星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

どの順序で読む?:ジグムント・ミウォシェフスキ著 テオドル・シャッキ検察官三部作『もつれ』『一抹の真実』『怒り』

2020-01-31 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)





現代ポーランド共和国の秀作ミステリ三部作。 
白髪長身痩躯、 法と正義を何よりも重んじる検察官テオドル・シャッキ、 別名が(…文庫のキャッチコピーによれば) 〈欧州一ボヤく男〉、、 中年男の愛と苦悩、 鬱屈と悲哀を、 笑いとボケと罵倒と嘆きによって描き出す、、(のが主題ではありません…)
物語の主軸はものすごく緻密で深い社会派ミステリーでありながら、 ひとりの中年男シャッキの(表に出せない心の声が描く)人生の物語でもある。。

この三部作、 書かれた順序と日本で翻訳が出版された順序が異なっていて、 最初に訳されたのが三部作完結編の『怒り』、、 私もこれを最初に読みました(読書記はこちらです>>) このときも 読み始めてすぐ 面白い!と思いましたが、 そのあと 第一作の『もつれ』を昨夏に読み、 それもなかなか読み応えありつつも なぜか感想を書くのは難しく… そうこうする間に 第二作の 『一抹の真実』が出版され、 昨年の終わりに読みました。
三部作ぜんぶを読み終えて、、 やっぱり 〈面白い!〉ですし、 読み応え十分だし、 なにより主人公テオドル・シャッキ検察官のキャラが抜群に〈好き!!〉です、 私は。。 この三部作、 シャッキを好きになるかどうかで評価が分かれるのかもしれません、、

 ***

簡単に 三作品の舞台と、事件の始まりと、 シャッキの背景をまとめておきましょう… (作品が書かれた順序に)

①『もつれ』 舞台はワルシャワ、 グループセラピー合宿の参加者の一人が殺される密室型の殺人。 シャッキ検察官は36歳、 妻と娘と一緒に暮らしているが…

②『一抹の真実』 舞台はポーランド南東部の古都サンドミエシュ、 シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で首を何度も切られた女性の遺体が見つかる、その手口は「儀式殺人」を想わせるものだった。 シャッキ検察官40歳、 ①のあと離婚を経験し、 都落ちして地方検事となる…

③『怒り』 舞台はポーランド北部のオルシュティン、 戦時中の防空壕だった地下から 全身白骨化した(肉体を溶かされた?)遺体が見つかる。 シャッキ検察官44歳、 離婚した妻との間の娘①は高校生になり、 シャッキと、新しい女性パートナーと3人で暮らしている。

… といった具合に、 三作品それぞれにシャッキが暮らす街も、 シャッキをめぐる家族関係も、 それぞれ変わっていきます。 そのこと(街の違いや、 家族の違い)が、 事件の背景や原因を探るうえでも、 そして事件と向き合うシャッキの心情にもそれぞれ異なった関わり方をしているので、 三作品どれも違った雰囲気の面白さがあるのですが、、

さて、、 どれから先に読むのが良いでしょう…?

最初、 私も完結編の『怒り』を読んでしまったので、 (しかもその結末は、 事件の解決にほっとするというより、 かなり愕然とする衝撃的な終わり方でしたので)、、 「どうして第一作から翻訳してくれなかったのかしら~」と ちょっと不満に思ったものでしたが、、 今から思うと、 私個人は 最後の第三作から読むのをオススメします。 なぜかと言うと、 ①と②の事件が わたしたち日本人にはちょっと関心を捕えづらい、 難解な性質の事件だからなのです。 
だから、 殺人事件の内容としていちばん理解しやすい③で、 シャッキの人物像をまず〈好き〉になって欲しいのです、、 そして 衝撃の結末に愕然としてから、、 (え? なんで? なんでこうなってしまったの…?) という想いと共に、 ①と②を通じて、シャッキのこれまでの人生と、 ポーランドという国の〈独特な歴史を〉振り返ってみる、、 そうしてから 最後にまた③に辿り着いてみると、、 シャッキの毒舌も嘆きも、 ぼやきも、 かな~りダメだった私生活事情も、、 もう最後にはすごく愛しく思えてくるのです、、 涙なしには読めない、、(←私見です)

