星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

『夏の涯ての島』と『リオノーラの肖像』

2018-07-18 | 文学にまつわるあれこれ(妖精の島)
『夏の涯ての島』イアン・R・マクラウド著 
The Summer Isles and other stories 早川書房 2008年

七つの短篇・中篇から成る作品集ですが、 その中の一番長い表題作「夏の涯ての島」(1999年)について、を。



この本は、 ほとんど内容も知らずただ英国の作家と、本のタイトルと、短篇集、ということだけでなんとなく手にした本ですが、、 不思議と最近の読書と通じ合う部分があり、 関心事というのは何かを呼び寄せるのだなぁ…と手前勝手に思ってしまいました。。

著者イアン・R・マクラウドは、 SFや歴史改変ファンタジーを主に書く作家だそうです。 でも「夏の涯ての島」はサイエンスフィクションでもないし、 幻想小説、とも言えない、、 言うなら〈歴史改変ロマンス〉とでも言えばいいのかな。

物語の語り手は オックスフォードの歴史学の老教授。 彼の人生の回想という形で語られる物語。 その中心部分にあるのが1940年の英国で、 そこではまるでナチスドイツのように一人のカリスマ指導者が台頭し、 ファシズムと恐怖政治が浸透しつつある。 ユダヤ人家族は強制的に連行されていく。 監視や密告の社会では、 同性愛者も排斥の対象になっている。。 語り手の老歴史学者は 同性愛者であることを隠しつつ オックスフォード学寮の一室で暮らし教鞭をとっていた…

語られるのは 老歴史学者が若き日に愛したフランシスという年下の恋人のこと、、 そして、 現在の英国のカリスマ指導者ジョン・アーサー。。

、、本の解説によれば、 この「夏の涯ての島」という小説は、 もともと長篇の構想だったものを 雑誌掲載のために短縮して掲載したものだそうで、、 この翻訳された短い方の作品もそれなりに味わいのある中篇作品なのですが、 改変された歴史の部分、 連れ去られたユダヤ人家族がどうなったのか、とか カリスマ指導者ジョン・アーサーに対する市民の熱狂や、 彼がいかにしてここまで昇りつめたかという過去の部分とか、 政府内の黒幕とか、、 書こうと思えばもっともっと深い物語になった筈なのに… と感じて、 私としては、 2005年に長篇作品として出版されたほうの「The Summer Isles」を読んでみたいなぁ、、と。。 翻訳が出ないかしら…

この中篇小説としての「夏の涯ての島」のほうは、 老歴史学者… 歴史という史実を自分の学問とし、 事実を明らかにする仕事であるはずの学者が、 自らの愛も含め 事実を隠して生きなければならず、 歴史に翻弄されながら皮肉にも生き長らえ名声も得てしまった人生を、 哀切をこめてとてもノスタルジックに抒情的に描いていて それは美しいロマンスになっています。 若き日の恋人、フランシスとの思い出もとてもロマンチックに描かれているし…

 ***

ところで、、
今日のタイトルにどうして 『リオノーラの肖像』を挙げてあるのかと言うと、、 「夏の涯ての島」のカリスマ指導者ジョン・アーサーが、 そのような政治家に生まれ変わる転機となった場が、 第一次大戦における「ソンムの戦い」という英国側の膨大な死者を出した激戦で、、 小説の中には「ソンム」ってたった一言くらいしか書かれていないのだけれど、 『リオノーラの肖像』を読んでいたお陰で それがどのような戦闘だったのか、  ジョン・アーサーにどのような変化をもたらしたのか、 想像する事が出来たのです。

『リオノーラの肖像』(ロバート・ゴダード著 1993年)、、 さきほどのは老歴史学者の回想でしたが、 こちらは年老いたリオノーラという女性が 娘と共にかつての激戦地=父が亡くなった場所、を訪れる場面から始まります。 ソンムの戦いで行方不明になったまま還らなかった父の謎、、 父の戦場での死亡推定日より一年後に自分が生まれているという謎、、 自分の父はいったい誰なのか、、 誰もが口を閉ざしていた父と母の人生はどのようなものだったのか、、
こちらは本当に壮大で、 ゴダードならではの緻密さで、、 ミステリ小説ではあるけれど、 愛の物語としても ゴダード作品の中での最高傑作かなと思うのです。。

