星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

紫陽花が咲きました…

2018-05-29 | …まつわる日もいろいろ
5月が足早に駈けぬけていこうとしています…

ブログ、、 まだ2回しか書いてなかったのですね、、 書きたいこと、たくさん… やりたいことも、たくさん…、、 やれたことも、、 思えばたくさん…

よく知るかたへのメールに、、「いつも優先順位を考えながら生きています」 とこぼしてしまいます。。 愚痴、でもないし、、言い訳、でもないけれども、、 そうしなければならないありのままの現状を…。


5月はたくさん本を読みました、ミステリ月間でした。。 前回その①を書きましたが、 その②も、 その③も書きたいのですけど、、

その代わり、 音楽はあんまり聴けなかったかな。。 本を読みながらラジオや音楽を聴くのも、 以前は何ともなかったのに、、 視神経も、 聴覚神経も人より弱いせいか このところ何かに集中するときに音があるのが少しつらくなってきました…
だから いっぺんに眼と耳を同時に集中することが負担に、、

でも ほんとに読みたい本も沢山あるんです、、聴きたい音楽も沢山、、 それは幸せなこと。
だから全然寂しくはないの、、 身体が足りてないだけ、、

 ***

週末、、 初夏の公園に行けました。 お散歩フォト日記を。




バラ園は色とりどりの鮮やかな花がいっぱいで 海外の方々も大勢散策していらして…、、 (薔薇のガーデンはヨーロッパではちっとも珍しく無いのにネ… やっぱりお国で馴染んだ薔薇がお好きなのかしら?)などと言いつつ、、



、、でもね 本音を言って私、 そんなに薔薇に心惹かれないのです、、華やかで美しいと思うけれども、、 たぶん 自分で庭を造っても深紅の薔薇の咲き乱れるお庭にはしないだろうな… 似合わない、、 それが一番の理由。 ぜんぜん私っぽくない(笑) イングリッド・バーグマンみたいな人でなくちゃ…ね(その名のついた薔薇もありますね)

前に オスカー・ワイルドの「ナイチンゲールとばら」の事、書いたかしら? 学生さんは好きな女性と踊る為に 胸に挿す赤い薔薇が欲しいのだけど、 学生さんのお庭には赤い薔薇が咲かない、、 学生さんに想いを寄せるナイチンゲールは一輪だけ咲いた白い薔薇を、 自分の心臓の血で赤く染めようとする、、

たぶん、 わたしの庭にも赤い薔薇は咲かないんだゎ… 
(フローレンス・ナイチンゲールという名の薔薇もあります、、 うす紫のそれはそれは美しい薔薇です)






(撮ってきたのはやっぱり小さな淡い薔薇でした…)

 ***

紫陽花にはまだ少し早いかと思いましたが、、 ひとつの木にこんなに色とりどりの花をつけたあじさいに出会えて幸せ。。




紫陽花は大好き。
、、あじさいの花も緑も、 色づく前も どんな色に変化しても、、 赤でも 青でも あじさいの花は眼にとても優しく映ります。。 なぐさめられるような気がするのはなぜ? 

ラピスラズリのような青い紫陽花も好き。。 赤みのつよいピンクの紫陽花も。 中心だけ深い紫の萼紫陽花も、、。 真っ白で高貴なアナベルは少し近寄りがたい美しさだけど、、 でもやっぱり好き。 ライムグリーンから真っ白に変わっていって 最後はセピア色に枯れたような姿になるまで どれも美しいと思う、、




あとしばらくは、、 紫陽花に心なぐさめられる季節になります。。 また紫陽花、 観に行きたいな、、 



 

5月はミステリの月① アン・クリーヴス〈シェトランド四重奏〉『青雷の光る秋』と、新シリーズ『水の葬送』

2018-05-21 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)


この5月前半に読んだミステリー作品から…

じつは今月、 とある会合に出席する予定でいました。 文学会というか、読書討論会というか、 旧知の仲間の会。。 けれども各人の仕事の都合により不可能となり、 それまで課題の為に読んできた本やメールのやりとりなど離れて、、 ちょっと疲れた頭をそこから遠い遠い 異国のミステリの世界へ没入させて、 我を忘れて逃避していたい(陶酔していたい…かも) などと思ったのです。
純文学作品も好きですが、 ミステリ作品も好きですから。。