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シャッキ検察官のキャラの魅力のほかに、 この三部作には〈ポーランド〉という 私たちは余り詳しく知らない国の歴史が大きく関わっています。 

例えば、 ①『もつれ』の事件は、 個人の悩みやコンプレックスを何人かのグループで疑似家族を演じたりして表現し合うことで解決していくという、セラピーの場が事件現場になっていて、 このグループセラピーの方法などに馴染みが無いと なかなか登場人物に感情移入できず、 読むのに苦労したのですが、、

でも、 そういう個人的な問題の陰に、 ポーランドの政治体制の変化という過去の問題も絡み合っていて、、 1989年の民主化以前の 一党独裁の社会主義体制時代に権力を握っていた者たちがまだ社会の中に少なからず存在しているという闇の部分が 事件を予想外の方向へ進ませていきます。

②『一抹の真実』では、 事件の様相がユダヤ教徒の「儀式殺人」を連想させるということから、 反ユダヤ主義の問題が大きく取り上げられているのですが、、 ポーランドで〈反ユダヤ主義〉?? ということなど全く考えたこともなかったのでとても驚きました。 だって第二次大戦中 ポーランドのユダヤ人があれほど迫害を受け、 悲惨な目に遭ったという歴史しか知らない私には、 ポーランドの一地方の民衆のあいだで言い伝えられた根拠のない「儀式殺人」の噂のために ホロコーストを生き延びたユダヤ教徒がさらにポーランド人の手で虐殺されたという話は衝撃でした。
(儀式殺人、 血の中傷についてのWiki >>

物語では、 メディアや街の人々が一様に この「儀式殺人」との関わりを訴える一方で、 シャッキは先入観の無いあくまで法と証拠に基づいた判断をしようと努めるものの、 次々に起こる事件とその状況に混乱していく。。 過去の言い伝えや民衆信仰や噂の中に、 果して〈一抹の真実〉はあるのか…と。

、、 折しも 先日 アウシュビッツ解放から75年、というニュースと共に、 再び急増している〈反ユダヤ主義〉という問題が取り上げられていましたね⤵
反ユダヤ主義に基づく犯罪急増 国連事務総長が指摘  NHK NEWS WEB

『一抹の真実』の中の事件はもちろんフィクションですが、 物語の舞台のサンドミエシュの歴史的建造物なども実在のもので、 キリスト教教会にある「儀式殺人」についての絵画も実在し、 こちらのサンドミエシュのWiki に画像が載っています。 こういう絵画のことも何も知らなかったので、 民族問題の根深い闇をあらためて知った想いです⤵
https://en.wikipedia.org/wiki/Sandomierz

そして、、 三部作完結編『怒り』では、 民主化以降に生まれた新しい世代の若者の、 歴史を直接知らないがゆえの歪んだ歴史観、 歪んだ正義観も、 物語に深く関係してきます。

 ***

テオドル・シャッキ検察官シリーズは この三部作で完結してしまいましたが、 この著者 ジグムント ミウォシェフスキさん、 とても力のある作家だと思うので、 また新しい作品が書かれたらぜひ翻訳を読んでみたいです。 英米のミステリにはない、 東欧ならではの複雑な歴史や文化に基づいたミステリ、、

北欧ミステリと共に、 東欧のミステリもたくさん読んでみたいです。


最後に、、 独り言ですが、、 
昨日 シャッキの結末を思い出しながら 『怒り』の下巻をぱらぱらめくりつつ、 たまたまこの曲をネットで聴いていたら 余りにもぴったりで胸が痛くなって、、

シャッキ検察官が 最後の決断の場所へ乗り込む前の、 ひとときの安らぎの場面がありますね、、 そのシーンをもし映像化するとしたら、 ぜひともこの曲をBGMに使って欲しい… そんな風に考えていたら涙なしには読めなくなってしまいました。。
Karen O and Danger Mouse - "Perfect Day" (Lou Reed Cover) [LIVE @ SiriusXM]



