星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

死生観として読んでしまう… 『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』ブルース・チャトウィン著

2020-02-21 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
前回、 若手美術批評家が主人公のミステリ『炎に消えた名画(アート)』を読んで、ブルース・チャトウィンと美術界のことを思い出した、と書きました(>>

それで チャトウィンが書いた、マイセンの磁器コレクターの物語『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』を読むことに、、



『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』 ブルース・チャトウィン著 池内紀・訳 白水社
『どうして僕はこんなところに』 池央耿, 神保睦・訳 角川書店


チャトウィンが書いた小説では、 『黒ヶ丘の上で ON THE BLACK HILL』を前に読んでいます(>>) 〈小説〉というスタイルとしては、 『黒ヶ丘の上で』のほうは双子の兄弟を主人公として三人称で語られる正統派の小説でした。 でも、『ウッツ男爵』のほうは、 ライターである〈私〉がかつて取材で出会った蒐集家ウッツのことを回想する形で物語は語られていきます。 
取材する側の〈私〉については殆んど書かれておらず、私が出会った〈ウッツ氏〉の生涯についてが主題ですので 確かにタイトルの通り 『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』なのですが、 果してそうなのか…?

チャトウィンは物書きになる前は サザビーズの美術鑑定士でした。 オークションにかける美術品を入手するチャトウィンもまたコレクターでした。 その後は各地を旅し、さまざまな人に逢い 物語を収集してはあの〈モレスキン〉の手帳に記す 話のコレクターになりました。 その人生の途上で病に冒され、 自分の死期をつきつけられます。 『ウッツ男爵』は 死の前年の作品、、 ウッツの物語は ウッツの死、 ウッツの葬儀の場面から始まります。

冷戦時代のチェコ、 プラハに住むウッツ氏は、 西側から来た物書きの〈私〉に最初は少し警戒しながらも、 次第に マイセン磁器の歴史やその魅力について 熱く語り始めます。 その話の展開のされ方は 読んでいてもとても興味深くて マイセンについて何にも知らなかった私でも 17世紀のマイセン磁器の誕生の経緯や、 錬金術と陶磁器の関係??

なんと、 神さまが土くれから〈アダム〉を創られたという〈創世記〉と、 土を捏ねて白く艶々した器や人形を創り上げる陶磁器とが結びついて、 白磁は錬金術のごとく(実際 錬金術師が製造の研究をした) 神聖で永遠の命を有するものとして皇帝らに崇められた、、 などという話には引き込まれました。。 (調べたら Wikiの陶磁器や錬金術の項目にも書かれていました)

チャトウィンは このように人に語らせる能力がとても優れていたのだろうな、、と思います。 そうして美術品をコレクトし、 面白い話をコレクトし、 男爵や画家たちやコレクターたちに愛され 世界をめぐっていたのだろう、、と。
だからどうしても コレクターであるウッツ氏にも 取材する〈私〉にも、 両方にチャトウィンの影を見てしまう…

 ***

さきほど、 物語はウッツ氏の死から始まると書きました。
詳しい内容は書きませんが、、 土くれから生み出される磁器の〈生命〉について語りながら、 ウッツ氏は同時に陶磁器の〈死〉についても語ります。 

膨大なマイセンのコレクションを所有しながら、 ウッツ氏はそれらを残して祖国を出て行こうとしたことも描かれます。 
ウッツ氏は本当の(本物の)コレクターだったのだろうか…? 皇帝ルドルフのような驚異の収集熱に生涯を費やしたコレクターとは明らかに異なる、 ウッツ氏の〈むなしさ〉 収集するということ、 所有するということの快楽や満足がやがて行き着く先は…? 
本文では〈道化〉と書かれていましたが、 ウッツ氏の人生は喜劇だったのか、 結局は空虚だったのか、、 それとも ウッツ氏が本当に欲しかったものは マイセンなどではない永遠性(例えば 愛?)だったとか…? 