 ***

隠された過去、、 語られなかった真実、、 そして 運命を変えた戦争。

昨年末に書いた M. L. ステッドマン『海を照らす光』も、 第一次大戦で心に大きな傷を負った者たちが主人公でした(>>)。

、、 なぜそのような物語に心惹かれるのか… 偶然、、 ということもあるし、 自分が求めているということも確かにあるかもしれない。。 歴史に翻弄され、 戦争に人生を変えられ、、 語られることのなかった記憶、、 そういう物語は決して小説の中だけではないから。。

そういう物語を私自身も知っている、、 けれども やはり語る事は出来ない。。 語り継ぐ戦争、、とか言うけれど、 小さな個人の周りにもやはり子孫も 親しい者もいて、、 誰かが傷つく怖れのある限りは言葉に出来ない事もある。 だけど、 決して忘れ去られてはならないはず… 
歴史に翻弄された「命」や 「愛」を… 

 ***


 …彼はコテージのドアを開いて裸で立ち、暗い海と、星のきらめく夜を見つめていた。
 「あれが見えるかい……?」
 …
  わたしは起き上がり、彼の視線を追って、白いこけら板と、低い壁と、輝く波間へと続く砂丘の先に目を向けた。 なるほど、確かに何かあるのかもしれない。島々の浅瀬の灰色に輝く背中は、日中はまぶしすぎて、見ることはできない。
 「あそこへ行くべきだと思うんだ、グリフ」…

     「夏の涯ての島」より (嶋田洋一訳)


 


上の写真に載せた本、、 『奥のほそ道』…こちらは新刊。 第二次大戦中 日本軍の捕虜となったオーストラリア軍医の物語(だと思う… まだ読んでない)
『戦場のメリークリスマス』古~い本(1983年 『影の獄にて』が最初の訳書のタイトル) 舞台はジャワ島の捕虜収容所。 こちらは映画でも見たし、本も昔に読んだ、けどもう一度。。


8月にかけてこれらを読んでいこうと思います(でも探偵ミステリも同時に読んでいるけど…)


酷暑の日々、、 どうぞお健やかに。

命の危険のある暑さ、、 って。。 

(わたしはこれ以上体重が減らないように気をつけます)

今年のハイドパーク

2018-07-12 | MUSICにまつわるあれこれ
ドイルはクラプトンさんと一緒に ハイドパークに出ていたのですね。 ハイドパークコンサートって、 毎年こんなに何日間もやっていましたっけ? 今年のラインナップ 凄いですね、、(こちらです⤵)
https://www.nme.com/

ヘッドライナーが、 ロジャー・ウォーターズに、 キュアーに、 クラプトンに、、、最終日はポール・サイモンさん。。 70代多し! しかも、 8日のクラプトンさんの日には、 スティーヴ・ウィンウッドさんに、 カルロス・サンタナさん、、 50代以上のブルース好きにはたまりませんね、、 

ドイルは秋のマディソンスクエアガーデンにクラプトンさんと出るとツイートしてたので、 英国方面には行かないのかと思ったら、、 クラプトンさんとのコンビ復活です。
こちらに記事や動画が載ってます⤵
>http://ultimateclassicrock.com/eric-clapton-hyde-park-2018/

ほかにもたくさん見られるのですが、、 ハイドパークに一緒にいるような気分になれる 夕暮れ時のワンダフルトゥナイト⤵
Wonderful tonight

この歌、、77年なんですね。。 クラプトンさん32歳のときの曲。。 とてもじゃないけれど77年当時 この曲を聴こうという気持ちは PUNK少女にはまるっきりありませんでしたけど、、 今やクラプトンさん 70過ぎですもの、 ゆるします、、なんでもゆるします(笑) 簡単そうに(でも他の人では難しい)ちょろっと奏でているようなギターの音色もなんと美しいこと。
それに、 こういうシンプルなギターの伴奏と歌だけで 美しく聞かせることのできる歌が 今はほとんど無いというのは淋しいことだと思います、私でもそう思う。。