 ***

まず最初は…

『青雷の光る秋』アン・クリーヴス(創元推理文庫・玉木亨訳)
 2013年
 
『大鴉の啼く冬』『白夜に惑う夏』『野兎を悼む春』につづく〈シェトランド四重奏〉の最終作。 前3作品は前に一気に読んだのですが、 他にやることが出来て、この作品だけ未読のまま、、早数年。。 ずっと気になっていたのです、四部作のラスト。。 
4作品に登場する《ペレス警部》(離婚歴があって、前3作品の中で新しい愛が進行中)…のその後も分からないままで、、

〈シェトランド四重奏〉作品は、 スコットランド北東部にある シェットランド諸島の本島やその周辺の小さな島々が舞台になっています。 主人公のペレス警部は、 本島ではなくフェア島というものすごく小さな島の出身。。 だけれども、その先祖には面白い伝承があって、 その昔 スペインの無敵艦隊の船がこの近くで難破し、、 島人たちが幾人かの船員を救出した、と。。 その生き残りが島に住み着き、ペレス家になったと…(ペレスと翻訳されていますが Perez スペイン系の苗字なんですね) だからペレス警部は黒髪で、 肌の色も浅黒くて… (私が脳内で想像する姿は… 俳優のハビエル・バルデムさんとか?)

だから、 何代かずっとシェットランドで生活していながら ペレス警部は自分がどこかよそ者という意識が消えない。 前の結婚の喪失感も(赤ちゃんを流産した事から二人の間に生まれた溝…) 自分は誰かを本当に幸せにすることは出来ないのではないか、という不安も、 警部という職業も島で暮らして居ながら、 島の人々とは冷静な距離を置かなければならないという立場、、 こうして生きていくのか、 或は故郷の小さな島へ戻ってひっそりと農場を受け継ぐのか… 〈シェトランド四重奏〉はそれぞれの事件以前に、 こういったペレス警部のアイデンティティが根底の物語としてあり、 だから人間の物語としても興味深く読み続けられたのです。。

前置きが長くなってしまいました…
今回の舞台は、面積たった5.61km2というフェア島(Fair Isle)。 シェトランド諸島の本島から《8人乗り》の飛行機で行くという、 ちっちゃなちっちゃな島… ペレス警部の生まれ故郷です。 フェアアイルセーターで有名ですね。 …そこへペレス警部はとうとう再婚しようという彼女を 自分の両親に会わせる為、連れていくのです。 それが小説の冒頭。

フェア島とはこんな島です
https://www.shetland.org/plan/areas/fair-isle

小さなフェア島だけれど、ここにも北と南に二つの灯台が出てきます。 イングランド・スコットランド小説で灯台が出てくると、必ず設計者を確認する癖がついてしまって… R.L.スティーブンソン家が代々、灯台設計技師だったから (ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』のところで書きましたね>>

事件の舞台にもなる北の灯台、Fair Isle North Lighthouse は、1892年 David A & Charles Stevenson による建造。R.L.スティーブンソンの従兄弟さんたち。
https://www.nlb.org.uk/LighthouseLibrary/Lighthouse/Fair-Isle-North/

ペレス警部の実家から見える南の灯台も 1891 by David A. and Charles Stevenson (cousin of author Robert Louis Stevenson)…とのこと。 灯台内部の写真もいっぱいあって、、 百年以上使われている灯台がたくさんまだ存在しているんですね、、 見ているとわくわくします(灯台好き♡)
http://www.southlightfairisle.co.uk/thelighthouse.asp

フェア島はバードウォッチングで有名だそうで、 小説では島を訪れる研究者やマニアたちが珍しい鳥を初めて目視する栄誉や興奮についても書かれているのも面白くて、、 それがそんなに凄いことなの…?と(それが事件の謎にも関係しそうで…)。。 
ウィキを見たらバードウォッチング発祥はやはり英国とのこと。 小説にも出てくる北の灯台近くには、バードウォッチャーの為の立派なゲストハウスもあります(此処も登場します)⤵
http://www.fairislebirdobs.co.uk/

こんな風に、 シェトランド諸島の自然やそこに住む人々の暮らしを小説の中から知ることも、 (謎解きよりむしろ私には興味ある)最近のミステリ読書の大きな楽しみなのです。 北欧やアイスランド、 英国のこういう本土とは離れた島々… そのような想像を掻き立てられる遠い場所の自然や、そに住む人々の暮らし、 文化や伝承。。

