星のひとかけ

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私は何をしたのだろう…?:『パリの家』エリザベス・ボウエン著

2021-04-28 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
私にとって初めてのエリザベス・ボウエン作品です。 『パリの家』 1935年の作品。
前回の イアン・マキューアンの『贖罪』に大感動し、 その作中でマキューアンさんがとても興味深い形でエリザベス・ボウエンに言及していたものですから、 これは読まなくては!と思ったわけです。

『贖罪』でイアン・マキューアンは1930年代の英国を舞台に、 その時代の文学作品に則って恋愛物語を書きましたが、 ならば 当時のまさに同時代の作家が書いた恋愛小説は? と興味が湧きました。

エリザベス・ボウエンの翻訳書は近年 晶文社や国書刊行会から出ているのですが、 とても難解な文章を書く作家だとか、 翻訳で読んでも難しいとか目にしていたのでなかなか手を出せず、、 どの作品にしようかいろいろ迷って、 1977年のこの本を選びました。



『パリの家』 エリザベス・ボウエン著  阿部知二・ 阿部良雄 (翻訳) 集英社文庫 1977年


結論から言えば とても楽しめましたし、 エリザベス・ボウエン好きになりました。 でも、 イアン・マキューアンの『贖罪』を読んだからこそ楽しめたに違いありません。 裏を返せば 『贖罪』の特に第一部の少女の想像や妄想の文章が面白く読めれば、 この『パリの家』もきっと面白いと感じられるのでは と思います。

『パリの家』と『贖罪』は構成も似ていて、 第一部が少女の視点で描かれ、 第二部は『パリの家』のほうは10年前の恋人たちの物語になり、 第三部でふたたび現在の少女の視点に戻ります。

英国の11歳の少女、 彼女は母を喪い、 祖母のいる南仏へ知人の女性に伴われて鉄道の旅に出ます。 パリからは別の女性が同伴して旅を続けるため、 少女は夜までパリに留まる事になり、 祖母の旧知の婦人の家で半日あまりを過ごすのです。 その家にはもうひとり、 9歳の男の子が来ていて、 彼もまたこの家で初めて会う母を待っているところなのでした。 少年はこの日 自分を産んだ母に初めて会うというのです。

母を喪った少女と、 両親を知らない少年との出会い。。 見知らぬひとの家で過ごす見知らぬ土地パリでの仮初の一日。。 多感な少女の緊張や好奇心や、 大人への容赦ない観察眼、 初めて出会った少年との子供ならではの率直かつ冷淡なやりとり。。 

少女の身の上や、 生母に初めて会うという少年の背景がよくわからないこと、、 そしてこのパリの家の女主人とその娘がどのような人物なのかもわからず、 少女の視点で物語が進んでいくあたりはミステリー小説のような謎めいた雰囲気もあります。

そして第二部は、、 (ネタばれかもしれませんけれど、 でもこれは明かしても良いのではないかしら…)
、、 9歳の少年の、、 まだ見ぬ《母》の物語になります。 10年前にさかのぼって、 何があったのかの物語。

 ***

第一部の少女の観察眼で描かれた物語も緻密でしたが、、 第二部の女性の心理描写には エリザベス・ボウエンという作家の知性を強く感じました。 

女性の意識の変化を丁寧にえがいていくのですが、 感情のうつりかわりを 独白のように次から次へとつれづれに書いていくというより、 その女性が行動すること、 目にするもの、 その意味や理由や目的をきわめて自己分析的に解明していくという感じ。。 文章全体がなんだか数学の長い長い証明問題を読み解いていくような感じなのです。 とても分析的で論理的、 哲学的とも言えるでしょうか。。 エリザベス・ボウエンという方はすごく頭脳明晰なひとだったのではないかしら、、 と思いました。

だから 文章が難解といえば難解なんだけれども、 はっとするほど的を得ていると感じることもできて、、

  来年からの五月は違ったものになるだろうという期待のせいで、今年の五月は彼女にとって、雲の前の一本の木のように、なにかしらもろいと感じられた、というか、それは今からもう過去に属していた。(p200)


