星のひとかけ

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エルザ・トリオレのゴンクール賞受賞作『最初のほころびは二百フランかかる』

2024-02-22 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
昨日書いた 『今晩はテレーズ』につづいて、 今回はエルザ・トリオレが第二次大戦中に書いた『最初のほころびは二百フランかかる』についてです。

前作につづいて 何の知識もなく、 この変わったタイトルの小説についても 何も知らないまま読み始めました。 昨年11月に、この小説について一度書きましたが、 そのときに引用したのが 小説のいちばん最初の文章でした。 同じものをもう一度引用します。

 この上もない大混乱だ。鉄道も、人の心も、食糧も…… 明日にはよくなるというのだろうか、冬にはなにかが変わるだろうか、あとひと月でけりがつくのか、それとも百年このままだろうか? 平和への期待はみんなの頭上に、剣のようにぶらさがっている……
    (エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 新日本出版社 1978年)

 このページの終わりのほうには つぎの文章があります。

 「上陸だと言っても、結局、大したことはないんじゃないかな?」と誰かが言った。六月になっていた。……


歴史に詳しい人なら、上記の部分を読んだだけで何を意味しているのかきっとお分りになるのかと思うのですが、 戦争史も、戦争映画も、ちっとも知らない私は、小説のほとんど最後まで読み終える頃まで、 何について書かれているのかろくにわからないまま読んでいました。

最後のほうになって、 記憶の奥の方から 《ノルマンディー上陸作戦?》ということばが浮かんできて、 それのことなのかな… と。 そうして Wikipedia (>>)でその日付などを見て、 あぁ…‼ と驚いたのでした。


 …だが、そうは言っても、いろいろと曖昧な私設情報の中に紛れこんで、「最初のほころびは二百フランかかる!」という暗号が流されたのはありがたかった。ああ! この言葉はなぞなぞではなく、おとぼけでもなかった。…略… 外国語のスピーチに挿入されたフランス語さながらに。その意味はこうだ。「行動に移れ!」

上記は冒頭2ページ目の文ですが、これを読んでいた私にはまだ何もわかっていません。。 ノルマンディー上陸 といったら、写真でみたことのある あの巨大なホバークラフトみたいな船で兵士たちが海岸から上陸してくる、 それしか知りませんでしたし、 フランス国内でなにが起きていたかなど これまで想像したこともなかったのです。

この『最初のほころびは二百フランかかる』という小説は、 1944年の11月に書かれ、1945年度のゴンクール賞を受賞しました。 ドイツ占領から解放されたのは1944年8月。 そのころのフランス国内での文学活動や、 レジスタンスの文学については、 エルザ・トリオレのパートナーである ルイ・アラゴンの Wikipedia (>>)のほうに書かれていました。 

前回書いた エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』のなかで おもむろに描写され私が驚いた 巡視隊や警官隊の暴力、ファシズムの影… そこへ向けたエルザの眼は その後、 弾圧に抵抗する文学へと向かっていき、 第二次大戦中も地下出版の活動をつづけ、1944年のパリ解放とともにおそらく堰を切ったようにこの『最初のほころびは二百フランかかる』を仕上げ、発表したのでしょう。

レジスタンスの文学・・・ たしかに内容は《ノルマンディー上陸作戦》に向けて密かに行動を進める市民・農民らを描いているのですが、 まったく説明のない文章と短いセンテンスで、 いきなり酔っ払いの場面になったり、 とある農家の寝室が描かれたり、 いったい何がおこっているのか分らないまま読者を先へ読ませていくという手法は 先の『今晩はテレーズ』と同様で、その点がエルザ・トリオレの巧みさのひとつなのかもしれません。

翻訳が収められている『世界短篇名作選 フランス編2』では、 このエルザ・トリオレの作品の直前に 夫であるルイ・アラゴンの『一九四三年の告解者』という短編が載っているのですが、 (絶版なので少し内容を明かしてしまいますが) 或る教区の司祭がいつものように信者の告解を聞き終えたところに 警官とドイツ人がやって来る。教会に逃げ込んだ者を探しているという。司祭は懺悔室に見なれない男の足がのぞいているのに気づく・・・ さて司祭はどうするか。。 という なんというか非常に率直なレジスタンスの文学作品でした。 

アラゴンの作品と比べると、 エルザの作品はとても分かりにくい小説ではあるものの、イマジネーションの広さ、場面展開の意外性、、 実際に起こった出来事を書いていながら事実の羅列に終始しない、 作家としての力量を感じます。