… 嵐で交通が遮断されたフェア島は、 小さな島ゆえの親密な人間関係と、先にも書いたバードウォッチャー達、 (嵐で閉じ込められた)そのお互い同士が疑い合うのは密室劇さながら。。 アン・クリーヴスさんは女性だからか、 心理描写の裏表、 妬みとか気後れ、 羨望、虚栄心… それが密かな憎悪へ… という内面の描写が巧みです、、 (私も女だからか、 自分の嫌な部分を感じてしまうような女性心理の薄暗さに うわぁ…と辛くなりそうな時もありますけど)

… ミステリ作品ですから内容には触れません。。
『青雷の光る秋』で〈シェトランド四重奏〉は一応一区切り、、となっているのですが、 ペレス警部をめぐる物語はまだ続きが出ていて、 すでに翻訳されていました。 すぐに読むことが出来て、、 ほんとうに良かったです、、 理由は… もちろん『青雷の光る秋』を読めばわかります。。

 ***

『水の葬送』アン・クリーヴス
 創元推理文庫 2015年

 『水の葬送』を読むためには、 前作の『青雷の光る秋』、 できれば〈シェトランド四重奏〉を読んでいたほうが絶対良いと思います。。 特に今回の『水の葬送』でのペレス警部の心のありようは、 何も知らないとなかなか理解しづらいものがあるでしょうし。。

今回は一番大きなシェトランド諸島の本島と、まわりの島々の名前もたくさん出て来ます… そして、ヘブリディーズ諸島ウィスト島出身の新しい登場人物リーヴス警部が加わります。 もちろん、ペレス警部の長年の部下サンディもいます。
シェットランド諸島や ヘブリディーズ諸島… 私たちにはスコットランドの周りにある島々、としか認識できないし、 日本人にはイングランドもスコットランドも(アイルランドさえも) ぜんぶ英国と一括りに考えてしまいそうですが、 ペレス警部の長年の部下サンディは言います

 「…ウィスト島の連中は、われわれとはまったくちがいます。かれらはゲール語をしゃべるし…文化もちがう。ヘブリディーズ諸島では、日曜日に酒を飲めない。ヘブリディーズ人とシェトランド人に共通点があると考えることができるのは、イングランド人だけです」

…こういう 細かな地域性がとても興味深いです。。 シェトランド人のサンディが、 英国本土へ電話をかけて、 イングランド本土の人が喋る発音が聞き取れない… というのは驚きます(標準語じゃないの??)。 確かに、英国の中心であるロンドンでさえ、 ロンドン訛りって聞き取りにくいのですよね… 、、このような違いが色々とあるから、 喋り方ひとつで、 出身地、階層、職業、どんな教育を受けてきたかまで… 推測されてしまうのは、、 やはり英国って階層社会なんだな、、と強く強く思います。 (ロックミュージシャンでさえ、 発音で生まれ育ちがわかってしまうのですものね… アメリカツアーに出ると階層うんぬんと言われないのでラクだって、 中流出身の英国バンドがインタビューで言っていたのを思い出します)

話が逸れましたが…
これまでのシェトランドシリーズ同様、 島じゅう知り合いのような密な人間関係に加え、 今回は再生エネルギー誘致という現代英国の問題も背景にあり、、 事件の動機が愛憎劇なのか、政治的陰謀か、 事件がどっちに繋がるか最後まで謎なのは新しい視点でした。

今度のシリーズに加わっていく、 新しいリーヴス警部が、ヘブリディーズ諸島のヒッピーの共同体で生まれ育ったと書いてあって、スコットランドにヒッピーコミューンなんてあるの?と不思議だったのですが…
前に、 映画『ウィッカーマン』とアシッドフォーク再燃の関係という記事が 音楽誌のサイトに載っていて…
http://clashmusic.com/features/time-to-keep-your-appointment-acid-folks-unrelenting-renewal
映画の舞台がヘブリディーズの島にあり、ドルイド教が素材ということで、 この記事には島の民間伝承(ウィッカーマン、いわゆる人身御供)やゴシックホラーとの関連性などが書かれていて… 
小説内には詳しい事は書かれていないけれど、 ヒッピーコミューンでの生まれがリーヴス警部になにがしか傷というか反面教師的な思い出になっているようで… もしかしたら、 リーヴス警部が育ったコミューンというのは 映画『ウィッカーマン』に出てくるような、そういうイメージもあるのかな… などと。。 リーヴス警部は次の作品にも登場するようです。 その生い立ちの謎も、 今後かかわってくるのでしょうか、、

