星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

地平線と自分のあいだに…

2023-12-30 | …まつわる日もいろいろ
今年から 来年へ、、

もうすぐ年が新しくなろうとしています。

それは日付が変わる事、、 昨日、今日、明日…  ただそれだけの事なのに、なにかとても特別な気持ちになるのは何故でしょう…

自分のなかのなにか 気持ちもからだも… なにかが少し新しく生まれ変われるような… 願い、勇気、、 それとも、 世界がもっと… その瞬間にもっとうつくしく生まれ変わることができたら… そんな夢、、 ちいさな溜息…


おだやかな気持ちとともに、 心のどこかに不安も 心配も 混在しています。。 ノンシャランに微笑んでいる自分でありたい… 日々そんなふうに思いつつ、 生来の心配性はなかなか治りません…

でも、 わたしは大丈夫よ。


きょうがだいじょうぶなように、、 明日も、 そのつぎも…  その繰り返し。 積み重ね。



2年後、 3年後の約束は できないけれど…



いつかの今日が


2年後、 3年後に、、 なっているように…  毎日を…


 ***


  女が独りで生きるとき、地平線と自分を遮るものはなにもない。独りだと、何事をも際限なく見つめつづけることができるのだ。火や海や、ほんの幼な児たちをみつめたりするのと同じように・・・略
         (『今晩は、テレーズ』エルザ・トリオレ 広田正敏・訳)



エルザ・トリオレについてはまた… と書いたまま 年を越してしまいます。 このまま ほかの作品も少しずつ読みつつ、、 年末年始の日々を過ごしていきます。。 お台所やリビングを行き来しつつ…

「女が独りで生きるとき、地平線と自分を遮るものはなにもない…」 そんなビジョンが素敵だと思いました。 もちろんこれは作家としてのトリオレのビジョンでもあるはず。

、、 独り暮らしでなけれは…? 地平線と自分とのあいだを遮るわずらわしいものが山ほど…?  そうかもしれない…笑

だけど、、 あるとき ある瞬間 あるひととき、、 火も海も 地平線も、 際限なく見つめていられる心の透明さは保っていたい… その透明な眼で向き合えるものを いつまでも愛しつづけたい… そんな透明な目的が いつまでも存在しつづけますように… 



今年から 来年へ…



あなたがいつもしあわせでありますように…




赤い薔薇と松の相性が意外と良いことに気づいた年の瀬でした… ♡

生きてることがプレゼント…

2023-12-23 | …まつわる日もいろいろ
師走の日々…  ともかく元気です…

あっという間に冬至も過ぎました。。 昨日も今朝も、 冬至らしい冷え込みでしたね。
ここ数日、 気がつくとそろそろ夕飯の用意、、なんて時間になっていて、 あぁ忙しい。。 年末年始のお買い物リストをつくるだけで時間がかかっているようなのろまさんなのが原因なんですけど…

本も読みたい、 音楽も聴きたい、、 忙しくなればなるほど この欲望が高まるのは昔からの悪い癖。。 わるい? のかな、、 よくわからない。 アドレナリンの要求なのでしょう…

今読みかけている本のなかにも、 「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」や、まだ読んでいない本ぜんぶを読むには人生は短すぎる… というようなことが書いてあったので、 昔の人もそうなのだから しょうがないか… と自分を納得させて、、


今年は、、 年のはじまりから訃報もありました。。 海の彼方からの報せだから 今でも実感がともなっていないけれども、、 それでいいんだと思う。。 心のなかは変わっていないから…

この前、、 とても素敵な音楽を見つけたので・・・ (私をよく知るひとに…)

 See No Evil · Ghost

これすごく好き♪ いままでTelevision の曲のカヴァーのどれを聴いても、 本家を聴きたくなるばかりで何も魅かれるものがなかったけれど、 これは大好き。 この曲のかっこ良さ、 ボップさの良い部分が際立ってて。。
Ghostの曲はちっとも聴いたことはないけれど、、 スウェーデンのバンドなのね、 スウェーデンのバンドはポップでロックな匙加減が巧いです。