 …空の物体は依然として宙をただよう。それが徐々に下降し、近づいてくる。頭の上にやってきた。みんなの頭を圧し潰しそうだ!…

 …さあ、探し出さなくては。 …略… こっちへ走り、あっちへ走り、やっと蒼白く光る、くらげのようなその影が、くねくねとした巨大な形で地面に落ちている地点までたどりつく。…

 …終った。コンテナーは全部からっぽになった。積み重ねてあるパラシュートを分配する。…略… 明るいところで見ると、変なものだ。全部が全部、白いわけではない。薄い緑色のや、ピンクのもある……絹のすばらしいブラウスやドレスになるだろう。タオル地なら、布巾類になるだろう。それらは、チョコレートやたばこも含めて、協力者たちへの景品なのだ。


 
少し長い引用をしてしまいましたが、エルザの短文による映像表現の巧さや、 レジスタンスの市民らの様子を女性ならでは視点で切り取っているのがよくわかります。
占領から解放された直後にこれを読んだら フランスの人々はきっと涙してしまいそうです。 ゴンクール賞をとったのも成程、と思いました。

ところで、、 ノルマンディー上陸作戦の《暗号》は、 ウィキによるとヴェルレーヌの詩「秋の日のヴィオロンのためいきの…」 が使われたそうなのですが、エルザが書いている「最初のほころびは二百フランかかる」というのが どこかで使われた暗号なのかどうなのかは ちょっと調べたもののよく判りませんでした。 もし本当だったら、「秋の日の…」よりもセンスの良い暗号だと思いませんか?


 …だから、もう言わないことだ。「われわれは弱すぎる。武器がない。黙って皆殺しになるしかない」などと。それは間違っている。…略… 無抵抗は戦争を長びかせ、もっと血を流すことになるだけだ。めいめいが自分なりにレジスタンスを支援していただきたい。その手段がどんなささやかなものでもいい。つまらぬ任務などは存在しない。…


本文中の 家々に撒かれたレジスタンスのビラの文言の一部です。 エルザ・トリオレの小説から80年後の今、 これを読んでいるということがとてもつらいです。
なぜこんな戦争が起きるのだろう…という戦争が起きていることが 今、とてもむなしいです。

エルザ・トリオレの 『最初のほころびは二百フランかかる』について、 現在読もうとしてもなかなか読めませんし、 この作品について検索しても殆んど何も出てきません。 世界がずっと平和なら、忘れられてしまっても良かったかもしれませんが、、 残念ながら世界はそうではありません。

私はこの作品の内容をまったく知らずに読み始めたので、 最初に書いたように何の事を書いているのかちっともわからず、、 そして読み終えて、 それから現実の今に戻って、、 悲しい溜息がでる思いでした。 その想いが多少なり伝われば… と、たくさんの引用をしてみました。



エルザ・トリオレ「最初のほころびは二百フランかかる」 広田正敏・ 訳 『世界短篇名作選 フランス編2』 新日本出版社 1978年




エルザ・トリオレの この15年後の作品『ルナ=パーク』については またの機会に。。




エルザ・トリオレの最初の小説『今晩はテレーズ』

2024-02-21 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
エルザ・トリオレの本について 最初に書いたのが昨年の11月。 あれから5カ月近くになろうとしています。

1896年ロシアに生まれ、 フランス人の将校と出会い ロシア革命の騒乱の時期にロシアを離れた。(前々回書いた作曲家のプロコフィエフもエルザと同じ1918年にロシアを脱出して日本へ渡っていました)
その後、エルザはフランス人将校の夫とは離れ、 シュルレアリスムの詩人ルイ・アラゴンの妻となり やがてフランス語で小説を発表していく…

エルザ・トリオレの本は結局4作品を書かれた時代順に読んでいきました。( )はフランスでの出版年。
 『今晩はテレーズ』(1938)
 『月の光』(1942)
 『最初のほころびは二百フランかかる』(1944)
 『ルナ=パーク』(1959)

ほかにも翻訳されている作品はあるのですが、 現在入手困難なものが多いです。

当初は 昨年読んでいたコレットやイーディス・ウォートンの読書の流れでたどりついたわけですが、、 ロシアからパリに移り住んだ裕福な生まれの女性作家、というイメージで読み始めたものの 読んでいくうちそうした印象は覆され、 なんだか読書記を書くのはとても難しく思えて… というのも、 この本はどういう本、この人はどういう作家、とまとめることが私には出来そうもなく…