  自分自身であることの重みが、 時刻(とき)を打つ時計さながら彼女の上にのしかかってきた。・・・(略)・・・まだ「前」であるあいだは、「後」というものはなんの力ももたないが、後になってしまえば、「後」は王権であり力であり栄光である。 いま自分は何をしているのだろう? とあなたは自問したりはしない。 あなたは知っているからだ。 だが、自分は何をしたのだろう? という自問に対する答えを、あなたはけっして知ることがないだろう。 (p250)


分りにくい文章だけれども、 《愛》に向かっていく女性の想いとして読んでみると、 この証明問題のような文章も真理をついたものと思えるのです。

女性の内部意識の描写はこのように分析的、論理的な印象ですが、 ドラマもちゃんと用意されており、 登場人物の舞台も、 ドーヴァー海峡をはさんだ英国とフランスの海岸の街や、 アイルランドも登場し、 風景描写も鮮やかで、 そのためにさほど難解さやきゅうくつな感じはせず、 愛に揺れ動く女性のドラマを楽しむことができました。

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そうして 第二部の《愛》の物語を読んだ後で 第三部でふたたび《パリの家》へ舞台が戻って、 そこで仮の時間というか、 少女も少年も、 大人の事情でこの家へやられ、 《待つ》時間を強いられているという物語に戻ってくると、 子どもらしい残酷さや辛辣な観察眼をもつこの二人の子供たちが、 なんとも切なくか弱く愛おしいものに思われ、、

こうした物語構成をつくりあげたエリザベス・ボウエンは なるほど見事だな、、と納得するのでした。。


すごく面白く、 小説の醍醐味を感じられる作品でした。

 
 ***


  来年からの五月は違ったものになるだろうという期待のせいで、今年の五月は彼女にとって、 ・・・それは今からもう過去に属していた。


これは コロナの時間を生きている今の私の想いでもあります。。 正直、、 過去に属する時間を生きているのは本意ではない。。 けれど、、 この不本意な時間を すでに過去のものと思うことで 先を見据える気持ちを持とうとしているのです。。


そういう《待機》の時間のなかでこそ エリザベス・ボウエンさんのような緻密な作品とじっくり向き合う事が出来たのかも… よい時間でした。



明日から ゴールデンウイークですね。


愉しい日々を…



愛と罪と赦しと意識と…:『恋するアダム』『贖罪』イアン・マキューアン著

2021-04-14 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)

『恋するアダム』 イアン・マキューアン著 村松潔・訳 新潮クレストブックス 2021年
『贖罪』 イアン・マキューアン著 小山太一・訳 新潮文庫 2018年(初邦訳は2003年)


イアン・マキューアンの最新邦訳 『恋するアダム』を読みました。
人間そっくりの身体を持つAIロボット《アダム》を購入した男性と、 彼のアパートの上階に住む女性と、 そしてロボットアダムとの三角関係の恋愛のゆくえ。。

ごく大まかな物語設定はそういうことなんですが、 これを読んでいて 今までのイアン・マキューアンの作品について、 彼がずっと考え続けてきたこと、 (作品ごとでぜんぜん傾向が違う作品が多いけれど) 書いてきたテーマはちゃんと一貫していたんだということに、 頭の中でスイッチがカチッと繋がった気がして、、
それで 以前に読み切れていなかった作品『贖罪』を早速手にしました。 最初に出版された頃忙しくて、 満足に読みなかったけれど、、 今回は無我夢中で一気読み。 なんて傑作なんだ!!と… あぁ、いま思い出して良かった。 読んで良かった~。。

イアン・マキューアンは《愛》の作家なんだ、と強く思いました。 ただ真っ直ぐな愛ばかりではなくて、 どうにもしようのない愛、、 理知も理性もおよばない、 常識も道徳もくるわせてしまうほどの抑えきれない感情。。 動物的な本能的な欲望とも違って、 人間が知的生命体であるがゆえに、 思い、考え、想像し、回想し、妄想し、、 そうやって縺れた感情を昂らせていく、 そういう《愛》