いろんな読み方が可能な物語です。 そして、 ウッツ氏の背後に見えるチャトウィンの影、 ウッツ氏の実像を探る〈私〉に見えるチャトウィンの影、 〈私〉は果してウッツの実像をつかめたのだろうか…? 〈私〉はなぜ 20年近くも前に取材したウッツ氏の実像を探そうとしたのか…? 失われたマイセンの行方を求めて…? それを解き明かすことだけが目的ではないはず、、 ウッツを語るチャトウィンの影に対しても、 いろんな読み方が可能だと思えます。

ウッツ氏を襲ったチェコの政変、 そして死を意識させた病、、 蒐集の人生が途絶される〈終末〉のあり方にもまた チャトウィンの影に重ねることも、、 深読みのようではあるけれど 可能だと思います。 

 ***

最初から ウッツ氏の物語をチャトウィンの想いと重ねて読んでいたわけではありませんでした。 でも 読んでいくうちに、 そして あの〈一文〉を読んだ時に、 やっぱりチャトウィンと重ねて読まざるを得なくなってしまったのです、、

ウッツ氏がチェコを出て暮らしていた時に 自問する言葉、、

 「おまえは、ここで、何をしている?」 (池内紀 訳)

原語でも確かめました。 What am I doing here?

そうです、、 チャトウィンが最期に自ら編んだ本 『どうして僕はこんなところに』、、 素敵なタイトルですが 原題は What am I doing here  (俺はここで何をしているんだ?)

はっと我に返るような、、 そして 自問し、 自嘲とも 焦燥ともとることが出来るようなこのひとこと。。 『どうして僕はこんなところに』の最初の一文もこのひとことから始まります。 ベッドから身を起こし、 「ここでいったい何をしてるんだ?」(池央耿, 神保睦・訳)

『ウッツ男爵』には もう一ヵ所、 ほぼ同じ言葉が使われます。 ウッツの死後、 その足取りを探っている〈私〉に ゴミ収集の男がかける言葉、、 「いまごろ、こんなところで何をしている?」


マイセンを収集したウッツ、、 話を収集した〈私〉、、 その最後のほうで 私に声をかける 〈ゴミ〉を収集する男、、  What am I doing here?  なんだか、、 胸がつまってしまいました…  


土くれから生まれ、 塵芥に還る…… 

マイセン陶磁器の聖性や永遠性とともに 一度壊れたものは決して元には戻らない儚さ、、 What am I doing here? という自問とともにこの物語を書いたのは、 達観なのか、、 自嘲なのか、、 悔しさなのか、、


そのつづきは 『どうして僕はこんなところに What am I doing here』を再読する時に、 ゆっくり考えていこう、、

 ***


チャトウィンについての映画ができたそうです。 

Nomad - In the Footsteps of Bruce Chatwin (2019) IMDb

チャトウィンとも親交のあった ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画。 
BBCのサイトで昨年の秋に公開されていたようですが 残念ながら今は観れません。 trailerにはチャトウィンの妻エリザベスの姿も写っていました、、 

チャトウィンの遺した言葉、 チャトウィンが集めた物語、、 それらについてはまだこれからも追っていこうと思っています。

 

Sviatoslav Knushevitsky - Historic Russian Archives

2020-02-18 | MUSICにまつわるあれこれ
以前 パパの古いレコード発掘でみつけた スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキーさんのチェロのこと、、(>>) あの「トロイメライ」を聴いて以来、 ずっと この方のチェロをまとめて聴いてみたいなぁ… と思っていて、 このたび この5CDセットを買いました⤵


Sviatoslav Knushevitsky - Historic Russian Archives 5CD


買って良かったです。 これとてもお薦めです。

輸入盤なので、作曲家や曲名はわたしにはちゃんと読めないものもあり… HMVさんのほうに 日本語で書いてあるのを見つけました、、 こちらが参考になるでしょうか⤵
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー名演集(5CD) HMV

録音は、 最も古い CD1のハチャトゥリアンは1946年、 ほとんどは50年~53年くらいで、 CD3のラフマニノフが1962年、亡くなる前年の録音。
やっと 先日5枚目までぜんぶ聴き終えたばかりなのですが、 それぞれ作曲家が異なって 曲の味わいも違うので その日の気分で協奏曲を聴きたいか、 それともチェロソナタにするか、 選ぶことができて楽しめます。

