星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

コレットで女の子のお勉強…:『軍帽』コレット著

2023-03-31 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
桜の花 美しいです。 

でも これから地方で咲き始める同じバラ科の花、 林檎や梨やさくらんぼやプルーンや、 そんな果実のお花たちもほんとに美しくて大好きです。 そんな季節にコレットを読みました。

、、前に書きましたが 今年の目標は ノンシャランなパリの老女みたいになりたい… です。 パリのアパルトマンの上階に住んでいる読書とカフェを愛する老女。。

コレット、すなわちシドニー=ガブリエル・コレットは 1920年代の『シェリ』や『青い麦』で知られる女性作家。 作家でもあり、パントマイムのダンサーや、男女を超えた恋愛遍歴でも知られる美しく奔放な女性。。 ということですが私、コレットを読んだ事ありません。

以前 パトリック・モディアノさんの『失われた時のカフェで』を読んだ時に 15歳の少女についてちょっと書きましたが(>>) 毎日ギターをかついで学校とジャズ喫茶を歩き回っていた女の子が『青い麦』とか読むわけはありません…笑 、、ランボーやマンディアルグは読んでもコレットは別世界のもの。。

で、、 今さら少女には戻れませんが 老女になったコレットなら近づけるかも知れない、、と コレットが晩年に書いた作品を集めた『軍帽』という作品集を読みました。



『軍帽』コレット著 弓削三男・訳 文遊社 2015年

表題作の『軍帽』はコレットが22歳の頃の思い出話、という形で 年上の中年女性との友情と その中年女性がおちいった突然の恋の顛末の物語。 コレットははたちで既に結婚していたとは言え、 若さと美しさに満ちた語り手が描写する40代女性の姿かたちや、 すっかり落ち着いて人生を達観したかと思えば ”おぼこ”のように恋にうろたえ舞い上がる様をえがくのが なんとも的確なこと。。 おんなの友情に満ちた 愛ある視線のようでいて じつは容赦ない。。 
あぁ 女の友ってむずかしい… わたしには無理… こんな風に親身になってお化粧から着る物から心のうちまですべての相談に乗るのは…。。 コレットのところにふらりと夕飯におとずれて勝手なお喋りをしていくおっさんの男友達のほうがラクだゎ… と思いつつ、とっても楽しんで読みました。

『小娘』という短編は、 そういう男友達のおっさんが語る 15歳くらいの少女との恋の思い出。
コレットは登場人物の的確な心理描写や、 美しい風景描写でも有名だそうですが ほんとうに。。 『小娘』の舞台はフランシュ=コンテという地方ですが その描写が素敵。。

 …小粒の黒葡萄の房―が季節に先がけて農場の石垣や踏切番の家の壁に熟しはじめると同時に、青と薄紫の松虫草が、この燃える夏ももうじき秋と呼ばれるようになる、と告げていた…

 …林道のかなり急な坂を登り、白樺の林のなかを歩いていた。白樺の軽い小さな金色の葉はもう風にちぎられ、長い間宙を舞ってから地面に落ちていた。

 …古びた瓦の切妻の家で、ところどころばら色に染まった野葡萄の大きなマントがその肩を覆っている。すぐ隣には野菜畑、緑がいっぱいの庭、フランシュ=コンテ特有の青紫の靄のかかった並木道…


翻訳のフランス文学者 弓削三男先生のお力もあると思います。。 美しい。

そんな風景のなかで出会う 少女の描写になるとまた一転、匂い立つような人間性をさらけ出すのです。。

 …青地に白い水玉模様の既製品の上着に、不格好なスカートと革のベルト―外面はそれだけのことだが、その下には若い生きものが潜んでいた……〈むっちりとした〉という言葉はいまではすっかり忘れられているけれど、女の子の場合、それはまさに陶然とするような美しさをよく表しているよ…

、、〈むっちりとした〉という語の横には ロンドレット、とルビが振られています。 rondelette 、、この語が示す 15歳の女の子の身体、、 コレットのこの短篇集には他にも15歳の少女を描いた『緑色の封蝋』という作品もありましたが、 少女期とおとなが入り混じるるこの年代を描くのが上手。。 ロンドレットという形容は私の少女期とは無縁の(痩せぎすの)ものでしたけど…