ヘブリディーズ諸島で知ったことをもうひとつ…
ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』の舞台は、ヘブリディーズのスカイ島だというので、スカイ島の灯台も調べてみました。
此処の Neist Point Lighthouse も R. L. Stevenson.の従兄弟さんの設計でした。
https://www.isleofskye.com/skye-guide/top-ten-skye-walks/neist-point-lighthouse

ほんと、、 白い灯台がぽつんと建つ岬の風景って、 どこを見ても胸に迫るものがありますよね、、(私だけ…?) 何故だろう… 行きたくても行けないから…? 私の前世って灯台守だったの…?(笑) それとも海鳥かな…


ミステリとしては、、 今回 石油エネルギーVS再生エネルギーというジャーナリスティックな視点も加わりながら、 謎の解明としてはすこ~し物足りない部分があったのが残念です。 
でも、アン・クリーヴスさん、新刊がこの5月末に出るそうで 『空の幻像』、 さらなる新たなシェットランドの物語に期待したいです。


ペレス警部の人生も続きます… まだまだ、、 

この先も(この先こそが)、、 何かまた起こりそうな気配…


、、 そして人生はつづくんですよね。。 命ある限り… 


すべてを越えて…  生きていく
それがわたしたち命ある者にとっての共通の課題。。


『空の幻像』読んだらまた書きます。 上の写真に載せた他の作品についても、、出来たらまた。。



この春でかけた美術展「ジョルジュ・ブラック」「加山又造」「熊谷守一」まとめて…

2018-05-13 | アートにまつわるあれこれ
GW終わりましたね。

(じつは8日に書こうとしていたこの日記、UPできずにいました)

お天気も良く、愉しく出掛けられた半面、、心のなかにはものすごく複雑な苦しさの塊もある、、 そんな連休の日々でした。 私個人の出来事じゃありませんけど、、 分かってくれる人には分かってもらえる… かなと、、


このGWに出掛けた分を含めて、まだ書いていなかった美術展の感想を、、 まとめて…

 ***



GWには ふたつの美術展に行きました。

ジョルジュ・ブラック展絵画から立体への変容 ―メタモルフォーシス
 パナソニック汐留ミュージアム(ウェブサイト>>) 会期6月24日まで


ピカソと並ぶキュビズムの画家、 ジョルジュ・ブラックが最晩年に ジュエリーなどの立体作品を創っていたということは 全然知りませんでした。 なので行くまで なかなかぴんと来なくて…

…でも 考えてみれば、 ピカソも年をとってから、陶芸などとても沢山のキュートな造形を創っていたし、、。
ピカソの事はよく知られているのに、 ジョルジュ・ブラックのジュエリーや陶器などの作品がまとめて紹介されるのは 日本では初めてだということです。 一緒に行った美術系出身の友も「知らなかった」と言ってました。。

ギリシャ神話をモチーフにした陶磁器や、 きらびやかなジュエリー作品。。 ジュエリーは美しい~女優さんでもなければ なかなか似合いそうもない豪華なものでしたが、 陶磁器はもし小ぶりだったら 使ったり飾ったりしてみたい、 そんなシックで気品のあるものが多かったです。 
1963年に、パリ装飾美術館で「ブラック・ジュエリー展」が開催されたそうですが、 残念ながらブラック本人はもう会場まで足を運べる体調ではなかったそうです。 本当に人生の最晩年に、 絵画ではなく身に着け、触れて、生活空間に共に在ることの出来る美。 そんな美的生活を彩る立体造形を、求めていたんですね。。 晩年、枯れていくのではなく煌びやかに、 美しく… そのエネルギーというか美意識…

一番気に入ったのが、 ドーム工房がブラックの図案を基に創った ガラス作品や、 没後、ブラックの絵をもとに 「ゲマイユ」という、何層もガラスを重ねたり組み合わせたりして創ったステンドグラス、、 これがブラックの絵の雰囲気にもとても合っていて、 やはりキュビズムの線や形と色ガラスとか鉱物の形の組み合わせというのは似合うような気がします。 あのステンドグラスが装飾としてどこかカフェとか、 ギャラリーとか あったら素敵だなぁ、、 そんな家に住んでみたい。。



ブラックさんと写真を撮れる椅子のコーナー

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Re 又造 ~又造が未来に夢見たアート展~
 5/5終了
 ウェブサイト>>


