星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

もこもこ…50周年♪

2019-01-31 | MUSICにまつわるあれこれ


昨夜 お友だちが、 ビートルズの屋上コンサートから今日で50年なんだって、 寒い日やったんやね… ってメールくれた。。 
あ、そうだったんだ… って今朝 ジョージのツイートを見たらリンクが載っていました⤵

https://twitter.com/thebeatles/status/1090625920598192128


それで そんな寒い日の屋上だったから、 みんな奥さんのコートを借りて女物を着ていた… っていうことも 昨日50年目にして知りました。。

昨年 ジョージの 「アイ・ミー・マイン展」というのが渋谷で開かれて、 (行かなかったんだけど)チラシを貰って来てて、 そこに ジョージの黒いあのもこもこのコートが マリー・クワント製 って書いてあって、 男物の服なんて作っていたのかしら…? って思っていたんです。。 そうか、 彼女の服だったのね…

、、で 今年 シャルロット・ゲンズブールのMVで似た服を見て欲しくなって、 そっくりっぽいのを見つけて買った、というのはこないだ書きました…♡ 

あのルーフトップコンサートで ジョージが弾いているローズウッドのテレキャスターを 息子のダーニが弾いている映像はこちら⤵
https://twitter.com/GeorgeHarrison/status/1079068445189103616
… ローズウッドだからか (レスポールっぽい音がする)って ダーニ言ってるみたいですね…♪

 ***

今は 冷たい雨から雪が降っている東京ですが、、 今朝はまだ星が見えました。 金星と 木星と 三日月おつきさまの とっても美しい三角形が輝いていました。







もうちょっとの間 この星のコラボレーションは見られるようです。 美しい夜明けの輝きを ありがとう…☆


もこもこで あったかくして おやすみください。

Winterreise『冬の旅』:第十二章「孤独」Einsamkeit

2019-01-30 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


《Winterreise》の歌詞を英語で読めるサイトがあるのですが、 いつもこれを書くたび『冬の旅』の本に載っているドイツ語と日本語訳、 それから英語での訳を見比べて(ドイツ語が解らないので) 自分なりに理解しようとしています。

第12曲の「孤独」は 詩だけ読むと少し意外な印象がありました。
旅人は 炭焼き小屋で一夜を過ごし、 幸せだった春の夢を見、 目覚めて凍った窓に美しい葉模様を見て 夢が夢であったことに気づきます、、それが前章でした。
今の章はその続き… 外は明るい冬の蒼天です。 ぽっかりと浮かんだ雲… 樅の林を抜ける風…

「孤独」… の章はそんな光ある景色の中を歩いている場面。。

詩の第二連には 「durch helles, frohes Leben」とあります、、 (明るい、楽しい生=Life の中を)という意味のようです。

男は旅立ってからずっと一人でした、、 炭焼き小屋で凍えた手足が痛んで眠れない時も、 朝めざめて夢から現実に戻った時も《孤独》だったはず、、 でも、 青空の下を歩いている今が、 孤独だと歌うのです。
… そうなのかもしれません、、 周囲が見えて、 自分の行く先の景色、 あるいは遠くに町とか見えるのかもしれません、 人の生きている気配、、 その《世界》が見えることが 《孤独》を感じさせる…

 ***

ボストリッジさんは この章の楽曲(とくに音階など)の説明に4頁ほど費やしたあとは、 この12曲の意味解釈からはすこし離れて、 《孤独=ひとりでいること》の意味やシューベルトとの関係、 《旅人》についての意味や同時代の画家カスパー・ダーフィト・フリードリヒ(1774~1840)の絵画について 語っていきます。

特に フリードリヒ論(論といっても良いくらい詳しく語られます)の部分は 図版も何点もあり、 とても興味深かったです。 フリードリヒの絵画に描かれている《人物》について、 それが旅人であるのか否か、 その人物はどういう人なのか、 社会的・時代的な意味は… など。




この『冬の旅』の表紙に使われているのも フリードリヒの絵画だそうです、、 ここには一人の人物が描かれています。 修道僧? 旅人? でもここは廃墟のようです、、 この人物はいったい何処へ…?




(ボストリッジさんの本文からは少し離れて)
『冬の旅』の男は 眠る女性の家を離れて旅立ちました、、 《旅立ち》はしました。 、、でも ここまでの歩みは果して《旅》だったでしょうか…? 

、、山へ向かい、 菩提樹の繁っていた5月を想い出し、 凍った川に女性の名を刻み、 鬼火に惑わされ、 そして炭焼き小屋の一夜… 
、、 人生の旅という意味では この男の人生の、この歌以前の部分は不明で 兵士だったのか なにか闘争の日々があったのか 曖昧ですが何かは前半生はあったはずです。 でも『冬の旅』としては 本当の意味での《旅》をこの男が意識するのは 青空の下 たった一人で歩いている今が ようやく《旅》の始まりなのかもしれません。

旅、、 放浪、 彷徨、 さすらい、 流浪、、 探求、 冒険、、 逃避、、 どんな意味を持つ《旅》に男は向かうのだろう……

孤独、、 ひとりぼっち、 身一つ、 孤高、 独立、、 孤立、 無縁、 疎外、、 自由、、 《ひとりでいること》にも いろんな意味合いがありますね……


真っ青な空の下、、 たったひとりで歩いている今の風景は なんだか山頭火のようです。。 
 「分け入っても分け入っても青い山」
 「まったく雲がない笠をぬぎ」

或は 陽水さんの歌「青空ひとりきり」 …… なども想い出しました。

、、 でも 山頭火の境地には至っていないようですし、、 陽水さんの歌の抗いの熱もここには感じられない、、

詩の最後は  (以前の嵐の咆哮のさなかでも) 「war ich so elend nicht」=こんなに(侘しい・惨め)ではなかった、、 と 嘆く言葉で終わります。 
ピアノのダダダダ… と叩くような繰り返しはどこか大袈裟なくらいです。。 、、このピアノの高まりを聴くと この男の嘆きには一種のヒロイズムも感じたりもします、、 そうです ロマン派風の孤独のヒロイズム…

その先は、、 また歩みをみていくことにします。。


 ***

、、 それにしても (全然話はとびますが…)


シューベルツの「風」にしても(この歌詞が『冬の旅』にもとづいているということを半世紀くらい経ってやっと気づきました)、、 陽水さんの「青空ひとりきり」にしても、、 かつてのフォークソングには深い詩がたくさんありましたね、、

(あんまり小さすぎて意味わかっていませんでしたが、 歌詞を記憶できているというのはすごいことです)


心に刻まれる詩…  というのはそういうものなのでしょう…

観戦…!