テオドル・シャッキ検察官三部作、、  良い読書でした。
 

ジグムント・ミウォシェフスキ著 『もつれ』『一抹の真実』『怒り』 田口俊樹訳 小学館文庫

大阪フィルハーモニー交響楽団@サントリーホール

2020-01-22 | LIVEにまつわるあれこれ
昨夜は大阪フィルハーモニー交響楽団さんの 第52回東京定期演奏会に行って来ました。 私、大阪フィルさんは初めてです。
(いつものように クラシック初心者&片耳難聴者の私的な鑑賞記です♪)




今回は曲目で選びました。
エルガーのチェロ協奏曲は こちらのウルバンスキ君指揮のCDでほんとよく聴いている好きな曲なので、 このチェロ曲を生で聴いてみたくて…
Elgar Cello Concerto Zuill Bailey (apple music)

昨夜の奏者、 スティーヴン・イッサーリスさんのチェロ演奏をすごくすごく楽しみにしていて、 以前別のかたのチェロ演奏… ラ・フォル・ジュルネだったかな? あのときのチェロが国際フォーラムの少し遠い席で あまり聞こえがよくなかったので、 今度こそは… と思って できるだけチェロに近い席に、、 と。。

、、 でも でも、、 あぁ クラシックコンサートの座席って難しい… 
確かに イッサーリスさんの繊細なチェロのガット弦と弓とが生み出すかすかな音色、、 指使いやピッチカートの響きまで、 すごく楽しむことが出来た席でした、、 だけど サントリーホールのステージって結構狭いのでしょうか、、 ヴァイオリンのかたの椅子はステージの前面すれすれに左右いっぱいに並んで、 客席も横幅いっぱいにステージと並行にならんでいるので 中央部以外の列だと ヴァイオリンさんなどの自分の前方の奏者の音が結構強く聞こえてしまう、、 (特にわたしには…)

サントリーホールって ヴィンヤード(葡萄棚)形状のホールだと思っていましたけど、 そういえば一階S席の並びはほぼ横一直線で ステージよりもかなり低い位置にあるのでしたね、、 いつもバルコニー席ばかりだったので、 今回初めてS席前方を経験したのです。。

オーケストラの演奏が加わると、 イッサーリスさんの柔らかなチェロの響きがオケの弦楽器に埋もれてしまう、、 もっと後ろのほうの席にすれば良かったのかなぁ、、 少なくともステージよりも少し高くなる座席の位置、、 10列以降くらい? 席選びって難しいですね。。

イッサーリスさんがアンコールで弾いた カザルス(ビーミッシュ編)「鳥の歌」 は素晴らしかったです。 静かに繊細に… いつまでもいつまでも聴いていたい音色。。 
エルガーも、 アンコールも、 あっという間に終わってしまった感じがして もっとイッサーリスさんのチェロに浸っていたかったなぁ…

休憩後のブルックナー3番。 
この曲は ARTEコンサートか何かをネットで見ていた時に、 フィンランドの指揮者 Jukka-Pekka Sarasteさんの指揮で聴いたのがとても印象に残って、 それでブルックナー3番聴いてみたい~~ ということで今回の演奏会さがしたのでした。

ユッカ=ペッカさんので聴いた時には なんというか重々しい印象が強かったのでしたが、 大阪フィルさんのは(もちろん座席の関係もあって) ものすごくパワフル。 弦楽器の圧もすごいし、 その向こうからトランペットの管楽器が強く強くまっすぐに響いてきて、、