それでも4つの作品を読んでいくうちに、 エルザ・トリオレという作家の発展の様子が面白く、 詩人ルイ・アラゴンが生涯ミューズとして崇めたのも頷けるような、 不思議な想像力と筆力をそなえた作家だったのだなぁ…と感じることができました。 難しい読書でしたが、 拙い感想だけまとめてみようと思います。

 ***




『今晩はテレーズ』広田正敏・訳、創土社、1980年

エルザが初めてフランス語で書いた小説です。 書き始めのころはロシア語で書いていたといいますから、 自分の言い表したいことをフランス語で表現する為に とても努力が必要な時期だったのだと思います。 そのことがかえって 短い文で、詩的な想像を展開する効果になっていて、 例えば以前書いたイーディス・ウォートンの 連綿と続く精密な描写とは対照的なものでした。

小説は冒頭、 夫と一緒にその列車に乗らなかったが為に独りフランスで暮らすことになった女性(=エルザ自身)が、 望郷の想いや異国でひとり暮らすことへの想いをエッセイ風に綴る、という形で始まるのですが、、

エルザ・トリオレに特徴的なのは それが現実か空想か判別がつかないような、 どこかシュールな場面がそこかしこに現れることで… たとえば、南仏で出会った女性とともに連れて行かれたダンスホールで、 美貌の二人そっくりなアメリカ人スパイ兄弟に紹介される、などというような、 そんな現実離れした描写があって… これは大戦間の南仏でほんとうにあったことなんだろうか? と。。

章が変わり、 物語はパリで一人暮らしを始める女性へと移る。 「香水の名前」を考える仕事を得て、 夜のパリを彷徨いながらあれこれと香水の名を考えもとめる女性… 

ある晩、 独りのアパートでラジオの音楽を聴いていると 男の声で 「今晩は、テレーズ」 と不意にラシオが呼びかける… それをきっかけに、 ここから未知の《テレーズ》なる女性をさがす(=想像する=創造する)物語がはじまる… 
ここまでが本の約前半。 後半は、ラブサスペンスのような展開もみせて、 なんだか映画のような結末に。。 

リアルともファンタジーとも言えない、、 でも女性の繊細な視点と意外性に富んだ表現、、 そしてどこかシュール。。


 描写することも、愛することさえも容易に許さぬパリ、灰色の灰燼と焔の味をたたえ、パリはあなたをその胸に抱きしめ、やさしく絞め殺す。夢遊病者を目覚めさせてはならない。今、彼らが歩いている屋根の縁から墜落させることになるだろうから。パリの住民よ、眠りつづけるがいい。 (第二部 夢みるパリ)

このような文章を夢うつつの気分で読みながら1ページ後ろへめくると、、

 巡視隊が広場へ通じる街路の一つを塞ぐ。さらに一つ、また一つ。広場全体を黒い杭の冠がとり囲んでしまう。黒いヘルメット、黒く、堅く、つやつやした脛当て、馬蹄の金属的な響き。鋳造された警官、鋳造された頭脳、そして鋼鉄の弾丸……。

いきなりのこうした文章にぎょっとする。。 一体これは何の話…? 何が起ころうとしているの…?

  護送車が通る。その一台が停車した。警官がパラパラと飛び降り、通行人を警棒でなぐりつける。倒れた男を三人がかりでなぐる。・・・


この本には、 冒頭に「一九四九年の序文」という序が付いており(作品発表は三八年)、 そのなかでエルザはこの最初の作品には 「その後私が書こうとしたことの予兆のようなもの」がある、と驚きを述べています。 そしてこの『今晩はテレーズ』は

 これは、彼女自身のものの見方、幻想の迷宮のなかで現実に導かれていくその仕方によって描かれた物語なのである。

と締めくくっています。 少々わかりにくい表現ですが、 のちのトリオレの作品を読んで気づきました、 これこそがエルザ・トリオレという作家の特色だと。 このシュールな幻のような物語をつくっている源は、 ファシズムの影が迫る1930年代のフランスの現実だということなのです。

また、この本には終わりには 「ルイ・アラゴンによる序文」が載っていて、そこでアラゴンは 「『今晩はテレーズ』と十二年後の『廃墟の視察官』、二十年以上も後の『ルナ・パーク』とのように、非常に異なった作品にひとつの繋がり」がみられることを指摘しています。 

この「幻想の迷宮のなかで現実に導かれていく」エルザ・トリオレの視点が、 第二次大戦下で書かれた作品 『最初のほころびは二百フランかかる』ではどう変化していくのか… 