2019-01-28 | …まつわる日もいろいろ
MLB開幕戦の マリナーズVSアスレチックス戦を見に行けることになって、、やったーー!!

ずっとMLBの事はなんにも書いて無いですが、、2018年もじつにいろいろなことがありました。。 大好きなイチロー選手の事も、 10月のカーショウの苦しみも、、 (カーショウの辛そうな顔をもう見たくないからTV見れなくて…) 、、でも兎に角 東京ドームで(たぶん!) イチローさんが見れる。。(嬉)

 ***

今年の 観戦予定…

2月 オペラシティ
3月 MLBと サントリーホール
4月 ピアノリサイタル 

6月 横アリ
7月 玉アリ

、、 いまのところは、ね。。 4月のクラプトン公演にドイル・ブラムホールⅡも同行するので、行きたいとは思っているし、、 8月にも行きたい遠い場所はあるにはあるけれど… 
首都圏を離れて遠征するのは 去年の名古屋を最後にしようかな…… と、、(身体と相談して)考えているんだけど…

まだ 迷ってる。。。



今朝6時前の星空です。 こんな街灯りいっぱいの湾岸の空でも すっごいキラキラと☆が輝いていました。 金星と、木星、、だそうです。。 今、並んでみえるらしいの。 肉眼だと木星のほうが少しオレンジがかって見えました。

ホルストの ジュピター、、 今聴いたら泣いちゃうな… (なぜか妙におセンチ)


こちらは昨日の夜明けです。



おととしに この3月のウルバンスキ君の公演を買った時には 2019年まで生きてるかもわからないけど… って(冗談で)書きましたけど その日はちゃんと生きてそうだし… 今年もこんなにたくさんの観戦スケジュールを励みにします、、


毎日 ちゃんと夜明けを迎えること…

Winterreise『冬の旅』:第十一章「春の夢」Frühlingstraum

2019-01-27 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


ここまで聴いてきたなかで、 この第11曲ほど 曲調と速さの浮き沈みの変化が激しい曲はなかったように思います。。

旅人は 炭焼き小屋で眠りにつき 《春の夢》を見ます。 それは言うまでもなく あの女性と過ごした5月の日々のこと、、 夢から覚めた瞬間の高揚した気分は… まるでお花畑で飛び跳ねているかのような、、

そのあと 雄鶏の声に覚まさせられ 自分が寒い小屋にいることに気づく混乱…

凍った窓には 氷の結晶がまるで葉のようにひろがっているのを見つけ、 そんな氷の絵を描いた者らは、 暖かな春の夢を見ていた自分を嗤うだろう、、と 自嘲する時の 深い落ち込み、、

、、《春の夢》を想う躁状態から、 現実に引き戻される急転、、 さらに今の自分を嗤うかのような嘆き、、 詩の一連ごとに気持ちのアップ&ダウンが表現され、 それが一度ならず、、 もう一回《春の夢》に立ち返って心が浮き立ち、 再び雄鶏の声に引き戻され… 最後は、、 

窓の氷の葉模様はいつになったら緑になるのか… 私はいつ愛する人を腕に抱けるのか… (と、叶わぬ願いを口ずさみ) 、、ピアノはずーーん、、と 絶望的な嘆きの音色で終わる。。


 ***

寒い寒い朝に 窓ガラスに霜の花が咲いたように模様を描くのを見たのは もうずっと昔の子供の頃だけですが とても美しく不思議な現象でした。 

夢で暖かな花園を見た旅人が、 目覚めて窓に凍った白い結晶の葉模様を見て、 まるで氷の精かなにかが 寝ている自分を覗きながら窓に描いたように思う、、 少し悲しいけれどとても詩情あふれる美しい光景です。 目覚めた旅人の嬉しさも混乱も孤独も、、 痛々しく感じられ そっと見守ってあげたいような気持ちになります。




けれども、 ここでのボストリッジさんはその旅人の心に寄り添うのではなく、 窓に氷の葉模様を見て そこに精霊や神の働きを感じるような浪漫的イマジネーションと、 氷の現象にはなんら神秘の手が働いていないことを解明する科学の歴史との 文学と科学のせめぎ合いを多数の例を挙げて (いささかアイロニカルに)語ります。

、、最初にこの章を読んだとき、、(もう これだから英国知識階級には浪漫の欠片も無いのよね…) と苦笑してしまいました。。 まるで人知の及ばない不可思議などこの現実世界には存在しない とでも…?
(もちろんちゃんと読むとボストリッジさんの意図はそんなことでは無いと分りますが)

そのことを理解するためには ボストリッジさんの言葉…
 「…この連作歌曲集では、自然界における人間の立場にかんする問題 …(略)…が大きな関心の対象となっている」
、、の箇所をよく考えてみなければいけません。。 (え、そうなのですか? …この冬の旅とは失恋の青年の旅立ちではないのですか…? 或は 前に読んだように 当時の政治的背景にもとづく思想・行動を暗示する旅とか…) 、、更に、 自然界における人間の立場、ですか……? 、、むずかしくなってきました。。

