように、罪は「死」を武器としてその人に働くから、その人は十字架のイエスと共に、死ぬ。
そして、復活し、恵みのうちにその人は生きる(参/ローマ6:4-5)。
日光の「施設」の牧師は、今日もたまり漬けを頬ばりつつ、それが「恵み」と思っているのであろうか。
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:20-21)
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「恵み」。
私はこの言葉が指し示す概念が分からなかった。
それでこの語句を用いることを、意識して避けていた。
今も、はっきり分かったなどとは全く思っていない。
うっすらと見えかけてきた、というところだろうか。
ところであれは何年前のことになるだろうか。
日光(鬼怒川?)にあるキリスト教施設?? そこの常駐牧師がこう言った。
「ここは『たまり漬け』が名物ですが、いやあ、正に『恵み漬け』で……」。
これだけアホな発言だと、今でもはっきり覚えている。
(1度見たきりの牧師の顔は全く覚えていないが。)
思ったものだ。「それって、心地よかったとか、爽やかだとかいうのと、いったい何が違うというのだろうか……」。
この「牧師発言」が、私の「『恵み』って何さ?」ということの原点になった。
それで「恵み」という言葉は分からない、と、やり続けた。
その……なんだかんだとあってぐちぐち言ったり感情の起伏が大きかったり云々かんぬんしていても、そのさなか、ふと、しんからほっと一息つける。
これは、「恵み」と言っていいのだろう。
「満ちあふれている」かどうか、それは知らない。ここに量りはない。
ただ、これはそうだと思うのは、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」という箇所。
罪の自覚が累積してゆくと、あるところで神の恵みを受けることができる(または、恵みに与りやすい)。
罪、それは律法に照らし合わせて判断される。
誰が?
声を大にして言いたいが、自分自身が判断主体だ。
というより、自分自身で気付かざるを得なくなる。十字架が大きく大きく迫ってくる瞬間だ。
だから、罪と恵みとが対置される。
更に言えば、罪と恵みとは、「イエスの十字架」という接着剤によってはじめて対置される。
「罪が死によって支配したように」とあるように、罪は「死」を武器としてその人に働くから、その人は十字架のイエスと共に、死ぬ。
そして、復活し、恵みのうちにその人は生きる(参/ローマ6:4-5)。
日光の「施設」の牧師は、今日もたまり漬けを頬ばりつつ、それが「恵み」と思っているのであろうか。
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