月一回の講座に半田まで行きました。バス、地下鉄2路線、名鉄と何回も
乗り換えて1時間半もかかります、いつまで参加できますか・・・・
今日も面白く楽しい内容の講座でした。 先生おのお話聞くだけでなく
受講者の積極的な発言を先生は促されておられます。
一つ目はなんと常滑焼が兵器に使われたお話。
戦争末期、各家庭に金属類の供出を求められました。
我が家(実家)は何を供出したかしりません、母が差配したはず、
父は多分冷たい眼で見ていたかも? 追い詰められていた日本の
金属不足を物語っています。
お寺の鐘、家庭のお仏壇の仏具類も例外ではなかった。
素焼きの常滑焼でなく「真焼」といわれ強度もあったようですが。
兵器には? 強度があるとは言え陶器ですから。
二つ目はギリシャ難民を救ったお話。
意外に知られていなくて先生が「発掘」されたやに聞きました。
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別の遭難のお話。明治時代の中ごろ、
帰国途中のトルコ軍艦が台風で串本沖で遭難、
大勢の乗員が亡くなり、60数名の助かった軍人は
日本側の手厚い看護受け、日本の軍艦二隻で無事本国へ帰国できました
以来、トルコとは友好関係を結んでいるお話は、よく知られている。
イラン、イラク戦争の折は、トルコは2機の救援機を出してくれて、
200数十名の日本人は無事帰国できました。
当時日本は自衛隊機は出せなかったのでしょうか?
トルコ軍艦遭難と杉原千畝さんの「美談」は誰もが知るところです。
いまのウクライナ侵攻の陰にもこうした後世に残るような
美しいお話はあることでしょう。
とはいっても、陶器ですよね。
どのような兵器に…
民間レベルでの交流となって、長く続く関係は時々耳にします。
東慶丸の船長さん、荷を捨てて人命優先。
毅然とした態度は、あっぱれですね。
そういえば勤めていた会社で、木製のプロペラを
作っていました。
そんな時代があったのですね。
国境を越えた海の男の絆は、いつの時代でも強い
ですね。
隠された歴史の1ページには、美談もありますが
大量破壊兵器が使われる時代は、憎しみだけしか
残りません。
常滑焼といえば、急須やすり鉢などが有名ですが、
それが、いくら強度のある「真焼」だとしても、
金属の代用として用いられたなんて、とても考えられません。
ギリシャ難民を救ったことは初めて知りましたが、
トルコ軍艦が台風で串本沖で遭難した時の話はテレビの番組で
取り上げられていたので知っています。
それと杉原千畝さんのことも…。
ウクライナ難民の支援の輪は広がっているようですが、
一刻も早く戦争は終わらせてほしいですね。
陶器は陶器です。
手りゅう弾とか燃料容器に使われたようです。
ギリシャ難民ですが、先生はこれからもっと
検証してみるといわれて、次回に
お話があると思います。
なぜここまで日本で知られていないか
確たる資料が残っていないようです。
手りゅう弾として使われたようです。 ほかに
ロケットの燃料、過酸化水素容器、巨大な秋水ロケット燃料容器だそうです。
常滑焼が硬質で耐酸性に強いところから
特注されたそうです。
ギリシャ難民の話が日本では知られてのは
なぜか?検証してみると
先生は言っておられました。
母が嘆いていたこと覚えています。
父は早くから日本は2年で負けると言っていて
私たちが抗議したので以後言わなくなりました。
一般人の父が負けるとわかっている戦争を
なぜ始めたのでしょうね。
最近、沖縄慰霊の日のことが大きく報じられました
信じられない大勢の民間人が犠牲になりましたね。
ウクライナも早く戦いが終わりますように。
ご紹介、ありがとうございました。
いろいろ情報交換できる、ブログでのコメント交流、いいものですね。
応援ポチ(全)。
私も高大の講義がありましたが腸のお話でまあ何度も聞くお話でした。
隠れた美談は多く残っているはずですね。
今は隠れた陰謀(?)画策があるように思われて。。。。
これほど情報が多いと何がホントで何が嘘なのか?
自己責任かと思って居ます。
ブログで、どこかの誰かとお話できて嬉しいことです。
昔なら考えられないことです。
皆さんとお話しできる良い機会なのですよ。
お友達(94歳)も参加しているので
続けられています。
最近は「フェークニュース」なんて言葉が
飛び交っていますね。
おっしゃるように 何がホントで何が嘘なのか?。>
だまされないようにと疑い深い人間になりました。