 ***

天から降る氷の粒が あの美しく複雑な雪の結晶のかたちであるのも、 窓ガラスが凍って葉模様の絵が描かれるのも、、 自然界のおどろくべき奇跡としか言いようがないし、 なぜそんな不思議で美しい現象が起こるのか まるで精霊か何者かの魔法と感じるのも当然だし、、 そのような自然の不可思議のなかで 人間はただ魅了され、、 ただ驚くだけの無力な存在でいなければなりません。。 でも無力だからこそ、 自然は無数の奇跡をわたしたちに見せてくれているような気がします…

… ここまで書いていて なんとなく思いました。。 人の心もいろんな事に対してじつに無力です、、 例えば恋についても。。 無力ゆえに旅人は思い出さずにはいられないのですし、 美しい《春の夢》を見てしまうのですね。

、、この旅人(シューベルトやミュラーの表現する)は近代の人間です。 ボストリッジさんもまた、主に近代以降の文学や思想を引き合いに出して語っています。。 もう少し、 いえもっともっと古代の人の目で《ガラスの葉模様》や《春の夢》を見たらば、、 この旅人の苦しみはもっとちいさなものになるはずでは…?

プリミティヴな人々や万葉の時代であれば、 夢も雪の結晶も霜の絵も ここにいない誰かの魂や幻の手が為した事と、自然とそう考えることでしょう。。 そして純粋な喜びにつつまれることでしょう。。 

  夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
             ―― 大伴家持

万葉の時代にガラス窓はありませんでしたけど、 もしもこの歌のように夢に想いの人が訪れてくれるのを待つ男ならば、 窓に霜の葉模様が描かれていたら きっとすばらしい恋文を送ってもらえたと思い、 魂が訪れてくれたことを喜ぶことでしょう、、 

霜の葉は決して緑に変わることはない… と、 近代に生きる旅人には 夢と現実の境界が明らかであるがゆえに 突きつけられる現実は冷酷で、 だから夢想を切り捨てて 新たな現実世界の旅へ戻っていく自分にまた向き合わなければならない。。 そういう現実的・現代的な苦しみなのですね。。 
ボストリッジさんのアイロニーは そこのところを踏まえてのことなのかもしれません…

 ***


、、『嵐が丘』の 枯れ枝が窓を引っ掻く音に、 幽霊になって入ってこい! と叫んでいたヒースクリフ。 

あの激情が むしろ羨むべき真情に思えます……



a new lease on life (&追記♪)

2019-01-25 | MUSICにまつわるあれこれ
左サイドバーの音楽をちょっと変えました。。

ジョナサン・ウィルソンさんのKEXPライヴがあったので見ていたら、、 ジョナサンの歌い方がますますロジャー・ウォーダーズに似てきてて笑ってしまった。。 ずっと一緒にライヴツアーをしていて フロイドの歌ばかり歌っていたから似ちゃったのかしら…?

それで KEXPライヴの他の動画をちらちら見る中で、 ライヴがとても良かったバンド、、 Among Authors フルパフォーマンスの動画はこちらです⤵
Among Authors - Full Performance (Live on KEXP)

インタビューに答えているキーボーディスト兼ヴォーカリストの声はわりと細くて優しい声なんだけれど、 歌うと表現力とパワーが出てきて、 バンドの演奏もいいし、、

bandcamp でアルバムも聴けます。。 

…… で、、 類は友を呼ぶ? のかどうかは知りませんが、、 ヴォーカルの彼はどういう病気なのかは知らないけれど 23歳で開胸心臓手術を受けて命を長らえたそうで、、 インタビューでもその話をしていて、、

、、手術を受けなければ余命半年とかだったとも、、

、、 確かにね どんな手術かにもよるけれど その若さで開胸術を受けるのは相当深刻、ハードな体験であったに違いないし、、 多くの人がそんな人生とは無縁に生きているのだけれど、、 きっと だいじょうぶ。。 まだ生きられるよ。。 少なくとも あと倍の人生は生きてね。。 (いや、3倍は)
そう願ってるし、 きっと だいじょうぶだと思うよ。。 先輩おねぇさんからの(遠くからの)メッセージ……


それがね、、 彼等の動画を見つけて そのバイオグラフィーを知ったのが わたしの術日だったので少し可笑しかった…… 類は友… ってこと?

あ、 そうそう。。
彼等のバイオグラフィーを見てて、 新しい英語を知りました。 「a new lease on life」
… 元気になる。 寿命を伸ばす。 …端的に言えば 命の新しいリースが与えられる、、 ってこと? なんだかレンタル契約みたいで 笑っちゃった…

a new lease on life


、、 そろそろ 車検のなかなか通らないクルマみたいになってきたけど、、 もうちょっとがんばるよ。。 おねぃさんも。。


  ** 追記 **


THE YELLOW MONKEY - I don't know
 今朝 新曲のMVがアップされていました。 (ほんとうはアルバム発売まで無視していようかと思ったんですが… MVの誘惑には勝てませんでした 笑)
、、再集結以降に発表された曲たち、、 ドラマの主題歌とのタイアップになるといくら天才詩人吉井さんと雖もどうしても歌詞に配慮が加わるので そこに一抹の物足りなさをずっと感じていたんだけど、 (本当に歌いたい歌、 4人で演りたい音だけでアルバムを創って欲しかったから) 今回もドラマ主題歌なんだけど…
…… この歌は好きです。 MVの撮り方もすごく好きです。
もう何回も一時停止しながら見ました、、 エマさんが レスポールカスタムのヘッドを上げたり、寝かしたり、 脚を開いたり、 片足を上げたりするたびに…… 笑  (←嘘、、 じゃないけど 4人の笑顔(とカッコ良さ)は無敵♪

Hozier - Almost (Sweet Music)
LOVINが I don't know と歌い、 ホージアが I wouldn't know と繰り返す… 
、、 過去の名曲タイトルをコラージュした愛に溢れた曲ですね。。 今度のホージアのアルバムタイトル 「Wasteland, Baby!」 をみた時、 T・S・エリオットの「荒地」かな? と思ったんですけど、、 この歌のコラージュからすると多分そうなのでしょうね。。 「荒地さ、Baby!」… って感じ?