コレットが描くと 白髪交じりの紳士と田園の少女との恋も いやらしくも醜くもならず、、 それを第二次大戦の迫る1940年5月に(コレット67歳)、 パリのコレットの部屋で思い出を語り合っているという設定とともに、 なんだかほろ苦く 年月の光と翳も感じとれる良い作品でした。


こんなにもコレットの文章がみずみずしいということが分かったので、 今度は 50代を迎えようとする元高級娼婦と20代の青年との恋を描いた『シェリ』、、 ぜひ読んでみましょう。

続編の『シェリの最後』は、 第一次大戦後のパリ だそうですから尚更 興味がわきます。



あぁ 白い梨の花が見たい… 


風にゆれるプルーンの花が見たい…




この週末は雨からのがれられそうですね。。 お健やかに…

芥川龍之介の読書書誌…

2023-03-30 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
先日、 フロイトとリルケの《無常》について書きましたが(15日) 
その後の先輩とのメールのやりとりの中で、 芥川龍之介の『死後』という作品の文章から「フロイド(フロイト)」の語が削除された謎… という話題があり、、(現在 青空文庫で読めるものは削除後のものです)

これについてはここでは書きませんが、、

それでいろいろ検索していたら、 芥川龍之介が作品中や書簡などの中で言及している書物のリスト、という調査結果が公開されているのをみつけました⤵

読書書誌索引稿:芥川龍之介2(西洋人名) : 『芥川龍之介全集』(岩波書店1978)を基盤に
 (桃山学院大学学術機関リポジトリ)

このようなデータは作家の関心事や作品への影響を知るのに とっても興味深く有難いものですね。。 早速リストを眺めて、、 芥川龍之介らしい《夢》とか《幻想》とか《怪異》とか《ドッペルゲンガー》とかに結びつきそうな作家の名前がたくさんありますね。。 それで…

以前に、 中井英夫の「燕の記憶」という作品について書きました(>>) 「A」という背の高いひとが『幸福の王子』という本を探しに来た… という話。

上記のリストの中に ワイルドを探してみたらありました。 「Happy prince」という作品名も。。 「A」というお父さんは『幸福の王子』を読んでいたんだわ… と思い、 いったいいつ頃『幸福の王子』を読んでいたんだろう、、 と少し調べましたら、 どうやら龍之介が学生だった頃のようでした。。 中井英夫が書いていた時期、、 子供部屋へ「幸福の王子」をさがしに来る、という幻のシチュエーションではなかったのですが、 確かに龍之介は『幸福の王子』を読んでいたのでした。。 なんだかそれだけでも嬉しかったな…

 ***

一方、、 私の個人的な関心事で そのリストの中に「de Quincey」の名も見つけたので、 いったいどんな風に言及しているのだろう、、と興味が湧いて検索してみました。

「骨董羹 ―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」
という、大正9年に出版された雑誌に掲載されたもののようです。 青空文庫で読めるものはこちら>>

ひとつは「誤訳」という文章。 面白い文章なので引用させていただきましょう…

 カアライルが独逸文の翻訳に誤訳指摘を試みしはデ・クインシイがさかしらなり。されどチエルシイの哲人はこの後進の鬼才を遇する事 ―反つて甚篤かりしかば、デ・クインシイも亦その襟懐に服して百年の心交を結びたりと云ふ。カアライルが誤訳の如何なりしかは知らず。予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。(二月一日)

トマス・カーライルのことは「哲人」、 ド・クインシーのことは「さかしら」だけど「鬼才」と名づけてくださってます。。

もうひとつは 「ニコチン夫人」という文章。。 文章は載せませんが、ここに書かれている「ニコチン夫人」て何?? と知らなかったので調べましたら、 ジェームス・マシュー・バリーという あの『ピーターパン』の作者が書いた『My Lady Nicotine』という小説のことだそうで、 龍之介は「最も人口に膾炙したり」と書いていますが 大正当時はそうだったのかもしれませんが今ではまったく読むことができません、、 どんな話なんだろ。。

