星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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憂愁の人の物語:『慈悲の糸』ルイ・クペールス著

2023-08-31 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
今夜はスーパームーン、 ブルームーンとも呼ばれる8月で2度目の満月の夜ですね。

しばらく前に読んでいた 月の姫さまの物語。。 百年前のオランダ人作家が著した、もうひとつの《かぐや姫》の物語から、、


 「お父さま、わたしはだれなのでしょう?」
 「おまえの名は〈憂愁〉だ!」嵐の神が娘に向かって叫んだ。 「またの名は〈物思い〉だ!」

   (「銀色にやわらかく昇りゆく月 憂愁の日本奇譚」より)


、、なんだかこの部分だけ読んでも、私たちが知る《かぐや姫》の物語とはぜんぜん違った趣なのですが 竹取の翁に育てられるお話は一緒、、。 日本の竹取物語に西洋の神話のモチーフを合わせたような感じです。



   『慈悲の糸』 ルイ・クペールス著 國森由美子・訳 作品社 2023年

今年出版された本なので詳細に触れるのはよしますが、、 いつか月に帰らねばならない定めの 月の姫さまの〈憂愁と物思い〉、、 そして、 日本の霊峰 富士山が〈不死の山〉とよばれる謂れ。。 オランダの文豪の想像力と日本への憧れが生んだとてもファンタジックな文章を読んで、 あらためて《かぐや姫》の物語が持っていた《想い》の意味について教えられた気がしました。

 ***

この『慈悲の糸』は、 大正十一年にオランダから来日し、5カ月間日本に滞在して各地をめぐった作家 ルイ・クペールスが帰国後に書いた小説集です。 クペールスは日本滞在中には新聞社の依頼で日本についてのエッセイを書き送っていたそうです(そちらも『オランダの文豪が見た大正の日本』という本になっています)。 そのエッセイは大正当時の日本についての紀行ノンフィクションですが、 こちらの『慈悲の糸』は大正期の日本が舞台ではありません。 その当時もうすでに失われてしまった古典の世界や、失われつつある古来の文化を素材に、 ガイドブックで読んだり、浮世絵や日本画からヒントを得て、クペールスが独自に想像して書いた短篇集になっています。

ほんの5カ月間の滞在にしては、 日本の古典や仏教についてよくいろいろな知識を得たものだなあと感心してしまうのですが、 やはり正確でない部分は作家の想像力で補っていて、、 小野小町が雨乞い呪詛をする巫女さんのようだったり (追記:これについては「雨乞小町」という伝説に基づいているのだそうです。存じませんでした・お詫び)、、 歌麿の描いた吉原の浮世絵を題材に ふしぎな桃源郷のような世界が想像されていたり。。 利休の茶の湯の世界も ???だったり、、 その妙ちくりんな部分もふくめてクペールスの古き日本への幻想というか、妄想のような憧れを読むことができます。

ちなみに 本のタイトルの『慈悲の糸』については、 出版社の紹介文に載っているので こちらを>> 作品社

阿弥陀さまの首にある三本の筋、、 あれは すがる人を救い上げる「慈悲の糸」だったのか… と感じ入ったのですが、 どうやらこれもクペールスの創作なのかも。。 あの三本の筋は「三道」というのだそうですが、「糸」という記述はネットで探せませんでしたから。。 想像力のみごとさに感心です。(それとも当時そういう教えがあったのでしょうか)

歌麿や広重の浮世絵など、 クペールスの作品の源になったものについても訳者さんの解説が詳しくされていて、 百年前にこんな風に日本についての物語がオランダで出版されていたことに とても興味をひかれる本でした。

 ***


ところで、、

クペールスが大正期の日本で 紀行エッセイをオランダの新聞社へ書き送っていた、というのを知り、 その頃より少し前の大正2年ごろ、芥川龍之介の友人だったアイルランド人の新聞記者さんのことを思い出しました。 (以前に書きました>>「彼 第二」の追憶… 芥川龍之介) 

芥川が「彼 第二」のなかに書いた〈彼〉は、 Thomas James といい、ロイターの通信員として東京に滞在していたそうなのですが、  アイルランドの文学にも詳しく 万葉集の歌を引用するほどだった彼が、 日本についてどんな事をロイターに書き送っていたのだろう… 日本の文学や芥川のことなども何か書き残していなかったのかしら…と、 急に気になってしまいました。