ほんと席位置の重要さを感じてしまった今回でした。。 もちろん 指揮者さんよりも1階席は後ろにあるわけなんですが、 管楽器の直接音が耳に痛いほどで、 その代わり弦楽器にはばまれて木管とかはすごく抑えられた感じになってしまって、、 それからステージより低い位置にいるためか、 ティンパニーさんの雷鳴のような連打も バルコニー席で聴くような湧き上がってくるような響きには聞こえない。。 あのトランペットさんらと正面に向き合う形の指揮者さんには 全体の音がどういう風に聞こえているのだろう…と すごくそういう所が気になってしまった今回でした。 一階前方席すこし片側寄り、、という座席からすると オケの全体像が完全にはわからずに、 音色も(反響音のない直線的に聞こえる)硬質な響きに感じられて、 せっかくの大阪フィルさんを聴く機会だったのに、 うまく全体像がつかめないものとなってしまいました… (なんにも感想にならずゴメンなさい!)

第四楽章の管楽器など すごい迫力だったので、 あれをもう少し後方席か、 バルコニー席で全体的な音を聴いてみたかったです。 良い演奏だったのはまちがいないと思います。

 ***

新年にみなとみらいホールで聴いたニューイヤーコンサートが、 3階席だったにもかかわらず 全体にとても柔らかな響きで、 確かに音圧・音量という点では若干小さ目にはなるけれど、 でもオーケストラを聴くには少し離れた 上のほうからの位置のほうがいいのかなぁ… と、 今回はすごくいろいろ考えさせられたコンサートでした。 ほんと座席の位置って難しい…

ステージ後方の(一番安い)P席で聴いた サイトウキネンも、 ゲルギエフさん指揮のPMFも、 それぞれの楽器の聞こえ方とか気になる感じはほとんどなく楽しめたんだけどなぁ、、、 ひとつ考えられるのは 楽器よりも低い位置では聞かない方がいいということなのかもね… 

う~む、 でも それぞれのホールの特性とか 座席の位置の聞こえ方とか、、 奥が深い。 また絶対 通ってしまいそう… サントリーホールも、 ミューザも、、

そして ブルックナーは結構 自分は好きだと気づいたので また他の交響曲も聴きに行こうと思ったのでした。

ちなみに、 ユッカ=ペッカ・サラステさんは ご自身のオフィシャル youtube チャンネルを持っていらして 何曲もコンサート映像が載っているのをさきほど発見しました(嬉♪) お得意のシベリウスも聴けます。
ブルックナー3番はこちら⤵
Bruckner: Symphony No. 3 - Jukka-Pekka Saraste & WDR Symphony Orchestra


あと、、 昨日ちょっと思ったのは… 
演奏が終わったときの拍手が、 最近わりと早くなっていませんか…? 昨夜もけっこう演奏が鳴り終わった瞬間にすぐ拍手が来たような気がして、、 

個人的には演奏が止んで、 指揮者さんが動きをとめたあとゆっくりと姿勢を下ろして、、 そのあとの静寂を一呼吸(ひと呼吸って、 息を吸ってーーー吐いてーーくらいの時間のことよ)おいてから、 拍手がじわーっと湧き上がってくるほうが好きなんですけど。。 

終演後の静寂も  音楽だと思うから…


シュトルムの『みずうみ』と、、夏目漱石

2020-01-16 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
19世紀半ばのドイツの作家、 テオドール・シュトルムの『みずうみ』

久しく書棚に眠っていたこの本を ふとこの新年に手にして、 まだ読んでいなかったことに気づきました。 読みたい本があり過ぎて、 そのときすぐに とはいかずに、 買った事で納得して後回しになってしまった本のひとつでした。

夕暮れ時の散歩から帰宅した老学者ラインハルト…… 暗くなった自室の肘掛椅子に身体を休めたとき、 窓越しの月光が壁に掛かった一枚の肖像画を浮かび上がらせた。 遠い少年の日々にいつもそばにいた乙女エリーザベトの肖像。 過ぎ去った思い出の物語。。



シュトルム作 『みずうみ 他四篇』 関泰祐・訳 岩波文庫

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少年の日の初恋、、 
無邪気にひたむきに、、 やがて誰よりも愛しいと気づいた初恋の人とは なぜか結ばれない運命。。 結ばれなかったがゆえに美しく、 遥かに懐かしく、 年月を越えて心を占めつづける面影となる… 
美しい物語です。