どの演奏も 深く落ち着いたチェロの音。 70年前の録音だし、 曲の終わりにパチパチパチ… としずかな拍手が入ってくるので 演奏会での録音なのでしょうけど、 どうやって録っていたのかしら… ホールにマイクをただ立てて録っただけの音なのかもしれないのに、 70年前とは思えない再現力のある音、というか 弦の響きがしっかりとつたわる音… すごく満足です。。

レフ・オボーリンのピアノとのラフマニノフも良いし、 特に ボロディンからのCD4、 グラズノフ、 ミャスコフスキーという 帝政ロシア~ソ連期の なんというか〈民族的〉というのか土着的というのか、 そういうロシア的な楽曲と端正なチェロの組み合わせもとても好きです。 ブラヴォー!なんて決して言わない(でしょうね) 背筋をピンとしたまま聴いてしずしずと拍手が聞こえる… 、、時代としては自由のきかない時勢だったのかもしれないけれど 奏でられる音は落ち着きがあります。。

CD5、 まるでフリージャズのような すごく現代的な技巧的なチェロが奏でられるのは アルノ・ババジャニアンという作曲家の音楽(Wiki>>) まさに同時代の現代音楽だったのですね、、 こんなアヴァンギャルドな演奏(でも浮ついてはいない)もする方だったのですね、、
このArno Babadjanyan の Piano Trio は youtube でも聴くことができます、、

CDでも十分満足でしたが、 やはり レコードの音色にはかなわないな… 当時のレコードがもし見つけられたら素晴らしい音でしょうね……
でも この5枚組、 読書のお供にしばらくずっとヘヴィロテになりそうです。。

 ***


昨日は通院日でした。

電車の中も 駅も、 明らかに人が少なくなりましたね… びっくりするくらい、、
特に外国の方、 カートを引いた旅行者の姿、 ほとんど見かけなくなりました。。 3・11のあとよりも極端に少なくなった気がします。 あれだけ混雑していた駅の通路とか、、 あれはみんな旅行者だったのか、、と 驚く一方で 申し訳ないけれど 人が少なくなって歩きやすかったりもして、、 ちょっとほっとしてもいる気持ちもあって…

経済のことを考えればとても困った状況なのだろうし、、 でも この夏までの時間を想ったら 本気でいろんなことを我慢しないと今度の病気の混乱は簡単に収まらないだろうと思うし… 

そんな複雑な想いで病院からの帰り道…… 駅前の交差点まで来たら、 突然、
  負けないでっ♪ 

という歌声。。 思わず振り返って大型ビジョンを見上げました。 私のほかにも数人、 同じように振り返って見上げていた。。 はっと顔を上げてしまいますよね、、 坂井さんのあの力強くどこまでも澄んだ歌声には…

わたし、 坂井さんの 〈い〉の歌声が好きです。。 決してカタカナの 〈イーーっ〉ではないような、、 喉に空気をふわっとはらんだような 響きのある〈い〉の音、、 
 ゴールは近づいてる…  の〈か〉なんて、  っかッー!! って位 力込めているのも対照的で…

「負けないで」は93年なのね。。 わたしが東京に居を移した年… わたくしごとではあるけれど、 それまでの生活すべてを棄てる覚悟を決めて出てきたから、 (当時を思い出した訳ではないけど) 昨日とつぜん街の中で 「負けないで」の歌声が響いてきたのを聴いて信号渡っていたら なんだか泣きそうになってしまった、、 言わずと知れた織田さんの曲、、 イントロの一音下がりの(織田さん好きよね…)フレーズから、 たぶん葉山クン? ブリューばりのエキセントリックなギター、、 (今時あんなギターの入る楽曲はないわね)
最近でもCMに使われたりして ビーイング系楽曲リバイバルの感じもあるし、 自分の青春の隅々までビーイングの音が溢れていたから どこにいてもすぐに分かるし、いまでもハッとしてしまう……

でも、 もし坂井さんがずっとお元気だったら、 同じ場所にはいないでしょうね、、 自分だけの表現を探してきっと今も足掻きながら 自分の想いをとどけられる新しい歌を探していることでしょう、、 決して妥協しないかただったと思うから、、

、、あ つい長くなってしまいました 独り言が……

「負けないで」から27年か。。 私も 上京30周年までは負けないでいたいと思ってる。 病気に。。


 追いかけられるかな、、 遥かな夢を……

 

talk to angels… talk to you...