吉原ではないけれど、 柳橋の花街のどなたかに指輪を贈ろうとしていたジェームスさん。。 はかなくも上海で天然痘で亡くなるのですが、 芥川の書いた思い出の記はほんとうにみずみずしくて、 ジェームズさんの書きのこしたもの、 日本で暮らした証、 なにか発掘されたらいいのになぁ…と 思うのでした。



 「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」


ジェームスさんが芥川に呟いた 万葉集の歌。 貴方も憂愁のひとだったのですね。




クペールスの書いた《月の姫》の名も「憂愁」






今宵はお月さまを見上げながら 百年前の憂愁の人の魂をおもうことにしましょう。。




こちらはブルームーンイヴ 30日の月です

ミラン・クンデラ『不滅』のつづき… 

2023-08-29 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
8月もまもなく終わろうとしていますね。 前々回に書いたミラン・クンデラの『不滅』、 先週読み終えました。


30年近くぶりに読んで、、以前はほとんど気に留めなかった部分が強く心に響いたり、 逆に たぶん前に面白いと感じた部分が今ではどうでもいいようなことに思えたり、 それは時間の流れ、世界の流れ、あるいは自分の年月の流れ(老い…?) 何からくるのでしょう。。

読み終えてずっと気にかかっていることが。
おそらく、『不滅』を読んだ多くのひとがもっとも印象に残るであろう箇所、、


  彼女は考えた。いつの日か、醜さの襲撃がまったく耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎、勿忘草をただ一茎だけ、ちっぽけな花を頭にのせた細長い茎を一本だけ花屋で買うとしよう。その花を顔の前にかざして、彼女にはもう愛せなくなってしまった世界から保っておきたい究極のイメージである、その美しい青い点より他のものはなにも見ないようにするため、花にじっと視線を定めて街へ出てゆこう。 


この部分は、アニェスというこの女性の繊細さや敏感さをもっともよく表している部分だと思いますし、勿忘草の可憐なちいさな青い花とこの世界の醜さとの対照が強くひびいてくる箇所です。 世界が耐えがたいものになっていくなかで、 美しさの最後の象徴であるような勿忘草を一茎かざして歩くアニェス。 とても心に残る箇所です、、 でも

なぜ「忘れな草」という名の花をクンデラは選んだのだろう、とどうしても気になって。。 ただこの小さな青い花の可憐さ、 ただそれゆえだったのか? それとも勿忘草という花だから? この花の名の意味や伝説をクンデラは知らなかったとは思えないし、、 文章がいろんな国の言葉に翻訳された時、たとえば英語だったら 文字通りの「forget-me-not」という花の名なのだから、 アニェスは自分の顔の前に「forget-me-not」をかかげて街を歩く、という文章になってしまう。。

アニェスが嫌悪した世界の醜さ、それを簡潔に言い表すことは難しいけれども、 めいめいが声高に自我をひけらかし主張し合っている世界、、 (少し後に書かれている、沈みかけた船の上で救命ボートめがけて押し合い圧し合いしているような世界) 、、そんな世界の醜さから逃れたいと「勿忘草」の小さな花のかげに身を隠して歩こうとするアニェス。

だけど、、 彼女を見る他者の眼には 「forget-me-not」(私を忘れないで)とやっぱり自我を主張して歩いているに過ぎないのだ、とクンデラは残酷な皮肉を加えているのだろうか。。 そうだろうか… わからない…

それで、、 クンデラが最初に執筆したチェコ語版を調べようとしました。。 チェコ語は全く読めないので多分、なのですが 「勿忘草」の部分は「Pomněnka」と書かれているみたい。 
アニェスは幼少期に父からドイツ語を習ったとされている。 ドイツ語の「勿忘草」=Vergissmeinnicht も文字通り「私を忘れないで」というドイツの伝説から生まれた言葉だという。 チョコ語の「Pomněnka」にも「忘れる」という語が含まれているみたいだから語源は一緒?…(それ以上はわからなかった)

 ***


でも、、

アニェスは結局、 勿忘草を花屋で買うことはなかった。 もう一か所、とても大事な部分を少しだけ引用させていただきます。


 (略) アニェスはこう考えた。
  生きること、生きることにはなんの幸福もない。 生きること、世界のいたるところに自分の苦しむ自我を運びまわること。
  しかし、存在すること、存在することは幸福である。 ・・・(略)