会期終了直前に行けました。 加山又造展。

初めて行った EBiS303というイベントスペース。 1Fが自動車のショールームになっていて、 その屋外に又造コラボの車が展示されていました。


ボウイ展の時も、 イナズマをあしらった車が展示されていましたけど、 又造の代表的な意匠を存分に全面に配していて あれは塗装ではなくて 特殊な印刷技術なのでしょうね、、 すっごい美しかったです。

又造と言えば猫…


会場内の展示もまた凝ったものでした。 オフィシャルページにtrailer がありますね、 どうぞ見てみて。。 床から篝火のような灯りを照らして、 又造の絵のまわりにプロジェクションで桜の花びらがはらはらと舞う… 幻想的で美しい見せ方や、

絵の中に入れる仕掛けや… 皆さん楽しそうに写真を撮っていました。 


加山又造の版画や屏風絵は 生前から見ていて大好きでした。。 琳派の日本画の伝統を受け継ぎつつ、 モダンで 洗練されたデザイン、 品の良さ、 
版画作品の ブリューゲルっぽいちょっと淋しい感じの「カラス」とか、 「シマウマ」とか、、 今回は展示されていなかったけれど 又造のぼろぼろのカナリヤとか前から大好きなのです。。 20年以上前、 又造展に行って、 その頃はまだ存命中で確か百貨店のギャラリーだったと思うけれど、 「カラス」の版画が販売されていたんですよね、、 そんなに高額でなくて、、(でも東京に出て来たばかりの私にはちょっと躊躇する値段で、 そんな現金はもちろん無いし) 、、いいなぁ、、と思いつつ諦めて…
でも今つくづく思う、、 借金してでも買っておけば良かった、、カラス。。

…あ、 話がカラスになってしまいました。。 
16歳の頃に描いた「狐」という作品があって、、 ちょっとクールベの「狐」を痩せさせたみたいな感じで、 すっごく上手でした。 やっぱり天才だなぁ、、と。。 (僕は天才じゃないから…)というような言葉が どこかに書かれていて だから自分に似た者として、 あの淋しそうなカラスや ぼろぼろのカナリヤへの親近感に繋がったそうなのですが、、 何だろう… ぼろぼろでも美しくて品があって可哀想に愛しい可愛さもあって、、 やっぱり天才なんだと思います。

雑誌『新潮』の表紙絵を何点も並べて、 本というか色紙本のように装丁してあったものが展示されていましたが、 一点一点がため息がでるほど素晴らしかった。。 ご実家が西陣織の図案を創るお仕事の家だったからか、 もう何を描いても構図が完璧に、 それが自然に出来てしまうのでしょうね。。 
俵屋宗達と本阿弥光悦が組んで描いた「嵯峨本」(光悦本)というのがありますが、 あの美しさをいつも思い出すのです、、 新潮の表紙絵もそのこと想い出しました。


会場の最後は、 ふたつの龍の天井画が。。 天井画の実物は持って来られないので、 原寸大で天井に映し出されていて、 別のスクリーンではそれを描く又造さんの姿が。 長い長い映像が見られるようになっていて、、 スウェットの上下になんだかモコモコした緑のスリッパを履いて そんなかわいい姿で 巨大な龍の天井画に挑んでいる真剣な又造さんをずっとずっと見ていました。。

龍のまわりの雲とか空のおぼろげな部分は、 コンプレッサーを肩にかついでエアブラシでしゅーしゅーと、、。 琳派のたらしこみを巨大な天井画でやろうとして考えたそうで、、 大胆かつ繊細…

又造さんの龍は5本指でした。 また沢山の又造さんの絵、 見てみたいな、、 動物シリーズも。


又造さんのデザインが包装にあしらわれたお菓子


 ***

「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」東京国立近代美術館
 東京国立近代美術館>>



モリカズ展に行ったのは2月の末でした。 だけどなかなか書くことが出来ませんでした。

熊谷守一の絵は何度か見ていましたし、 住まいだった「豊島区立熊谷守一美術館」へも行ったことがあったので、 良く知られている作品は概ね頭の中に入っていたのですが、、

今回、 明治時代の作品 (守一は明治13年生まれ。 明治33年東京美術学校入学、同期が青木繁、和田三造ら)、、 その若き日の、 よく知られた「モリカズ」の画風とは全然違う時期の作品を見て、 なかなかその事が書けずにいました。