Among Authors - Lure (Live on KEXP)
これについては上に書きました。。 シンプルなリフの繰り返しの曲の中で、Jazzっぽいドラマーさんの巧さがすごく生きてますね、、

Charlotte Gainsbourg - “Sylvia Says” (Official Music Video)

このMVが出たのは去年の夏あたりだったと思うんですけど、、 衣装が冬っぽいので今にしました・笑
、、シャルロットの着ているモフモフコート(ゲットバックの屋上でジョージが着ていたような)、、 これが欲しくて本当にそっくりみたいなのを見つけて、 今冬はそればかり着てます。。シャルロットとベックたんは 私のファッションアイコン、、

Thomas Azier - session at Eurosonic 2019
  Thomas Azierくんは何度か載せていますね。。 オランダ生まれで ベルリンを拠点に東欧や仏で活動しているエレクトロポップのシンガー。
このカーキのコートがいかにも東欧的で(日本人が着ると通勤コートにしか見えないけど…)、、 彼のクールな風貌とかなんかシニカルなキレ具合(?)とかも 英米のポップには無い感じで気に入ってます、、

Gary Numan - Down in the Park (Live at Brixton Academy)

 もう別に説明の必要も無いゲイリー・ニューマンさん。。 このツアーでのステージ衣装もニューマンさんのおじさん体型にはダサくなりそうなんだけれど 有無を言わせぬ近未来世界感にしてしまう宇宙ヴォイス。 観客の巻き込み方も見事、です、、

Jonathan Wilson - Trafalgar Square (Live on KEXP)

 ジョナサンも上で書いたから特に無いです。。 そのモグラ眼鏡と服のセンスはよくわからないんですけど…… 

Hozier - "Shrike" (Recorded Live for World Cafe)

 この1曲のために購入したレコードはまだ届きません……泣 
さっきこのライヴのホージアのギター伴奏の タラリラリラ… ラリラララ… というのを聴いていて バタやんを想い出してしまい、、 そう思ったらますますバタやんの伴奏と相通じるふうにしか聴けなくなってしまったゎ、、 バタやんのナショナルのギターの音色も本当に素敵です、、(赤とんぼ>>

Adrianne Lenker - symbol
 彼女のことはほとんど知らないのですけど、 この歌とMVに出てくるコニーアイランドと映る人たちがすごくチャーミングだったので。。 最近のアメリカと言えば息苦しいニュースばかりなんだけど、 今でもコニーアイランドではこんなにみんながのびのびと 恐ろしい事などなんにも考えずに子供と一緒に遊べるのかな… みんななんて幸せそう…

THE YELLOW MONKEY – SO YOUNG
、、 春だから、、ね。
誰がなんて言っても キミが好きだよ…


Winterreise『冬の旅』:第十章「休息」 Rast

2019-01-23 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)



前章で 「鬼火」に惑わされるかのように 「grave」へと続く涸れ谷を下って行こうかとしていた旅人でしたが、、 どうやら 無事に山間の炭焼き小屋へ辿り着いたようです。

ようやく風雪から逃れて 身体を横たえられる場所を見つけられたものの、、 今までの緊張と疲労がどっと押し寄せてきたのでしょう、、 どんなに自分が疲れていたかに初めて気づき、 横になってみても手足はひりひりと痛んで休もうとはしない… と。
そして、 心の中にもなにか虫が突き刺すような痛みがうごめいている… と。

最後の「突き刺すような」痛みのところで 歌声は一気に高音に跳ね上がり 旅人の叫びのように聞こえます、、 それでも 歌のあとのピアノはゆっくりと最後は穏やかに止まっていき、、 この旅人が炭焼き小屋の中でどうにか眠りにおちたことを教えてくれます。
 
 ***

ボストリッジさんは 楽曲の全体像をとらえた後、 「炭焼きの狭い建物」と具体的に著されている箇所に着目して、 この無人の炭焼き小屋、 それから 炭焼き職人という仕事について考え、、さらに、 この歌の旅人がどういう人間かほとんどほのめかしの無い中で ミュラーがなぜ 「炭焼き」という具体的な存在をここで示したのか、 「炭焼き」の意味について考察を重ねていきます。

、、 産業エネルギー源としての「炭」の歴史を紐解くあたりは いかにも産業革命の国 英国の学者さんだわ、と感心しつつも、、 ミュラーとシューベルトの時代における 工業化とエネルギー需要と森林破壊等… そこまで頭をめぐらすのは せっかく一夜の休息の場所として「炭焼き小屋」を見つけた旅人に対して なんだか無粋なような、、 少しばかり大袈裟なような、、
、、そんな風に思いながら 「炭焼き小屋」の意味について私なりに想いをめぐらせていました…


「炭焼き小屋」… 
旅人がたどりついたのが 炭焼き小屋であるということは ここが荒涼とした原野ではなく、 山腹の森林の中にあり、 人里からは少し離れているものの 雪に閉ざされる前はここで炭焼き職人が寝起きして 炭を焼く窯の煙がいつでも立ち昇っていた… そういう人間の暮らしとの結びつきを感じる なにか安心感をおぼえます。
、、今は無人で 周囲は雪と氷に覆われていて 旅人はたしかに孤独で疲れ切ってはいるけれど、 炭焼き小屋には おなじように孤独に寝起きし炭を焼いていた人の気配が残っているだろうし、、 なにより 火を焚いて暖まることが出来る場所なのかもしれません。 だから その安堵感ゆえに今までの道のりの緊張が溶けて ようやく旅人は自分がいかに疲れていたかに気づいたのでしょう…

