星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

かなしかったこと。うれしかったこと。

2013-09-26 | …まつわる日もいろいろ
好きなミュージシャンらのツイートとかで、 「フクシマはますます事態が悪化し、世界に危険を及ぼしつつある」、、という内容の発言を読んで胸がいたくなった。。

わかってる、、 心ある日本人ならみんな、 汚染を防ぎきれなくて、 海に汚染水を放出し続けていて、 本当に申し訳ないと思ってる。。 何とかしたい、何とかしてほしいと、切に切に願ってる。。 でも…

「Fukushima is...」と言われると、 すごくかなしい。 Japanや、 Tepcoと書かれるのは仕方ない。。 でも、 福島の人は全然悪くないんだから。。 それに、、 ニュース記事とかならともかく、、 好きなミュージシャンの言葉で、 フクシマは… って言われるとめげる。。。

ずん、、、と落ち込んで、 大好きな音楽を聴くのも つらくなる。。
 

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、、と 昨夜めげたばかりだったから、、 
さっき帰って来て、 吉井さんのニュースを知ったら めちゃ泣けてきた。。 

12月に、 ジョシュとジュリアンが来てくれる、 さいたまに。 
ほんとに来てくれるの?  ジョシュもジュリアンも、 1日の為に。。 ほんとに吉井さんが好きなんだね、、、
(…て、まだ自分が行ける見込みも無いけど、、 でも来てくれるってすごく嬉しい)

「次の場所へ…」って歌ったまま、、 なかなかつぎの事に取り掛からないよしいクンに なにやってんだか、と思いつつ、、 今年はもう忘れたフリしてましたが、、
年末にこんなサプライズを持って来るの、、 もう、、 ばかばかばかばか・・・・・・・・・


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もうひとつ、 今うれしかったこと。
どうやら、 本日のPetty Festに出演した ドイル・ブラムホールII、、 そこに チャーリー・セクストンさんも登場したようですよ。

詳細がもしわかったら、 後日ちゃんと書きます。

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今度は「シルトフェンスが破損」、、って。。 台風の備えとか、 二重・三重に対策って出来ないものなの??

ってもう、、 腹立たしくなったり、 かなしくなったり、、 うれしかったり、、 落ち込んだり、、 もう。。。

モローとルオー -聖なるものの継承と変容-

2013-09-23 | アートにまつわるあれこれ
汐留ミュージアムへ 行ってきました。



ギュスターヴ・モローと ジョルジュ・ルオー、、 両者とも好きな画家だし、 ルオーの常設展示がされているこの、汐留ミュージアムへは10年くらい前に行ったことがある、、 けれど、

戦後まで存命だったルオーと、 19世紀末の画家モローとの接点を 全然知りませんでした。 この展覧会の情報を見たときにも、 ふたりの絵の接点がちっともわからず 不思議だったもの。。。

ルオーが モローの弟子だったとは、、

汐留ミュージアム http://panasonic.co.jp/es/museum/

館内の写真や動画など、こちらのインターネットミュージアムのサイトにくわしく載っています(>>

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ルオーの美術学校時代の作品(20代)が見られたのは貴重でした。 「自画像」など見ると、本当に巧みでデッサン力はもう確立している感じで、、 もしかしたら 素描だけで見たら 先生のモローよりも能力は高かったかも、、という感じでした。

だからこそ、 ルオーの傑出した才能を見て、 モローは愛弟子としてさまざまなことを伝えたのでしょう。

一方、 細密の画家モローだと 私は勝手に思っていたけれど、 カンヴァスにデッサンの下書きをせずに、 直接に色を置く「油彩下絵」を見たときは、 すごい驚きでした。。 この辺りにこの色、 この色はこのあたり、、 という感じの下絵で、 見たところまるで抽象画みたいに具体的な物は何も無いのですが、、 それが確かに、 見事に、 モローのあの絵!(サロメとか神話など描いた)に思えるから不思議。

解説にもありましたが、 モローは色彩の画家、だったのですね。 まず色彩の配置が先にあり、、 色彩のそれぞれが情緒と結びついている、、という

それを知ると、 あの太い線と色彩でキリストを描いたルオーと結びつきます。

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モロー独自の緻密な描写が楽しめる、 ポスターになっている「ユピテルとセメレ」や、 「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」も素晴らしかったですが(9つの頭の蛇がみんな柄とか違っていて、すご~くかっこいいの・笑)

