本ブログは、なんとか無事に「はてなブログ」に引越しできました。
勝手が違い、まだ面食らっておりますが、そのうち慣れてくるものと思います。
マイナーなブログながらこの「興趣つきぬ日々」、思いのほかたくさんの方々においでいただきました。この機会にあつく御礼を申し上げます。
新アドレスは、興趣つきぬ日々 2 となります。今後も覗いていただければまことに幸いです。
「gooブログ」さんには、19年間お世話になりました。使いやすく、居心地のよいブログでした。
ほんとうにありがとうございました。
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ほんとうにありがとうございました。
今月2日、3日と、一泊で新潟に行ってきた。同期会出席のためである。
いま関東圏に住んでいるわたしの故郷は新潟県。新潟市にも幼少時と若い頃、何年か住んだことがある。
懐かしい新潟を、せっかくの機会なので、あちこち見てこようと思った。
まず訪れたのは、高層ビル「NEXT21」の展望ラウンジ(19F)。
上の写真は信濃川河口方面の景観。右手のノッポビルは「朱鷺(とき)メッセ」。展示場、会議室、ホテルなどの入った複合施設。
さらに奥に、工場群の煙突も見える。
反対側には日本海が見えるが、この日は雲が多く、佐渡が見えなかったのは、ちょっと残念。
NEXT21は、新潟市の中心部、西堀通りにある新潟市のランドマークタワー。中央区役所のほか、さまざまな商業施設が入っている。
ここは西堀通りに面した有名なラーメン屋さん「三吉屋(さんきちや)西堀本店」。ここでお昼。
「中華そば」は800円。縮れ麺の細麺。あっさりした醤油味。評判通りの美味しさだった。
このあと新潟からJR白新線の豊栄まで行き、バスに乗り換えて月岡温泉「白玉の湯 泉慶」へ。12人の懐かしい面々と再会した。
会食後も ‘部屋飲み’ で遅くまで語り合った。
翌朝、新潟駅までもどってくると、駅のコンコースで地元紙「新潟日報」が号外を配っていた。
長嶋茂雄死去のニュースである。
地方都市でも号外を出すとは、スーパースター長嶋の存在の大きさを物語るものであろう。
このあと駅のバスターミナルから「新潟市観光巡回バス」に乗って市内見物へ。
旅行二日目は小雨だったが、これもまた旅の味である。
上の写真は豪商・旧齋藤家別邸の二階から見た庭園と大広間。
かつて北前船の寄港地として栄えた湊町(みなとまち)新潟。当時の繁栄の姿を今に伝えるものの一つといっていいだろう。
江戸時代から続く高級料亭「行形亭(いきなりや)」が、旧齋藤家別邸のすぐそばにあった。
これも湊町新潟の繁栄の姿を今に伝えている。
入り口前に案内板があり、見ると、昼はカフェをやっているようであった。
夜ここに来て、芸者を上げて飲むなどは、わたしにはとうていできない相談だが、カフェなら入れるかもしれない。
案内板をよく見てくればよかったな。
行形亭の角を左に曲がると、ここは「地獄極楽小路」と呼ばれる通り。
左は行形亭の黒塀、右にはかつて刑務所があり、厚くて高いレンガ塀があった。極楽、地獄はここから来たようだ。
(刑務所跡は今は年金事務所と公園になっている。公園の入口にかつての刑務所の門の一部が残っていた)
近くにあった新潟大神宮。 ‘新潟のお伊勢さま’ とも呼ばれている。ついでにお参りをしてきた。
小ぶりの落ち着いた雰囲気の神社であった。
このあと再び新潟市観光巡回バスに乗って、新潟駅まで帰ってきた。
予約していた新幹線まで時間があったので、駅前の「須坂屋そば」でゆっくり遅めの昼食。
‘Variety is the spice of life.’(変化は人生のスパイスだ)
という英語のことわざがある。
旅は日常からの離脱をもたらし、日々の生活に変化と刺激を与えてくれる。
今回の新潟旅も心に刺激を与えてくれ、わたしをリフレッシュさせてくれた得難い旅となった。
わが家のアジサイ(アナベル)が今年も咲いた。
毎年ブログに上げているので、「またかい」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。
ブログネタも尽きかげん。お許しください。
この写真を撮った前夜は一晩中雨だった。梅雨にはまだ入っていないが、アジサイにはやはり雨が似合う。
これも雨に濡れたプレイボーイ(バラ)。
水も滴るいい男。まるでわたしみたい。(まさか)
これはフリージアというバラ。
これも本ブログにはよく登場する。
秋や冬にも花をもつことのあるバラなのだが、長年観察していて思うのは、かつての樹勢がなくなってきているかもしれない。