雪と氷の上を歩きつづけて、 すっかりかじかんでしまった手足。。 その手足を伸ばしてもすぐにはラクにならないことは 厳しい寒さを知るとよく分かります。 かじかんで無感覚になった手足がゆっくりと暖まっていくときに、 温かさよりも まず痺れるような痛みがじんじんと襲ってくるのも、 なんだか分かる気がします。 

旅人はこの小屋で火を熾すことが出来たでしょうか… 「火」につながる言葉が詞にも表れているのはそのせいでしょうか…

brennen 燃えるように痛む手足

mit heißem 灼けつくように刺す 心の中で蠢く 「Wurm」 (これが花につくような虫なのか 蛇なのか 竜のようなものなのか、、 とボストリッジさんも考えています)

小屋に身を横たえて やっと眠ろうとしている旅人の心の中でうごめく「Wurm」、、 これが火の温もりの「warm」(ドイツ語でも暖かさは warm ですから)ではなく、 「Wurm」のように疼くもの、、 だというのは やはりあの家に住む女性の思い出が心の疼きとなって蘇ってきたのでは…


 Auch du, mein Herz, in Kampf und Sturm
 so wild und so verwegen,

、、↑を英語として読んでもなんとなく解りますね、、 ああ 私の心、 戦いと嵐の中で あんなにも荒々しく精悍だった… (その心を虫が刺すように疼くのだ)

ここで不思議に思う言葉が「Kampf」=戦い・闘い という言葉。。 旅人はかつて兵士だったのでしょうか…? 女性の家に逗留した5月以前、、 この旅人がどのような日々を送っていたのか何もわかっていません。 かつて「戦い」と「嵐」の中にいた男が、 春から秋まで一軒の(おそらく格式の高い人の)家で暮らし その家の娘と恋に落ち、、 しかしある明け方 女性を残して旅立つ…

少し前に読んだ スティーヴンソンの『オララ』の軍人みたいなのかしら…? 怪我を負ったためにさる貴婦人宅での療養をしていた軍人の一目惚れの恋… (tweet にしか書いてませんでした。 こちらを>>




、、 炭焼き小屋と旅人について こんな感じに想像をめぐらせた私でしたが、、 ボストリッジさんは ここから《炭焼きの存在が私たちに秘密の政治的なメッセージを送っているのかもしれないということだ》、、 と、 きわめて大胆(と思えるよう)な突っ込んだ解読をしていきます。

シューベルトや 詩人ミュラーが生きた時代の政治的背景、 その中での芸術家の位置や国家権力との関係、、 若きシューベルトやミュラーもまた 国家や政治に対する意思を持ち 検閲などの権力と対抗しながら芸術を生み出していたことなど……

、、 そして《炭焼き》とそれがどう結びつくのか……

近代ヨーロッパ史に全く疎い私には この解読の部分を理解するのにとっても時間がかかってしまいましたが、 最初は あまりにも大胆な考察、、と思えた解釈も 少し自分で検索したりしてみると なるほどと思える部分が確かにありました。。


この旅人が 『オララ』のような一目惚れの恋におちた元軍人だったのか、 それとも、 バイロン的精神を秘めた闘士なのか、、  心に留めながら この旅の先へと進んでいきたいと思います。。

 ***

ところで…

炭焼きについていろいろ検索しているうちに、 日本の和歌でも たくさん《炭》について詠んでいるものがあることを知りました。 そして「埋み火(うづみび)」という季語を知りました。

 「いふ事もなき埋み火をおこすかな冬の寝覚めの友しなければ」(源師頼)


旅人の心を刺す 「Wurm」とは、、 自ら埋めた恋心の「埋み火」なのか、、 かつて自分が抱いていた何かへの闘争心の「埋み火」なのか、、 掻き立たせれば再び燃え出す そんな「埋み火」のような 秘めた心の疼きなのかな… と そう思うのでした。。

今朝の空 till dawn...:『エイルヰン物語』と「黄金の夜明け団」

2019-01-20 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
今朝、、 夜明け前の東の空に とても素敵な光を見ました…


見て、、  みて!!



加工もなにも施してない そのままの画像ですよん♡



少し引きにして写すとこんなかんじ
海上から街まで全部の画像だともっと美しいんだけど、、 建物とか色々写ってしまうのでここまでで。。



海上の雲間から太陽が顔を出し始めると、 薔薇色の光線はゆっくりと消えていきました

 ***

ね? 素敵でしょ…? まさに 薔薇十字の夜明け。

このブログでも過去に漱石がらみで幾度か書いた事のある 19世紀末英国の ヲッツ=ダントンによる小説『エイルヰン物語』(過去ログ>>

その中にも こうした 光と雲がつくりだす《薔薇十字》の事が何度か出て来ます。 それは、、 ウェールズの山スノードンの山頂から見る太陽の光の十字架として描かれていて、 それを見ることはなんらかの《予兆》でもあるのです。。
、、なんだか、、 イェイツなども係わった事のある「薔薇十字団」 そののちの「黄金の夜明け団」The Hermetic Order of the Golden Dawn が言いそうな事にも思えますが、、 物語の中では ウェールズ地方のロマ(ジプシー)の人々の教え、なのです。


『エイルヰン物語』戸川秋骨譯 大正4年

物語のほんとの結末部分です。(私が眼にしたのとひとつ異なるのは、 私が見たのは夜明け、 エイルヰン物語では夕暮れ、、。 でもスノードン山から海を見る方角は西なので夕暮れしかこの薔薇色の十字架は現れないし、 東京では東しか海は無いから、 薔薇色の十字架が見られるのはきっと夜明けでいいんだと、、 勝手に解釈しています… 笑) 

ここに出てくる「十字架の前兆(しらせ)」 は、原語では "the Dukkeripen of the Trushul."