でも、 「ゴルゴダの丘のマグダラのマリア」が、、 いちばん衝撃的に胸に迫りました。 細かさはぜんぜん無い、 タッチはルオーのようで、、 描かれているのは、 すでに刑が処された後の、 遺体さえも運ばれていった後の、 誰もいない3本の十字架、、 それを染めているおびただしい血と血だまり。 かたわらには 足を投げ出してうなだれているマグダラのマリア。

館内の光に、 油絵の具の血が光っていて、、 黒く形だけで描かれたマリアは顔もわからないけれど、、 でもすごく哀しくて、 茫然自失で、、 なぜかすごくけなげに美しく見えた。

あと、、 同じように顔も人物のかたちもよくわからない絵だったけれど、 「ピエタ」や、 「パルクと死の天使」も、 色彩と精神性だけで成り立っているような絵で、 こういうモローの絵が見られたのは貴重でした。

図録の印刷では とうてい色彩や質感は再現できないけれど、、 でも、 ふたりの往復書簡や、 解説がとても豊富だったので、 図録はこれからゆっくりと楽しもうと思います。

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お得情報を、、。 2Fのコーヒーラウンジなどで使える飲み物割引券を下さったので、 帰りに美味しい珈琲もいただけました。

また、 チケの半券で ブリヂストン美術館との相互割引がされています。 あちらでは 「カイユボット展」。

「モローとルオー -聖なるものの継承と変容-」展は、 今年の年末~来年にかけて、 松本市美術館にも巡回します。 行かれる方は、、 是非 ぜひ!!


クリスチャン・ベイル→若草物語→新島襄?というヘンな話

2013-09-08 | 文学にまつわるあれこれ(林檎の小道)
昨今、、 新バットマンに ベン・アフレック、、という話題で、 そのキャストに反対する署名が1万人以上も集まってしまった、、とかありましたね。。

私もじつは そのニュースを知った時 「絶対ヤだ!」と思ったクチでした。 ベン・アフレックの映画は好きなの多いし、 全然キライじゃないけど、 ブルース・ウェイン役は イヤっ! 無理! 不可能! 、、というか ブルース・ウェイン=クリスチャン・ベイル がハマり過ぎてしまったから ベイル以外考えられない。。。

昨日も、、
我が家の男子に、 なぜゆえにブルース=ベイルでなければならないか、、というのを 切々と訴えていたのですが(笑)

私の無茶なロジックは、、 「ブルース・ウェインは『若草物語』のローリーだから」 ・・・・・ 

今までも『若草物語』のこといろいろ書いてきましたけど、、 理想のローリーは絶対 クリスチャン・ベイルなのです。 そういう映画もありました、、 ジョー役のウィノナが気に入らなかったけど…
(映画のワンシーンから>>iMDb)
髪の色や、 顔つき、 ユーモアと品性、、 どれもローリーにぴったり。 ・・・で、 そこからブルース・ウェインに繋がります。

ローリーは資産家のおじいさまと二人暮らし。 両親は早くに他界、、 孤独な少年時代を送ります。 そして、、 成長してからは、、 恵まれない子供たちのための学校を設立したジョー夫妻を援助し、 自分の資産を子供たちのために提供したりします。。 ね? ブルース・ウェインでしょ? いちばん、 いちばん 愛してた人と結ばれなかった点でも、 ローリーとブルースは同じなの。。。
(ダークナイト・ライジングでのブルース様>>

、、ということを滔々と訴えていたのですが(笑)、、 その時に、、 「あ、、そうだ。 ジョーはね、、 『八重の桜』の八重みたいな人なのよ、 木登りして読書するような…」と話がとんで、、

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そこで はた!と気が付きました。。 密航してアメリカに渡った 新島襄は、、 もしかしたら マサチューセッツに行ったんじゃないか?? アメリカの大学を出たんでしょう? だったら…  新島襄がアメリカにいた時と、『若草物語』が執筆された時代は・・・ 同じころじゃない??

