92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

「知多半島ふしぎ物語」

2022-06-23 10:31:55 | お出かけ

月一回の講座に半田まで行きました。バス、地下鉄2路線、名鉄と何回も

乗り換えて1時間半もかかります、いつまで参加できますか・・・・

今日も面白く楽しい内容の講座でした。 先生おのお話聞くだけでなく

受講者の積極的な発言を先生は促されておられます。

一つ目はなんと常滑焼が兵器に使われたお話。

戦争末期、各家庭に金属類の供出を求められました。

我が家(実家)は何を供出したかしりません、母が差配したはず、

父は多分冷たい眼で見ていたかも? 追い詰められていた日本の

金属不足を物語っています。

お寺の鐘、家庭のお仏壇の仏具類も例外ではなかった。

素焼きの常滑焼でなく「真焼」といわれ強度もあったようですが。

兵器には?   強度があるとは言え陶器ですから。

二つ目はギリシャ難民を救ったお話。

意外に知られていなくて先生が「発掘」されたやに聞きました。

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別の遭難のお話。明治時代の中ごろ、

帰国途中のトルコ軍艦が台風で串本沖で遭難、

大勢の乗員が亡くなり、60数名の助かった軍人は 

日本側の手厚い看護受け、日本の軍艦二隻で無事本国へ帰国できました

以来、トルコとは友好関係を結んでいるお話は、よく知られている。

イラン、イラク戦争の折は、トルコは2機の救援機を出してくれて、

200数十名の日本人は無事帰国できました。

当時日本は自衛隊機は出せなかったのでしょうか?

トルコ軍艦遭難と杉原千畝さんの「美談」は誰もが知るところです。

いまのウクライナ侵攻の陰にもこうした後世に残るような

美しいお話はあることでしょう。

コメント (10)
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