2020-02-15 | MUSICにまつわるあれこれ
去年の9月、 ハリウッドボールでの Rod Stewart and Jeff Beck 共演の映像を見てます、、 見るのすっかり忘れてました、、

http://amass.jp/126208/

第一期 Jeff Beck Group の曲、 Morning Dew や、 Rock My Plimsoul や、 Blues Deluxe は、 1969年以来 半世紀ぶりの演奏、、って 、、。  なんか 現実のこととして捉えきれていない…… ロッドも、 ジェフも、 見た目も 歌とギターの遣り取りも間合いも、 基本的に50年前とまったく違和感ないのに50年ぶりって事実が わたしの頭で実感できてない…

50年前にアルバム聴いてたわけではないけど、、 でも 45年前くらいには確実に聴いてたから。。 ほぼ半世紀の時の経過を どこか感じるとしたら、、 そうだなぁ、、 さっきちょっと アレ? と思って原曲聴き直してみたら ロッドのキーを少し下げてた事くらい…? でも、 ロッド こんなソウルをあっさり歌いこなすのだから、 やっぱり凄いヴォーカリストなんだな。。

、、 ロッドとジェフの共演の事 思い出したきっかけは、 今日、 ジェフの(第二期の)「Highways」が急に聴きたくなって、、

この曲、 あのオレンジアルバムの中でも 最も、というくらいに好きで 好きで、、 中学の時の文集にまでタイトルを貰ったくらい大好きで、、 あの キキュキキュキキュ… っていうジェフのリフも、 ギュゥーーーーン⤵ っていうベンディングも、 それから コージーの素晴らし過ぎるテクニックも、 スコっていう一瞬のカウベル?も、、 どれだけ聴き倒したか知れない…

、、あ、、 こんな事 書きたかったわけではなくて、、 それで ハイウェイズ聴こうとして突然、 そう言えばロッドとジェフ…! って思い出したのね、、

ロッド、、 寿司桶みたいなジャケットに ゴールドのハイカットで… ジェフは白い王子さまで(靴は安全靴みたいな…)笑  、、20年後のろびえま…? 

二人ともいつまでも少年みたいでいて欲しいな。。 あ、そうそう ロッドとロイヤルフィルとの共演の 「セイリング」も(これは去年見ました) とっても感動したっけ……
Rod Stewart – Sailing with the Royal Philharmonic Orchestra (Official Video)

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今、 左サイドバーに載せてますけど、 マイク・キャンベルさんのバンド The Dirty Knobs の初アルバムからのPV、 これも すごくすごく嬉しかったことのひとつ。。

ハートブレイカーズ時代、 マイクは全然 歌うことはなかったと思うし、 トムとコーラス、っていうのも無かったと思う。。 だから、 この Wreckless Abandon を聴いた時、 すごく吃驚したのね、、 余りにも歌声がトムにそっくりで。。 たぶん聴いた人みんながそう思ったんじゃないかな、、 コメント欄にも書かれているし、、

まるでトム・ペティが一緒に歌っているみたいで、、。 すごいびっくりした……

たぶん、 お空でトムも驚いたんじゃないかしら… お空で ジョージ・ハリスンさんと一緒に笑い転げていると思う、、 ほんとに。。

 ***

こちらも左にありますが ブラッククロウズも30周年なのね。。 今度正式に「She Talks To Angels」のオリジナルのMVがアップされたそうで嬉しいゎ。。 
The Black Crowes - She Talks To Angels (Official Video)