今朝は このライヴが流れています⤵
 Asaf AvidanNancy Jazz Pulsations 2023 (ARTE Concert)

さっきBGMにしようと まだ見ていなかったナンシージャズフェスの中からたまたま開いた Asaf Avidan という方のライヴ。 なかなかオススメです。 BGMにしようと思っても、つい画面に集中してしまって、、 

サムネイルのお写真からは想像つかないお声、 独りでたくさんの楽器をあれこれ操って、、 とってもユニークな 見応えあるライヴでした。





先月サントリーホールに行った時の、 アークヒルズのクリスマスツリー。
、、なんとなく 「どんど焼き」を思い浮かべてしまったのはわたしだけでしょうか…

でも、 クリスマスに「ブッシュドノエル」というお菓子をいただくのは、 夜の長い冬至の頃、、 暖炉に丸太を燃やして家族で火を囲んで、 はやく太陽がかがやく季節が戻ってくるのを待ちわびる想いから、、だとか。。 だからアークヒルズのツリーは 「冬至の薪」=ユールログを意味しているのですね。 いっぱい燃えて良いんですね。


 「プレゼントなんて、もう長いこともらってない」
 「生きてることがプレゼントさ」と___は言った。 「毎日の一時間、一分がね」



つい先日読み終えた小説のなかの台詞。。 ラストのほうのだいじな場面なので、 本のタイトルはここでは伏せておきます。 なかなか読み進まなかったけれど、 読み通せて良かったと思える本でした。


冬至は過ぎたから、、 夜明けはまたすこしずつ早くなっていきます。 来年はもう 始まっているんだね…


どうぞ あたたかいクリスマスを。



わたしの愛する人たちの健康としあわせのために…




プレゼント とどきますように… ☆彡



復刊や、あらたな翻訳が出たらいいな:19世紀アメリカの社会と文化を描いたイーディス・ウォートン

2023-12-13 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
このブログに読書記を書きはじめて20年ほどになります。

私の場合、 本との出会いは 誰かの紹介とか評判になっている本とかそういうのではなくて、 日頃の関心事のなかで検索したり、 読書を通じて新たな作家や書名を知ったりして、 そうやって次に読む本を選んできたものです。 

心をとらえた作品については此処に書きのこしたりしてきましたが、 その中には、 絶版により入手困難だった本や古書を取り寄せて読んだ本もいくつかありました。 それらの本がのちになって、 新しく翻訳出版されたり、 あらためて復刊したり、、 そうやって読めるようになったことを知ると なんだか埋もれていた宝が知れ渡ったようで 嬉しくなったものでした。

たとえば、、
『椿實全作品』読書記>>)は、 幻戯書房から2019年に 『メーゾン・ベルビウ地帯: 椿實初期作品』として復刊されましたし、

ノルウェーの作家シランパアの『若く逝きしもの』>>)は、 フランス・エーミル・シッランパー 著 『若く逝きしもの』として2022年に ‎ 静風社から出版されました。

イエンス・ペーター・ヤコブセンの『ニイルス・リーネ』については何度か書きました。山室静さん訳の『死と愛』を読みおえたことまでは書きましたが(>>) その後、2021年にルリユール叢書『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著 奥山裕介・訳が幻戯書房から出版となりました。

漱石先生を通じて知った レオニード・アンドレーエフのことも何度か書きましたね。『悪魔の日記』>>)は今も絶版のままだと思いますが、 2021年に未知谷から『イスカリオテのユダ L・N・アンドレーエフ作品集』岡田和也・訳 が出版され、 表題作のほかに「天使」「沈黙」「深淵」「歯痛」「ラザロ」が収録されています。

 ***

今年の読書の収穫を振り返ると、 シドニー=ガブリエル・コレットや、 イーディス・ウォートン、 エルザ・トリオレといった20世紀前半の女性作家の作品に出会ったことでした。 3人とも戦間期のパリに住んでいたという共通点で知っていったわけですけれども、 コレットは生粋のフランス人、 ウォートンはアメリカ生まれ、 トリオレはロシア生まれ、 とそれぞれの小説も全く雰囲気が違っていました。