ド・クインシーに関しては「阿片喫煙者の懺悔」の名が挙がっていますが 龍之介も読んでいたのですね。 それで「誰か・・・バリイを抜く事数等なる、恰もハヴアナのマニラに於ける如き煙草小説を書かんものぞ」と結んでいますが、 以前 私もとりあげましたが 芥川龍之介は「煙草と悪魔」(>>)という作品をみずからお書きになっているではありませんか?

それはさておき、、 先の「誤訳」という文章。。 マドンナを奥さんと訳したのはどんな文章中のことかは知りませんが、、 私が今までで最ものけぞった誤訳、というか 誤注というのは、 ここで芥川がとりあげているまさにド・クインシーの「阿片常用者の告白」についての文章でした。

龍之介の師匠でもある夏目漱石先生が『倫敦消息』のなかで (青空文庫で読めます>>
 「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが

と書いている「アン」という名前に対して、 (これは固有名詞ではなく女性一般をさす「お花ちゃん」のようなものか) という注釈がついていたこと。。 もしかして改訂がなければ今でもそういう文庫があるのかもしれません。。 誰!?お花ちゃんて・・・!! と最初読んだときまさにのけぞりましたわ。。 龍之介の言う「マドンナを奥さん」 まさにそれ!

オックスフォード通りを彷徨っていたド・クインシーと少女アン。。 大正時代だったらこんな「誤注」はなかったかもしれません、、 せめて芥川龍之介が昭和までずーっと生きていてくれたら 気づいてくれたかもぉ……(涙) などと思うのでした。。


話逸れましたが、、 上記の「読書書誌索引」を見ていて(ありがたいことに年月も書かれているので) 芥川龍之介最晩年の昭和2年に アンドレーエフの「イスカリオテのユダ」に言及していたらしいのを見つけて、、 どんな風に読んだのだろ… などと興味が。。

アンドレーエフの「イスカリオテのユダ」、、 近年 新しい翻訳本が出ているので今度読んでみようと思っています。


いろいろ勉強、、 いろいろ読書、、 の



春なのです。

春の音楽 ♪

2023-03-28 | LIVEにまつわるあれこれ


日曜日、 音大生さんたちの選抜オーケストラを聴いてきました。 演奏されたのは…

ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」Op.235
伊福部 昭:シンフォニア・タプカーラ
ストラヴィンスキー:バレエ音楽『春の祭典』

井上道義 指揮
音楽大学フェスティバル・オーケストラ(首都圏9音楽大学選抜オーケストラ)


シュトラウスが奏でられ始めて、、 (弦の音 若々しい!)、、 (管楽器さんや打楽器さんも 若者らしく思い切りが良いわ…)と思って聴いていました。

マエストロが得意とされる伊福部さんの曲もエネルギッシュ。。 独奏トランペットさん美しかった。。 「シンフォニア・タプカーラ」のタプカーラは「立って踊る」という意味だそうで、最後の音とともに楽団員さん達、 ぱっと立ち上がる。 決まりました♪ 、、わたしなどがあれをやろうとしたら椅子から立った瞬間よろけて絶対ころびます、、


メインの「春の祭典」 
道義さん指揮だと ハルサイも伊福部調になるのでしょうか、、 そんなことを想いつつ、、 変拍子バリバリの辺りでは (あれ? 今どきの若いかたは洋楽とか聴かないから変拍子苦手なのかしら…)という印象も。。

あとでマエストロのブログを拝見して頷きました。。 この3年間のコロナ期間 学生さん達は集団練習が困難だったのですね。 とりわけ身体で覚えるような変拍子を合わせるのはさぞ大変だったのでしょう、、 コロナ生活の3年の時間は学生さんにとって本当に貴重な時間が失われたんだと痛感しました。