イアン・マキューアンは、 人間だけが陥るそういう複雑な愛について、 そのメカニズムを解明するように、 意識的に、自覚的に、書こうとずっとしてきたから、 それだからこそマキューアンの過去の作品には数多くの《罪》が描かれてきたのか、、と。

『恋するアダム』でも、 愛と 罪と、 理性と感情、 復讐と赦し、、 それらが描かれているものね。。 さっき、 人間だけが陥る 理性のおよばない愛、、 って書きましたが、 AIが人間の感情を学んでいって 人を愛するようになった時に、 理性さえ曲げてしまうようなどうしようもない人間の感情に対して アダムはどういう意識を持つのか、、 どういう判断をするのか、、 

 ***

『贖罪』は まさに愛と罪と、 理知と妄想と、 贖罪と赦しと、、 それから 人間だけが引き起こすすべての理性を剥ぎ取る狂気=戦争、、 それらを描いた大傑作の小説でした。 そしてものすごく小説らしい小説。 イアン・マキューアンがまさかこんな恋愛大河小説を書くなんて、、 と思ってしまうような。。 でも、 その形式も含めて、 極めて意識的に、 計算しつくして構成された、 見事な小説なのでした。

第一部は、 イギリスの19世紀女流文学、 それから20世紀初頭の《意識の流れ》という、 英文学史の小説の形態をきっちり踏襲した書き方で、 まるでジェーン・オースティンか、 ジェーンオースティンに倣って夏目漱石が書いた『虞美人草』のねちっこさを読んでいるようで、、。 上流階級の若い男女の恋愛模様を見つめる 夢見がちな小説家志望の13歳の少女の妄想が暴走していくあたり、、 マキューアンさんのサディスティックな書きぶりにゾクゾクしながら読んでいき、、

そうして13歳の少女の妄想によって運命を狂わされた恋人たちが、 第二次大戦の戦禍の中で、 愛を貫いて生き抜こうとする物語が第二部。。
ここでは第一部とは雰囲気もがらっと変わって、 戦争リアリズム文学に。。 愛の為に生きる、、 愛する人のもとへ帰還するためだけに生き延びる、、 その一途な想いと、 その想いを揺さぶるかのような不条理に満ちた戦場。。

この第二部はほんとうに感動的な愛の物語でした。 感動に打ち震えて 涙でいっぱいになって読みながら、 (こんな感動作のまま 感動の結末が待っているわけがない… だって だって イアン・マキューアンだもの…) と脳裡で警鐘が。。 
これが事実の世の中の出来事だったら、 感動の物語として終えることをどんなにか願ったことでしょう。。 ドラマのような感動的な結末でほんとうは終わって欲しい、、 だけど、 そのような小説をイアン・マキューアンさんが書くわけはない。。 書くわけはないとしたら、 そのイアン・マキューアン的な結末を読むのが怖い、 悲しい、 きっと辛すぎる…… というぐちゃぐちゃな想いに翻弄されつつ 第三部へ。。

あとは 書きません。。 だって イアン・マキューアンさんだもの。。


本当に感動的な 大傑作の 『贖罪』という小説でした。 この作品でブッカー賞を取らせてあげたかった。。

 ***

運命を狂わされた青年ロビーの戦場でのリアルな描写には、 マキューアンさんのお父さんの体験がもとになっていると解説に書かれていました。 イアン・マキューアンさんは戦後48年の生まれ。

愛する人が待つ場所へ帰るために生き延びる…

マキューアンさんは歪んだ愛を描くことの多い作家だけれど、、 ご自身は真っ直ぐに貫かれた愛が結晶して生まれたひとなのかもしれない、、と想像してみる。。 そう素直に思えるくらい、 マキューアンさんが『贖罪』で描いたロビーの純愛は美しかった。 泣けました。 大泣きしました。。


そして、 


戦場でロビーが帰還への歩みを進めていく その一歩一歩が、


この世界の遠い行く手にある 平和な日常への願いと、 ほんの少し重なりました。。



いい小説だったなぁ…