30年前のクロウズは、 クリスも、 リッチも、 (誰…?)ってくらいに今と風貌は違うけど、、 でも こんな美しかったクロウズも大好きよ、、 Black Crowes の名前に似つかわしい艶のある姿で… (いまのグレイッシュなふたりも好きだけどね)

この歌 「She Talks To Angels」 素敵な歌。。

 ***

わたしは 天使とお話はできないけれど(たぶん)、、 

大好きなひとから届く音のなかのことばは たぶん、 聴きとることができるような気がする。。  自分勝手な 思い込みに過ぎなくても……

たまにね、、 その声が そのことばが、 聞こえすぎて、、 せつな過ぎて、、 苦しくなって…  つらくなって…… 


ここに書けないことも たくさんあるんだけど…


でも 聴いているよ



But to me it means. means everything...

ブダペスト展―ヨーロッパとハンガリーの美術400年 行って来ました。

2020-02-13 | アートにまつわるあれこれ
国立新美術館で開催中の 「ブダペスト展―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」に行って来ました。 これまで知らなかったハンガリーの画家の作品が多数見られたのもよかったですし、 16世紀以降、 20世紀の構成主義に至るまで 130点、 とても楽しめました。
思わぬ発見もありました…





備忘録として、 気に入った作品をちょっと書いておきましょう。 知らなかった画家の名前もたくさんあって、 今後 ほかの絵もたくさん見てみたいと思って。。


Bernardo Strozzi (伊) ベルナルド・ストロッツィ(Wiki>>) 「受胎告知」
 この画家の「受胎告知」Annunciazione は何作品かあるようですが、 この絵は縦長サイズの画面の右上に 大きく翼をひろげ雲にまたがった天使、 左下に驚いた表情で胸に手を当てているマリア、 動きのあるダイナミックな構図が印象的でした

El Greco (スペイン) エル・グレコ 「聖小ヤコブ」
 国立新美術館のツイートで観られます>> 大好きなエル・グレコ、 グリーンとブルーとローズ、シンプルな色彩なのに 光が差したようなかがやき、美しさ、、 このヤコブのおだやかで深い表情、、 近くでずっと見ていたかった

François de Nomé (仏) フランソワ・ド・ノメ (Wiki>>)「架空のゴシック教会の内部」
 聖堂や建造物ばかりを描く画家なのかしら… 「架空の…」というためか、 精緻に描かれていながら どこか神秘的な光がそそぐ教会…>> 

ヤン・アブラハムスゾーン・ファン・ベールストラーテン「冬のニューコープ村」
 カタログを買ってこなかったので原語での表記が見つかりません、、 この絵もツイートに載っていました>> 17世紀のオランダ絵画。 凍った川の上でスケートする人々、、 足サイズのちいさな橇みたいな形の靴を履いて、 足を左右にけり出しながら、すいーっと楽しそうな様子が描かれています。 すごーく遠景の川のずっと向こうまでスケートする人が描いてあって、 5ミリくらいの小さな人だけどちゃんと滑っているのがわかる 素朴で自然、でも巧みな絵ですね 
 

Mihály Munkácsy ムンカーチ・ミハーイ (ハンガリー) 「パリの室内(本を読む女性)」
 ハンガリーの巨匠の画家だそうです。 この「パリの室内」は女性がいる部屋の内装や敷物の細密な描写が見事でしたが、 作曲家フランツ・リストの肖像も重厚>> ほんと リストの指、長い、、
 

Paul Gustave Doré (仏) ギュスターヴ・ドレ 「白いショールをまとった若い女性」
 この絵にはびっくりしました。。 ドレと言えば、 ダンテの『神曲』や ポーの『大鴉』や 『聖書物語』といった幻想的な挿絵ばかりをいままで見ていた気がして、、 そういえば ドレの油彩って初めてかも… それも こんな みずみずしい淡い緑の、 光あふれて… 
そしてこの少女のなんという可愛らしさ(そして ウエストの細さ!) ドレの挿絵でも 赤ずきんちゃんなどは 少女漫画ぽい可愛さがありますが、 今回見た油彩は(大きな絵ですが) 少女漫画に出てくるような美少女、、 この可愛らしさはドレの理想形なのかしら、、>>
 ツイートの画像よりも 新緑のグリーンがすっごい綺麗でした。 ドレの油彩、 もっと見たい!