つづく文章はストーリーに重要だと思うので省略しました。

「生きること」と「存在すること」
ここには二種類の「不滅」がある。 この世界(社会)で人として生きていくという不滅(死なないこと) もうひとつは、 この世界に自然や光や水とおなじように「在る」という不滅。


・・・ドイツの伝説をふり返ってみましょう。。 
忘れな草を手に「forget-me-not」と叫んだのは若者(人間)。 愛すればこそ、 愛する人とこの世界でともに生きていたいからこそ、 忘れないで、と叫んだ人間の想いを、 醜い自我だとは私は思えない。。 でも、 その小さな青い花は、みずから「forget-me-not」と主張したりはしない。 名前があろうとなかろうと、花はそこにただ咲いている。。


 ***

『不滅』でクンデラが描く世界の醜悪さのことも理解できるし、 前々回に書いたように、 SNSの世界になってますます「私を忘れないで」と主張するひとびとはひしめき合って、 アニェスのような繊細な魂をもつ人の生きづらさは増すばかりかもしれない。。 けれど

著者(『不滅』のなかでこれを書いている著者)を魅了したアニェスの一瞬の仕草、、 その一瞬からアニェスという主人公が生まれたわけだけれども、、 そんな風に魔法のように一瞬で人を理解する、 ひととひととがわかり合える、 そんな魔法もこの世界には確かにあるんだと、、 やっぱり私はそう思っていたい。




お月さまが大きくなってきました…



秋ですね。


Hozier の新しいアルバムが届きました。

2023-08-25 | MUSICにまつわるあれこれ
アイルランドのシンガーソングライター Hozier の3枚目のアルバム「Unreal Unearth」のCDが届きました。

ホージアのyoutube チャンネルで曲が発表されるたびに聴いてきたので すでに聴いた曲はたくさんあって、 先日ぜんぶの曲も公開されたのでひと通り聴いて、 アルバムをダウンロードするか、 CDを買うか、 それとも前作みたいに2枚組LPにするか、、しばらく迷った末 CDにしました。 レコードだと頻繁に聴くのは厄介だし、 ダウンロードでイヤホンで聴くのもイヤだったから。。 CDを買うのも ほんとう久しぶり・・・

今、聴いています。 やっぱりスピーカーで部屋に音を鳴らして聴くのは良い。。 レコードも勿論良いけど。 ホージアの声の拡がりがぜんぜん違うし、 サウンドの空気感が柔らか。
イヤホンで鳥のさえずりを聴くのと、 森の中を歩いて鳥の声を聴くのではぜんぜん空気感が違う、 そんな感じ。



日本ではホージアの情報がぜんぜん無いので、 今度のアルバムもタイトルからして何のことだろう… と独りで悩まなくてはいけません。 幸い、 youtube でも歌詞は公開されているので翻訳ソフトを通せばだいたいは分かるんですけど、、 それにこのジャケット。。
地中に埋められた者の叫びなのかな、、とか 戦争で塹壕に生き埋めになった人をイメージしてるのかな、、とか そこから恋人や神や世界に向けて歌っているのかな、 とか いろいろ考えていました。

でもまあ意味はひとまず置いて、、 サウンドを通して聴いた時、 すごくひとつの大きな世界が感じられて、 曲から曲の流れとアルバムのまとまりがすごく良く出来ていることに感心。。 ソウル、 ゴスペル、 アイリッシュらしいフォーク、 なんだか中南米ぽいもの、 ストリングスがとても美しいもの、、 とても多彩。 そうした流れで壮大なひとつの世界が出来上がっているまとまりあるアルバム。

それで ジャケットを見ていて、 曲目が9つに分類されているので「?」と、、 それからやっと海外のレビューを見てみました。
今回のアルバムは、 ダンテの『神曲』の「地獄篇」がモチーフになっているのだそうです。 地獄の9つの圏のそれぞれの罪をモチーフに歌がつくられているということ、、 なるほど。。

 ダンテ『神曲』 wiki >>

たとえば 恋人にもう一度君と… と歌いかけるラブソングだと思った「フランチェスカ」は、 地獄の第二圏  肉欲に溺れた者の地獄となっていて、 そうすると歌詞の意味ももっとエロティックな意味に変わってくる。