さっき これを聴いていたら、 80年代に結婚した友だちの式で、 別の友だちがこの曲を弾き語りしたことを想い出して、、 でも その「beautiful lady」は今はもういない。。 想像も出来ないようなことが起こる人生、、 何十年も経って、 もしか このハイドパークの中に 昔聴いた懐かしい曲を昔のままの(昔のままでなくてもいいけど…)愛する人と一緒に聴きながら身体を揺らしている人たちが もしいたら、、 すごくすごく幸せなことですね。。 そういう人たちがいっぱいいて欲しいね、、 

などとちょっとおセンチになりつつ、、 

ドイルのソロも聴ける スペードの女王>> (目の前の幸せそうなお二人がつい目に入る… 笑) 

ハイドパークではやらなかったようですが、、 ホワイトルームのドイルが良かったので、、>> いいなぁ、、 ドイルのワウギターと歌声でこれ聴きたいなぁ、、 クロスローズフェスの時にやったサンシャインオブユアラヴもそうでしたが、 ジャック・ブルースの歌の部分、ドイルが歌うとハマります。。

 ***

そして、 49年ぶりのハイドパークコンサートだという スティーヴ・ウィンウッドさん。。 もちろんこの曲>> Can't Find My Way Home

49年前はこちら>>
すごい、、 キー変わってない。。 ていうか、昔よりも声出てません? クラプトン&ウィンウッドさんの武道館のとき、 ちょっと声が苦しそうでしたけど あの頃よりも今調子いいみたい。。 すごい。。 でも49年前 21歳でこれ、なのも凄いわぁ、、 天才少年だゎぁ。
そして ウィンウッドさんの弾くギターの音色が私はすごく好き。。

クリームも、 ブラインドフェイスも、、 ジンジャー・ベイカーのアフリカンなドラムスも大好きなんです。。 あのおっちゃん、、 とうに命を落としてもおかしくない人だと思うんですが(失礼な!)、、 

クリーム50周年で ジャック・ブルースの息子と、 クラプトンさんの甥っ子と、 ジンジャーの息子がライヴツアーをしてたそうで、、 今年もツアーするみたいで、、
http://amass.jp/86404/

↑ここに動画載っていますけど、、 駄目でしょう… これ(失礼な!) 何がダメって、、 クラプトンさんの甥っ子さんのギターが テクニック云々ではなくて このギターこれは駄目でしょう、、

この前、ジンジャーの息子さんが、 RS誌のインタビューで お父さんの事めちゃめちゃ憎んでいると語っていましたが>> (たしかに父親の役割は為してないように思いますが)、、 でもドラムスの能力はしっかり受け継いでいるのですよね コフィ・ベイカーさん、、

父親とも共演してたじゃないですか
Ginger Baker and his son, Kofi Baker perform a Drum Duet

息子たちとのツアーなんて詰まらないことしていないで(再度失礼!) 自分で いいバンドに参加していいライヴをして欲しいです。。

 ***

あ、、ロジャー・ウォーターズさんのこと 書く時間がなくなっちゃった。。 ロジャーの壮大なライヴ映像もたくさんあると思います。

このブログでお馴染みのジョナサン・ウィルソンさんは 今年いっぱいロジャーのツアーに同行するそうです。 オーストラリア、ニュージランドも廻るそうですが、、 日本には来てくれないのよねぇ、、(泣)、、 ロジャー 日本好きじゃなさそうだし。。


 ***


、、すっかり 夏は始まっていたんですね。。。


、、 日本では 苦しんでいる地域が多すぎて 胸が痛むばかり。。 これからの夏の暮らし方、、 日本での暮らし方、、 考えていかないとなりませんね、、

  