関泰祐先生の解説によれば、 昭和11年の初訳を改訳して 昭和27年におさめたものがこの岩波文庫の版だそうですが、 およそ80年前の美しい言葉は 19世紀のドイツ北方の森や鳥や湖を描写し、 若いラインハルトとエリーザベトのみずみずしい語らいを今に伝えてくれます。
少年ラインハルトがエリーザベトを想って創る詩の翻訳も 現代語訳ではなかなかこのような味わいは得られないでしょう。

 森はただ声なきしじま
 見やる子のまみのさかしさ、
 栗いろの髪にまつわり
 日の光流れあふるる

「まみ」… まなざし、 「さかしさ」… この言葉も現代語の意味(賢しい)から捉えると意味が違ってしまいそうです。  ドイツ語がまったく読めないのが無念ですが、 解るなら原語で読んでみたいものです。。

少し『みずうみ』から逸れますが、 この短篇集の最後に入っている「遅咲きの薔薇」という小品の中に、、
 
  「…彼の顔には、明らかに痛ましい切愛の表情が見えたが…」

という一文があり、 〈切愛〉という 他の言葉ではうまく言い表しようの無い、、 けれどもこの文を読んでたしかに感じ取ることの出来る 〈切愛〉という感情が、、 なんだか泣きたくなるような、、 胸がつまるような、、 
それが この『みずうみ』の感想にも繋がっている気がして、、 ラインハルトとエリーザベトの 叶わなかった物語も、 ひとことで表わせば 〈切愛〉としか言いようが無いような、、 そんな読後感でした。 、、こんな風に書いていても 自分の言葉足らずがもどかしくなるような… 深い情感につつまれています。

 ***

ここからは少し内容に触れますが、、 『みずうみ』には多くを語っていない、 説明されていない事柄がいくつもあり、 それゆえに想像の余地のある 深い読みが可能な物語になっています。

例えば、、 ラインハルトは学業のために故郷を離れますが、 彼は学業に熱中するあまり、 それでエリーザベトと疎遠になってしまったのでしょうか? どうもそうではないようにも思えます。

クリスマスイヴの晩に彼がいた学生のたむろする地下酒場、、 そこでのジプシー娘との会話… ラインハルトと彼女は初対面? いえ、そうではないでしょう… 意味深い台詞、 交わすふたりの眼差し、、 「君の美しい罪ぶかい眼のために!」 、、そして 彼の盃を飲み干す娘…

、、その晩 故郷のエリーザベトから届いたプレゼントに ラインハルトは返事を書きますが、 そのときの〈インク壺〉には埃がたまっている… 都会でラインハルトがどんな生活をつづけていたのか、 なんとなく想像されます。

数年後の、 物乞いになった(かつてのジプシー娘とおぼしき)女との再会場面もとても不思議な感情を抱かせます。 そのときにラインハルトが呼ぶ〈ある名前〉、 女が歌う〈昔の歌〉、、 作者はなぜこのジプシー娘を再びここに登場させたのでしょうか…


エリーザベトは結局、 ラインハルトの友人だった 今は領主であり実業家である男の妻になりますが、 ラインハルト自身の職業はどう言ったらいいのでしょう… 学者、であることには間違いないのですが、 〈俚諺〉や〈民謡〉の収集家とは… 
、、ラインハルトの仕事(=研究)は実業家などとは程遠い、 旅人のような生活となったことでしょう。。 フォークロアの歌や物語を集め纏める、、 一昨年 シューベルトの「冬の旅」についてのイアン・ボストリッジさんの本を読んでいましたけれど、 あの旅人が村外れで出会った〈辻音楽師〉や、 この「みずうみ」の地下酒場で歌っていたジプシー娘やヴァイオリン弾き、、 社会の片隅で生きる彼ら彼女らの物語が、 初恋にやぶれたあとのラインハルトの生涯の道連れとなっていくのですね… と、、 これはあくまで想像の域ですが、、