、、ホージアの詩はなかなか難しいし、『神曲』となると 日本人には容易に耳で聴いて理解できるようなものではないですけど、 そんなに難しく考えずに、 地獄めぐりの旅をつづけるダンテは最終的に最愛の人ベアトリーチェに導かれ、 彼女を求めて天上界へと最終的に昇っていく、という行く末だけを頼りに、 いまこの世界のさまざまな「罪」と「欲望」を歌っているのだと そう思いました。 最後のセクションには「ASCENT」(上昇)とありますから。。 その最後の曲はほんとうに宇宙的に美しいですし。

一聴して ひとつの大きなまとまりを感じたのもこのようなコンセプトで出来上がっているからなのですね。 シャッフルしては聴けないアルバム。

 ***

ローリングストーン誌とNMEは好意的な評価でした。 もともとRS誌は文学的な作品が好きですし。 ピッチフォークはさんざんなことが書いてあったなぁ(笑

個人的には前作の「Shrike」みたいな 涙が出るほど好き、という曲は無い代わりに、 アルバムの出来では今回のほうが良いと思う。

3曲目に日本のバタやんが弾くみたいな人情演歌みたいな曲があって、 アイルランドと日本には独特の共通する哀愁みたいな音色があるんだな、、と。 でも聴くとどうしても吹き出してしまう・・・笑

ホージアの歌は なんというか詠唱というか、 祝詞とか 木遣り唄とか、 神や地霊に捧げる歌声のような趣があります。 歌、とは 古来「訴ふ」 神様への呼びかけだったといいます。 そういう古代から今に繋がっている歌の気持ちをそなえている歌声を感じます。

もともとホージアは アイルランド音楽の合唱団アヌーナの出身ですが、 かつてアヌーナと日本の能楽がコラボした『鷹の井戸』を観た時の アヌーナの歌声、、 地霊に呼び掛ける歌声、、 あのとき聴いた歌声のもつ宇宙的な拡がりと祈り、 今回のアルバムで聞こえるコーラスなどにもそういうものをしっかり感じました。

歌詞についてはこれから勉強していきましょう。。 曲名にもなっている セルビーというのは、 アイルランドの作家フラン・オブライエン 著の『ドーキー古文書』の主人公だそうだし(白水社から出ています)、 ジョナサン・スウィフトの A Modest Proposa 「アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」(青空文庫にあります) などという文書についても歌っているというし、、 アイルランド文学についての宿題もいっぱいだ。。。


CDショップのポイントが余っていると知って 何か… と迷って、、 一緒に チェット・ベイカーの『Chet Baker sings and plays 』も買いました。 (今かけてみる…) 1955年作品。

・・・ あぁ 甘い声




お部屋に歌声がながれるのは ほんとうによいものです…




素敵な週末を・・・

30年後のお盆にミラン・クンデラの『不滅』を読んでいます

2023-08-17 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
お盆も過ぎましたね。 
台風の傷痕と世界中の猛暑の影響はまだつづいているけれども 気持ちのうえでは夏の終わりを感じる日々です。 八月になるといつも 亡き人や戦禍の跡をおもう月ですから…

先日、 ミラン・クンデラさんの訃報に触れ、 書棚から取り出した『不滅』をずいぶん久しぶりに開いて、 お盆のあいだ少しずつ読み返していました。





クンデラさんの訃報と お盆のあいだに わたしの父の命日もあり、 40代で逝った父がクンデラさんと同じくらいの年齢だったのだとも気づきました。

それで、、 というわけでもないのでしょうけど、『不滅』を読み返していくうちに、 なんだか 今この本を読むことが父からのメッセージのような、、 メッセージというほど強いものでなく ふっと空の父から手渡されたような、 そんな風に思えるのでした。 以前、なんども挫折しながら読んで、 わかったようなわからなかったような…

ひとりの女性の日常と愛、 その家族の物語を、 人間の歴史や思想や、世界がどのように動いているのかを同時に語りながら小説をつくりあげていく見事さに、 前に読んだときはただ感嘆するばかりだったけれど、、 90年に刊行された『不滅』を 30年以上経って再び読み、 いたるところ腑に落ちる部分ばかりなのを 今ごろになって驚いたり納得したりしています。。 


