92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

迎春

2018-12-31 23:30:44 | 挨拶

昨年はお付き合い頂きまして、大変ありがとうございました。

本年もよろしくお願い致します。

今年は日本が世界が「災」のない年になりますように。

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この1年もありがとうございました

2018-12-29 20:26:53 | おしらせ

光陰矢のごとし、一寸の光陰軽んずべからず、歳月人を待たず等々、

時間の大切さを戒めた言葉を人は誰でも知っています。

にも関わらず、私は大切にしているとも思えぬ日々で反省しています。

 

この1年もお付き合いくださりありがとうございました。

ブログ、しばらく休みます。

再開致しましたらまたよろしくお願い致します。

来る年もどうぞよろしくお願い致します。

みなさま、よき新年をお迎えになられますよう祈っております。

※ 勝手ながらコメント欄閉じてあります。

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知るを楽しむ

2018-12-26 15:52:01 | 日々の暮らしから

昔ある陶芸家の方に頂いた。伸び放題の雑草に埋もれていたが

久しぶりに陽の目を見ることになった。 嘴が欠けていました。

「知るを楽しむ」 楽しんでいますが知る端から忘れています。

最近知り得たもの

其の一  読書中の「ニコライ遭難」のなかに出ていて知りました。

  ロシアの皇太子襲撃は有名な国難とも言うべき事件ですが、

  皇太子一行の中に西郷隆盛が同行していたと言うもの。

               

  勿論真実ではなく、あり得ませんが、

   当時巷間まことしやかに伝えられた由。

   これは小説ではありますが、吉村氏は歴史小説では真実を曲げたり、

  ないことを書いたりはされませんでした。

  義経がどこそこに生きていたと言う話やこの西郷さんにしても

  生きていてほしいという人たちの願望から来たものでしょう。

其の二  数字「184」と「186」 私には判じ物のような数字でした。

   電話番号の前に「184」つけて掛けると非通知と表示

  「186」をつけて掛けると相手に電話番号が表示されると言うもの。

  つけないで掛けた場合は、契約時の設定が優先される。

以上の二つとも、知らなくても日常に何の不都合もありませんが、

知らなかったことを知って得したような気分になりました。

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クリスマスと私

2018-12-24 08:59:26 | 日々の暮らしから

        

夫は若いころ、多分大学生のころ洗礼を受けました。日曜学校で

子どもたちを教えたり、その後一時期伝道委員などもしていました。

私は信者にはならなかったが、伝道のお手伝いをしたり、

聖書研究会を自宅で何回か開きました。

私はクリスマスプレゼントは貰った記憶がありません、

子どものころも長じてからも。。

晴天でゴルフの約束があれば教会よりそちらが優先。

夫が教会に行かなければ、私も行かない。

当時は今のように街のイルミネーションも華やかでなく、

ホテルのクリスマスパーティーもなかったような?

ただ、子どもが幼いころはサンタさんの贈り物を

世間並みにイヴの夜枕元に置きました。

信者のクリスマスは意外にも静かなものかも知れない。

宗教に大らかな日本人ですが、それもまたよしと思います。

きれいなイルミネーションは見に行きたいと思いながら、

夜ですから転ぶと大変なので諦めました。  メリークリスマス!

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江戸時代遭難記

2018-12-22 11:51:01 | 歴史

いくつかの漂流記を読んだ、今までは漂流記として読んだわけでなく、

吉村昭作品を読んだのである。 きっかけとなったのは愛知県知多出身の

船頭、小栗重吉を知ったことから始まった。

        

どの遭難も想像を絶する困難から、生きて故郷に

帰ることができたのは奇跡である。しかし必ずしも幸せではなかった。

その中でも「アメリカ彦蔵」は格別の面白さだった。

彦蔵は13歳で遭難、アメリカの艦船に助けられた。

鎖国政策中の徳川幕府、帰国してもどのような扱いを受けるかわからず、

アメリカへ行くことを選択、これが彦蔵の運命の岐路になった。

優しく裕福な篤志家のサンダース夫妻との出会いがあり、

大切に育てられた。

高等教育も受けさせてもらい、高等会計学なども学んだ。

リンカーンはじめ3人の大統領にも接見、民主主義も知ることになる。

また毎日刊行される新聞を知り、帰国後日本で初めて新聞をだした。

彦蔵がアメリカ滞在中、日本は幕末の動乱真っただ中、

アメリカでは南北戦争も終決しておらず、清国は列強に侵略され

間もなく清朝の崩壊を見た。ヨーロッパのことなど

同時期の各国の歴史を見る面白さがあった。

帰国後の彦蔵は英語は堪能、西洋のマナーに通じ、貿易などの

専門知識も豊富、日米双方から重宝がられた。

夢にまで見た故郷は貧しく馴染めない、

アメリカを恋うる自分、日本語より英語が堪能、

文章も漢字の知識不足のため、英文のほうが堪能、

自分は「一体何者?」と悩み続けた。

明治30年、61歳で彦蔵の波乱の生涯は終わりました。

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このところ私は家事山積しているのに、ブログも更新せず

面白さに「遭難記」の海に溺れていました。

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