Barabas Miklos (ハンガリー)バラバーシュ・ミクローシュ 「伝書鳩」
 こちらのWiki に絵が>> 純白の鳩を抱く薔薇色の頬の貴婦人、、 でもちょっと危ういですね、、。 ビーダーマイヤー時代の一見つつましやかな…


チョーク・イシュトヴァーン (ハンガリー)「孤児」
 こちらも原語表記がわかりません。。 窓越しに青い夕闇か、 蒼白い光がさす窓と相反して暗い室内。 簡素なテーブルと椅子に座るふたりの孤児の少女。 淋しい絵なのだけどとても美しかったです
 

Arnold Böcklin (スイス)アルノルト・ベックリン 「村の鍛冶屋を訪れるケンタウロス」
 ケンタウロスはもともと好きなのですが、 この絵のケンタウロスは最高!! ひづめが痛いよ~、って鍛冶屋に頼みにきたケンタ>>  かわいい、、 かわいすぎる、、。 鍛冶屋のおっちゃん 蹄鉄つくってあげたのかしら…
 友曰く、「上半身は日に焼けたサーファーみたいだし…」 確かに、、。 髪型そっくり。。 こんなかわいいケンタウロスなら連れて帰ってご飯たべさせてあげたい、、(笑)
 でも、 この画家のほかの作品は 暗いテーマのものも多いのですね、 「死の島」とか(Wiki>>) (ご本人の自画像、、凛々しいですね) この画家の作品、たくさん見てみたいなぁ…


János Vaszary (ハンガリー) ヴァサリ・ヤーノシュ 「黄金時代」
 この「黄金時代」は ぜひ額縁を含めて鑑賞したいです>> 額縁もこの作家の制作だそうです。 アールヌーヴォーの額縁と 幻想的な色調、 捧げ物から立ち昇っている煙など どこか魔術的。 ウイーン分離派と重なる時代の作品だそうです。


Aurél Bernáth (ハンガリー) ベルナート・アウレール 「リヴィエラ」
 イタリアの海岸のリヴィエラの陽光溢れる絵を想像すると まったく違い、 ムンクのオスロ辺りを感じさせる 冷たい碧色のリヴィエラ。 帽子の紳士はコート着ているし、 冬のリヴィエラ…?
ハンガリー語で読めませんが、 この絵もふくめ いくつか作品がみられます。 ラフなタッチですが なんだか物語を想像させるイメージゆたかな絵ですね >>

 ***

このところ ポーランドやチェコ、 オーストリアなど 東欧の文学や文化に触れることが多くなってきた私ですが、 ハンガリーは 上記のフォトに載せた 東欧文学の本でも 2作品ずつくらいしか載っていなくて、 まだまだ未知な場所、、

でも 今回の イシュトヴァーン、 ヤーノシュ、 アウレール といった画家、 とても良かったです。 また他の作品もたくさん見てみたいし、 ハンガリーの現代文学にも また関心を持っていきたいな… 

東欧、、 北欧、、 ロシア、、 英仏の文学ももちろんですが まだまだ出会ってみたいものがいっぱい……



こないだ見つけた ひとつにくっついた苺。


(ほんとういうと ひとつき近く体調わるく… 風邪かどうかもわからず… でも 病院にいくのも今はそちらのほうがためらわれて… やっと やっと 外出できたのです…)



明日は バレンタインデー。


 胸いっぱいの愛を…

画家とコレクターと美術批評家のアーティフィシャルな関係:チャールズ・ウィルフォード著『炎に消えた名画(アート)』

2020-02-07 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『炎に消えた名画(アート)』 The Burnt Orange Heresy チャールズ・ウィルフォード著 浜野アキオ訳 扶桑社ミステリー 2004年


ミック・ジャガー出演で昨年映画化。 その原作小説とのことで どんな内容かしらと興味を持ちました。。 小説の内容紹介を見てみたら、 謎の画家に会いに行く若手美術批評家の話だと… てっきりその〈幻の画家〉がミック・ジャガーだろうと思って、、 生きていたらデヴィッド・ボウイあたりに話がいったのかしら… ミックはあんまり画家っぽくないけど、、 どんな画家を演じるのだろ? バルテュスみたいな 豪華なガウンとか纏った貴族みたいな画家なのかな…?