でも 渾身の演奏、 渾身の指揮、、 最後はマエストロみずから生贄となって舞台から裸足で転がり落ちました。。 なんとなくわかってはいてもお身体を心配してしまいましたが 両手を高く上げて見事に舞いました。 流石バレエで鍛えたお身体です。

twitter にその様子が載っていました>>

https://www.michiyoshi-inoue.com/2023/03/12_1.html#blog

マエストロのブログに 人生最後の春の祭典とありました。 そして学生さん達は人生初の難曲、 そして人生の門出。 これから先も演奏家人生を歩まれるのでしょう。 これから幾度となく新たな楽曲に挑まれ、 そして何度となく原点の楽曲に立ち帰られることでしょう。


満開の桜のときに春の命あふれる演奏会でした♪

 ***


ミューザに行く前に お茶のひととき。。




ほんに美味しいショートケーキでございました  しあわせ …♡



来月も音楽の月になりそうです…

野球…

2023-03-23 | …まつわる日もいろいろ
野球は楽しいね~~ そして苦しいね~~

だけど 侍JAPANありがとう~ おめでとう☆


当初 WBCに大好きなクレイトン・カーショーが出場すると聞いて やった!見たい観たい!とひとり盛り上がって日程とか調べたら、 米チームが日本に来ることはないと分かって残念… ダルビッシュさんが早々出場を決めてくれていたので カーショーとダル&大谷の投げ合いを見たかったんだけどな~ (もちろん応援するほうはニッポンですよ)

ほぼ全試合TVで観戦して チェコ戦も感動したし 準決勝はほんと苦しかったし、、 昨日は若い投手陣にわくわくしっぱなしでした。。 試合前の国旗かついで出てくるシーンからして鳥肌でしたが まさか最後まであの対戦だとは、、 ほんと脚本家いてない? 出来過ぎの展開。。


個人的には ずっとずっとダルビッシュさんに感動、でした。 イチローさん時代の大会のダルビッシュさんにも思い出ありますけど、 ほんと大きな選手になられました。 キャンプ時からの姿に感動、 感動。。 そして最終決戦のまえに 大谷さんが円陣で声出しするのを ずっと後ろのほうで見守って拍手してた姿。。 ほんとうならあれをやるのはダルビッシュさんでしょ? 国旗かついで出てくるのだってダルビッシュさんでしょ? 優勝トロフィー掲げて写真撮るのもほんとうはダルビッシュさん中心でしょ?

オオタニさんに文句言ってるんじゃないんですよ(笑)、、 すべて大谷さんが中心になったら全然嫌味もないし誰もが幸せ♡  ブルペンとベンチを何度もなんども往復する大谷さんには涙でました。。

ラストにダル&大谷なんて アメリカでは考えられないですよね。。 かつてのワールドシリーズの最後にジャイアンツのバムガーナーが出てきたようなもの、、(古い…)

もしカーショーがWBCに出場してて 日米決戦になっても最後には登場させてもらえなかっただろうなぁ。。。 カーショーは俺が行く!って言ったかもしれないけど…

すごーくすごーく語弊があるのは承知で、、 これからのWBCのためにはトラウトが劇的逆転打でも打ってアメリカが大盛り上がりしてくれれば、 WBC人気も少しは上がったのかな、、 それとも今回大谷さんに負けたから次回はもっとカーショークラスの選手も出れるようになるのでしょうか。。。


2019年の3月21日には東京ドームにいましたね。。 エリア51を万感の思いで見守っていましたっけ…


野球は楽しい


また公式戦観に行ってみたくなりました。。 今度は朗希くん見に行きたいな…





ストーンド…

2023-03-20 | MUSICにまつわるあれこれ
桜、 咲きましたね。

今年はとりわけ早かったようで まだソメイヨシノのお花は見に行けてませんが、、 今週は 明日の祭日から週末にかけて雨模様みたいで、 つぎの晴れ間まで桜が待ってくれますように。。

日曜日にちょこっとお散歩のときの 大島桜を… この白い桜の花も大好きです。









 ***

話変わって…

今 これを聴きながら書いています


 Marcus King - Can't You Hear Me Knocking (Official Audio)