とりわけイーディス・ウォートンの作品は、 女流作家とか女性作家という括りにとらわれない、 19世紀から20世紀にかけてのアメリカの社会や文化を 物語のなかに緻密に記録しているという力量を感じて、 特に、建造物の様式や美術品や調度品に関する知識、 ファッションの趨勢などにとても詳しいことにも驚きました。

イーディス・ウォートンは幼い時から両親とともにヨーロッバ各地をなんども旅行して暮らしたそうですけれども、 そうやって見聞を広めて文化芸術の知識を得て、 外側の世界から故郷のニューヨークそしてアメリカ社会を見るという独自の視野が備わったのでしょう、 彼女の作品にはつねに 「格差」とか「差異」といったものがテーマにあるように思います。

NYの上流社会を描いた『無垢の時代』では 過去と現在、NYの内側しか知らない者とヨーロッバ帰りの人との隔絶を描き、、 ニューイングランド辺境の村を舞台にした『夏』『イーサン・フローム』>>)では、 貧富の差や村の外の世界との格差、 そして主人公たちがその「格差」をなんとか乗り越えようともがき、 新しい世界を夢見、 打ち崩される…
その憧れや抗いの気持ちが 読んでいてとても胸にせまるのでした。

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ほかにもイーディス・ウォートンの作品を読んでみたくて、 この本を取り寄せました⤵



『偽れる黎明・チャンピオン』イーディス・ウォートン, リング・ラードナー 著 皆河宗一, 大貫三郎, 菅沼舜治 訳 1981年 南雲堂

この本にはイーディス・ウォートンの3つの作品が載っています。 「偽れる黎明」(原題 False Dawn) 、「隠者と野性の女」( The Hermit and The Wild Woman) 、「芸術を売った絵」(The Pot-Boiler) 

特に「偽れる黎明」は ウォートンの美術への知識が下敷きになっている作品でした。 絶版なので簡単にあらすじを書いてしまいますが、 NYのある上流階級の子息が2年間のヨーロッパへの見聞旅行に出ることになり、 父親は自分の美術館をもつという夢のために、古典絵画の名画を購入してくるように息子に言い渡す。 息子は周遊の途上でひとりの英国人と知り合い、 その人物をつうじて新たな絵画の美に開眼して、その助言と自分の審美眼を信じて得た絵画をアメリカに持ち帰る。 ところが息子の持ち帰った絵画は父親にはまったく受け入れ難いものだった。 その絵画とこの一族の顛末が描かれているのですが…

興味深いのは、 当時のNYとヨーロッパの美術史の事情がよくわかる点なのです。 これはウォートンの美術への知識がなければ書けなかったことでしょう。 簡単にいえば、 富豪の父親のもとめたのはラファエロに代表される古典主義の絵画で、 息子が出会った英国人というのがジョン・ラスキン。 息子はラスキン、 ハント、 ロセッティというラファエル前派の芸術家に出会って、当時はまったく評価されていなかったカラヴァッジョ、 フラ・アンジェリコ、 ジョットの作品を持ち帰ったというわけなのです。

その絵の顛末を読むと、、 えーーーー‼ となるのですが、 1840年代当時 カラヴァッジョとかが全く無名だったということにも驚きました。 アメリカの美術史の黎明期が「False」だったという、 タイトルにウォートンの皮肉が込められています。

解説によると、この「偽れる黎明」という作品は 「それぞれ一八四〇年代、五〇年代、六〇年代、七〇年代のニューヨークの生活を描いた中篇四つを集めた『古いニューヨーク』 Old New York (一九二四)所蔵の第一篇である」 ということなので、 そうなれば他の3作品、 50年代、60年代、70年代のNYも同時に読んでみたいものです、 ウォートンにはそれぞれの年代の「変遷」「差異」を記録することこそが主眼だったのでしょうから。。