Dukkeripen は fortune-telling

Trushul は ロマの言葉で cross


 ***

きょうは 大寒です。 

その朝にもたらされた 《fortune-telling》 、、なにを教えてくれているのかしら…



だいじょうぶ…  どんな未来でも 素直に受けとめます。。


どんな日も…

2019-01-19 | …まつわる日もいろいろ

 「吹雪が通り過ぎるときに混乱が生じるのは怒りのためではなく、それがあまりにも強大であり、比べて吹雪が触れるもの、とくに人界のものは卑小でありすぎるためだ。

 … 彼の経験では、純粋な悪意から事を起こすのは人間だけだった…」


、、 今読んでいるミステリの中の言葉。。
針葉樹の森と凍った湖と雪と嵐とアメリカ先住民の村が出てくる 真冬の物語。 
、、この引用のところを読んで、 わたしたちが古来から 自然の神の怒り と、 自然の災害や天候の異常についてよくそういう言い方をしてきたことをあらためて思い返して、 そうか… 先の言葉の言う通りかもしれない、、 自然が本当に《悪意》をもって何かを起こすことは決して無いのだ、、 とそう思いました。。

、、 万物に神 或は精霊は宿る、、 そうかもしれないし、 そうだったらいいと思う…  その神や精霊を鎮める為に、、 わたしたち人間にとっての災いがもたらされないように、 祈ったり祀りをしたりする、、 それでも起こってしまう天変を わたしたちは《怒り》と呼ぶけれども、、 (確かに私たちは怒られていると感じるし、 怒りに値する結果であることも多いけれども)、、 でもそれは 自然の《悪意》ではない。。 どんな天候、どんな自然にも 悪意は無い、、 そうだよね。。

 ***

子供のころに戻りたい… と思うような輝いた子供時代は自分にはそう多くはないけれど、 もう一度あの景色の中に立てたら… と思う景色はいくつかあります。 
そのひとつが、 全面結氷した山の上の湖のスケート場。 、、今かんがえるとあんなに広い湖に厚さ30センチくらいの氷が張りつめるなんてどんなにか寒かったろうと思うけれど、 ちっとも寒かった記憶が無い、、

スケートリンクが3面くらいあって、 見渡す限りの氷の上で、、 湖の周りは森だけ、、 そして湖の上はなにもない空だけ。。 ところどころごつごつした天然のリンクが私は大好きだった。
、、 ときどき 氷が押されて音を立てる、、 重い グゥーーーーというか ギィーーーーというか、 低い唸るような音、、 あの音をもう一度聞いてみたい。。
(想い出す限り 写真を撮ったという記憶がないのが残念。。 学校でも友だちとでもあんなに何度も行ったけど、、 どこかに残っているかな…… 今ならどんなにか美しい景色がスマホ動画で残せるだろうに…)

、、 今読んでる本の中では、 湖の上をスノーモービルや車が平気で走り回っている。。 穴釣り小屋があちこちにあって。。 

、、 そんな本を読んでいるから、 あの子供時代の湖が見たくてたまらなくなった。。 もう二度とスケート場はできないだろうけれど、、 それも 自然の神さまの《悪意》のせいではないよね、、 私たち自身の手で失ったもの、、 失った時間。。



少し風の強かった一昨日の夜明け



きょうはなんにもない 青空。。 


どんな日も 空には一片の悪意も見つからない… 、、そうして見上げた眼を自分の心に戻して、、 … あぁ 反省することいっぱいだ… (苦笑)


、、 よき週末を …

Winterreise『冬の旅』:第九章「鬼火」Irrlicht

2019-01-15 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


年末に 第八章「かえりみ」のところで終えたのは、 必ずしも切れの良い章だったから というわけではなくて、 出来れば半分の12章まで行けたら良かったのですけど、 年末に心慌ただしく「冬の旅」について考えるのもどうかなと思い あそこまでにしました。 …さて、 つづきです。

第9章「鬼火」
ボストリッジさんは まず《鬼火》という現象が近代になって化学的に研究されていった歴史を説明します。 現代でも プラズマだとか メタンガスだとか 様々言われているようですが、 ミュラーが詩作した時代 そしてシューベルトが作曲した時代には まだまだ《鬼火》は 人を惑わす妖しい火として怖れられていたことでしょう。。

前章「かえりみ」までで 旅人は凍った川を渡り 山深くへ登っていったと思われます。 そうして、 誘うような 惑わすような 《鬼火》を今 見ています。

ボストリッジさんは その《鬼火》の誘うような感じ、 追えばふっと逃げていくような感じを、 楽譜に沿ってとても詳細に解説を加えています。 その解説に助けられて 私にもこの《鬼火》と旅人の姿がなんとなく見えてきました… (本文には触れませんので、念の為)

 ***

追えば逃げる、、 でも 遠くでぼおっと幽かに燃える火… 、、これまでの歌の中で聞き覚えのある旋律の変容がこの9曲で表れているのも、 これが《幻惑》であることを意味しているようです。
けれども その姿は恐怖というより どこかおとぎ話的な可愛さもあり(ピアノの感じも) なんだか頭の中に オーギュスト・ルドンの描く《眼》のお化けみたいな感じが浮かびました、、 時代も場所もシューベルトとは違いますけれど…

でも その誘いに惑わされてついて行ってはいけないことは この旅人にも分かっているようです。 自分が見ているものが《鬼火》であることも 分かっているようです。 それなのに、、 (迷ってもいいさ)というような どこか投げやりな旅人の言葉(詞)が第一連、 第二連にあらわれます。

 Life's but a walking shadow, a poor player

人生を影法師に喩え、 自らを哀れな役者 と詠ったのは シェイクスピアの「マクベス」ですが、、 ここでの旅人は《鬼火》と分かっていて その惑わしの中に自分を投じて、 そしてどこかでその自分を嗤っているかのようです。


 Unsre Freuden, unsre Wehen,
 alles eines Irrlichts Spiel!