カントリーミュージックのアーティストによる ローリングストーンズトリビュートのアルバム。 曲名および それぞれの曲の参加アーティストはこちらに載っています>> 
Stoned Cold Country (wiki)

上記の youtube のリンクは マーカス・キングさん(来月いらっしゃいますね)のファンキーな "Can't You Hear Me Knocking"になっていますが、 最初の曲は Ashley McBrydeさんの "(I Can't Get No) Satisfaction" からです。

2曲目の "Honky Tonk Women" など、 いかにもカントリーらしいアレンジの曲を聴いていた辺りは(なるほどカントリー風のトリビュートなのね…)と思って聴いていたのですが、、 いえいえ、カントリーの領域にとどまらない素敵な曲ばかり。 "Miss You" もすっごくソウルフルだし、、

で、 演奏も素晴らしいの。。 それで思わず参加ミュージシャンの personnel を探したというわけ。。

昔から ストーンズのバラードにはひどく弱くて、、 何故でしょうね… 今日もずっとこれ聴きながら、 "Wild Horses" や "You Can't Always Get What You Want" に (うわぁ… いかん いかん…)と口走っておりました、、 "Angie" なんか もうダメ… 笑

ピアニストさんも良いんです、 Mike Rojasさん。。 存じ上げてなかったですけど カントリーミュージックのキーボード奏者では有名な方のようです。 ギタリストさんも Danny Raderさん、 この方 わりとお若いのだけど 実に多彩なテクニシャンとお見受け(お聴受け)しました。 そういえば、いろんなステージでこの方が弾いているの見た事あります。。 "Sympathy for the Devil" カッコいいです。

それぞれのシンガーさんも嬉しいでしょうね。 "Paint It Black" が自分で歌えてアルバムに出来るなんて最高じゃないですか。。

で、 ラストの "Shine a Light" を聴きながら撃沈… 感涙… (このピアノはチャック・リーヴェルさんです! 素晴しい…)

ニッキー・ホプキンスやビリー・プレストンの参加してた頃のストーンズが大好きなせいもあるけれど、、 なんだろう… なんだかわからないんだけれど こんなにストーンズの楽曲が好きだったんだ、、 とあらためて気づかされるトリビュートアルバムでした。。

もう 4周目に突入… 聴きつづけです


よいものを知りました…♪



きょうのタイトルの stoned は 英語の意味で、ね。 極上です♡

フロイト、リルケ、そしてバルテュス…

2023-03-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
先月、 文学の先輩からのメールに 「フロイトがエッセイに書いた《無常》について」 という記述があり、

それは 第一次大戦前年のこと、 フロイトとルー・ザロメと詩人のリルケの3人で散策中、 リルケは この美しい風景も、人が創り出した美も、所詮消え去ってしまう儚いものだと言い、 対してフロイトは いずれは失われてしまう無常にこそ、限りある時間の中で享受する価値があると述べたという。。

、、ここからメールの話はリルケを離れ フロイトのことに続いたのですが、、

私はフロイトのこともリルケのことも殆んど知らないけれど、、 リルケが上記のように すべては消え去ってしまう儚さを嘆いた、というのがなんだか引っ掛かって… というのも、 私がリルケで思い浮かべられる事と言えば 堀辰雄が『風立ちぬ』のなかで引用した詩「レクイエム」の 

 帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢ができたら、
 死者たちの間に死んでお出(いで)。死者にもたんと仕事はある。


という死者への呼びかけ。。 生命も美も所詮消えてしまうと嘆く姿勢とこの「レクイエム」の死者への呼び掛けがどうも同一に繋がらない気がして、 それでリルケが《死や死者》に対してどのような考えを持っていたのか、、 なんだか知りたくなってしまったのです。

先のフロイトとリルケのことを検索していたら、 表彰文化論学会のサイトのエッセイに行き当たりました。 こちらにも同様のフロイトとリルケの散策のことが書かれています
 「100年前の悲嘆と希望──フロイトの無常論に寄せて」
 https://www.repre.org/repre/vol45/greeting/