私とは… 貴方の面影の総体

2018-07-10 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
5月に読んでいたミステリ(>>)の中の

ロバート・ゴダード著 『欺きの家』の中で 印象的な警句があり、 ツイートに残してありました。

 「思い出とは、ただの記憶に残った経験のことではない。思い出とは、わたしたちに時空を飛び越えさせるものだ。歳を重ねたわたしたちは、若かりしおのれが見たりかかわったりした出来事を思い起こし、あのころの自分といまの自分はほんとうに同じ人間なのかとしばしば心に問う…
 …思い出とは、かつて知っていた人々の幻影だ。そして、困ったことに、わたしたち自身もそのうちのひとりなのだ」
             (北田絵里子・訳)



 ***

 自分がかつてかかわったり出会ったりした人々や出来事、、 それらが現在の私をかたちづくっている、、 

そんな当たり前ともいえる事が、 しばらく前… 昨年、 一昨年?、、 ずっと私の頭を占めています。。 当たり前のように思えるけれど、、 じつはかつての私は 余り過去を振り返る人間ではありませんでした。 過去をどんどん切り捨てて、 決別を重ねて、 自分は前へ進んでいくしかないと思って生きていました。 だから、 自分を創り上げていくのは自分、、 単純にそう思っていたのかも知れない…

…じゃあ、、 自分は自分で (自分だけで)いったい自分をどう創り上げてきたのか、、

そう思った時、、 自分がとてもたいせつ想う思い出、、 自分を支えてくれたもの、、 自分を動かしてくれた転換点、、 そこには必ず「誰か」がいて、 その誰かと話した事、 共にした事、、 その思い出が絵具を重ねるように重なって、 混ざって、 溶け合って、、 それが今の自分の肉体かつ精神そのものなんだと気づく。。

最初のゴダードの言葉に 「幻影」とあるように、 その「思い出」というのは実際にあった「事実」のことではない。 事実はその時間にそっくり遡って見て解る事で、 今やそれは不可能。。 私が覚えていること、 時間の中で記憶がやはり絵具のように重なって溶け合って、、 おそらく当初の事実とはまったく同じではない、 私が蘇らせている「幻影」としての思い出。。 私しか知らない、、 誰にも「これ」と言って手のひらに取って差し出して見せることの出来ない 私にとっての「誰か」や「誰か」の幻影…

でも、 その「誰か」や「誰か」の影=面影が、 じつは今の私自身になっているんだ、、 と。。

 「現在の私を形づくっているのは自分自身が為した物事よりも、出会った人々が今の私を作ったように思う。その人たちの実体に依ってではなく、私の中に残された私だけが感じたその人々の面影が。私は私単体ではなく、ジャコメッティの線のような貴方の面影の総体なのだと…」 と、5月のツイートに思いを書き残している。。

ずっと前に(>>)、 マイケル・カニンガムさんの著書『星々の生まれるところ』に出て来た、 ウォルト・ホイットマンの「ぼく自身の歌」という詩から次の言葉を引用しました

 「ほくである原子は一つ残らず君のものでもあるからだ」

、、あのときのブログは「わたし自身の歌。」というタイトルだったけれど、、 そう 確かにわたし自身のことであるけれども、 でもまだ本当にはわかっていなかった。 わたし自身が 貴方や貴方の面影の総体であるということを。。

 ***

前回の ブルース・チャトウィンの『ソングライン』は読み終えました。 付け加えるべきことはそんなにありません。 チャトウィンはやはり ラストの部分で、 アボリジニの人々が年老いて、 旅の最後に〈大地〉〈祖先〉〈自分自身〉それらが一体となるための場面を描いて終わります、、 それに対する自分自身の思いとかは特に記していませんが 象徴的な場面での結末でした。

『ソングライン』も〈わたし自身〉を形づくっているものについての示唆を与えてくれました。。 5月に読んでいたたくさんのミステリも。。 そのまえに読んでいたカズオ・イシグロも。。