 ***

こうして 読後いろいろな事を考えているうちに、 そういえば漱石の作品とあちらこちらでイメージが重なることに気づきました。

エリーザベトが肖像画のモデルになること、 地位のある人の元へお嫁にいくこと、、 は『三四郎』に。

想いの人が自分の友と結婚してしまうというのも 『それから』や『門』や『こころ』など。

結婚後のエリーザベトと夫エーリッヒの館を ラインハルトが訪ねた時、 エーリッヒは何故か(故意のように)二人を残して留守にし、 二人きりで湖の対岸まで出かけるように命じます、、 その部分はなんとなく『行人』にも似ているし

エリーザベトと鳥籠の(ラインハルトの贈った紅雀が死に、代わりにエーリッヒの贈ったカナリヤを世話しているという予兆的な)場面は、、 こじつけのようだけれども 『文鳥』の中の、 人のところへ嫁いでゆく女の人の思い出に…

、、 などと 想像が拡がってしまったので、 興味が湧いて検索してみたら、 漱石はどうやら 文芸雑誌に掲載された「みずうみ」の抄訳を読んでいたようなのです。 それはこちらの論文に書かれていました⤵

 日本におけるシュトルム文学の受容 : 没後百年を記念して 北陸学院短期大学 田中 宏幸

 https://ci.nii.ac.jp/naid/110000958466

それによると 漱石はシュトルムの「みずうみ」であると知っていたかどうかは不明で、 漱石蔵書にもシュトルムは見当たりませんが、 漱石が読んだとされる抄訳の内容から察するに 漱石先生の関心を惹きつけるに十分な物語だったように思います (漱石の初恋も成就しなかったとされていますし)、、

上記論文のなかで 漱石が 「『夢の湖』といふ小説」と言及している談話「水まくら」は、 こちらの国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます⤵
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986233/284

漱石先生はシュトルムについては直接言及していませんが、 もしも その『夢の湖』がシュトルム作であると気づいたならば、 ドイツ語の原書をきっと大学図書館などで繙いて読んでみたのではないのかなぁ、、などと思います。 漱石がロマンを感じて紹介した『エイルヰン物語』なども、 美しい自然と、結婚を誓い合った幼なじみの少女(ロマ=ジプシーのもとで育てられた少女)との生き別れ、、 という情趣あふれる物語でしたから。。


150年も前のシュトルムの作品、、 岩波文庫だけでも4冊も出ているのですね。 作風も30代のこの『みずうみ』から 70歳で没する年の作品『白馬の騎手』まで、 その変遷が読めるのは嬉しいことです。。 今年の読書のおりおりに加えて 読んでいこうと思います。



ニューイヤーコンサートの帰りに買った シャンパンを練り込んだクッキー。 ほのかな酸味が美味しかったです。 最近また珈琲をいただくようになりました。 


Can You Hear Me ?

2020-01-10 | MUSICにまつわるあれこれ
あなたに出会ったのは 『ヤング・アメリカンズ』75年です。

↑これは4年前の日記(>>)から…


だから今日は 『ヤング・アメリカンズ』聴いていました。
子供が聴くにはにはあんまり向かないような本気のソウルアルバム。。 デイヴィッド・サンボーンのサキソフォンや ルーサー・ヴァンドロスや女性のバックコーラスが入ってて… でも ものすごく好きだった。 最初のボウイはこればかり聴いていたもの、、

昨年のクリスマスに書いた、 わたしが幼児期に聴いていた「ジングルベル」のスウィングジャズアレンジのソノシートのこと、、 あれを殆んど半世紀ぶりに聴いて思いました。。 ジャズやソウルのビート、 それからラテンのリズムなんかも、、 このお子ちゃまには何の違和感も無かったんだな、って。 だからストーンズの『ブラック・アンド・ブルー』も『ヤング・アメリカンズ』も 大好きなアルバムだったのは自然な流れで…