 ***

そもそも リルケという詩人について 私はなんにも知らないのでした。。 ドイツの詩人だと思っていたら オーストリア=ハンガリー帝国(当時)のプラハ生まれなのだと。。 でもその後 (リルケの妻のクララが女性彫刻家だったことから?) 彫刻家のロダンと出会い、 「ロダン論」執筆のためにパリに移り住む。 
先のフロイトとの散策の時期はwiki と照らし合わせると、 リルケが『マルテの手記』を書き終えて虚脱状態におちいり一時ベルリンへ戻ったという頃(?)なのかもしれない。

『風立ちぬ』で引用された「レクイエム」の詩は、 リルケのパリ時代、 妻クララとの共通の友人である画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの死を悼んで1908年に書かれたものだそう。。
 パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Wiki)

 「鎭魂曲」堀辰雄 (青空文庫) 
 

第一次大戦後はリルケはスイスに住み、 そこでリルケの最後の愛人となった画家バラディーヌ・クロソウスカとともに暮らしたそう。。 この女性、 なんと画家バルテュスのお母さん、、 バルテュスの父とは1917年に離婚している。 そして若きバルテュスをリルケは大変かわいがり バルテュスが飼い猫ミツとの別れ(突然いなくなってしまった…)のことを描いた画集『ミツ Mitsou』の序文をリルケが書いている。
 
こちらの記事は バルテュスののちの奥さま、節子夫人の娘さんが語ったもの、、 この中にもバラディーヌ・クロソウスカのことや スイスの家の暮らしのことが語られています⤵
 画家バルテュスの娘ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ、スイスでの夢のような少女時代を語る(New York Times Style Magazine)

画集ミツはバルテュス展で見た記憶があります。 でもバルテュスのお母さんとリルケの事とか全然知らなかったな。。

 ***

こんな風に リルケという詩人は生涯 たくさんの詩人や思想家や画家や音楽家といった人々と密接に関わり、そのなかで詩作をして 自らの思想を築いていった人なのですね。。

最初に書いた、 リルケが死や死者に対してどのような考えを持っていたのか、、 については ネットで読めるいろんな論文などを参考にさせていただいて(ほんといい時代になりました…) リルケが「世界内部空間」と呼んだ理念というものに辿り着きました。

すべての存在をつらぬいている「世界内部空間」というものの概念、、 そのことをちゃんと理解できたわけでもないし、 うまく説明することも出来ない。 だけど 其処では、 或はそのことを想う自分に於いては、 生と死、 生者と死者、 などという境界も存在せず、 過去や現在という時間の隔たりもなく、 それらは融合して在るのだという…

まだよく分かったわけではないけれど、、 でも 最初のフロイトとの会話で感じた違和感は (やっぱりな…)に変わりました。 やはりリルケは喪われることを嘆いただけではなかったのです。 それはバルテュスの画集『ミツ』への序文でもわかる気がしました(ここに載せられませんが…) 失うことによって共に在った存在が全きものになる、ということを。。

堀辰雄さんは「世界内部空間」という概念については何も書かれていないようですが、 でもリルケの死者に対する考えは確かに把握されていたのだと思います。 だからこそ

 けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
 しばしば遠くのものが私に助力をしてくれるように――私の裡(うち)で。


という詩句が 「死のかげの谷」の「私」に響いたのでしょう。。


リルケの後期の詩、 そして「世界内部空間」という概念、、 


今年はもう少し 追及していきたいと思っています。




あたらしい発見をさせてもらいました…  感謝…




「死のかげの谷」…雪、風、、そして落葉…:堀辰雄『風立ちぬ』 (過去の読書記)


読みたいミステリ…

2023-03-09 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
なんだかすっかり暖かくなりましたね。 今日は5月の陽気ですって。

