星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

手袋女子♥️

2020-05-29 | …まつわる日もいろいろ
今後の病院通院などで外へ出るときのために 新しい夏用の手袋を買いました。



移動中や、 受付や会計など、 外出中ずっと手袋をしたままで過ごします

マスクと同じようにね。


アルコール消毒や手洗いも重要ですけれど、 手すりやドア、 いろんな所に触れなければならないときは 手袋は安心感ありますよ。

それに、 アルコール消毒で手肌がすごく荒れてしまう 弱肌の私には手袋必需品。



通販サイトには 薄手のかわいい手袋がたくさんあって、 今年は手袋女子 増えるのではないかしら?



***


図書館の本の受け渡しも、 ようやく開始になりました(嬉!)




少しずつ 前を向いて、、



素敵な週末をお過ごしくださいね。

恵みのShine...

2020-05-28 | …まつわる日もいろいろ
乾いた風の お洗濯日和


入院中、 看護師さんに好評だった カンガルー柄のパジャマが風に揺れてる。



縫ったとこがちくちく痛い

でも この痛みは なんの悪さもしない痛みだってわかっているからなんてことない。



ちくちく ちくたく、、、



次の外来診察までは無理しないよう言われたから、 のんびり ゆっくり


ちくちく ちくたく、、、



たくさん歩けるようになったら


美術館に行きたいなぁ。。

あの雲はどこに続くのかな・・・♪

2020-05-25 | …まつわる日もいろいろ
熱は今朝 ほぼ安定し

検査の数値も下がったとのことで

明日帰れます



おかげさまです。

たくさん力をもらいました。 いえ、 安らぎをもらいました。



自粛生活のなか、 自分の体調を悪化させてはならないと、 日々 緊張して 力を入れて 力を入れ過ぎて 身体の悲鳴にも耐えてしまった、、 無理して。



ここで

毎日笑顔の医療従事者に包まれて、 すべての疑問と、 不安と、 弱音に 応えて手術に向かえたことが、 どんなにか 安らぎだったか、、



最前線は、 報道される今の病気ばかりじゃない

みんな みんな 最前線で力を尽くしてる。



どうもありがとうございました。


これで完了ではないけれど、 またひとつ 頼ることができる救命ボートが増えた。



青い空に



つながる雲



つないでもらった 生命

I can't stop...

2020-05-23 | …まつわる日もいろいろ
4発熱が止まらな~~い♪ な土曜の午後です


術後 72時間になろうとしてますが、 37.5度以上という どこかで聞いたような (誤解?) 下がりませーん

でも なんだか外科チームの面々、 まったく心配してない様子(笑)



もう十数年前の心臓チームの頃もそうでしたが、 若い担当くんは朝6時から様子を見に来てくれます


生茶のなんとか君似の爽やかな努力家です


ここだからそうなのか、 世間もだいぶ状況が落ち着いてきたのか、 ここにいると世界が変わってしまった深刻さなど 嘘のように 毎日がてきぱきと動いていきます


リハビリ、 検査、 清掃、 すべての人が何の心配もないように明るく忙しく エネルギッシュに笑顔で動いています。
不思議なくらい・・・



考えてみれば 今回、 自粛期間で延期手術だったからこそ、その間に病の勉強も出来たのかも

アクシデンタルな形の緊急手術だったけど、 結果として 身体への思わぬリスクを回避できたのかもしれない、、


なんだか これで良かった気がする


***


この時間は じつは あらかじめ決められていた時間だったりして



日常を奪われた時間のなかで すごい手作業で凝ったもの作る人や、 オリジナルな楽しみ方を見つけている話題をTVで見ると みなさんすごいなぁと思います


特に若いファミリー層。 なんて前向きなんだろ、って。



今日のフォト。
早くおうちに帰ろうね、 の緑の娘と、、


新しい本がなにも無いので 漱石先生の弟子だった頃の 若き龍之介をまとめた本を持って来てもらった。
表紙は天野喜孝


列車で水蜜桃の先生に出会う『三四郎』の話に明らかに影響うけたような 船のサルーンでの謎の先生との出会いの話がかわいい



若き日の率直さ、、 驚きや関心を そのまま表現する力、、 大切にしたいね。



明日の日曜日も担当くんは来るそうです。



来週 熱はおさまるかなぁ、、




良い週末を。

結局・・・

2020-05-21 | …まつわる日もいろいろ
痛みが増して病院へ。

昨日、緊急手術となってしまいました💧
(そんなハプニングが待っていたとは・・・)