、、当然 読書ばかりではなく、 6月に聴いていた音楽もまた。。

 ***


日曜日の晩、、 文学の先輩にお目にかかった街にて。


、、 まだまだ たりません… 自分。


修養も、 勉強も、、


体力はもとから足りないけれど、、 心の光源としての力が…


、、 夏バテにはまだ早いぞ~~。。

ソングラインの途上で…

2018-07-06 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
6月はライヴに出掛けたりして 音楽中心に日々を送っていましたが、 その合い間に ブルース・チャトウィンの『ソングライン』を少しずつ読んでいました。


この本は 1994年 めるくまーる出版 芹沢真理子訳 のものです。

新しく、 英治出版から 2009年に 北田絵里子訳でも出ているようですが私が今読んでいるのは古いほうです。

アボリジニの人たちに先祖から伝えられている〈ソングライン〉については 前にちょっとだけ書きました。 重複だけどもう一度載せます。
 
 ***

アボリジニの人たちによって先祖からずっと歌によって伝えられてきた道「ソングライン」、、 それは目に見える交通の道の意味ではなくて、 一族のアイデンティティであり履歴であり、、 生きる知恵や教えであり、、 歌によって存在せしめられたこの世界の意味でもある、、 (まだ読みかけだからよくわからない…)

引用: 「歌うことで世界を存在させていった先祖たちは、詩(poesis) 本来の意味、すなわち〝創造する”という意味において詩人だった…
  信心深い彼らの人生の目的はただひとつ、土地をそれまでどおりの、あるべき姿のままにしておくことだった。 ”放浪生活”は儀式としての旅だったのだ。彼らは自分の先祖が残した足跡をたどった。そして一音一句変えることなく、先祖のつくった歌を歌い、そうすることによって“創造”を再創造していったのである」

 ***

チャトウィンがオーストラリアのアボリジニに伝わる『ソングライン』に関心を持った背景には、 人間はそもそも移動するように生まれついているのではないか、、 自分はなぜ旅に魅せられるのか、、 そういう自身の問いかけに端を発している。
だけど、 チャトウィンは『ソングライン』の前に、 生涯を何処へも行かずにひとつの村の中で暮らした双子の物語『黒が丘の上で』も書いている。 それを読んだ時に (もしかしたらこれは チャトウィン自身の「心の物語」なのかな…)と書きました(>>

放浪することは ここから離れて「去っていく」「逃れていく」ことではなくて、 「求めていく」「見つけていく」ことなのではないのかな。
先に引用したように、 アボリジニの《放浪》は決して当ての無い逃避ではなくて、 先祖の足跡と自分が一体になる為の、 そうやって自分とこの世界とが完全になる為の《創造》の行程なのだとしたら、 チャトウィンは《ソングライン》を取材する旅をしながら、 結局は自分自身の旅の意味、、 旅する者と定住する者の違い、、 そういう生き方を選んだ人生の意味、、 それらと向き合うことになる…

 ***

そんなことを考えながら、、 三分の二くらい読み終えました。

それで、、 今朝たまたまチャトウィンとソングラインの事を検索していたら、 David Bowie の息子さん Duncan Jones さんのツイートに辿り着いて、、??と思ったら、、 ボウイの愛読書だった100冊についてのツイートでした。 ダンカンがボウイの愛読書だった本について、ネット上の読書会のようなものをしよう、とツイートしていたのは前に読んで知っていました。 それに関連したものです。
https://twitter.com/ManMadeMoon/status/945820401141026816

↑ダンカンが20代になった頃、ボウイが『ソングライン』を読むように、とダンカンに与えてくれた、のだそうです。

デヴィッド・ボウイの愛読書100冊、については前にリストを見た記憶はあったけど、『ソングライン』のことは覚えてませんでした。


そうかぁ、、 ボウイもこの本が好きだったのですね(ダンカンも好きと書いています)。。 それを知ったら、 この6月、、吉井さんのライヴツアーが続いていたこの6月に『ソングライン』を読めたことが嬉しいめぐり合わせのように思えてきました。