季節の変化に身体がついていけてないのか、 それとも一昨日が満月だったせいか、 週明けからきわめて体調すぐれず・・・ でもようやく脱したみたいです…


前々回に触れたラーシュ・ケプレル最新作品 ヨーナ・リンナ警部シリーズ第8作『鏡の男』は先週末には読み終えました。 でも、、 感想は 保留にします。 ん~~~

なんだかシリーズの番外編くらいの印象で、 これが次作までの単なる《時間稼ぎ》的なものなら本当の肩透かし、、 それとも深い意味とか意図とか、、 次作の展開を読んだ後で そうだったんだ… とぞっとするくらいの謎の謎につながるのならいいけど、、 
ただの一件落着では、ね…

ヨーナ・リンナにはブルース・ウィリスにもメル・ギブソンにもなって欲しくないのよ… ハリウッド映画のパロディみたいなバイオレンスアクションなんかでお茶を濁さないで…

 ***

今回の事件が5年前からひそかにつづいていた事件、、 ということで その5年前くらいが設定の 第2作『契約』を読み返していました。(事件につながりは無いです) 大筋は覚えていたけど細かいところかなり忘れてた。。 こんなに複雑で大掛かりで面白い話だったんだ、、




クルーザーの船室から見つかった女性の死体と、 政府の長官の縊死、 別々の事件をさぐるうちに スウェーデンの武器輸出の闇が浮かび上がってきて、 関係者がつぎつぎ殺し屋に抹殺されていく中、 事件の鍵となるのがパガニーニの楽器を奏する弦楽四重奏団の写真。 イタリアの武器商人やら 治外法権の大使館内に逃げ込む殺し屋やら、、 なんとまあてんこ盛りの展開。。

政府による武器輸出が事件にからんでくるので 公安警察との合同捜査になって、、 それで女性警部サーガが登場するのですが、、。 シリアルキラーのユレック登場以降は こういう政治がらみの物語は無くなってしまいましたね。。 警察組織内部でのパワーゲームも随所に描かれてて このころは警察小説としてまだまだちゃんとしてた。。

スウェーデンという国は軍事的に中立の立場をとっていながら武器輸出大国で、 内戦や軍事独裁国家に対しても武器輸出が行われてきたという問題が小説の背景になっているのだけど、 (このラーシュ・ケプレル作品に限らず) スウェーデンがNATO加盟を表明して 今後、 こういうエンターテインメント小説で描かれる国際情勢も どんなふうに変わっていくのかな、、という興味は少なからずある。

第7作『墓から蘇った男』でも、 スウェーデン警察が ロシアやベラルーシの警察から情報提供を受けるという箇所があったし、 (何作目でしたっけ?)ヨーナがロシアの元KGB高官のところに行く話もありましたね、、 スウェーデンってそういう立ち位置なんだ、、と思いましたが、 ウクライナ戦争以降の世界ではまた変わってくるんだろうな。。(この作品に影響があるかはわからないけど…) 


 ***

 「最後に会ったとき、お母さんったらなんて言ったと思う? わたしの手を取って、”ヨーナを誘惑して子どもを作っちゃいなさい”って」
 「母さんらしいな」 ヨーナは笑った。
   ・・略・・
 「それは無理だと思う、って答えたら、 ”じゃあ、ヨーナのことは忘れなさい。振り返っちゃだめ。後戻りしちゃだめ”って」
 ヨーナはうなずいたが、なんと言っていいのかわからなかった。
 「でも、そうしたら、あなたはひとりぼっちね」とディーサは続けた。 「一匹狼ならぬ、一匹フィンランド人」



 第2作『契約』のワンシーンだけど、、 これを読んでいる時には意味がわからない。。 でも、 ヨーナの過去が見えた今では意味がわかる。。 ディーサがなぜ《無理》だと言ったのか。 お母さんが言った意味も、 《ひとりぼっち》の意味も。。
こういう 《わからない》部分のある複雑さがヨーナシリーズの魅力だったんだけど…

ヨーナが孤独でなくなるのはそれは良いことには違いないよ、、 けれど ヨーナは強くなり過ぎてはいけないんだと思う、、 ていうか、 何事も無かったかのようなスーパーマンでいられる筈がないんだもの。。 死神に追われる者がその大鎌を奪い取ったとき、 自らもまた死神と化してしまうのだもの、、