などと勝手な想像をしつつ、 読み始めたら文章のテンポも良く 美術界のペダンティックな話も面白く、 あっという間に読んでしまいました。。 

 ***

この小説が出版されたのは 1971年。。 なぜ今になって映画化されたんだろう…

ストーリーの冒頭は、、
新進の美術批評家の青年が、 ある美術コレクターのパーティーに呼ばれ、 そこで〈幻のフランス人画家〉ジャック・ドゥビエリューに面会する仕事を提案される。 

ドゥビエリューとは、 ダダイズムとシュールレアリズムの間の時代に現れ、 美術界の話題をさらった後 とつぜん隠遁生活に入り、 これまでに彼の作品を目にした批評家はたった四人、 どこの美術館もコレクターも誰ひとりドゥビエリューの作品を所有している者はいない、という幻の画家… 
その幻の画家に会い、 彼のインタビューと彼の新作を入手せよ、という依頼に 若手批評家は舞い上がる… 

とても興味深い物語の導入部です、が、、 展覧会もせず 美術館に作品もなく、 それでいて美術史に燦然と名を残す伝説の画家、、 そんな画家って いるの…? と無知な私は思って読んでいましたが、 美術に詳しい人ならすぐにピンとくる有名な人がいるのですね。。(名前は書きませんが) そっかぁ、余りにも有名すぎて その方がそんな隠遁生活をしていたなんて知りませんでした…

実在のアーティストかと思わせるようなジャック・ドゥビエリューの設定も面白いですし、 新進気鋭の美術批評家の青年が 金持ちコレクターと交わす美術談義もすごくリアリティがあって、 この若者の目利きとしての力量をコレクターが試すように会話しながら、 信頼を勝ち取っていくあたり、、 60年代~70年頃のNYなどの(この小説の舞台はフロリダですが)アートシーンに実在したかのような まるでノンフィクションを読んでいるようでとても楽しめました。

美術市場で取引されるアートの価値は、 決して自然に生まれるものではなく、 批評家や学者が作品を発掘し、 その価値を測り 鍛え上げ、 コレクターやバイヤーたちが さらに価値を吊り上げ(ある意味 捏造し)、 そういう力関係のなかでアートが創り出されて(拵えられて)いくもの、、 なんて書くのは穿った見方ですが、 それだからこそミステリーも生まれるわけですし。。

ずっと頭に浮かんでいたのが、、
ブルース・チャトウィンが美術鑑定士のキャリアのなかで、 晩年のジョルジュ・ブラックから 作品の真贋について、 「きみが贋作と言うならきっとそうだろう」と言うまで認められていた、、という話。(『パタゴニア』の解説に書かれています) 

チャトウィンのような知性と目利きの能力、 それから人を魅了する会話の技量、品性、美貌、、 もしこの小説の主人公の若手批評家がチャトウィンに並ぶ男だったら、 きっと幻の画家の心中にもさっと入り込み、 作品の謎も語らせることができるのではないかしら… などとちょっと想像しながら読んでいきました。

 ***

ただし そこはアート・ノワールと銘打った小説。 事がすんなり進むはずはありません、、 事件も起こります。。 あとは読んでのお楽しみ。
(この原作を映画化するとして、、 あともうひとひねり、 映画には必要な気がしましたが、、 映画の結末はどうなっているのでしょうね…)

それと、、 主人公(批評家)の恋人が…。。 う~~む、 71年のパルプフィクションと思えばそうかもね、、とも 思うけれども、、 新進気鋭の美術批評家の審美眼からしたら 女の趣味悪すぎないか? (スミマセン、私見です)


、、 ちなみに、 読後に今度の映画の予告編を見ましたら、 ミック・ジャガーは画家ではなくて 仕事を依頼する金持ちコレクターのほうでした。。 小説を読む限りでは この役はどうしてもミックでなくても良いような…

どちらかというと、 ひとを煙に巻いたような老画家のほうをやって欲しかったな。。 (こちらを演じるのは ドナルド・サザーランド (適役!!)