《喜び》も 《悲しみ》も すべては《鬼火》の戯れ(ゲーム)…

鬼火を英語では 《will o’ the wisp》 直訳すれば 「たなびく煙の意志(のように当てにならないもの)」という感じ? 、、でも 旅人は《鬼火》の戯れについて当てのない方向へと歩いていきます…





第6章「あふれ流れる水」Wasserflut で、 旅人は自分の流した涙の流れは やがて愛する人もとへ… と考えました。 しかし、 第9章の第3連で旅人が辿って行こうとしているのは 「水の涸れた谷」なのです。 その谷を下って行こう、、と。。

… 旅人さん 貴方は山へ向かっていたはずでは…?

涸れ谷を行ってはいけません、、 もう涙も涸れてしまったから…? 疲れ切ってしまったから…?
、、 でもそこには水は流れていないのよ、、 


涸れ谷の先にあるのは…


「Grab」 = grave


、、 旅人は分かりつつ その谷を下っていこうとしているのでしょうか、、


 ***

ところで、、 《鬼火》が プラズマであれメタンガスの自然発火であれ、、 川も凍結するような真冬に鬼火って発生するものなのでしょうか… なんとなく 夏のイメージのある鬼火…

、、 それとも この旅人が見ている鬼火そのものが 幻の火 なのでしょうか…


そんなことを考えながら検索していたら こんな「真冬の鬼火」に出会いました。。 こんな素敵な鬼火ならば誘われてついて行ってみたいです、、 たとえ 「地獄」と名の付く谷がその先に待っていようとも…… 笑  美しい幻想的な鬼火ですね。。

鬼火の路 幻想と神秘の谷 (登別国際観光コンベンション協会)>>


…… 北では暴風雪の予報が出ています


暖かくして  お気をつけてね …

空へ…

2019-01-14 | …まつわる日もいろいろ










待つ春は あの光の中に ……





心にはいつも…

2019-01-12 | …まつわる日もいろいろ
この賀状……




… 知らない人が見たら じゅうぶん素敵なラヴレターになりますね、、 笑


この本、、 この音楽、、 この出来事、、 この世界、、 について
貴方なら そして あの方なら どんな風に言うかしら…


私も いつも心の中で 語り合っています。

、、 いつも心の中にいる 愛する友やたいせつな師と…


この賀状を頂いて、 (昨年書いたように) 自分という存在が己たったひとつで成り立っているのではないこと、、 たいせつな人たちの面影の総体であること、、 誰かの心の中にも 私が存在できるという幸せを…
思わせて貰えました

 ***





来週から また『冬の旅』の読書のつづきを始めます。。


そして また 心で語り合いましょう…

ジャクソン・ブラウンさんとSRV

2019-01-08 | MUSICにまつわるあれこれ


、、ジャクソン・ブラウンさんの1982年のモントルーの映像をみつけてしまい… (もう病気…の状態 笑)

82年には 英国のグラストンベリーにも出演していたのですね、、 その映像もあるみたいだけど そちらはまだ見てない、、。 82年のモントルーと言えば、 前にも書きましたが、 スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルが レコードデビュー前にもかかわらず モントルーに出演して、、 そのステージを見たデヴィッド・ボウイは次作「レッツ・ダンス」でSRVにギターを弾かせ、、 そして ジャクソン・ブラウンは自宅スタジオを無償提供してSRV&double trouble にレコーディングさせた、、のでしたね

ジャクソン・ブラウンさんは 80年の「Hold Out」が その前の「孤独なランナー」よりも売れて(ビルボード1位) その頃人気絶頂だったのですね、、。
ジャクソン・ブラウンさんへの、というか アルバム「Hold Out」への個人的な思い入れについては 前にちょっと書きました。。 ハイティーンの私を支えてくれた まさに「Hold On Hold Out」な一枚。。

、、だから Hold On Hold Out - Montreux 82 を見たら、、 やっぱりたまらない気持ちになったし、、 涙うるうるなんだけど、、 ジャクソン・ブラウンさんがあまりにも若くて (この時33歳なんだけど 少年ぽい風貌だからすごく若く見える) 、、《か、、可愛い…》と、、笑
、、 でも あのセリフというか 独白を語る部分は 胸が疼くし昂るしきゅーーーっとなって死にそうになります、、 こちらがどんなに年をとっても…

見たのはそれと  The Load Out + Stay - Montreux 82 だけなんだけど、、 一昨日「Stay」聴けなかった、、って書いたので モントルーの The Load Out + Stay 見れてすごく嬉しかったです。。 82年らしく あんなチャラい(←失礼) 振りまでみんなでしていたとは…… 笑 (リンクしませんので探してみてね)

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さっき 《か、、可愛い…》 なんて書いてしまったけれど、、 そんな風に若く見えるジャクソン・ブラウンさんが この時、 SRVのステージを見て援助を申し出ていたんだなぁ、、 って改めて思って。。



これは 80年8月の「Jam」誌です。 表紙はデヴィッド・ボウイさんですが 中にはボウイの記事は… 見当たらないみたいなんだけど、、 (宝焼酎の広告が見開きで載ってます)

以前に載せた ジャクソン・ブラウンさんが表紙の「ウエストコースト特集」が9月号。。 この時「Hold Out」が新譜で インタビューが載っているんです。

上の8月号には 岡田英明さんによるジャクソン・ブラウンの記事(というか岡田さんのJBへの個人的思い)が綴られていて、、 Running on empty の歌詞を引用しながら、、。 岡田さんとJBは同い年なんだそうです、、

記事の最後はこう締めくくられています(引用、御免なさい)
 「2001年には、ぼくは53歳だ。 そのときには“ランニング・オン・エンプティ”を聴かないだろう。だが、聴いたことを、忘れてはいないだろう。」