いずれ 再手術も必要になるかも、、とかって先生の説明だけれど、

ひとまず 昨日は無事終了、、



朝だよ。



おはよう。

コロナの時代なんていらない。

2020-05-15 | …まつわる日もいろいろ
共存とか、、 勝手なこと言わないで欲しいわ(笑   

しかも、

 「皆さんお一人お一人が十分な警戒を怠れば、2週間後の未来は予断を許しません」

て、、 国民に責任を丸投げしないでよ。。 医療機関や介護現場での感染をふせぐ手立てを十分に政府や自治体が整備できて みんなが安心できる検査体制が出来たら、 今の 警戒解除された地域での感染の規模なら べつに 手洗い、うがい、 マスクの 今までどおりの 《新しくない日常》のままで抑えられるはず。 勝手にヨーロッパ諸国と同規模の解釈しないで欲しい。  
、、 もしかして長引かせたいの?? 薬の開発や人工呼吸器や検査キット売るために…?


コロナの時代なんて要らないから。


でも、、

都内は院内感染や施設内感染が無くならないとね、、 まだまだね…





悪態ついてゴメンなさい。



自粛生活の中で おうちで髪を切りました。  鎖骨あたりでぱしっと真っ直ぐに。。 美容院行かなくてもなんとかなるものです… 


今年 お初のチョコもなかは半分だけが丁度好い… ♡



、、 いつもとおなじ  いつもの君で


  素敵な週末を …

自粛生活の中で哲学と旅の書を再読:『禅とオートバイ修理技術』 ロバート M.パーシグ 著

2020-05-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
5月になりました。

このところ急に初夏めいてきましたが、まだ蒸し暑いというほどではなく、 緊急事態宣言がでなければ 瑞々しい新緑のもと、明るい色のお洋服に着替えて出掛けたい季節ですのに…ね、、
まだ自宅に籠って 安静の日々、 入院・手術待機の日々がつづいています。


いつか
心身の自由を取り戻した時、 その喜びを深く 強く感じ  生きてることに感謝するために、 今をしずかに待とう… (今を纏う… でも良いかな)


本屋さんも 図書館もお休みの期間に、 自分の古い本棚を眺めまわして 「今にぴったりの本」と思い、ふたたび取り出した本。




『禅とオートバイ修理技術』  ロバート M.パーシグ 著  五十嵐 美克 翻訳、 兒玉 光弘 翻訳

(上記は めるくまーる社・1990年発行。 今はハヤカワ文庫で出ているそうです)


邦訳が出版された90年ごろ、、故郷の大きな書店に大量に平積みされていた光景をよく覚えています。 不思議なタイトルが眼を引いたことも、 当時(少し前) バイクに乗っていたことも この本に引き寄せられた要因。

同じ頃、 ブルース・チャトウィンの『どうして僕はこんなところに』も 平積みされていた光景を記憶していたので 検索したら、 チャトウィンの書も90年発行でした。 並んでいた理由も頷けます。



今、 新型コロナウイルスで 外出の自粛を余儀なくされていた日々のなかで、 いろいろ見えて来たものもあります。 各国や、各自治体の首長の能力とか リーダーシップとか。。 或は 自粛生活が苦痛な人 そうでない人、 前向きな人、 うんざりしている人、 世の中に怒っている人、、


なぜこの本が 今読み返すのにぴったり、と思ったかと言うと、 たとえば 毎日の外出を我慢して家にいなければならなくなったとして、、 その人にとって、 外出(ランニングでも釣りでもいいけど)することと、 家の中でなにかをすることが、 哲学的に同列上にある人にとっては おそらく外出せずに家で何日も過ごすことにそれほど違和感を覚えないのかもしれないな、、と。 だけど、 例えばランニングすることと家のなかで何かすることとが哲学的になにも繋がっていない人が ランニングを止められてしまった時、 なにか家の中ですることを考えようとしても何も代用にはならない、 なにをしても失ったものの苦痛のほうが大きくて耐えられない、、 そういうことってあるのでは…? と、そんなことを想ったわけです。