The Burnt Orange Heresy (2019) IMDb 

 ***

ブルース・チャトウィンと美術界のかかわりのことを不意に思い出してしまったので、 今度は チャトウィンがマイセン磁器の蒐集家について書いた小説『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』を読んでみなくてはなりません、、


余談ですが、、
さっき、 ちょっと検索していたら面白いものが…
この ウィリアム・ボイドの"Nat Tate: An American Artist 1928–1960" という本、 邦訳出ないかしら… ナット・テイトという画家の伝記、、 なのだけれど 全くの架空の人物で

だけど デヴィッド・ボウイらが協力して まるで実在の画家であるかのように仕立て上げ… という嘘みたいな実際の裏話つきの本、、⤵
デヴィッド・ボウイ、「架空の画家」のために打ち上げパーティーを開催!? rockinon.com

やっぱり アートシーンにボウイは似合いますね。。



体調にお気をつけて、、  よい週末を。

2月になりました…:「世界でさいごのりゅう」『ムーミン谷の仲間たち』

2020-02-04 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
春になりました… きょうは立春。

、、今年は年が明けてから すでに春のような暖かさがつづいていて、嬉しいような、、 心配なような、、


お友だちがムーミン谷へ行ってきたそうで(新しくできた日本の、ね) 写真や動画をたくさん見せてくれました。 先週にも、 べつのかたから行って来たお土産を貰って、、 
それで、 そのパークには「おさびし山」もあるそうで…

その話をしながら、 「おさびし山」って本当に素晴らしい翻訳よね、って。。 最初に「おさびし山」と訳したのは 山室静さんだそうですが ほんと名訳だと思います。
「ニョロニョロ」も 原文では hattifnattar だそうですが、 あの形状や動き方とか ニョロニョロとしか思えない存在として、もう日本人ならみんなそう認識してるのではないかしら。。
「飛行おに」は Trollkarlen だそうですが、 飛行おに、も名訳だと思うわ。。 シルクハットの黒装束で空を飛んでくる、というのは やっぱり 魔術師、というよりも ちょっと「グール」っぽい(鬼っぽい)ような 「ガーゴイル」っぽような感じがしますもの…

それで さっき 『たのしいムーミン一家』を読み返しながら、 トフスランとビスフランの独特の(一文字を入れ替えてしゃべる)言葉の翻訳も ほんとクスクス笑ってしまう可笑しさで、、 (原文はどんななんだろう…) 

いろいろと ほんと名訳です。

 ***

『ムーミン谷の仲間たち』では、 「世界でさいごのりゅう」をムーミントロールが見つけて、、 でも その子(竜)はスナフキンだけにしかなつかなくて、 スナフキンを慕って追ってきて彼の帽子をねぐらにしてしまい… (どうしてスナフキンなんだろ…)

でも、 そんなに愛されているのに、(ひとりぼっちのちいさな竜なのに) スナフキンは どこかにすててくれ、ってヘムルに頼む。。 

スナフキンが誰も何者も連れていかないのはわかるけど、、 

、、 それとも その「世界でさいごのりゅう」の生き場所が此処じゃない、って スナフキンにはわかってて、なのかな、、

 ***

パークには行く予定は今のところないけれど、 今年も わたしだけの「おさびし山」には行くつもりです。

「世界でさいごのりゅう」にも、、 いつか逢いたいな。。



完璧なティアドロップの形の苺…


ここのところ毎日 いちご、 食べてるの、、


果物が年々好きになってるみたい。。 なぜだろ…