92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

終活セミナー

2016-09-28 11:03:40 | お出かけ

夕方の伏見町界隈

ここ伏見の電気ビル5階でセミナーがありました

電気会館前の面白いオブジェに映ったテーブルと椅子

近くに建設中の御園座、こんなに伸びた御園座初めて見ました。

このセミナーは某大手葬儀会社が開きました。広い会場満席で数百人?それは大袈裟ですが・・・

重くて困るくらいの資料を頂きました。

私は夫の時で経験済みですが既に16~7年経っていますから変化の部分もありました。

節税対策の話や、老人の自殺は独居より家族のいる方のほうが自殺率は高いとか、

受取人指定の財産は相続の対象にならない(死亡険金のことか?)などなど

興味深く聞きました。

また「ありがとうメッセージ」というソフトがあり、生前感謝の言葉を残し(録音)

それが終わると同時にパソコン内のすべてが削除されるというもので、

検索で探してみましたが見つかりませんでした。如何にも現代らしいです。

私の場合は信者ではありませんが、納骨堂も牧師さんもお願いしてあります。

それでも今日のセミナーは役立つ部分もありましたし

社会の葬儀に関する風潮がよくわかりました。


お医者さんと本屋さん

2016-09-26 17:00:53 | お出かけ

二つの病院を梯子しました。

眼科の隣にある三方ビルの谷間の神社です。↓

 その祭神「大直禰子」とはいったい何者なのか?

『古事記』では意富多多泥古(オオタタネコ・男)、『日本書紀』では大田田根子(オオタタネコ・女)となっている。 

無病息災は勿論ですが、愛知県では猫神社(俗説?)とも言われているとか。

泥古 根子 この音から来たのでしょうか?(私の推測です)

何十回と前を通りましたが、3方ビルに囲まれてなお残っているからには

由緒あるのかなと写真撮ってみました。

果たして日本書紀だの古事記だのとびっくり致しました。

この「大直禰子神社」京都にも奈良にもその他各地にあるようです。

↓今話題の「文庫X」 ジュンク堂(栄)が扱っていると聞き行ってみましたが

同じジュンク堂でも別のお店しか扱っていないとのこと、足の限界が来て諦めました。

話題沸騰した「文庫X」は東北の確か盛岡のある本屋さんのアイデァで内容は知らさずカバーして

売り出したのだそうです。

本屋大賞もですがあの手この手で読者を惹きつけるべく頑張っています。

「文庫X」 手に入らず残念でしたが、たくさんウオーキングできました。


「中日新聞記者たちの追憶」

2016-09-24 16:54:25 | 友人から

つい先日までこの鶴舞公園はポケモンgoの聖地として警官まで出る騒ぎでしたが

今はいつもの土曜日に戻りました。若者のグループが多いでした。

大勢のボランティアが園内のお掃除をされていました。

貴重な本はここで借りました ↓

ネットでこんな本を探し出しました。編集者は父の親友で私も記憶にある人です。

若しかして父も寄稿していないかと期待しましたが、

編集者石井さんの社会部長時代の部下たちが石井さんの呼びかけで寄稿したようです。

父は社会部長もしていましたが、

この石井氏より少し先輩で、短期間で文化部長に変ったようです。

文中に2~3か所父の名前が出てきて嬉しいでした。

この編集者の石井さんは「軟派」、父は「硬派」などとも書かれていました。

今は共に亡き人です

     

現場の新聞記者ならではの生々しい取材や、逸話も多く大変面白く一気に読みました。

伝書鳩で現場から記事を送った。一羽でなく複数飛ばしたようで、訓練されていても

帰ってこない鳩もいたようです。同時に鉄道便も使ったようですが

鳩のほうが速かったのでしょう。

戦後間もなく陛下が地方へお出でになった時のこと、ある工場で

 「これはなあに?」 と陛下

 「はい、とーふと申します」 と従業員

 「あ、そう、原料はなあに?」 と陛下

 「大豆でございます」 と従業員

 「あ、そう」 と陛下。

取材した記者は初めて陛下の肉声を聞き、とても感激したそうです。

従業員の冷静さにも感心したとも書いています。

皇居でもお豆腐は召し上がっておられたでしょうが、

原型のお豆腐は初めてご覧になったのだろうと、記者は推測していました。

戦後「人間天皇」なられましたが、それまでは雲の上のお方でしたから

記者の感激は頷けます。

他に当時の大きな事件などが、記者の目で書いてあり貴重な記録とおもいます。

私の知った方も何人か寄稿されていて感激致しました。


記念式に参列しました

2016-09-22 14:22:10 | お出かけ

      

十字が丘復活苑はキリスト教徒のための納骨堂で、夫もここに眠っています。

土砂降りの大雨、参列者はテントの中で。

「復活苑」(納骨堂)建物の中は今日納骨する数家族のみ。他の参列者はテントでTVモニターを見て。

 

牧師さんのお説教、「私たちの国籍は天にある」というテーマでした。

奏楽者

この納骨堂は豊田新線の黒笹駅から徒歩15分くらいの愛知牧場の一角にあります

晴れていれば広々とした牧場が見渡せます。

豊田新線黒笹駅↓名古屋の地下鉄と名鉄の相互乗り入れで、

我が家からは便利です。

駅からチャーターバスでピストン輸送してくれ助かりました。

車に乗らなくなって唯一不便を感じるのは、ここへ行くときだけです。

賛美歌の合唱が雨に煙る牧場に響き渡りました。

時に大雨でかき消されそうになりましたが・・・

おまけのお話し:偶然隣の席の方が私の知り合いの義理の妹さんで

私と同年の昭和6年生まれ、老人ホームから参列のため来られた由。

老人ホームの事は関心あるので掘り葉掘り聞きたかったのですが、

初対面なので礼を失してもいけませんから、少しだけ・・・

その方は満足しておられましたが、

6畳一間と聞いてそれでは無理かなと思いました。


「山の民」

2016-09-20 11:22:18 | 読書

久しぶりに本(電子図書)買いました。

無料のは時々ダウンロードしていますが、気が多くてあちこち読んでいます。

「山の民」は幕末から明治維新の時代、「梅村騒動」を描いています。

この騒動は革命と言いますか農民一揆です。

舞台は飛騨高山、ここは天領地(幕府の直轄領)。

何故飛騨高山が直轄領に?調べてみる価値はあります。

佐渡のように金山があると言うのならわかりますが?

激動の時代に庶民が翻弄されるのはいつの時代も同じです。

「士農工商」は武家社会で階級の位置付け、「農」は「士」の次ですが、

私の中で近代では「女工哀史」、東北の身売り等、

「農」のイメージは「貧しい」が頭にあり、「工・商」より上にあるとは思えない。

今では農業機械の発達で近代化され、「農」のイメージも大きく変りましたが。

私の経験ですが、戦時中、母が農家へ買い出しに行きました。

家族の食料を得るため、あるときは衣類などと「物々交換」、

この時ばかりは農家は恵まれていたようですが…都市周辺の農家だけかも?

立派な「御殿」を建てた農家も知っています。

「山の民」は歴史小説でもあります。

そんなに遠くない昔のお話しですし、隣県なので地名など

親しみもあり興味深いです。

 飛騨にはもともと金山があり、森林資源がほしい幕府が

  直轄領に指定したようです。