それに、 この本の翻訳は60年も前のことで、 たくさんの画家のカタカナ表記も今とは違っていて 「カルパッチオ」などと書かれています。 出来たら新しい注釈と翻訳で復刊して欲しいものです。 

そして とても心を打つ小説 上流社会ではなく貧しい村の暮らしと悲しい愛の物語『イーサン・フローム』なども、 ぜひ復刊されると良いなと思っているのです。



長くなってしまいました


もうひとりの女性作家 エルザ・トリオレのことはまた今度。。



なげうつかつなげるか…

2023-12-08 | …まつわる日もいろいろ
やっとお部屋にクリスマスツリー飾りました。 毎年使っているほんのちいさないつものですけど…

そして今年もあと… ということで、 しばらく前から 今年を象徴する漢字、 ずっと考えていたんです。。 候補のひとつとして、、

 「擲」

テキ、 なげうつという漢字。 『骰子一擲』…これはステファヌ・マラルメの詩集のタイトル。 サイコロのひと振り。 、、わたしの頭の中にあったのは、 マーラー交響曲第6番で打ち下ろされるハンマー《一擲》のこと。 一撃でもよかったんですが、 撃は武器のイメージですし。。

今年5月に聴いた マーラー6番のノットさんによる、世界でも稀な《5回のハンマー》。 人生をふいに襲う悲劇のハンマー。 5回であるのか2回であるのか、、演奏会とはべつにして、 人生に振り下ろされるハンマーの意味を考え、 たしかに人生はその繰り返しなのかもしれないな…とも思いましたし、 今年を象徴するイメージでもありました。 詳しくは語りませんけれども…

つい先日のベルリン・フィル公演のベルク「管弦楽のための3つの小品」でも 最後の巨大なハンマーの打擲に驚きました。 マーラー6番を意識した曲とのことで成程と思いましたが、 バリッ‼とすごい音がしたので、見たらお餅もつけそうなしっかりした木製のハンマーでした。

でも、、 私自身の一年を考えたら おおむね無事に過ごせた一年であったと思うので、、 ハンマーの「擲」の字は無しにしました。 それでは、、 もうひとつの候補は…


、、 今年の春ごろ たしか堀辰雄の小説を読んでいたときだったと思います。

 「怺」

という漢字にはっとしました。 「こらえる」、、 ふつうは「堪える」と書きますが、 堪えるは、痛みや苦しみをじっと我慢するという「耐える」と同様の意味かと思います。 でも、 堀辰雄が使っていたのは、 「辛抱する」「惑わされないように心を保つ」、、そういう意味でこの「怺」(こらえる)という字を何度か使っていました。

あぁ そうか、、と気づかされました。 心を保つ、、 りっしんべんに「永」です。 こころをとこしえに… そのような意味の「こらえる」。

この夏、 ミラン・クンデラの『不滅』を読んでいた時もこの「怺える」という言葉を思い出していました。 作中でアニェスが思った事。 世界が耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎だけ買って、その青い点だけ見つめて街を歩こう…
、、アニェスはずっと「怺えて」いたのです。 やり場のない心をなんとか保つように…。。

しかしこれもまた、 私自身のことではないような気がします。 確かに世界には耐え難い物事がいっぱいあります。 だけどまだ私は勿忘草をかざして世界を遮断するほどには、まいってはいない、と思う。。


それでは…?  そうして考えたのが…

 「継」

つなぐ、つづける、うけつぐ、、 継続、、 古くなったものや破れたものに「つぎをあてる」という「つぎ(継)」もこの漢字ですね。 私のこの身体もずいぶん継ぎ接ぎしてきました。 それでもまだ命をつないで暮らしをつづけて、、 破れそうな心にも早めに「継ぎ」を。。 

そして この字は 「まま」とも読みます。 継子(ままこ)…血のつながりのない、という意味の。。 この意味が私に特別重要なわけではありませんが、 血のつながりのない、という事も最近考えている事でもあって、、 つまり、 血のつながりの無い他人同士の人間関係をつなぐことこそが人生の長い長い道のりの重要課題なのかな…と、 最近よく思うのです。