まさしく!! 新島襄がアメリカに渡ったのは 1864年、 1870年にアマースト大学を卒業 (Wiki↓) 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B3%B6%E8%A5%84

一方、 ルイザ・メイ・オルコットが 最初の『若草物語』を出したのが 1868年(Louisa May Alcott>>)。。 同じ時に 同じマサチューセッツの中にふたりはいたんですね。。。 ジョーと襄がつながりました(笑)

ローリーが出た大学はどこなんだろう(物語の中、だけど)。。 
出版社や新聞社に出入りしていたオルコットの耳に、 日本から来た「襄」のうわさは届いていたのかしら。。。 大河ドラマでは、 襄がアメリカの教会で演説をして、 日本に学校を創りたいんです! と訴えていたけれど、、 同じように、 身分にとらわれない自由学校の設立を目指したオルコットのお父様とか、、 この日本から来た若者のこと 知ってはいなかったかしら・・・

、、と、 いろんな興味がいっぱい。。 だって本当に、 『若草物語』のジョーは、 新島八重みたいな女性なんだもの。。。

面白いねぇ。。。 これから ちょっと新島襄さんのこと、 調べてみたいと思います。 オダギリジョーさんも大好きですから、、(笑

『若草物語』に関する過去ログ>>

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ところで 「ターミネーター」の続編はないのかしら… ブルース・ウェインが無しなら、 せめてジョン・コナーをもう一度やって欲しいんだけど、、 ベイル様。。

Runnin' Down a Dream のボーナスCD

2013-09-01 | MUSICにまつわるあれこれ
混乱の8月が瞬く間に終わり、 心機一転の9月になりました。。。(個人的に)

、、が 暑い! もうそろそろ暑いのにも飽きました。 心が新しい季節に臨んでいるように、 そろそろ次の季節に移って欲しいな。。 新しいお洋服も着たいの~。。

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待っているCDたちが届かないので、、(ひとえに Puscifer のせいであります)

前回、 トム・ペティさんのことを書いて、 映画「Runnin' Down a Dream」のDVD-BOXに付いていたボーナスCDのことを想い出しました。 あれ買った時、 4時間ものフィルムを見るのと、 地元での30周年ライヴを観るのに精いっぱいで、、 もしかしてこの disc4のCD、 まだ聴いてないんじゃないかしら、と。。。

Runnin' Down a Dream(4disc set)の詳細はこちら>>

それでこないだ そのボーナスCDを聴いてみた。。 77年のリハとか、 77年のトップ・オブ・ザ・ポップスの音源とかから始まる。。。

初めて聴く音源なんだけど、、 なぜかそれ聴いていたら、 77年当時の自分の勉強部屋がくっきりと浮かんできた。。 勉強机の右端に置いていたラジカセで、 赤と銀のボタンをふたつ ガッシャン!と押してテープに録音した「Anything That's Rock 'n' Roll」とか、 「Breakdown」。。。 録音の最初に 憲章さんの声がちょっと残ってたりして… (たぶん憲章さんだったと思う)

あの当時のトムの声が特別に若いから、 そんなふうに思いだしたんじゃないかな。。。 トムの声はすごい新鮮でした。 なんか、うまく声が出せない鳥類みたいで(笑) でも独特のロックな声質。

ハートブレイカーズは最初、 アメリカではあんまり受けなくて、 でも日本とUKではすぐに聴かれたんじゃないかな。。 77年、 ロンドンPUNK全盛期だったから、 トム・ペティもなんだかパンクバンドっぽい括りで紹介されて、、 今思えば、 同じリッケンを掻き鳴らしていた The Jamなんかとひと括りの新人、って感じだった。

初めて雑誌でトム・ペティのインタビュー記事を読んだ時、 フロリダ出身なのに太陽が嫌いで、 インタビューはカーテンを締め切った暗い部屋で、、 と書かれていて、 トムの顔写真はがりがりに痩せてて ニヒルな受け応えで、神経質そうに見えた。 だから余計にパンクな印象を受けたんだと思う。。。 今みたいに 「アメリカの良心」と表現されるようなバンドになるなんて、、 まるっきり 想像だにしなかったもの。。

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、、と 懐かしく思い出しながらボーナスCDを聴いていたら、 94年11月のサタデーナイトライヴの音源「Honey Bee」では、 ドラムスをデイヴ・グロールが叩いていました。 94年? ・・・・・ そうなんだ。。。

デイヴのぶったたきドラムスはとてもパワフルです。。 デイヴもこどもの頃、 自分のお部屋でカセットテープをガッシャン! てやっていたのかなぁ。。。