 ***

Bowieに話が脱線しましたが、、 チャトウィンに戻って、、『黒が丘の上で』のところでも書きましたが 私はチャトウィンがAIDSで亡くなった事は知りませんでした。 そういう風に当時は書かれていなかったから。。 これは日本だけではなく、 英国でも当時は公表されていなかったためで、94年の『ソングライン』でもチャトウィンは《風土病》で亡くなったと書かれています。 私もずっとそう思ってきました。



やっと最近になって事情が判り、 チャトウィン自身が最後まで病名を隠していた事、 それは自分の両親を失望させるのを恐れた為とも言われている事や、 ロバート・メープルソープやサム・ワグスタッフとの交遊の事もやっと知りました。

チャトウィンは 『ソングライン』執筆中に自分の病気のことを知ったのだそうです。 だから先ほど、 アボリジニにとってのソングラインの意味を知る事は、チャトウィン自身と向き合う事になる、、と書きましたが チャトウィンは『ソングライン』という本を書きつつ、 自分自身の《生》の意味と、待ち受ける《死》の意味に向き合っていったのです。

本のちょうど中間くらいに

「私は自分の人生の“旅”の季節が終わりつつあることを予感していた」

という一文が出て来ます。 そこから後半は不意にアボリジニの人たちの記述から離れ、 チャトウィンがそれまでの旅の人生で書き留めてきた (あの有名なモレスキンの手帳に書き留められてきた)ノートからの引用がひたすら続いていきます(今読んでいるところです)。。 それはきっと 自分の全てであるそのノートを通じて 自分の人生を辿り直し、 自分の旅とは何だったのか、 自分は何を見つけようとしてきたのか、、 チャトウィン自身の《ソングライン》を思索しているのだと思います。

《旅》についての思索から、、 やがて訪れる逃れられない《死》への思索へと…

 ***

『ソングライン』はあと1日か2日で読み終えそうです。。 今朝、 ダンカン・ジョーンズさんのツイートを見つけたことで、 こじつけかもしれませんが、、 『ソングライン』はチャトウィンにとっての置手紙、 Blackstar「★」なのだと気づきました、、。 

『ソングライン』の冒頭にある 「エリザベスに」という献辞も、、 チャトウィンの二つに裂かれた生を知りつつ 彼の最後を看取ることになる(離婚しなかった)妻への、、 何だろう… 自分の生きた証、 感謝、 弁明、 最後の贈り物、 その全てなのでしょう、、

まだ全部読み終えてもいないし、、 なんだかまとまりの無い文章になってしまったけど、、 『ソングライン』をアボリジニの人たちの放浪のルポであると同時に、 ブルース・チャトウィンの人生の決算として読むことで、 たぶん全く印象は変わってくると思ったので、、 (David Bowie が私達に残してくれた100冊リストと絡めて) 読書の途上での思いを書き留めておくことにしました。

 ***

ボウイの100冊を今朝あらためて見て、、 ウィリアム・フォークナーの『死の床に横たわりて』をボウイが挙げているのも興味深いです。。 代表作ではなくこの作品、、 (私は未読なのだけど) ボウイがこの100冊を選んだ時期は 自分の回顧展に向けて、でしたよね。 きっとこれにも意味があるのでしょう、、 いつかきっと読んでみよう。。

アボリジニのソングラインではないけれど、、 人生の中で出会うべき本、 出会うべき音楽、、 そのリストや時期はあるべき時にあるべき形で、、 きっと定められているような気がします。。 その道がうまく見つけられて、 自分に必要な本、 必要な音楽に、 うまく出会えるといいな、と思う。。 


… いま、日本じゅうを困らせているこの大雨が はやく上がりますように。。


よい週末でありますよう、、 

15th Anniversary Tour 2018 -Let's Go Oh! Honey- 終えて…

2018-07-03 | LIVEにまつわるあれこれ

東名阪のお菓子がいっぱいだ~~。。 当分 愉しいお茶タイム♪

『Kazuya Yoshii 15th Anniversary Tour 2018 -Let's Go Oh! Honey-』 6月26日 新木場 Studio Coast と 30日名古屋特殊陶業市民会館 行って来ました。。 (ライヴレポではありません、、 セトリもありません、、 独り言みたいな日記です)