この本は、 60年代アメリカの ヒッピームーブメントやビートジェネレーションを経た 「新しい価値観」の生まれた時代(1974年出版)の、 オートバイツーリングの紀行&哲学書。 テクノロジーの合理性のみを追求して発展をつづけた社会のなかから、 ほんとうにそれが価値ある生き方なの? という疑問が生まれた後の思索の書。

最初にこの本を手にした90年には、 まだ私も子供みたいなものだったし、 あまりそういう時代的な精神について理解できていなかったけど、 今なら こういう文章にも納得して頷けるようになった⤵

  オートバイに乗ることはロマン的であるけれども、 オートバイのメインテナンスはまったく古典的である。 (p136)

車のメカニックでも 楽器のメンテナンスでも同様に、 このことに うなずける人ってけっこう多いのではないかしら…?

確かにこういう《ロマン的》《古典的》の二分化は理解できるのだけど、 著者はこの二分化に疑問する。。 この少し前のほうでも書かれているけれど、 オートバイが全く同機種で同じ年代に乗っていても 乗り主が交代してみると、 不思議なことに二つのオートバイは全然違うものになっていることに気づく。 その人の「癖」みたいなものが機械を変えてしまっている。 そうなると バイクという機械に乗る事が 単に《ロマン的》で、 メカニックを操ることが《古典的》という二分化はあやうくなってくる、、

これも クルマでも、 エレキギターでも、 扱った人ならそう感じることでしょうね。。 

 ***


著者は、 60年代に哲学的思索の果てに精神に異常をきたして 当時おこなわれていた脳に電流を流して記憶を消すという治療を受けた人です。 過去の自分を失ってしまった彼は、 クリスという息子とツーリングの旅に出る。 クリスは記憶を消される前のお父さんを覚えている。 でも 今の父親と昔の父親の変化にどう対応して良いかわからず、 幼い心で苦しんでいる。 一方で、 父もまた 自分はいったい何者なのか、 と苦しんでいる。

ルー・リードさんが 同じ60年代に 脳に電流を流して記憶を消されるという治療を受けていたと、 私はなにかで読んだはずだけど、、 いま ちょっと検索してもよくわかりません。。

この父と息子のたがいをみつめる苦しい旅路は心に迫ります。 その過程でずっとつづけていく哲学的思索の旅も、 ゆっくり ゆっくり 読んでいけば、 今ならもっと深く理解することが出来そうに思います。

夏目漱石の『三四郎』のなかに、 画家(美学者)の原口さんと、 科学者の野々宮さんと、 文学者(哲学者)の広田先生とが会話する場面があります。

 広田先生が、こんな事を言う。
「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」
 物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。
「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。
「だって、光線の圧力を試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力が物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」
「しかし浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。
「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」
「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。
「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士が比較を持ち出した。

  (青空文庫より >>


漱石は この《ロマン派的》な思考と、 《自然派的》(=当時の意味での自然派)な思考との対立をとても嫌っていた人ですが、 『禅とオートバイ修理技術』のなかで著者が思索していく「新しい価値の追求」にも通じるところがあって、、 西洋のモダニズムの行き着く先を見据えていた漱石先生、、 さすが凄いな… と思わざるを得ません。。

、、 もっとちゃんとした文章で書きたいのですが

今こうして PCに短時間向かっているだけでも けっこう疲れるので、 こんなとりとめない書き留めで今日はおしまい。。


代わりに 松岡正剛さんの千夜千冊のほうにリンクしておきます >>


 ***


都内の外出自粛期間はまだ続きます。 もう毎日 二カ月も前から 検査体制の充足を! と訴え続けていまだに出口は見えてきませんが、、 医療従事者や介護職員や、 そして必要な人全員への検査体制さえ整えば、 今すぐにでも緊急事態解除できるのに……


出口見えず…


、、 あと ひと月くらいかな……



つぎの月が満ちる頃には   光が見えて欲しいな…