血のつながり、という意味以外でも 異なる民族、 異なる宗教、 異なる地域、 異なる環境、、 異なる背景をもつ人間同士がわかり合うことの困難さが さまざまな不幸や悲劇に結びついてしまうことがある… だからこそ もともとつながりの無い者同士が心を寄せ合うことの大切さ、 難しくてもやらなければならないこと。。

「継」という漢字の 旧字体は 
 「繼」
という、 ばらばらの糸をつなぎ合わせて成り立っているようです。 ひとつの部屋にちっちゃな「糸」が4つ並んで、そして大きな「糸」になる、、 そうやって見ると可愛い漢字にも見えてきます。


、、というわけで



明日のために、  来年のために、、



今日を 継ぐ。





今夏、スウェーデンにいらした方からのお裾分け、メダルチョコ。ずっと冷蔵庫に… クリスマスにいただこうかしら…

今夜、Nobel Prize Concert の中継もあるようです。 エサ=ペッカ・サロネンさん指揮。

緊張とやすらぎの呼吸…

2023-12-04 | LIVEにまつわるあれこれ
12月になりました。

先月のベルリン・フィル公演につづいて、 先週の土曜日 ベルリン・フィル八重奏団の公演を聴いてまいりました。 ベルリンフィルメンバーの個々のかたの音色を、 一度間近で聴いてみたかったんです。

ベルリン・フィル八重奏団 ミューザ川崎シンフォニーホール

シューベルト:6つの楽興の時op.94 D780(ハンズ・アブラハムセンによる八重奏編曲版)
細川俊夫:《テクスチュア》八重奏のための(2020)日本初演
シューベルト:八重奏曲へ長調D803

樫本大進 :第1ヴァイオリン
ロマーノ・トマシーニ :第2ヴァイオリン
パク・キョンミン :ヴィオラ
クリストフ・イゲルブリンク :チェロ
エスコ・ライネ :コントラバス
ヴェンツェル・フックス :クラリネット
シュテファン・ドール :ホルン
シュテファン・シュヴァイゲルト :ファゴット



ぴったりと呼吸の合った同じ楽団メンバーによる八重奏は、 やはり言うまでもなく素晴らしいものでした。 それぞれの音色がクリアに際立つ部分と、 ひとつのハーモニーとして湧きあがる(そう、ここでも音色が湧き上がる、 空間に生まれ出る、という)感覚を味わいました。 全体が響き合った様子は、8人のソリストによる演奏というよりも まるでオーゲストラの演奏のように壮大で、あんなに大勢のオーケストラがいつもは並ぶミューザのステージが こんなに小さかったかしら… と不思議に思えるほどでした。

前半2曲目の、細川俊夫氏作曲の《テクスチュア》がとりわけ良かったです。 第一ヴァイオリンが主旋律を奏でるというような音楽ではなくて、 円を描くように立ち 向かい合った8人が、 いろんな対角線上で音色を交錯させ、 掛け合い、 響き合い、 その緊張や交歓や響き合いがアラベスクのように複雑な絵を描いているようで…

 ***

ヴァイオリン、ビオラ… 低音弦の響き… 管楽器の透明さ… 楽器に対する自分の感じかたや好みについてなど、 あらためて自分で知るというような発見もありました。 それはきっとこれからのオーケストラやリサイタルの聴き方にも生かされていくような気がします。






さあて、、
自分へのご褒美を楽しませていただいた後は、 年末までの日々のおしごとに精を出しましょう。

音楽を歓びをもって聴くこと 聴きに行けることの幸せ。 朝起きて、きょうもいつも通りの朝食が作れてお掃除お洗濯をして、 ひとやすみの珈琲が飲める幸せ。。 そんな風になにごともなく身体がうごけることのあたりまえで無い幸せ。


こんな貴重で有難いことは無いと自分でわかっているから。


感謝を…






ミューザ会場内のツリーも可愛らしかったです♪