 ***

新木場で 始まるまでのSEを聴いていた時のこと。
青春の80年代的流れで フェイムから次の Summer of '69に変わって、、 お友だちがおもむろに 「ねぇ… 今回のツアー、 もしかしてこの感じでいくわけ?」って訊いてきました。。 その言い方があまりにも私にはよく解るニュアンスだったので 思わず吹き出してしまい…

 友だち 「アタシ、ブライアン 好きだよ」
 自分  「私も好きだよ、 ブライアンはね
 友だち 「ブライアンいいんだけどさ…… 
      ねえ?、、 まさかONE DAY とかやらないよね、、 
      … WINNERとか…」

などと言い合っているうちにRELAX♪ で暗転~~~、、笑

 ***

ゴメンナサイ、、 怒らないで下さい。。 殆んど大奥の会話ですから。。どうか気にしないでください、とお断りするしかないのデス が、、 18年余りにわたる長年の友となった猿友&和友の間では何故か ONE DAYと WINNER 、、誰も好きと言わない、、最初から。。 
いつかの吉井さんのツアーを全国制覇したほど大好きな、 TYMのいろんな時代も(私などより)ずっと長く見てきた子たち(今や立派な大人の女性になって…)、、 みんなの吉井愛はこれまで片時も揺るがなかった、、と信じてます。 にもかかわらず、、ONE DAYと WINNERを好かない点が類は友、、 なんだか可笑しい。。

でも、 今回のツアーでも非常に人気があるのですよね、、 若い子にはこれらの曲が。。 すごい盛り上がりだったし…

新木場と名古屋へ同行してきた後、 お友だちが言いました。
「ONE DAYと WINNERと テレキャスは もう還暦まで封印して良い! 還暦過ぎたらやっていいよ」

…笑。 わたしも概ね同感です。。 そうね、、還暦過ぎたらね、、 ヴィンテージのライダースとヴィンテージのテレキャス持って、ね。。 それまでは当分もう聴かなくていいね。。

、、 CALL ME と ノーパンももういい、、 と言った友もいた… 笑。。
みんな ワガママ… でも言いたい事はすご~くよくわかる。。 こんな素敵な音楽仲間が持てて ワタシは幸せ者です。。

 ***

、、じゃヨカッタところはなんかあるのかよ! って怒られそうですが…

Californian Riderも、 Muddy Water もすごく嬉しかった、ね♪ 
クランベリーも絶対もう一度聴きたい、と思っていた曲だったし、、 
、、 Do The Flipping も もともと好きな曲だから 淳悟さんのベースが鳴り出した時 きゃぁ♪って、、 嬉しかった。
母いすゞ ソウルバージョンも、 かつては余り好きになれなかったこの曲も どんな風にも化ける素地のある曲だったんだな、、と。。

終演後のトイレに並びつつ、、 「もっと初期の曲も聴きたかったね」
「4thくらいまでのね」 「アタシ 上海好きなんだ~」 「アタシも!! 大好き♡上海」 「でもあれも以来聴けてないよね」 …

大阪のZeppだけでやったという Wanted and Sheep は私は羨ましかったなぁ。。 聴きたかったなぁ 本当に。。
 
 ***

もちろん、 Islandも、 Believeも、 血潮も、 HEARTSも 大好きです。。 いうまでもないです。。 だから、 大好きだから ワガママ言わせてください。 、、次がいつになるかわからなくても、 どれだけの時間を待つことになっても、、 また必ずみんなと一緒に行くから。。 


今年 確かアラニス・モリセットさんの来日公演が予定されていたのですよね。。 前アルバムも好きで聴いていたし、、 ジュリアンや ドラマーの Victorさんらも映っているPVや、 TV出演時のライヴ演奏でバックにジュリアンがいるのも見ていたし、、 もし行ける時期だったら アラニスのライヴ観てもいいなぁ と思っていたところ、 気づいたら公演が中止になっていて、、ちょっと残念でした。