明治41年の「轢死」という作品。
この制作年と、画題、そして絵を見たとき、 その場に固まってしまいました。。 すぐに脳裡に浮かんだのが 夏目漱石の『三四郎』(明治41年9月から連載)の中に書かれた「轢死」の描写、、

 「三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ」

、、この漱石の文章を、そのまま画にしたような絵でした。 絵の表面の劣化等で、何が描かれているか殆んど分からないほど、色は暗く、全面塗り潰されたように見えるのですが、 『三四郎』のあの文章を記憶しているので、 守一の絵の中に三四郎とそっくりの女性の轢死の構図が見えました。。 あまりに驚いて、 小声でに「これ、三四郎の…」という話を耳打ちしていたら、、 「ここにも説明がある…」と。 見たら、絵の先に詳しい説明書きがありました。

守一の絵の構図と『三四郎』の轢死の構図が全く同じである為、 どちらかが参考にしたのでは…という話題は以前からあったそうです。 但し、守一の「轢死」のデッサンは『三四郎』掲載よりも以前からあり、、 また、この絵は文展への出品を拒否されているので、漱石がこの絵を見た可能性は無い、と。

では、、この同じ年に描かれ(書かれ)た「轢死」という共通は…
1908年(明治41年)出版の戸川秋骨先生の『時代私観』という本の中に、 「電車とイブセン」という文章があります。 「露西亜に勝った」とありますから、日露戦争後の文章でしょう。 この文章中にも「轢死」が出てきます。 急速に東京中に発達した鉄道網、、 そのことによって起る事故としての「轢死」と、 戦争後の不況や寡婦の増加、そのような時代に現われた列車への飛び込みという「轢死」、、 『三四郎』の女性の「轢死」の場面は自殺でした。 守一は実際に轢死の現場に遭遇したとのことです。 戸川秋骨が「電車とイブセン」で書いている「轢死」も、 テクノロジーの急速に変化した時代の、 事故、自殺、二重の意味で轢死という新しい死を扱っています。
 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます>>

漱石、守一、秋骨、、 三者が同じ時代に「轢死」について書いて(描いて)いる、というのはやはり「轢死」というものが、前時代には無かったこの時代を象徴する死の有様で、 そのことに対して、作家、芸術家が敏感に感受した顕れなのでしょう。 裏を返せば、漱石、守一、秋骨らが同種の危機感、 死への感受性を備えていた、、と私には思えるのです。

漱石は「死」に取り憑かれたように多くの死を作品に書いた人ですが、 今回、守一の絵の人生にも、これほどまで「死」が深く関係していたことをあらためて知りました。 その作品のひとつ、、 守一の次男の死を描いた 「陽の死んだ日」 
 大原美術館のサイトにこの絵の説明(と先の轢死の説明も)載っています>>

HP上で見るのと、実物で見るのとでは違い、、実際にはもっと衝撃が大きい作品でした。 横尾忠則さんが twitter でこう感想を書かれていました(>>)(>>

守一には、 有名な「ヤキバノカエリ」という絵がありますが、、 それも含めて、画業の前半生にどれほど「死」が深く関わっていたか、 今回の展示で知らされました。。 タイトルは 「生きるよろこび」でしたが、 とてもそういうふうには思えなかった。。 晩年の、 自宅の庭の小さな生きものを描く、やさしい眼差しの絵をたくさん見ても、、 そこまで辿り着くまでの深いかなしみの方が 強く心に刺さってしまって、、、

「轢死」の横たわった女性の像を、 キャンバスの縦横を逆にすると女性が起き上がって「生きる」のだ、と、、 そういう構図の女性像もありました。 守一が、 モリカズになってからも、 ずっと考え続けていたテーマなのではと思います。 

、、モリカズの絵は好きです。
昔、 ある高齢の画家さんとお友だちでした。 守一に似たところのある、 そしてご自身もきっと守一への憧れを持っていただろうその画家さんの思い出。。 
そのかたが、 初めて東京で個展を開いたのが、 モリカズの自宅であるギャラリー「榧」でした。 そこでお話した頃に、もし初期の守一の絵のことを私が知っていたら、、 そしてもし今もその画家さんがご存命だったら、 今回の守一展のことや、「轢死」のことなども、 お話できたのに… と思いつつ、、 モリカズの便箋を記念に買って帰りました。。
モリカズのことを良く知る、 どなたかに宛ててそっと手紙を書いてみたいと…





5月、、 どうぞ健やかな日々を。。