それはまたつぎの機会に…

 
 ***


昨日は25度ちかくあったというのに

きょうはまたなんて寒いのでしょう…



風邪と花粉に どうぞお気をつけて




(あれから2年になるのですね… >>

片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』から 「黒猫」のこと…

2024-02-14 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回書きました 片山廣子さんの随筆集『ともしい日の記念』、 あのあと注文してすぐ10日に家に届きました。

さきほど、 片山廣子さんの経歴(1878年2月10日 - 1957年3月19日)を見ていて気づいたのですが、 本の発行日の2月10日は片山さんのお誕生日だったのですね。 何故とはわからないけれど、 片山さんはなんとなく冬の生まれのような気がしていたので あぁやっぱり…と。。



『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 早川茉莉編

この本をゆっくり読めることをとても嬉しく思っています。 本の中の活字で読むのと パソコン上の文字を読むのとではやはり感じ方が異なります(もちろん青空文庫に入力くださった方々のお陰でこれらの随筆に出会えたことは感謝に堪えません)

すこしずつ… ゆっくりと読もうと思っています。

それで、、
昨夜読んでいた一篇、 「黒猫」という随筆、、 

片山さんの家の庭に来る黒猫の話から 「Aさん」「Mさん」と共に「軽井沢」で月見をした時に出会った「黒猫」の話へ、、

、、 この随筆をどうも読んだ記憶がなかったのでちょっとびっくりして、、 Aさん、Mさん、軽井沢、といえば、 芥川龍之介と室生犀星のことに違いありません。 だけど青空文庫の「燈火節」のなかで この随筆を見かけた記憶がなかったので、 ちょっと不思議に思って調べたら、 2007年出版の『新編 燈火節』のほうに収録されていたことがわかりました(>>月曜社) 新たに8篇の随筆がここに加えられていたようです。

青空文庫で公開されていないので詳細はよしますけど、 この「黒猫」の随筆のなかで片山さんは 「Aさん」が猫にちょっかいを出す様子やそのとき交わした会話を綴っています。 

・・・ これはいつ書かれたものだろう・・

非常に残念なことに、 ちくま文庫の『ともしい日の記念』には それぞれの随筆が書かれた年や初出が載っていないのです。 すごく素敵な、 今読めることがありがたい随筆集なのですが、 その点だけがなんとも残念、、。 『新編 燈火節』を参照すれば載っているのかもしれませんが…

この「黒猫」の随筆では 片山さんは娘さんと共に生活しているようだし、 片山さんの「母」の事も書かれていて、、 片山さんが軽井沢で芥川らと月見をしたのは大正13年の夏の事で、 そのときに同行したお嬢さんは17歳くらい。 だとするとこのエッセイが書かれたのは(娘さんの描写からみて)そんなに年月が経っていないような気がする、、

片山さんの家の庭にくる「黒猫」、、 軽井沢でAさんがたわむれた「黒猫」、、 そして アラン・ポーの「黒猫」についても 片山さんは連想をしている。。 エッセイの読後感は どこか淋しい… 

さびしい… けれども

『燈火節』を発表した70代の片山さんではなく、 軽井沢の月見の晩の思い出が(たぶん)そう遠い過去のことではない時期、 片山さんのなかでまだ遠い過去にはなっていないはずの、 ある痛みをともなった記憶、、 自分の家の庭をおとずれる「黒猫」と「Aさん」の思い出を重ねあわせる その想いの、 非常に鮮烈なものをも、、(ポオの小説の壁に塗り込められた黒猫の生々しささえ思い起こさせるような…) 

そんな鮮烈なものを 時に片山さんには感じるのです。。 きっとこのかたは 心に激しいものをお持ちのかただろうと…

 ***

「黒猫」のエッセイのなかには、 軽井沢で月見をした日付けも書かれていましたので、 たわむれに月齢をしらべてみましたら、 その翌未明が満月という晩でした。 きっと綺麗な月が碓氷峠のうえにかかっていたことでしょう。。

けれども片山さんのこのエッセイには お月さまのことは何ひとつ書かれていないのでした…




・・・ 恋人たちの守護聖人の記念日に・・



 


燈火節は過ぎましたが…

2024-02-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先月、 トゥガン・ソヒエフさん指揮の、 プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を聴きに行って以降、 ラジオやなにやらで何度か「ロメジュリ」を聴く機会があり、 プロコフィエフの音楽の新しさを 今更ながら驚きつつ楽しんでいました。

「ロメジュリ」の初演は、プロコフィエフがロシア革命のあと 日本を経由してアメリカへ渡り、 その後 パリでディアギレフと仕事をしたり、という 20年近い海外生活を経て、 1936年にモスクワへ戻ったその年のこと。 