それが描けるかどうかが 第8作以降を決定づける気がするんだけどな…  

 ***

、、と なんだかんだ言って ヨーナ・リンナ・シリーズは読み続けると思いますが、、 ヨーナがあの超法規的措置で刑務所から出られたのだから、 テオドル・シャッキ検察官もそろそろ恩赦で出てきてくれないかしら、、 (笑)

テオドル・シャッキ・シリーズ(読書記>>)はその後書かれていないようですが、 ジグムント・ミウォシェフスキさんのほかの作品も読みたいな。。 ポーランド語はわからないので 英訳出版されたものを見て読みたいなぁと思ってます、、 ナチスに略奪されたラファエロの絵画とそのゆくえを追う歴史家や闇の美術商…
 Priceless Paperback – English Edition by Zygmunt Miłoszewski  (Amazon)


あと、、 『最後の巡礼者』(読書記>>)が面白かったガード・スヴェンさんの トミー・バーグマン刑事シリーズのその後の作品も出てるらしい、、(ドイツ語) 翻訳出ないかしら…

それから それから、、 何度も言うようだけれど 「バビロン・ベルリン」のゲレオン・ラート刑事シリーズ(読書記>>)、、 TVドラマもずっと観てましたが やっぱり本で読みたいわ、、その後が気になる、、


連続殺人鬼とかじゃなくて、 歴史と政治の闇を背景にした東欧、北欧圏のミステリ、、 どうかもっと読めますように…

3月になりました

2023-03-03 | …まつわる日もいろいろ
朝、 新聞をめくるたびにくしゃみが出る季節になりました…

暖かさと肌寒さをくりかえして あと二週間もすればもう桜の開花も間近なのだとか。。

きのうは本当に暖かかったので 白いニットにスプリングコートを羽織るだけでじゅうぶんでした。 電車に乗って、 見ればお出掛けのご年配のかたが増えた気がします 特に女性のかた。。 コロナが落ち着いて やっとショッピングやランチにお友だちと出かけられる安心感が出てきたのでしょう。。

病院帰りに 私もコロナ禍以降 初めて珈琲屋さんに立ち寄って来ました。 予約して出かけた食事以外では初めて。。






珈琲はとても美味しかったけれど 午後も夕方近くにいただくには少し濃かったかな… 今度はもう少し軽めのにしましょう… 

つぎの通院日はもう春真っただ中だけれど、、 今度はどこの珈琲屋さんに行こうかな…


 ***

前回書いた 小説『鏡の男』  読み始めました。

このあいだの気持ちのまま 緊張のまま前作の終わりをひきずって読みはじめると とんでもない肩透かしをくらいました、、 
まったく関連の無さそうな、 まったく違う事件の始まりで・・・

何十ページも主人公すら登場せず、、 そうしているうちに

、、 なるほど 肩透かしのあと はぐらかされるような気持ちになって、、 そのあとでズシンと落とされる。
 


 「人殺しの傍で都々逸を歌うくらいの対照だ」

と、夏目漱石先生は『趣味の遺伝』の中でマクベス劇を引き合いに出して 《対照》の効果を説きましたが、 滑稽な幕間をはさむことの効果、、 「怖しさはこの一段の諧謔のために白熱度に引き上げらるるのである」というわけですね。。

裏返せば、、 この肩透かしゆえに あのラザルス以降の現実に向き合う凄みが真に迫るということか。。 以前と同じままではやはり居られない現実。。 さすがです アンドリル夫妻、、 というか きっと相当考えに考えて 今作をいかに始めるかを練り上げたのでしょう。。 

この肩透かしのおかげで (最初は混乱しましたが…) こちらも落ち着いて読み進められそうな気持になりました。。 すごく気持ちは急いで読みたいけれど(…一気に250ページほど読んでしまったけど)、、 あまり急がずじっくり読みます。


あぁ でも 新しい物語に向き合えるって ほんとうに幸せだな。。



たとえマクベスのごとき暗黒が待ち受けているにしても…



なんて。。





春のはじまりです。