5月には4~5輪同時に咲いた。今は1~2輪といったところ。バラにも寿命があるのだろう。
先日のわが家の朝食。
キャベツ、ブロッコリー、スナップインゲンはわが家の菜園から。
ボカシ肥料など有機肥料を使っているせいか、どれもクセがなくて美味しい。甘みもある。
自家菜園を持つ一つの贅沢、と思っている。
今は菜園からインゲン、ジャガイモが穫れだしている。
日が暮れて辺りが暗くなってきたのに、庭のバラの、花の周りがほんのりと明るかった。
このバラは、ザ・ピルグリムという花びらの多いバラ。
写真に撮ってみると、まるで花の内側から灯りがともり、外に光を発しているよう。
写真撮影は周囲が明るければいい、というものでもないらしい。
光の加減によって、カメラは被写体のさまざまな表情を引きだす。
ここがきっと、写真のおもしろいところなのでしょう。
ところでこのザ・ピルグリムは、花びらがすぐに散ってしまうバラだ。
ニ、三日もすれば、この花もパラパラと花びらを落とし始めてしまうことだろう。
みずから輝き、潔く散る。既得権益にへばりついたりしない。見習わねば。
わが家の菜園には今年も ‘行灯’ が登場した。
先日植えたばかりのトマト、ナスなどの苗を、強い風と時折おそってくる寒さから守るための行灯型の覆いである。
空(から)の肥料袋を利用。
行灯の畝は、上の写真の手前左側と、奥にもう一畝ある。
ちょっと中をのぞいて見よう。
これはトマトの苗。花が咲き始めている。
これはナスの苗。
これも花が咲き始めていて、花も葉脈も、もうナス色(紫)をしている。
行灯のなかには、トマトとナスのほかにキュウリの苗も入っている。
この日のわたしの作業は、タケノコイモの畝(上の写真右側、黒いマルチを貼っているところ)の左わきの土の ‘耕し’ であった。
耕しといっても深く掘り起こすわけでなく、土に鶏糞と自家製のボカシ肥料を入れ、土全体をよくかき混ぜる作業。
この土は、ここに何かを植えるためでなく、となりの畝のタケノコイモの「土寄せ」用に使う。
土寄せとは野菜が生長していく段階で、黒いマルチをはがしてから、その株元(根もと部分)に、準備しておいた土を少しずつかけて、盛っていくことをいう。
今回わたしは、土寄せ用の土の準備をしてきたというわけだ。
肥料をまぜた土寄せ用の土は、置いておくとしだいに発酵し、熟成していく。その熟成した土を、収穫までのあいだ何回かに分けて畝に盛っていくのだ。
土寄せとは肥料を直接いっぺんにほどこすのでなく、時間をかけて土壌熟成を図りつつ肥料効果を高めていく方法だ。菜園作業の一つの「技」である。
タケノコイモはもう5~10センチに伸びている。
これは寒冷紗の覆い(寒さと虫除け)をはずしてみたインゲン(手前)と枝豆(奥)。順調に育っている。
これはグリンピース。
莢(さや)の数が増え、一つ一つがずいぶん大きくなってきた。
もう食べることができそうなものもあったので、少し摘んできた。
さっそくグリンピースご飯に。
昆布を入れてご飯を炊き、バターで香り付けをしている。
タケノコご飯に栗ご飯、それにこのグリンピースご飯が、「わが家の三大炊き込みご飯」である。(松茸ご飯がなぜか入っていないなあ)
4月も半ばを過ぎ、わが小屋(しょうおく)にも花が咲きそろってきた。
上の写真はナニワイバラ。もう20年以上も今の時季、この場所に咲き続けている。
枝が伸びて、これまで何回も刈り込んできているのに、数は減っても花は咲く。
ただ、花の命は短い。毎日次々に咲いても、ニ、三日で順次散ってしまう。
散る潔さは桜の花以上かもしれない。
道に落ちるナニワイバラの花びらを掃除するのが、今はたいへんである。 (家内が)
庭の花壇。
チューリップは黄色と赤が散っていまい、少し遅れて咲いたオレンジ色がまだ残っている。
カモミールも咲きそろってきた。
香りがいいので、花の部分を摘んで網の袋に入れ、お風呂に入れている。
庭のすみにはスズランが咲き始めた。
スズランはいつもすみっこに咲き、下を向いている。
なぜかひかえめな花である。
でも愛らしさはどの花にも負けない。清潔感も他の追随をゆるさない。
ヘタに自己主張をしなくても、見る人は見てくれているのです。
花の本格的な季節が始まった。
4月に入って、わが家の菜園の野菜たちは、だいぶ大きくなってきた。
上の写真、手前の二畝はジャガイモ。左の畝が男爵、右が北アカリ。
5月の半ば過ぎには食べることができる。
これはブロッコリー、カリフラワー、レタスの畝。
レタスはハンサムグリーンという銘柄(種)とのこと。
なんとさわやかなネーミングなことか。まるでわたしをイメージしたようである。(まさか)