先程の 父からの… という意味では、 亡き父と母のそれぞれの晩年を想った時、 ふたりのあまりの違いに二人はなぜ結婚したんだろう、とか(見合いではあったけど) 結局ふたりは解りあえていたんだろうか、とか 感じていたことがあって…

『不滅』での 主人公女性の父と母にもおなじようなものを感じたり…

    そのとき、アニェスは父もまた環を締めくくったのだと考えた。 母、結婚を通過して親族から親族へ。 父、結婚を通過して、孤独から孤独へ。


これについてはごく個人的な感想なので措くとしても、 クンデラの語る人間論、 文明論の(かつてあまりよくわからなかった)部分が、 いまのSNSの時代での自我のあり方だとか、 承認欲求のことだとか、 推し活の心理だとか、 同調圧力とか、、 クンデラの時代にはまだインターネットさえ普及していなかった時に書かれた『不滅』を読みながら、 こういうことを意味していたのか… と現代の状況が想起されて納得することばかりなのを、驚きながら読んでいるのです。

 ***


  ・・・さまざまなものはその意味を九〇パーセント失って、すっきり軽くなるだろう。その希薄になった雰囲気のなかで、狂信は消えるだろう。戦争は不可能になるだろう」 …略…

 「祖国のために闘う覚悟をしているフランスの若者たちが想像できるかね? ヨーロッパでは、戦争はもう考えられないものになっている。 政治的にでなく、人類学的に考えられないものに。 ヨーロッパでは、人間はもう戦争をやれなくなっているよ」



 …軽薄さの時代についてある登場人物が語っている部分だけど、 これについては現在、 ある部分で正しいしある部分で正しくなかったと思います。。 たぶんヨーロッパの、 EUやNATOの国々の若者は誰も戦争なんかする気はないはず。。

だけど、、 ヨーロッパと国境を接した某国の指導者の、 狂信的な《不滅》への欲望のためにいまも戦争はつづいている。。 誰もしたくない戦争が。

「不滅」への欲望…  自分の死後も永遠に残る名声、栄光。 歴史上の燦然たる1ページをのこすこと。 


あぁ、、 不滅とはそういうことだったのか… と実感としてこの夏を感じています。。 そして、 もっと狭い意味での不滅への欲望、、 ひとを巻き込む殺傷とか、 ひとに知らしめるためのSNS上の暴力とか、、 自らの不滅を希う欲望。。 この国ばかりでなく、 同じような不滅をねがう欲望が世界じゅうに…


 ***


『不滅』の内容はもうずいぶんと忘れてしまっているので、 このあと後半部分を読んでいって 感想がどのように変化していくかはわからないのですけど、、 病の晩年にあって不滅への欲望とは対極にあったように私には見えた 亡き父から、 ふっと手渡されたような、 この夏に手にした『不滅』を


晩夏に向けて読んでいこうとしています。



個の不滅など願うことのない蝉の声…

風のなかに消える蝉の声…



そちらのほうが 永遠を感じるのは 何故…

Remembrance ロビー・ロバートソンさん

2023-08-10 | MUSICにまつわるあれこれ
今年は私の好きなギタリストさんがつぎつぎに天に召されてしまいます…

ジェフ・ベック、 トム・ヴァーレイン、 そしてロビー・ロバートソン ときたらもうほとんどベスト3と言ってもいいじゃないか… 今年のクロスローズは追悼コンサートになってしまうな…


ロビーのギターに出会ったのは ザ・バンドの「ラストワルツ」です、もちろん。。 知った順番で言ったらジェフ・ベック、 トム・ヴァーレイン、 ロビー・ロバートソンの順になるんですけど… 「ラストワルツ」のクリーム色のライヴレコードを ジャケが毛羽立つほど何度も取り出しては聴いた、というのは昔書きました。。

でも、 当時もうザ・バンドは解散してしまっていたわけだから、 その後 ロビーに再会するのは、 ロビーの初ソロアルバムで「Sweet Fire of Love」をU2と共演してから、だと思う。

その後、 なぜだかロビロバさんは 私が好きになっていったミュージシャンらと共に作品制作してくれることが多くって、 Tom Petty の  Southern Accents とか、 ロバートソンのソロ「How to Become Clairvoyant」には、 Steve Winwood, Trent Reznor, Tom Morello, Robert Randolph らが名を連ねていて、 この時のTV出演のときだったね、 The Dawes のメンバーと Jonathan Wilson をバックに従えていて、 私がこの若い子たち誰だろう… いいバンドだなぁ、、と思って