、、 私は吉井さんのモバ会員ではなかったので、 ジュリアンが今回のツアーに来てくれる事は ツアー直前に知ったのです。。 長いツアーでもないのにジュリアンが来てくれているのも嬉しくて、 それで複数箇所どうしても観に行きたいとも思ったし、、

名古屋では 遠い席だったけれど、 ギターソロの時だけは オペラグラスでジュリアンとバーニーのギター、、 しっかり目に焼き付けました。 Beautifulのジュリアンの長く引っ張る美しいソロ、、 胸がいっぱいになりました。。 そして、 あの曲をよしふみさんが叩くところもすごくすごく見たかったの。 Beautifulはよしふみさんにすごく似合う曲だと思っていたから。。

吉井さんがソロのライヴを再びやってくれた、そのことへの想いは勿論だけど、 ナポリタンズの事も書き尽くせないくらいいっぱい思いがあるんです。。 新木場でも名古屋でも 吉井さん汗びっしょりになってパワフルに歌いまくっていて、、 ちょっと心配になるくらいずっと力強く歌い続けていたから、、 そんな時 ちょっとメンバーそれぞれのパートに振ってみるのもいいんじゃないかな、、とも思ったし。。 (新木場のときなど倒れてしまうんじゃないかと思うくらい汗びっしょりで…)


…… すごく贅沢な願いがもしも叶う余裕が(時期的に)できたら、、 ナポリタンズの個々のメンバーがそれぞれ自分の好きな吉井ソロ曲をアレンジして、 究極のアレンジライヴなんてのも見てみたいと思うし、、 一人1曲ずつメンバーによるREMIXをお願いして、ミニアルバムなんてのも聴いてみたい。。(PusciferのREMIXアルバムは最高でした。あんな感じの) 
、、だって、ナポリタンズみんなそれぞれ 素晴らしい音楽的背景を持った、手練れのミュージシャンばかりなのだもの。。
十年以上共にライヴを重ねた、 そんなベテランらしい幅のあるロックと、 そのバックグランドにあるものを、 次世代に伝えていって欲しい。。

 ***

今回のツアーは 急遽決まったと吉井さんも話していた通り、、 みんなが楽しめるようなライヴでした。。 だけど、 メンバー紹介の時に 淳悟さんと2006年のマネをしたり、 宇宙ツアーの話をしたりしてたように、、 いつか いつか、、 また、 その時期、 その年、 その歳 でしか出せない、 独自のカラーを持った チャレンジングなツアーも また見てみたい。。(宇宙ツアーのオープニングでみんなを吃驚させたような、、)
… いつになってもいいから。。

そうして、、 音楽家として、 パフォーマーとして、、 自分がこう見せたいんだ、と思う形が明確になったら、、 その音楽をナポリタンズのメンバーと一緒に (或はまたゲストミュージシャンと共に)
自分の思い通りの形で奏でられたらいいね、、と心から願ってる。。


どんな島へ連れていってくれるのか…


楽しみに生きてます。。。


(その前に早くこの風邪を治さなきゃね… ゴホ…)
 

ただいま。。 7月になってた…

2018-07-01 | …まつわる日もいろいろ


6月はどこへ消えたの…?

梅雨はどこにいっちゃったの…?

そんな日々でした。。



何処にもいってないよ。 どこにも行かないでちゃんと胸の中に…♡


 ***

実を言うと 新木場で貰ったとおぼしき風邪が おんなじタイミングでおんなじ症状で名古屋同行の二人に現われて、、 喉めちゃ痛… 鼻炎に頭痛に…

なんでだろう、、 周りに咳込んでいる人もいなかったし、人に揉まれる場所にいたわけでもないのに、、


でも、、 ちゃんと行って ちゃんと帰って来れました。


しばし ダウンしていいですか… 笑


(このまま夢の中でメロディを抱きしめながら)
また 書きます。。