アルバム冒頭の「ヤング・アメリカンズ」がやっぱり一番記憶に残っている曲だったけれど、、 聴き直してみると 「Win」や 「Can You Hear Me」のスローな曲も とってもとっても好きだったな、、。 Win の低音のボウイの歌い方や Can You Hear Me の ささやくような高音の声も。

カルロス・アルマーの玉をころがすようなギターの音色や、 ストリングス、、 どこをとっても完璧に思える洗練されたアレンジ。。 そののち、、 というか はるか時代を越えて 大人になって好きになっていった人たちにもやっぱり通じていく…

Can You Hear Me 、、わりと難解な歌詞を書くことの多いボウイには シンプル過ぎるくらいに優しい、 愛の歌です。 さっき、 1975年の ボウイとシェールのこの歌のデュエットを初めて見ました。 素敵… やっぱりボウイは歌が巧い、、 それはどの時代をとっても あらためて 今になって、、 ほんと いまさら、、 聴くたびに思うことだけれど…

こんな歌い方ができるのは 貴方しかいない、、って。。


 ***

『ヤング・アメリカンズ』を聴き終わって 、、7年前のお誕生日に届けられた「Where Are We Now? 」のMVを見ました。 あの日の気持ちを思い出しながら。。 

その日から 3年後のアルバムは今日は聴かない。 
3年て、、 短い。 短いけれど、、 病を得て生きることは 長い。。 途方もなく…  、、だけど、、 限りある命の中では、、 あまりにも 短い…


長い 短いは、、 命の時間としては…  とても、 とても、、 不確定なもの…

でも貴方の、 ★にいたるまでの3年は、、 すごく濃密な時間だったんだろうな、と思う。。 その時間を 少しでも 自分のものとして 自分の生きる時間として 感じられるまで、、


後を 跡を、、  いつまでも追っていく…


東京交響楽団ニューイヤーコンサート@みなとみらい大ホール

2020-01-06 | LIVEにまつわるあれこれ
穏やかな晴天の続いたお正月でしたね…

今年初めのコンサート、 東京交響楽団ニューイヤーコンサートに行きました。 横浜みなとみらい大ホール。 ことしはめずらしくしっかり休日の我が家でしたので、 (どこか行く?)と暮れに急に思い立って、 ニューイヤーコンサート初体験です。



曲目は

J.シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」 変ホ長調 op.73
ピアノ 小山実稚恵さん

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 ホ短調 op.95


指揮 秋山和慶さん


 ***

新年らしい 「こうもり」で華やかな幕開け…

公演ちかくなって決めたので 3階のお席でしたが、 席の位置のせいか、 みなとみらいホールは木材がふんだんに使われているホールのせいか、 全体の音がとてもまろやかに響いてきました。 いつも指揮者さんを見たい時は ステージサイドや後方席を選んで 弦のさざなみや打楽器の振動を身体で感じる楽しさもありましたが、、 今回は(遠くから聴く音色もやわらかくていいなぁ)と思って聴いていました。

小山実稚恵さんの「皇帝」、、 ピアノの音色がとても明るく柔らかに感じられて心地よかったです。 アンコールでは 「エリーゼのために」 、、超有名曲ですが 生演奏を聴いたのは私 初めてかも。。  
今年はベートーベン生誕250年とのことで、  ベートーヴェンイヤーになりそうですね。 

休憩後の 「新世界より」 、、東京交響楽団さんらしい 管のパートがすばらしい演奏でした。この曲も何度も聴いたことのある名曲ですけど あらためてしみじみ良い楽曲だなぁ…と 涙出そうになりました。
イングリッシュホルンのソロと オーボエさんの鳥のさえずりのような音色… 新大陸の森や水辺、、 未知の世界なのだけれども懐かしささえ覚える原始の自然、、その風景を感じるようなみずみずしい音色でした。 

この楽曲の第二、第三楽章は アメリカの先住民を詠った ロングフェローの英雄叙事詩『ハイアワサの歌』がモチーフになっていることを、 帰ってからプログラムを読んで知り、 そういう自然や民族性のことも 言葉にしなくても音として感じられるんだなぁ…と。。