そしたら その直後よね ジョナサンのソロアルバム「Gentle Spirit」に出会って これは凄い!と大好きになって、、 一方の The Dawes は ジャクソン・ブラウンさんと共演したりして、、(The Dawes 今年フジロックで初来日しましたね、こちらにインタビューが>>https://rollingstonejapan.com/articles/detail/38151

そして、 ロビロバの最新かつ最後のアルバムになってしまった「Sinematic」には、 Citizen Cope, Derek Trucks、 Doyle Bramhall II らが参加している。。

こういう多彩なアーティスト達とスタジオでアルバム制作している映像とか、 もっと見たかったな。。 きっと撮ってあるんだろうけれど。
なんだか ロビロバさんはまだまだ新しいアルバムを創ったりしてるんじゃないかと思ってた…


ロビー・ロバートソンさんの、 というか 最もすばらしいと思うイントロギター&ギターソロのひとつ
It Makes No Difference (Concert Version)
このキュイキュイ、に尽きます ロビーのギターは。

そしてラストのアルバムのラスト、 ドイルとデレク・トラックスさんのギターが聴ける
Remembrance
ほんとうに リメンブランスの意味になってしまったね。。

たくさん素晴らしいものを私に与えてくれてありがとう ロビー。 これからもずっと聴いていきます。

 ***

昨日、 家を出るときには晴れていたのに、 病院のある駅を下りたらどしゃ降り。。 数分のあいだに足元がすっかり濡れてしまって、 病院のロビーでしばらく乾かしてました。。

前回の日記のあと 発熱などは落ちつき、 でもまだ炎症が残っているそうで また二週間後まで様子見になりました。。 幸いさほどの苦痛はないので、 身体をいたわってのんびりしながら この三連休とお盆(ウチは休みじゃないですけど)を過ごそうと思っています。

台風も迫ってきていますね… 大きな被害ありませんように





きょうはこんな夏空。 お洗濯たくさん出来ました。




元気でね


良い休日を


Take It to the Limit...

2023-08-01 | …まつわる日もいろいろ
8月になりました… (なっていました…)

前回の日記のあと 追記をするつもりだったのに、 急に私事でバタバタせざるを得ない日々が続き、 忙しさと暑さからか昔の手術の名残りが炎症を起こし疼痛発熱、、 心臓にまわると事なので昨日は病院へ駆け込みました。

検査して幸いまだ身体全体にはまわってないそうで、 抗生剤を飲んで一週間ほど様子見になったのですが、 私にはアレルギーや難病の関係で使える抗生剤がとっても少なく、、 先生 パソコンをかちゃかちゃ探っていろいろ探してくださいました。。

それこそ1960年代の昔から度重なる手術や通院で抗生物質を使いつづけてきた身体のためかアレルギー反応も起こすようになってしまって、、 心臓手術のあともアレルギーが出て大変でした。。 薬をストップしたので(今度は何を飲むの?)と先生に訊いたら、 (自分の力で治すの)と答えられて、 (それにはどうしたらいいの?)と困った顔をしたら (ご飯をしっかり食べるの)。。 だそうです。。

 ***

先日 イーグルスのランディ・マイズナーさんが亡くなりました。

ホテルカリフォルニア以前の(←なぜ強調…) イーグルスが大好きだった頃、 ランディ・マイズナーさんがヴォーカルをとっている曲がけっこう好きでした。

アルバム「デスペラード」の中の Certain Kind of Fool とか。 「呪われた夜」の 
Take It to the Limit とか。

 ***

それよりもさらに昔、、 あまりに何度も入院や手術を繰り返す私に (この子はなんのために生まれて来たんだか)と悲しんだ親戚のおじさん…

今になってもその答えは自分でもよくわからない。。

けど、、

この世界のたくさんのすばらしい音楽を聴いて

この世界のたくさんのすばらしい本を読んで

この世界のたくさんのすばらしい人と話をして


あのころの病室にいた誰よりも長く生きてきた私は 神様がいいって仰るまではちゃんと生きていようと思うのです。


You know I’ve always been a dreamer
(Spent my life running ‘round)


Take it to the limit
One more time



限界まで頑張れ と大好きな人には言わないけれど…

自分はリミットまで生きていきます



暑中お見舞い申し上げます。