92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

年々歳歳花相似歳歳年年人不同

2020-06-29 09:32:36 | 想い出

我が家で一番元気な蘇鉄。50数年前今の家に引っ越してきたとき  ↑

夫の希望で持ってきました。庭師さん曰く「枯れるかもしれません」

枯れた木もあった中、蘇鉄は年を経て大きくなりました。

赤い実をたくさんつけて、新しい「子供」も生まれました。

それを眺める人は私一人になりましたが・・・・

英国王立キュー植物園の世界最古の蘇鉄

1775年南アから来たそうです。老木、さすが支えられています。

蘇鉄は500年以上の寿命があるそうです。

この先私がいなくなって誰が眺めてくれるでしょう。

今年も睡蓮が花咲きました、年年花が小さくなっているような?

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自力解決

2020-06-25 13:26:18 | 日々の暮らしから

アナベル ↑ ↓

随分前から寝室の押入れの戸が1枚動かなくなった(1間半の押入れです)

そのうち何とかなる、誰かが来たときに・・・と放っておきましたが、

ある時ふと気付きました。見ると天袋の中央部分が少し湾曲、下がっている。

半世紀余の家計簿の重みに耐えかねて湾曲したのです。 ↑

こわごわ脚立にに乗って、すべての家計簿を下に抛り投げ、無事解決。

脚立から落ちて骨折はよく聞きますので、迷いましたが決行しました。

半世紀以上の家計簿は充分重いでした。当然ペラペラ捲って楽しみました。

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カルガモ一家

2020-06-24 08:23:01 | お出かけ

庭の補修工事で足止め、まるまる3日間歩きませんでした

覚束ない足取りながら思い切って出かけました。(23日)

大きくなっていてびっくり致しました、倍どころか3倍4倍の大きさでした

ところが何タイムかわかりませんが、泳いでいません。

大きくなっていて嬉しいでしたが、1羽だけサービスに?泳いでいました。

1週間前は私の滞在中泳ぎ回って、疲れないかと心配しましたのに。

雑草対策にと相談した結果、「おおごと」になりました。

ブロック敷けば完璧ではありますが・・・・↓

これでは長生きして元を取らなければいけなくなりました

何年生きれば元が取れるでしょうか?

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「終着駅」

2020-06-21 12:10:07 | 読書

銀梅花(マートル)が咲きました

祝いの花と言われ英王室の結婚式のブーケなどにも使われるとか。

明治時代に渡来した。マートルという名でハーブとして親しまれている。

長年にわたり某婦人雑誌に連載された随筆です

キャッチコピーに惹かれて買い読みました。

最初40代から始まり、次第に年を経て最後のほうは90代です。

若い時はなにか突っ張っているように思えましたが

「終着駅」に近付いた90代以降は共感できる部分も多いでした。

遠藤周作さんの愛子さんへの片思いは有名なお話ですが

これも愛子さん独特の筆致で面白く書いています。

料理はお好きらしい。気晴らしになるし、クリエイティブな作業だからと。

私は何一つクリエイティブなことはしていないからこの言葉は

ちょっとうれしくなった。今も一応料理らしきことはしているし

宅配食は取りたいとは思わない。先々のことはわかりません。

最期のほうでは編集者が「長生きされてよかったことは?」と質問。

愛子さん「体は劣化するし、精神力は衰える、時代のありようが

変わってしまって、信じられない考えの人がいること」

例を挙げておられましたが省きます。

「ただ一つよかったことは死ぬのが恐くなくなったこと」だそうです。

私は愛子さんに近い年齢ですが、共感できない部分もありました。

苦労されて波乱万丈だったようですが、芯の強い才能ある人です。

「山帰来」と言う銘菓、頂きました。

山帰来の香りが口いっぱいに広がり美味しい、何処で買えるのか

探してみよう。

 

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「知多半島ふしぎ物語」

2020-06-17 14:51:53 | お出かけ

講座、3か月のお休みでしたが、6月から再開しました。

今日のテーマは「尾張藩の藩札と知多半島」

尾張藩は徳川御三家の筆頭、直系ですから権力はありましたが

経済面では他の藩と同じく豊かとは言えずやりくり算段していました

そこで「四つ概」など財政改革で窮乏打開を計りました。

「四つ概」?初めて聞きましたし、先生の説明だけでは理解できませんでした。

藩の知恵者が考え出したのでしょう。

帰宅して今一度ネットで調べたりメモを見て漸く半分理解しました。以下ネット(尾張藩)から拝借。

四つ概の方法は、簡単にいうと従来の村高が一〇〇石であると、

免相は六つ(六〇パーセント)であるから年貢米は六〇石となる。

この六〇石の年貢収入を減らさないで、免相を四つにするには村高を延ばさなければならない。

それには一〇〇石の村高を一五〇石に延して、免相を四つにすると年貢米は六〇石となる。

このように従来の年貢米が、一〇分の四になるように変更したのである。

元の村高一〇〇石を元高といい、一五〇石に延した高を概高という。

年貢米(税金) 公・6 民・4 を → 公・4 民・6 にしました。

?一見民優遇のようにますが、村高100石を150石とし、結果収める税金の額は同じ?

未だに良く理解できていません。

「四つ概」、藩と農民どちらに利が多かったのでしょう?

私が衰えるのは体力だけでなく、理解力もまた甚だしく衰えました。

受講することに意義があることに致しました。

 

 

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