、、この岡田さんの言葉の意味は 正確にはわからないし、、 今現在、 岡田さんがどう思われるのかは全然わからないけれど、

自分にとってある時期にとても重要な意味を持っていた曲なり、 詞なり、、 余りにも自分に密接すぎて、、 自分が変化をしていった時、 或は成長しなければならなかった時期、、 どうしてももう過去を断ち切らなければならなくなる。。 そうしてもうそれらの曲を聴かなく(聴けなく)なる。。 私にとっての「Hold On」や「Running On Empty」もそうだったし、、
ボスの70年代、80年代のアルバムや楽曲も、、 今の自分にはいまはボスの歌を必要とするときではない(頼らなくてもいられる、という意味で)、、 そう思って聴かない時期もかなり長い期間あったし。。

、、 でも 聴いたことは忘れてない。 そして どんなに必要としたかも、 当時の想いも、忘れてない。。 そして 40年近くも経って ジャクソン・ブラウンさんは今も 「Running On Empty」を歌ってくれているし、、 私も今も自分にとって またふたたび重要な、 懐かしさだけでなく、 今の自分に重要な、、 そういう歌として聴くことが出来るようになった、、 「Hold On」や「Hold On Hold Out」もね。。

、、 人間て、、 若い時は若さゆえに何かが足りなくて苦しくて それである歌に背中を押して貰ったり闘う力を貰ったりするものだし、、 でも、、 ある年齢を越えると 今度はその年齢ゆえにいろんなものが思うままにならなくなったり自分がもどかしかったり、、 だからまた色んな事に抗ったりちょっと頑張らないといけなかったり、、 そんな風にしてまた歌を必要とする時期が来ているのかも、、?
思い出とか、 懐かしさ、 そればかりではなくて……

 ***

あ!! そうそう 

ジャクソン・ブラウンさんとSRVがふたりで「Stay」を演奏している音源があったのよ! 凄~い 吃驚した。。 89年ですって


きょうは デヴィッド・ボウイさんのお誕生日でした。 Happy Birthday !!






、、朝のスープを作っていたら 窓ガラスが曇って、、 それで 窓の水滴越しに朝陽を撮ったら まるでターナーの絵のようになりました。。



日常の先にこそ…

2019-01-03 | …まつわる日もいろいろ
早起き、、といっても平日通りの午前5時台の目覚めですが… 今朝はそのおかげで素敵なお月さまが見られました。




ほんとうはもっと金の刃先のような細い月だったのですけど スマホで撮ったのでこれでご勘弁くださいな、、

そして その時間にふとTVをつけたら
ウィーンフィルでもご活躍になっている和樹・直樹御兄弟の演奏する 「クラシック倶楽部 ウィーン・ニコライ弦楽四重奏団 演奏会」が見られて幸せ…

まだ寝静まっている時間なので 照明も小さく、 イヤホンで聴いていましたが 弦楽四重奏のそれぞれの音色、、 つややかで素晴らしかったです。 早起きして良かったです。




しばらくすると 美しい夜明けが、、 
元日には雲間からの初日の出でしたが、 昨日も今朝も絶品の太陽さんが昇ってきました…





お月さまに 弦楽の煌めく音色、、 そして 黄金色のお日さま…。 新年であろうと いつであろうと、、 たとえ雨雲の下であろうと、、 私たちの世界はいつでもこんな美しい宇宙の中を日々巡って旅をしている、、 そのしあわせを決して忘れたくありません…

 ***

昨夜の 玉木宏さんによる 「ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番」(番組HP>>)のドキュメンタリー、 とても良かったです。 ショスタコーヴィチの交響曲についてはあまり詳しくないので 時代の事、 大戦下の状況、、 知らないことばかりでした。

、、ナチスに包囲されたレニングラードでの演奏会で、 指揮者の元へひとりの少女が持ってきた花束。。
食べ物も無い日々の中で 花を育てようとした一家…

 ***

どんな困難な状況の下でも 日常の暮らしを忘れないでいること…  それこそが人間の尊厳を守り、 心を癒し、 人に夢を信じる力を与える……


特別な日々が夢をもたらすのではなく、 あたりまえの日常こそが 人に夢を見させてくれるのだと思います。。 その夢とはまぼろしのような儚く脆いものではなく、 生きつづけるためのひとすじの光…


楽団員は音楽を、、

そして 少女の一家は花を、、


日常を守りとおすことが極めて困難な時代にあって、 そのささやかな日常こそが彼らに生きる力を与えつづけたのですね……


2019 よろしくお願いいたします

2019-01-01 | …まつわる日もいろいろ
2019年の太陽は 湾岸では水平線上にかかった厚い雲の向こうから ゆっくりと昇ってきました。




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新年にだけ テーブルに掛ける織物 、 十年程前 旅先でふらりと立ち寄ったお店で買った 何織りというのかもわからないけれども とても好きな色合いと柄。

さきほどまでお酒とお料理が載っていましたが、 いまは一休み。。


昨年の夏ごろだったか買った古書を置いて撮ってみました。


アーネスト・ダウスン著 『悲恋 -ディレンマー』白帝社  


ダウスンの作品集は、 平井呈一さんのものや 最近では岩波文庫の 南條竹則 編訳 などでも読めます。 
1900年の真冬、 酒と病苦と貧困の末 32歳で亡くなった詩人、そして小説家。 作品の多くは、あのビアズリーの挿絵で知られる雑誌『サヴォイ』に掲載されていたそうです。

デカダンスの詩人、、と言われていますが 小説の殆んどは自分のことを書いているものではありません。 酒や放蕩に溺れる詩人が主人公、というわけでもありません。。 対象を冷静に見つめ描写できてこその詩人であり 芸術家、、 その側面に惹かれます。

タイトルの『悲恋』を ディレンマ と訳したのは名訳だと思います。 ディレンマとは、 選択肢のどちらをも否定できない状態、、。 どちらも正しいといえるし また どちらも同時に正しいことは有り得ない…… その心の葛藤。。 決して冷酷ではない 人間的な心の葛藤…


ダウスンの小説には せつなさとやさしさが満ちています。 その行き場のない満潮が悲しい、、


、、 物語のお話はいつかまた …
 

 ***

今夜もまた ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが始まります。


よき夜を…


よき 一年を……