だからか、、 「ロメオとジュリエット」の組曲にはとってもアメリカ音楽ぽいところがたくさん感じられる。 「モンタギュー家とキャピュレット家」を聴いていると、 なんだかディズニーアニメの中でキャラクターがのっしのっしと歩いて登場するような動きをいつも想像してしまうし、 ところどころ ガーシュウィンみたいな旋律も感じられるし、、 「朝の踊り」のにぎやかな市井の人々のリズムなどは、 二拍子のまるで「スカ」のビートみたい。。 そういえば、 プロコフィエフは当初、 日本を経由してアメリカ大陸を南米へ向かおうとしていたのでしたっけ… なんて思い出したり、、

そんな風にして かつて読んだことのある『プロコフィエフ短編集』(以前の日記>>)をふたたび読み返したりしていました。

そうしていて気付いた事があります。(単に私の興味で、たいしたことではありませんが…)

プロコフィエフと芥川龍之介は1歳しか違わないんです、 龍之介が1歳年下。 それでプロコフィエフが日本に滞在した1918年には、 龍之介は26歳で横須賀の海軍学校で英語教官をしている頃。。 でもすでに新進の作家として活躍していて朝日新聞に「地獄変」の連載などもしている。 一方、プロコフィエフはこの年の初夏、横浜や京都に滞在して 横浜グランドホテルでピアノリサイタルを行ったりしている。 こんな風に同じ時代に、 こんな風に近いところで活動していたことを思うと、 なんだか面白いなぁ…って。。 べつに龍之介とロシア音楽となにか接点があるわけでは無いのですけど、、 

プロコフィエフが日本でもせっせと書いていた一風変わった短篇、、 芥川と較べたらそれこそ稚拙なものかもしれませんが、 どこか軽みのある不思議な想像力。。 芥川は多少ロシア語も読めたかしら…? 日本で読んでもらえば良かったのにね… 笑

そして、、 昨秋にも書きましたが、、 龍之介のこと、、 (パリにでも行ってしまえば良かったのに…)とふたたび思いました。 (そう書いたのは11月の日記です>>) 戦間期のパリ。 コレットがいて、 イーディス・ウォートンがいて、、 芥川が上海に行った1921年には プロコフィエフもパリに来ていました。 ますます思います、 日本でもしプロコフィエフと知り合いにでもなって、 龍之介が上海に行ったあの後、 日本になど帰らずにパリにでも行ってしまえば良かったのに… (ほんのつまらない空想です)


そんなことを考えている私に、 嬉しい知らせが…

上記11月の日記のなかでも触れている、 片山廣子さんの随筆集が 新たな編集となって出版されます。 
 『片山廣子随筆集 ともしい日の記念』ちくま文庫 (Amazonのページには目次も載っていました>>https://www.amazon.co.jp

いままで青空文庫でしか読むことができなかったので とても嬉しいです。 文庫で手元に置けるのもとてもうれしい。



「燈火節」は過ぎましたが、 うれしい春の贈り物です。



なにかのことを想っていると



なにかしらキミはたすけてくれる…



妖精さんがいますね…

現実の迷宮

2024-02-01 | …まつわる日もいろいろ
2月になりました。

なかなか更新できない日々… 落ち着きのない日々を過ごしていました。。 なぜ、、 とはうまく言えないけれども どうしても気持ちの不安定になりがちなこの一週間が過ぎ、 わたしの術後の18年目がはじまりました。

これからの日々の元気のため 歓びのために、 今年でかけるコンサートのチケット取りにいそしんでたりもしました。 先月のN響公演でも 美しいそしてユニークなラヴェルの音楽を味わいましたけど、 今年はラヴェルにご縁があるよう… 楽しみが膨らみます。

 ***


   ・・幻想の迷宮のなかで現実に導かれていく・・・
               (エルザ・トリオレ)


昨年からの読書もゆっくりとつづいています。 慶びの日 哀しみの日 何度も中断しながら…

上記の、 エルザ・トリオレの本のなかの言葉にはっといたしました。 すこし考えて、、 「現実の迷宮のなかで幻想に導かれていく…」 そういうこともありがちだろうと。。

しかし 上記は作家の言葉。 創造する者の イマジネーションのありかたの言葉。 なるほど、 そういう作家さんだったのだと、 いくつかの作品を読んで納得しています。 そしてそこに惹かれています。 つねに、 立脚点はこの世界の現実だということ。 ふわふわとただよう幻想ではなく。




春が来ます



凍えた迷宮をゆっくりととかす



春になればいい…