生きている、ということ

 「聖徒たちよ。主をほめ歌え。
 その聖なる御名に感謝せよ。
 まことに、御怒りはつかの間、
 いのちは恩寵のうちにある。
 夕暮れには涙が宿っても、
 朝明けには喜びの叫びがある。
 私が栄えたときに、私はこう言った。
 「私は決してゆるがされない。」(詩30:4-6)

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 朝さめざめ泣いて、それでも昼活動して、すると充足して夕暮れにはにっこりする、こうならば分かる。

 涙は、夕暮れ時。
 寝ることによってしか、翌朝の喜びは来ないのか?
 そうだとしたら、昼の活動によって、夕暮れ時に再びさめざめ泣いてしまうのではないだろうか。

 それでいい。
 昼には、いろいろあるのだから。
 涙する夕暮れだって、ある。
 翌朝、喜びの叫びを上げる。
 昼間のいろいろで、やはりその日の夕暮れには泣くかも知れない。

 これが「いのち」、すなわち「生きている」ということであり、これぞ神の「恩寵」だと思う。
 一日のこのどたばたは、「生きている」ということについて、揺らいでいない。

 主よ、その聖なる御名を感謝します。
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