楽器から奏でられる音色が 木のホールのなかに音が伝わって ふくらんで 自分の耳に届く、、 いまさらながらに、 私って「木」の音を聴くのが好きなのだ、とあらためて発見した想いです。 弦楽器も 木管も、 「木」のなかで音が膨らむ… 音が響く… 木も振動する、 共鳴する、、 それが空気を伝わって耳に届く。 「木」が無かったら私 こんなに音楽を好きでなかったかもしれない、、 ギターも、 それからオーケストラも。。 

そんなことを考えていました。

そんなことを考えながら、 新年に美しい音色につつまれる幸せを 感じていました。


アンコールは、 太鼓のマーチが鳴り出して… 「ラデツキー行進曲」!! 
毎年 ウィーンフィルのニューイヤーで観ていたけれど、 自分で手拍子できるのってやっぱり嬉しい。。 秋山先生が客席を振り返って手拍子の指揮をなさるのに合わせて ちいさくちいさく、 大きく大きく…


新年を祝う 楽しい愉しいコンサートでした。 しあわせ…


 ***

翌日は 龍神さまに 今年の願い事を…



素敵なドラゴンさま。


一年 無事に健やかに過ごせますように…
 

夢見の年に…

2020-01-03 | …まつわる日もいろいろ
2020

今年もどうぞよろしくお願いいたします


初日の出は 雲間からの少しだけ遅い朝陽のかがやきとなりましたが

2日は雲ひとつない 快晴の日の出となりました。


 ***

大晦日の セイジ・オザワ サイトウ・キネン・オーケストラの綺羅々々しい音色に始まって

恒例のN響 第九、 ジルベスターコンサートの「ジュピター」での年越し… 今回はウィーンフィルのニューイヤーのようなバレエが楽しいコンサートでした。 Bunkamuraのエントランスや地下広場を使ってのバレエだったので、 (ウィーンフィルの時みたいに)このあと会場に入ってくるんじゃない?、、 と言って見ていたら、 なんと観客に混じって座席から洋服をばっと脱いでダンサーへと変身… 


そして 元日の楽しみ ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサート
ゲストの草笛光子さんがウィーンの街を歩く映像が美しかったです、、 草笛さん なんだかますます美しく年を重ねられて、、 あの散策の部分はなにか別の番組とかで観られるのかしら… あったらいいな…
草笛さんが  音がばんっ♪って鳴った時の感動を (TVで観ていたときと全然ちがうのよ!)と子供のように素直にお話になったり、 楽団の方々が(ほんと楽しそうに弾いてらっしゃるの)と お顔を輝かせて話したりする姿に 一緒に (そうそう、そうですね)と頷きたくなりました。

、、 それから 昨年もゲストでいらっしゃいましたが、 ヴィルフリート和樹ヘーデンボルクさんの話し方が 私とても好きなのです。 音楽家の立場それから鑑賞者としての立場から、 音楽を楽しむ歓びを語り、 そして 演奏家の立場から日々 自分の目指すものを追求していく姿勢、、 それを自分の言葉で 美しい日本語で 私たちにも分かりやすく明解に語ってくださる…
、、 自分も含めて このところ自分の感覚だけの言葉(感嘆詞に近い短い感情のことば)だけで想いを済ませてしまう そんな発言を聞くことが多いから、 あんな風に美しく明解に話せることって ほんとうに素敵、と思って見ていました。


 ***

今年は… 「夢見の年」にしていきたいです。

ことし、 どうしてもかなえたい願いが二、三あるのです。 それは〈夢〉 ではなくて、 きっと現実のものにしたいから、、 〈夢〉ではなくて、 それがかなった時の〈夢見ごこち〉を目標に… 


そのためには 日々の研鑽… 
、、〈けんさん〉なんて私が言うのはおこがましい、、 少しずつの頑張り、、 一日も無駄にしないこと、、  謙虚に、 ひたむきに、、





、、 毎日の朝をむかえられることに感謝して…



もうひとつ   未来へ…