92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

食べ物三題

2018-09-30 12:36:33 | 日々の暮らしから

お友達からノーベル賞授賞式の晩さん会で出された紅茶、お裾分けに預りました。

 北欧では有名らしい。

何種類かのお花がブレンドしてあるようです。

いつも愛飲しているのはアールグレー。慣れた味のほうが口に合う。

アロエのお刺身、初めて食べました。これはビリヤード仲間のKさんから。

お家に巨大なアロエがあるらしい。残りは化粧水でも作って「美人」になろう

ベジシート二枚買いました。大根と人参です

初めてでうまくできない。

人参嫌い、大根嫌いの子供には向いているかもしれませんが

大根も人参も大好きな私は、あえてこれを使う意味はなさそうです

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間もなく東海も暴風雨圏内に入ると報道しています。(30日12時半現在)

1本だけ弱そうな庭木があるので倒れないといいのですが。

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お墓参り

2018-09-28 19:15:56 | お出かけ

先日(26日)3人姉妹でお墓参りに行きました。

お彼岸も過ぎ墓地は静かでした。

この合同供養塔に移転して初めてのお墓参りでした。↑

元の敷地は↓ 更地のまま、長年に亘り馴染んだお墓はもうない。

↓今年3月墓じまいの日が(3月22日)見納めでした

この日(26日)お墓の引っ越し後初めての墓参りとなった、

新しい供養塔になにか馴染めない。

あの世で母はどう思っているだろう。

母が嫁してからずっとみなで守ってきたお墓。

長男(弟)の提案で決めたことに私たちは従った。

時代の潮流と思うことに致しました。

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十字ケ丘復活苑記念式

2018-09-24 18:54:08 | お出かけ

毎年この時期に行われます。牧師さんのお説教、賛美歌、頌栄、

記念献金等々例年通り。

建物の中では納骨式も行われ、

一般参列者はテントの中で式に臨んだ。

牧師さんのお話しは「イエスの埋葬」。

私は聖書の素地がないので難しかった。

この復活苑は広い愛知牧場の一角にあり、

以前のように足が強ければ散策も気持ち良い。

田園の中を走る「豊田新線」は我が家の最寄り地下鉄と

連結していて便利。

車に乗らなくなった今、駅と苑を貸切バスがピストン輸送、ありがたい。

田園の中の駅は大袈裟ですが旅愁を誘います。少々近代的過ぎますが。

 「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそこ聞きにいく」 啄木

駅と言うものは都会の大きいのも田舎の小さな駅も、

何かしら「哀愁」を感じます。 よき1日でした。

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すいとん

2018-09-22 16:46:33 | 想い出

昨夜の残りスープを利用して「すいとん」を作り昼食にしました。

「すいとん」は古く室町時代の書物にも出てくるお料理?のようですが、

私には料理のイメージはなく「代用食」です。

戦時中は白米ごはんはめったに食べられず、

ほぼ代用食ばかりでした。

お粥やご飯の中に、さつまいもや切り干し大根、など入れて

嵩を増やすのです。

その他いろいろ嵩増やしのものはあったでしょうが、もう忘れました。

私は学徒動員で工場へ行っていましたので

昼食には麦ご飯がでましたから、恵まれていたと思います。

若い人は「すいとん」知っているでしょうか?

「代用食」も聞き慣れない言葉でしょう。

因みに「水団」と書きますが「団」は唐語読みです。

唐語読み(漢語)は中国から入ってきた読みのこと。

なかなか美味しい「すいとん」でした。

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雑学的江戸のくらし

2018-09-20 16:48:49 | お出かけ

久しぶりに受講中の講座(知多半島の不思議物語)へ出かけました。

知多半島とは関係ありませんが、江戸のくらし模様は面白いでした。

講釈師?はだしの先生のお話しに受講生楽しい2時間でした。

棒手ふり(ぼてふり):お惣菜やさんの始まり?フアストフード発祥の地?

庶民はご飯をたくだけ、従って包丁まな板など

長屋住まいの庶民の家にはなかった由。信じられませんが?

江戸の「水道」

銭湯は混浴

庶民の住む長屋と高級武士の家とでは状況は違うでしょう。

庶民と武家では住む地域も定められていたのですから

当然暮らしも違っていたでしょうが、共通点も多かったらしい。

例えば1日二食、移動の自由はなかった等々。

私は「歴史資料」等ではなくテレビドラマや時代小説からしかしりませんが、

清潔好きの伝統は今も受け継がれているようです。

ヨーロッパにも「棒手ふり」はあったのかしら?

同時代、ベルギーのミルク売り

 

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