写真には写さなかったが、別な畝に玉レタスも育っている。(こちらの名前のほうがコロコロと太めのわたしのイメージ)
玉レタスの畝には、とんがりキャベツも植えている。(キャベツの一品種)
キャベツは、わが家の毎朝のサラダには必須である。植える時期をずらし、品種を選び、年間、できるだけ切れないようにしている。
これはらっきょう。小さいうちに穫って(若穫り)、エシャレットのように生で味噌、マヨネーズをつけて、もう食べ始めている。
この畝の奥の方にタマネギが植わっている。タマネギは今年、なぜか生長が遅い。昨年末から3月にかけて雨が少なく、乾燥した日々が続いたせいかもしれない。
タマネギはわたしの大好きな野菜の一つだ。煮物にすると甘みが出るし、生のオニオンスライスも好き。
スモークサーモンやハムは、オニオンスライスを中に入れ、くるりと丸めて食べると、味がワンランクアップする。
元気に大きく育ってほしいものだ。
この畝の左の畝では、ニンニクが元気に生育中。
ニンニクはいうまでもなく、肉にも魚にも合わせるなど、応用範囲の広い食材である。
スナップエンドウ(手前)とグリンピース。
先月立てた支柱とネットに、元気にからみついている。
♪ 白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日
さよなら と云ったら
黙って うつむいてた お下げ髪
(寺尾智沙/詞 田村しげる/曲 岡本敦郎/唄「白い花の咲く頃」より)
グリンピースには、お下げ髪の少女のような、純朴でかわいい、白い花が咲いていた。
花びらの根元の若草色がすがすがしい。
グリンピースの実が生り始めている。これからどんどん中身が入り、大きくなってくる。
グリンピースの炊き込みご飯は、初夏のわが家の定番。わたしの大好物である。
菜園にはほかに、ダイコン、ニンジン、インゲン、エダマメ、タケノコイモなどが育っている。
トマトとナスは、近々苗で植える。
散歩道の源平桃(ゲンペイモモ)が、今年も満開になった。
ここはよそのお宅の玄関先。高さが5メートルほどもある見事なハナモモの木である。
源平桃は、白い花と赤い花が同じ木に咲く。
白色の花を源氏の旗、赤色の花を平氏の旗に見立て、それが同じ木に共存していることから源平桃という名前がついたという。
敵対より友好、対立より融和、戦争より平和を象徴する木といえようか。
戦争当事国の指導者たちには、大いに見習ってほしいものだ。
ところでよく見ると、白い花と赤い花が共存するといっても、全体に混在しているのでなく、枝ごとに赤い花の咲く枝と、白い花の咲く枝がはっきり分かれている。
といっても、白い花の咲く枝に、赤い花が咲いていたりもする。
源平桃は、形にとらわれない柔軟性を持った木なのだ(と言っておこう)。
幹には赤い花と白い花がくっついて咲き、‘ナカヨチ~’ していた。
今朝は、めずらしく霧の立ちこめた朝だった。
きのうまでの5日間の雨で、空気中に水蒸気がたまり、それがきょうは雲が切れ放射冷却が進んだので、無数の微細な水滴となって辺りに立ちこめたものであろう。
きょうは雨だけでなく、しばらくぶりに気温も上がるようなので、数日前に開花した桜の、格好のお花見日和になりそうだ。
ところで「明鏡国語辞典」を見ると、霧は「平安時代以降、春に立ちこめるものを霞(かすみ)、秋のものを霧(きり)と言い分けてきた。」とある。
したがって今朝のは、霞と呼んだほうがいいのかもしれない。知りませんでした。
きょうは「霞のち花見」と洒落込もうか。
朝一番の陽の光を浴びたわが家の水仙。
水仙は、春の花壇のプリマドンナである。
いち早く咲き、スポットライトを一人占めにしている。
といっても鉢植のビオラを除いて、花壇にはまだほかに花は咲いていないけど。
花壇では、花はまだだがチューリップの葉が、日に日に大きくなっている。
黒い影が、背後から葉っぱを襲おうとしている。
というのはウソで、葉っぱの影が後ろの石に映っていたのだ。
散歩道で見つけたこの “石舞台” では、主役は花でも葉でもなく、影だったのですね。
誰しも、いつだって、自分が自分の人生の主役なのだ。どんな時にも誇りを失わず、自信を持って日々生きていこう、とこの影は言っている。
かがやくコサギ。
いうまでもなく、コサギが光を発しているわけではない。‘半逆光’ による陽の光のなせるわざだ。
でもこのコサギ、顔を上げ、スッと背筋を伸ばしている。
「わたしきれいでしょう」
と言っているように見えなくもない。
少々自信過剰でもいいから、プライドを失わず日々過ごしていきたいものですね。