イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
カレンダー
2007年5月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ||
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | ||
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | ||
27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||||
|
goo ブログ
過去の記事
カテゴリ
最新の投稿
義は目的なのか手段に過ぎないのか |
『神に不正があるのですか』 |
キリストに愛されているという実感 |
神が義と認めてくださるということ |
『益』とはなにか |
奴隷の霊からの解放 |
イエスはこれ以上ないほど愛してくださる |
からだは罪のゆえに死んでいても霊が義のゆえに生きている |
救いの型 |
律法を行おうとするとかえって罪深くなるというパラドックス |
最新のコメント
サトシ/キリストの道筋 |
サトシ/罪深い肉と同じような形 |
サトシ/ひとりの人の不従順、ひとりの人の従順 |
Levi/神との平和 |
ネコ/神との平和 |
Levi/新しい約束 |
み/新しい約束 |
Levi/隠された宝 |
ABE/隠された宝 |
Levi/小さき門 |
最新のトラックバック
ブックマーク
プロフィール
goo ID | |
levi9183 | |
性別 | |
都道府県 | |
自己紹介 | |
連絡先:crlh[]goo.jp
返信は気長にお待ち下さい。 |
検索
gooおすすめリンク
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
生きている、ということ
「聖徒たちよ。主をほめ歌え。
その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、
いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、
朝明けには喜びの叫びがある。
私が栄えたときに、私はこう言った。
「私は決してゆるがされない。」(詩30:4-6)
---
朝さめざめ泣いて、それでも昼活動して、すると充足して夕暮れにはにっこりする、こうならば分かる。
涙は、夕暮れ時。
寝ることによってしか、翌朝の喜びは来ないのか?
そうだとしたら、昼の活動によって、夕暮れ時に再びさめざめ泣いてしまうのではないだろうか。
それでいい。
昼には、いろいろあるのだから。
涙する夕暮れだって、ある。
翌朝、喜びの叫びを上げる。
昼間のいろいろで、やはりその日の夕暮れには泣くかも知れない。
これが「いのち」、すなわち「生きている」ということであり、これぞ神の「恩寵」だと思う。
一日のこのどたばたは、「生きている」ということについて、揺らいでいない。
主よ、その聖なる御名を感謝します。
その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、
いのちは恩寵のうちにある。
夕暮れには涙が宿っても、
朝明けには喜びの叫びがある。
私が栄えたときに、私はこう言った。
「私は決してゆるがされない。」(詩30:4-6)
---
朝さめざめ泣いて、それでも昼活動して、すると充足して夕暮れにはにっこりする、こうならば分かる。
涙は、夕暮れ時。
寝ることによってしか、翌朝の喜びは来ないのか?
そうだとしたら、昼の活動によって、夕暮れ時に再びさめざめ泣いてしまうのではないだろうか。
それでいい。
昼には、いろいろあるのだから。
涙する夕暮れだって、ある。
翌朝、喜びの叫びを上げる。
昼間のいろいろで、やはりその日の夕暮れには泣くかも知れない。
これが「いのち」、すなわち「生きている」ということであり、これぞ神の「恩寵」だと思う。
一日のこのどたばたは、「生きている」ということについて、揺らいでいない。
主よ、その聖なる御名を感謝します。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )