星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ヴォルヴォ…

2019-05-30 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先ごろ 国名の表記の「V」を「ヴ」と表記するのをやめる、という法案が可決されたとか… 

そんなニュースを聞いた覚えはあったけど、 固有名詞や人の名前の「ヴ」まで消えるとは…? そんな話、政府指導でもあったの? 今朝のニュースを見ていたら、 某局は「レオナルド・ダビンチ」とテロップが流れててちょっと驚きました。。 ちなみにちょっと後の 違う局は 「ダ・ヴィンチ」となってた。。

2019年4月17日 特集記事 ヴの消滅後、世界でなにが (https://www.nhk.or.jp/)



こんな記事もありました⤵

『WIRED』日本版、ついに「ヴ」を廃止──新たに「ヷ」「ヸ」「ヹ」「ヺ」を採用へ


 ***


個人的には もともと「V」と「B」の音をおなじカタカナで表記するのはキライだし、 Victory(ヴィクトリー)とか、 Victor(ヴィクトール)とか、 自分では決して ビクトリーなんて発音しない。。 日本ビクターは そういう企業名だからしょうがないけど。。

ダ・ヴィンチだって ダビンチとは発音したくない。 それに 「ヴィンチ村のレオナルド Leonardo da Vinci」っていう名前なのだから、 ダとビンチの間が空くのが本当の名称でしょ? 

来年から 小学生から英語の授業を必修にするというのに、 どうしてそんな逆行するようなことするのか 政府のやっていることの意味が全然わかんない。。 小学生から英語表記に慣れろというなら、 国名や 人名は カタカナでもなく 最初から 英語で表記したって良いと思う、、 

というわけで、、 此処はこれからも デビッドボウイーさんとは書きません。(←70年代のレコードにはこう書いてありましたが) できるだけ David Bowie とスペルも併記したいと思います、、(時間ないときはカタカナだけになるかも、けどね…)

それが 国名、 人名、 への敬意だと思うけどなぁ・・・


 ***

今 読んでいる本では スウェーデン(WIRED流に書くなら スヱーデンか?)の車が 「ヴォルヴォ」と表記されています。。 まぁ 社名は「ボルボ」で日本では登録されているので ボルボでいいじゃん、、と思わなくもないですが、 物語の舞台は北欧なので 「ヴォルヴォ」と表記する訳者さんのこだわりは正しいとも思います。

・・・ 表記の話題からは外れるけど、、 この作品中に自然科学や地質学や数学やらの言葉がいっぱいでてきて とっても理解するのに苦労してます。。 (できたらアニーに解説して欲しい… と思っちゃう、、 ←ていうのは独り言)

まだ三分の一くらいなので 読むのを断念しようかとも思うけど、 なんとか最後まで読み切りたい。。 高校の物理化学は酷い成績だったけど、 すくなくともまだ読解力くらいは(自分のティーンエイジ以上に)残っているはず。。 

昨日の夕刊に載っていた ビアンカ・ベロヴァーの本や、 オルハン・パムクの本も 書評を読めば あぁこれも手にしてみたいな、、と思うし・・・


世界にはまだまだ読むべき本が残ってる… と思うと、、 背筋がぴっと伸びる気がします、、 たまに眼も見えなくなるけど…(泣)


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ピアニストのお友だちは 半年後の発表会に向けてラフマニノフを練習中とのこと。。 


みんな、、 まだまだ 勉強中なんだ。。





明日は、、 ブラッド・メルドーさんに会いに行けるよ~ ♪

『ニイルス・リーネ 死と愛』②

2019-05-22 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月書きました(>>) イエンス・ペーター・ヤコブセン (Jens Peter Jacobsen)の古書 『死と愛』… ほんのすこしずつ読んでいます。。 ほんの 少しずつ…

そのようにしか 読めません。 そのような時間の流れでしか…


戦後2年目という時期の古書であるため 舊漢字が難しいことも 活版の印字がたまに薄く掠れていることも そのせいもありますが、、 ヤコブセンの描写の緻密さに… 


38歳で逝ったヤコブセンはこの作品を三年ほどかけて書いたようです。 構想を友人に語ってからは もっと長い日々が過ぎていたはずです。 その間、 モントルー、 ローマと転地療養しながら執筆を進め、 しかし 1879年には病状が悪化して殆んど筆をとれず 「『ニイルス・リーネ』はこのまゝ完成を見ずに終るしかないと見えた」 と、 訳者 山室静さんのあとがきにはあります。

 ***

少し 引用をします。


59頁 ある女性の病床

 「 最後が來たのは、五月の、雲雀がひねもす囀りをやめず、青麥が目の前で伸びるやうなあの光りにあふれた日の一つだつた。彼女の窓の外には眞白に花をつけて櫻の老木が立つてゐた。雪の花束や花輪、圓天井や穹窿や房飾り――眞青な空に浮き出た白い花の妖精の宮居。
   彼女はその日はひどく疲れてゐたが、その疲勞の中に、何か大變に靜かなもの――不思議な靜謐が感じられた。彼女は何が來るかを知つた。 (略)」


62頁 病状の傍らで祈る ニイルスの言葉

 「(略)… 神様、待つて下さい、待つて! 手遅れにならないうちにあの人を癒して下さい! 僕は……僕は何をお約束したらいゝのでせう?――おゝ、僕はお禮します、きつときつとあなたを忘れません。たゞ聞き届けて下さい! あの人が死にかけてゐるのがお解りでせう、死にかけてゐるのが。 (略)」


同頁
 「窓の外では、落日の光の中で、白い花が薔薇のやうに眞紅になつた。穹窿の上に穹窿が重なり、美しい花の群が、大きな薔薇の城、薔薇の大伽藍をなした。そのふわりとした圓蓋を透して、たそがれて來た青い夕空が見える。そして金色の光り、紫金の焔が、この花の寺院のすべての垂れた花環から流れでた。」


 ***

ここを読んで思いました。。 ここに流れている時間は ヤコブセンが療養をかさねながら ときには病床から ときには書斎の窓から、、 じっと戸外の花を見つめ、 書こうとする事柄を想い、 あるいはなにも出来ず身体を横たえたまま ただただ じっと風が花をうごかし、 陽射しがすこしずつ動いていくのを ただひたすら見つめていた、、 そのヤコブセン自身の時間がここに流れているのだ、、と。。


ヤコブセンの自然学者としての描写については、 以前、 「印象主義と詩人の魂:「モーゲンス」J.P.ヤコブセン『ここに薔薇あらば 他七篇』より」のところで書きました(>>
、、 その細密な描写が 『ニイルス・リーネ』の自然描写にも 人物の描写にもあらわれているのでしょう。。 でも いま『ニイルス・リーネ』を読みながら感じているのは 《時間》 です。 …ヤコブセンがたどった《時間》、、 観察者として、、 思索者として、、 病者として、、


だから…  なかなか 現代の日常の、 やるべきことに追われ 忙しいのが当たり前で、 深夜も早朝もあらゆるものが動いていることに慣れ切ってしまった都市生活の《時間》のなかでは、 この物語を味わうのはほんとうにむずかしいことだと、、 そしてきっと話の筋を求めていくと殆んどの人が投げ出してしまうだろうと、、 そう思います。。


… 物語はまだ始まったばかり、、 ニイルスはここで まだ十二、三歳の少年です。 ただ、、 この病床に伏す女性の傍らでの 神様への祈りが、 そしてその結果が、、 ニイルスの神への信頼に、 その後の生き方に、 きっと大きな變化をもたらすことは想像されます。。

 ***


先日、、 死ぬまでにあと何冊の本が読めるだろう、、と 家族と話をしました。。 年に二十冊として、、 5年で100冊、、 10年で200冊、、 そんな程度かな… と。

、、 5年はおろか 一年単位でしか 生命の猶予を考えられない(考えたことがない)自分としては、、 まずは、、 100冊 でしょうか… (百冊しか…? それともあと百冊ある…?)
音楽ならCD100枚を聴くのは私には簡単。。 でも 小説の100冊は大変… そして、 100冊を選ぶのはとても困難…


そのような《時間》のなかでも 『ニイルス・リーネ』はたいせつに読みます。 全14章のうち、 まだ5章…




先月 書きましたね、、 ヤコブセンは櫻の花の季節に亡くなった、と。。 上で引用した櫻の描写、、 落日の光の中では桜の花は眞紅になるのでしょうか、、 薔薇の大伽藍となるのでしょうか、、
そういえば、、 落日の桜の花をちゃんと見た事が無い気がします。。 ライトアップされた夜桜ではなく、、


ヤコブセンの観察者の《時間》からは 教わることがいっぱい、です、、



今週は お天気のよい日がつづきそう。。


… おげんきで

TVドラマも気になるが続きが読みたい!:フォルカー・クッチャー著 創元推理文庫

2019-05-14 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)




前に BGMのことだけちょっと書きました ドイツの刑事小説シリーズ。(ろくでなし野郎のBGM >>

フォルカー・クッチャー(Volker Kutscher)著 『濡れた魚』 『死者の声なき声』 『ゴールドスティン』 創元推理文庫 酒寄進一 訳
詳細は創元推理社のほうへリンクしておきます>>


最初の『濡れた魚』は1929年のベルリンが舞台。 そこから1作ごとに1年ずつ物語が進んでいく警察大河小説なのですが(ドイツでは8冊出版されているようなので いま1936年かな?) けれども日本では3作目の『ゴールドスティン』以降 翻訳されていないので読めません…


世界史に疎い私には、 1929年のドイツがどのようなのかまったく知らず、 政治状況も警察組織の言葉も最初はわからずにちょっと読むのに苦労しましたが…

世界恐慌の年、だというくらいは知ってる。。 でも、ベルリンの街で社会民主党と共産党などのデモ隊が溢れ、 警察と衝突が起きて死者が出たり、 それから ほとんど街のチンピラと変わらないようなまだ子供がナチの突撃隊を名乗って徒党を組んで歩いたり、、 ナチズムや第二次世界大戦はまだ10年も先のこと(と思っているから) そのような政治状況や 街の不穏な空気が最初はうまくつかめず…

ちなみに デモ隊の衝突で死者が出たという 1929年の「血のメーデー」についてのWikiはこちら>>
↑ここにも出ている警察長官ツェルギーベルなども 実名で物語の中に出てきます
(そのほか実際の歴史上の人物や出来事も 多く物語に入ってきます)

けれども、 そのような社会や政治の動き、 不穏さは、 あくまで小説の背後というか底辺に流れているもので、 物語の主役はあくまで刑事が事件の謎を解くサスペンスですから、 私のようになんにも知らずに読み始めても大丈夫。。

主人公ゲレオン・ラート刑事(警部になる)は、 ケルンからベルリンに赴任してきたベルリンでは新参者。 でもラートの父親はケルンの警察でトップに上り詰めた人なので、 ラートもけっこうな野心家。。 過去にケルンで何事かを起こし(この件はあまり明かされないままで)、、 その過去を消すようにベルリンへ移って来て、 ここベルリンで名を成そうと抜け駆けのように同僚を出し抜いた行動もとるし、 いざとなれば闇社会さえも利用する、、 恋人にも言えないような秘密もひとつやふたつではなく…

著者フォルカー・クッチャーが巧いなぁ と思うのは、
*事件の犯人を追う謎解き
*主人公ラートと警察署内の人間模様
*ベルリンの闇社会を牛耳るギャング組織の勢力争い
*ラートと恋人との行く末
*台頭してくるナチズムの影

これらがすべてが 関連がなさそうでいて緻密に絡み合って物語が進み、 最初の本で謎のまま残った部分もぜんぶ伏線になって、 第2作、 第3作、、にも関係して出てくるので、 人間関係や背景がわかってくると 第3作の『ゴールドスティン』がいちばん面白く読めます。 (だからなおさら 続きが気になるんです、、 残された謎もあるし…)

最初に書いたBGMのところで、 ラートを「ろくでなし野郎」などと書きましたが、 ろくでなし ではあるが ぎりぎり ひとでなし、ではないかな。。 だけど、 こんなに秘密を抱えちゃってどーすんだよ、ラート? この先 墓穴を掘ることになりはしないか? 闇組織はどうするの… 恋人はどうするの… 、、と 心配にもなります。。 けど、 恋人に関してはけっこう純でもあって、 眠れない夜を過ごしたりもする可愛さも、、。


3作品読んで、 時代は1931年になり、、 経済は破綻して銀行も潰れたり、、 貧困層も増えて 不満を抱えた若者はそれぞれが支持する政党に入れ込んで対立したり、  ナチの突撃隊の子供らが正当な理由もわからないまま人種の異なるひとを襲ったり、、 ベルリンの街のきな臭さ、 不穏な影がひたひたと怖さを増していきます。。 
でも そんな時代でも(そんな時代だからか) 人々はダンスホールで浮かれ騒いだりもするし、 映画館や劇場でデートもするし、 自分の仕事のキャリアアップを夢見たりもする、、

ひとびとの普通の生活や 普通の夢、、 その背後で 確実に変化していく時代の空気、 ベルリンの街の怖さが、 読み終えてようやく  ようやくひしひしと、、 感じられるのでした。

このあと、 ナチズムが権力を掌握していくなかで、 ラートはどうやって警察官として生きていくのだろう、、 いまの8作目、 1936年にはどんなベルリンになっているのだろう、、と すごく気になります。。

 ***

この小説はドイツでTVドラマ化されて、 シーズン3まで出来ているようです。
そのドラマ「Babylon Berlin」のオフィシャルサウンドトラックのMVがありました。 ミュージックビデオなので 出演者らがミュージックホールで踊ったり、という演出はありますが、 挿入されているドラマのシーンを見ると こればあの場面かな、 この人はあの人かな、、とか 本の内容と重ねて見ることもできて興味深いです。

警部ラート、 かっこいいです。(もうちょっとやさぐれたイメージを持っていたけど、1930年代のかちっとした服装の警部であれば、 こんな感じなのかもしれません)
恋人も美しいです。。

なによりも 当時のベルリンの街の雰囲気が セットなのかCGなのか再現が見事で、、 興味があったらぜひみてみて
Severija - Zu Asche, Zu Staub (Psycho Nikoros) – (Official Babylon Berlin O.S.T.)




ドイツ語はさっぱりだけど、 ドラマも観てみたいなぁ…


でも、 やっぱり続編の翻訳がされて欲しいです。。 お願いします…
 

history と story を…

2019-05-14 | MUSICにまつわるあれこれ
週末からちょっと体調が悪かったのに 衣替えやらお片付けやらやらねば… と頑張ったら 昨日は一日ダウン。。 
… ま、そんな日もあるさ、、 と思わないと…ね。

 ***

あんまり動けないので MVなど見ていました。。

… あの日以来、、 初めて Tom Petty And The Heartbreakers の映像見た、、


Tom Petty And The Heartbreakers - For Real

この未発表曲が収録されている 「The Best Of Everything」の発売も知っていたけど、、 ずっとトムの事は頭から締め出して(せつなくなるから…) 、、 もちろん 米radio を聴けば今でもしょっちゅうトムの曲はかかるから、 ラジオで流れる歌を聴くのは平気。。 でも、 未発表曲、とか なかなか向き合えなくて、、

いい映像だったと思います。 創ったのはトムの娘さん。
ハートブレイカーズのバンドの物語、、 いっぱいいろんな場面の写真や映像、わたしも見てきた場面がいっぱい。。 中でも、 私が43年前に胸きゅん♡になった あのライダース着たトムのアルバムカヴァーフォトがコマ送りで見られたり、、 彼らがこんなにも愛されているバンドだった事をあらためて知らされたハーフタイムショーの場面や、、 でも一番弱いのはやっぱり トムとマイクのツーショット。。

ずっと ずっと このバンドは続いていくと思ってたし… for real … 本当に


… 思い出が増えると 涙の壺(またはツボ)もいっぱいになるね…

 ***

トムからちょっと外れますが… MV見ては 涙腺崩壊してばかりの、、 お馬鹿さん

エアロスミスがこれから毎月ラスヴェガスでライヴを今年いっぱいやるのね? すご~い!
いろいろあっても こうやってオリジナルメンバーがステージに立っているのはなんて素敵なんだろ、、 スティーヴンも一時期よりもずっと元気そう、、 やっぱり首にじゃらじゃらつけて いろいろひらひらさせてるヴォーカリスト&ギタリストは最高です♪
Aerosmith Deuces Are Wild Las Vegas Park Theater April 2019

で、、 ザ・フー見ても泣いてしまう、、
The Who: Moving On! Tour 2019: May 7: Grand Rapids, MI
ロジャーもピートもおじぃちゃんだけど、 ロジャーも病気を乗り越えたし、、 ピートもイヤモニのお陰かな こうして今もギター弾いてステージ立てているし、、

極めつけがプライマル・スクリーム。。 
今、シングルコンピレーションアルバム発売に向けて、 過去の映像がいっぱい出てきているのですけど、 2006年の映像はやばい、、(笑) バーリー・カドガン君が加入した年、、
で、私もZepp Tokyoへ彼らを観に行った年、、 忘れもしない。。 人生で最もパワフルだったあの年(パワフルと 頑張りとは違うんです、がんばるという意味ではその後の日々のほうが頑張りを必要とした…)、、そしてあの人生最大に緊張した9・22に聴いた彼らのライヴ。 人生最大の試験日にライヴの予定を入れる私もエライと思うわ、、 (あのときの日記>>  テンション高いぞ・笑)

カントリー・ガール聴くと、いまでもあの頃のテンションが戻ってきます。 疲れて擦り切れてぼろぼろだけど you gotta keep on keeping strong ... って。。
Primal Scream - Country Girl (Live at Radio One's Big Weekend 2006)


 ***

話戻して…

もうすぐアメリカで公開される映画『Echo in the Canyon』
1960年代のローレル・キャニオンでのミュージックシーンを追ったドキュメンタリー。 映画の案内役が ジェイコブ・ディランなのね、、
http://amass.jp/119888/

予告編には ジャクソン・ブラウンや、ブライアン・ウィルソンやデヴィッド・クロスビーやザ・バーズや、、 ローレル・キャニオンを代表するミュージシャンの方々。。 その時代にローレル・キャニオンにいたわけではないトム・ペティが出ているのは、 彼の音楽がその時代の継承者であるから、なんでしょうね。 同じ理由でベックやキャット・パワーも…

、、アメリカは歴史の浅い国だけに、 その短い歴史の中で自分たちが創った(と考えている)文化の歴史をすごく重要視しますね、、 それはポップミュージックのような 消費されて消えていくと思いがちの音楽に対しても、 ちゃんと根っこの部分を大事に語っていこうとする、、、 それは良いことだと思うな。

、、 日本では 50代より上の世代だけしか知らない洋楽史が ぷつっとこの先の世代では 絶えてしまうのじゃないか、と少しだけ心配になる…



いい歌には story がある。 

そして 歌の背後には history がある。。


… ってことが、 ちゃんと伝わっていって欲しい … ね♪

GW雑記 ラ・フォル・ジュルネのこととか…

2019-05-06 | LIVEにまつわるあれこれ
前回の日記と 日付は前後しますが、 今年も出かけて来ました。 クラシックの音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」 … 今年は初日の3日に。。




ラ・フォル・ジュルネ、、 今年でもう15回目になるのですね。。 私は昨年が初参加、でしたが これから先GWの予定には毎年この音楽祭が加わってきそうな気がします。 
なんと言っても、 一公演(45分)ずつチケットが買える気軽さ…。 東京JAZZももう何年も開催されていて いつも行きたいなと思っているのだけど、 やはり一公演のお値段がそれなりだったりすると(誰かを誘うにも) ちょっとハードル高くなる…

ラ・フォル・ジュルネだと 観てみたい公演を選ぶのも気軽だし、 会場の国際フォーラムをはじめ、 周辺の丸ビルやオアゾやKITTEや、 いろんな場所で無料コンサートも毎日たくさんあって、 ショッピングや食事の街歩きの途中に ふっと演奏を見ていける。。 こうした街ぐるみのイベントの気軽さや 時間的な自由さやアクセスや、、 ほんとに老若男女誰でも楽しめるように出来ていて素晴らしい音楽祭だと思うわ♪ 

大規模フェスもそれはそれで醍醐味があるけれど、 街で過ごす休日の一日として音楽も楽しめる、という部分がとっても気軽で楽しい…

 ***

最初、 交通会館の前でオーボエの演奏を楽しんだ後 ランチをして、、 国際フォーラムの公演まで時間があったので 銀座方面へ歩いて、、 ちょっと見たいものがあったので イッセイ・ミヤケさんのショップを覗いたりして、、

それから 銀座和光ホールで開催されていた 山本容子さんの「ポートレート展 -本棚の仲間たち」を観に行きました。
https://www.wako.co.jp/exhibitions/

私にとって山本容子さんはやっぱり 本の装丁の印象が一番強いです。 吉本ばななさんの「TSUGUMI」とか、 80年代 山本さんの美しい装丁は目を引きましたね。。
集英社の「世界の文学」の全集のカバーをすべて山本さんが描いていて、 あの全集がすごく欲しくて、、 でも当時の私にはちょっと手が出なくて、、 でも クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の初邦訳があの全集にしかなかったので どうしても欲しくてそれだけは買いましたっけ…

、、 和光ホールのポートレート展、、 文学者や音楽家のポートレートを山本さん流の優しい色使いと ユニークな線の版画で、、 HPにも載っているチェット・ベイカーもすごく良かったですし、、 もし 私がひとつ購入できるとしたら、、 絶対、 BORIS VIAN の 「パタフィジック PATAPHYSIQUE」 だわ。。 

「世界の文学」全集の時に知ったのですが、 山本さん、 全部本をお読みになって表紙の絵をお描きになるのですって。。 ロシア文学もラテンアメリカ文学もみんな…。。 そこまでしてこそ 文学者や音楽家のお顔が描けるのですね、、 それがプロフェッショナルな仕事なのですね、、。

 ***

そんなこんなで、 ゆっくりと一日を過ごして 国際フォーラムのホールでオーケストラを聴き、 久しぶりに休日らしい休日を過ごしたのでした。。 楽しかった~。


… 今年は10連休と世間では言われたGWでしたが、 わが家は4連休くらいだったかな…? もうすでに平常運転始まっていますが…。 それでも 音楽と美術と、 ちょっとだけ美味しいものも楽しめました、、 なにより 昨年よりも少し体調良く過ごせたのが一番良かったことかな。。


今、、 フランスのTV ARTEのサイトで ラフマニノフ・プログラムのコンサート映像が楽します。 ニコライ・ルガンスキー、 ベフゾド・アブドゥライモフ、 デニス・マツーエフと、 錚々たるピアニストの演奏が見られますよ…

https://www.arte.tv/en/videos/arte-concert/


しばしPCの前でのコンサートで 連休の最後を過ごします。。
 

「世紀末ウィーンのグラフィック」展 目黒区美術館

2019-05-05 | アートにまつわるあれこれ
好天に恵まれた連休後半、 新緑の桜のトンネルを抜けて目黒区美術館へ…

「京都国立近代美術館所蔵 世紀末ウィーンのグラフィック -デザインそして生活の刷新にむけてー」展 を観に行って来ました。

いま、都内ではクリムトやシーレを中心にした大規模な絵画展が開かれていますが、 クリムトとシーレの絵画は過去に何度か観ているので、 今回はその同時代ウィーンのグラフィックや装丁、挿画などの作品展を観に行くことにしました。 目黒区美術館は過去にもかなり充実した展覧会を行っていますが 今回の展示も… 素晴しい充実度! でした。



チラシひとつとっても その充実度があらわれていますね…

詳しくは目黒区美術館のHPで見られます>>

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展覧会タイトルは 「世紀末ウィーンの…」 となっていますが、 グスタフ・クリムトらが興した新しい芸術協会「ウィーン分離派」は1897年からで、 その後 インテリアなどの生活全般にわたるデザインや本や雑誌の装丁・挿画などを手掛ける「ウィーン工房」の活動は1903年以降~1920年代が中心なので、 デザイン面ではアール・ヌーボー、 アール・デコの時代と重なるのですね、、 でも ウイーン分離派、 ウイーン工房、 ともに初めて知った私です。。

主にパリのイメージで想像されるアール・ヌーボー、 アール・デコの洗練とか華やかさとかファッショナブルとか、、 そのようなイメージに対して、 さすがウィーン… その影響は受けつつもどこかダークネスというか、 頽廃的というか、 毒があるというか、、(←すべて良い意味です) 
1910年代と言えば、 ロシアのディアギレフ率いる バレエ・リュスの全盛期かと思いますが、 バレエ・リュスの時代のデザイン感覚に ベルギー象徴派やロシア・アバンギャルドとの中間地帯にいるような、、 やはり19世紀末~20世紀初頭のデザインの世界はどこの国をとっても見るべき価値のあるものが一杯です。 (おそらく英国の美術雑誌ステューディオや ドイツのそういう美術雑誌などが日本へも入って来て、 「明星」や「白樺」などの文芸誌の装丁にも影響が濃く見られますね… そういう面でも興味深いです)

今回、、 クリムトやシーレの素描などももちろんでしたが、 そのクリムトらの画集やカタログの表紙をかざる《装丁》のデザインの洗練度…

そして、 20世紀に入ってからの美術雑誌や 舞台公演のパンフレットの表紙や挿画のどれもこれも素晴らしくて、、 
雑誌なので単色刷りだったり、 限られた色味での印刷だったりするのですが、 それなのにデザインの秀逸さ、 少ない色と色の取り合わせのモダンさ、、 

あと、 子供のための読本の挿画もありましたが(白雪姫とか)、、 以前 カイ・ニールセンなどの英国の美しい挿画本のことを書きましたが(>>) やはり同時代だけあって 似た雰囲気ももちつつ、、 なぜかウィーン… やっぱりどことなく怖さがあるのですよね、、(←先入観かしら… いえ、そんなことないですよね、、 やはりウィーンはウィーンならでは)


今回の美術展の図録、、 これがまたなんとも充実した素晴らしいものなので、 ブックデザインや印刷物のデザイン、 レコードジャケットなどなど、、 デザインに関心のある方は入手して絶対損は無い優れものだと思います。。 



お土産グッズで買った「一筆箋」 4種類あったのですがどれもこれも美しかった~!

大満足の作品展でした。



緑あふれるカフェで お茶とクッキーでくつろげるし 目黒区美術館ほんと素敵な場所

 ***



あ…!  今夜はドゥダメル&LAフィルのクラシックコンサート 観なくちゃ!!

アンドリュー・ワイエス展 美術愛住館

2019-05-03 | アートにまつわるあれこれ


四谷三丁目に昨年あたらしく出来た「美術愛住館」へ 「アンドリュー・ワイエス展」を見に行って来ました。
http://aizumikan.com/
この美術館は 故堺屋太一氏と奥さまの洋画家・池口史子さんがお住いになっていた邸宅を美術館にしたものだそうです。 新宿通りから入ってすぐの場所にありますが、 大きな木立がそびえ、 一瞬で大通りの喧騒から離れた 落ち着いた佇まいになっています。




アンドリュー・ワイエス…

アメリカ北東部のメイン州クッシングという海に面した土地、、 そこに住むオルソン姉弟の住まい「オルソンハウス」の寂れた家や納屋を描いたものや、 オルソン家の姉を描いた 「クリスティーナの世界」で あまりにも有名な画家です。 、、あまりにも有名、と書きましたが 実際のところ私は今書いたこと以外、 ワイエスについて何も知らないことを 作品を見ながら考えていました。 、、この オルソン家を描いた水彩画の さびしい窓や 古びた納屋や そういったワイエスの絵を、 私はいつ知ったのだろう… いつから私の頭の中に ワイエスの絵の世界や クリスティーナの姿が 焼きついていたのだろう…  ぜんぜんおぼえがないのに、 ワイエスはどうしても見たい画家でした。


ちいさな美術館の中には とても多くの人がワイエスの絵を観に来ていました。 
オルソン家の壊れた窓、 家具らしい家具のなにも無い部屋、 いつ作られたかわからないきっとぼろぼろになっているらしいベッド掛けのキルト、 戸外に忘れられたようにぽつんと置かれたバケツ、、 人の暮らしの気配がそこには無いかのよう…

でも ブルーベリーを集める熊手や、 納屋にひっそりといる牛、 穀物を詰めた麻袋や、 殻のついたままの豆がぶら下がった袋、、 

人間の暮らしとは こんなにもつましく さびしく せつなく ひそやかなものであり得るのだと… それでいてこんなにも力強くあり得るのだと… 
これらのしずかなものたちを通じてワイエスが感じていた「物語」を わたしも知りたい、、 どんなふうにこの姉弟が生きたのか なにも知らないことがあまりにもせつなく、、 なのにあまりにも身近で、、 
… もしも ひと気の無い美術館でこれらの作品を見つめていたら はらはらと涙を流すのを抑えられなかったかもしれません。。

 ***

「クリスティーナの世界」は ニューヨーク近代美術館にあるのだそうです。 今回の展示ではその習作デッサンが何点も展示されていました。

、、 病気の影響で四肢に麻痺があり 細く骨ばったクリスティーナの手の関節を描いたもの、、 自分にも(同じではないけれど) 病気があるので そのクリスティーナの手を見ているだけで胸がいっぱいになります。 その手で 草を這い 身体を支えて わが家をめざす、、 「クリスティーナの世界」の画世界をささえているのは まさにその細い手。。

ワイエスは リアリズムの画家、と言われていますが、 「クリスティーナの世界」で知ったのは、 ワイエスが見ていたのはオルソン家の窓からだったそうです。 だから、 本当の写実であればクリスティーナがこちらに向かって這って来る姿を見ていたはずなのです、、 でもワイエスはそれを頭の中で反転させて クリスティーナの後方から家へ向かう姿を描いた…

そこに ワイエスが感じ取った「物語」があるはず… 


、、 ワイエスについて、 彼の絵について、、 もっともっと知りたいと思いました。

 ***

Christina's World のWiki はこちら>>

姉弟が暮らしたオルソンハウスについてはこちら>>

動画でも アンドリュー・ワイエスについて紹介したもの、 クリスティーナの世界についてのもの、 いくつもあるようです。 英国のモンティパイソンで有名なマイケル・ペイリンが案内する Wyeth´s World という一時間番組などもありました。


、、また ゆっくりと見てみたいです。 ワイエスについての本も 読んでみましょう…




5月になりました。

2019-05-02 | …まつわる日もいろいろ



元号も変わりました。

… 個人的には 改元というのは新天皇が即位されたという意味のほかに何も特別なものは(自分は)持たず、 自分にとって何かが変わるとか 何か新しい時代への期待とか 自分と元号とを結びつけて考える感覚がまったく無いものですから さまざまな街の賑わいの報道を見ながら すこし不思議な気持ちがしていた昨日でした…


昭和という時代、 平成という時代、、 そういう〇〇という時代、、 という区切りは、 その時代をそれぞれの人が生き、 世の中の物事が推移して、 結果的にそうして形づくられていった時代の様相をあとから区切りとして振り返った時に語られうるものなのでしょう。。 そのような意味で いつかこの「令和」という時代がどのように語られるのか。。 それが争いや災害の言葉で語られることが無いように… とただ願うばかりです。 


 昨日…
新皇后さまのこれまでの歩みをTVで拝見していて、 ただ一介の 同世代同性の者として、 新皇后さまが生き生きとこれからを過ごしていただけることを… 、、かつて学んだ豊富な知識、 その知性と才能、、 そして若き日に抱いていた外交の夢、、。  これまでほんとうにご苦労され ご病気にも苦しまれたかただからこそ、 これからの時代の中で、 世界の中で、 生き生きと輝いてくださるのを、、 (そうなると良いわね…)と家族でともに話したのでした。 陛下とともにどんどん世界へお出かけになられますことを。。


、、 それが新時代への想い、、 です。