和解

 「今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」(コロサイ1:22)

---

 「非難される」というのは、人からではない。
 神から「非難されるところのない」。
 神が、「御子の肉のからだ」という握手の手を差し伸べてくれたから、そしてその手を握り替えしたから、そうなったことだ。

 十字架のイエスなくして、この和解はけっしてありえなかった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )