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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「血液型差別」をなくすために

2011年09月13日 00時25分19秒 | 社会(世の中の出来事)
 「9.11」10周年、「3・11」半年の機会に何を書こうか、ずっと考えてきた。一日遅れたけど、今言うことは「血液型差別」を取り上げることだと思った。直接関係ないではないかと言われるかもしれないけど、「非科学的なエセ科学」が人々の思考をマヒさせ、人の心を傷つけ、人と人の連帯を引き裂いている。現実の日本社会の中に、そのようなことがあるのである。そしてそれに広く抗議することができない。「遊びにいちいちとげとげしくなるな」「もし怪我した時に必要な情報だから血液型を知ることは当然だ」と言われてしまう。しかし、世の中には「血液型性格学」とか「血液型相性判断」などを信じて、就職希望者の選抜や部署の配置に使う会社が実際にあるのである。

 だから「就活」で悩んでいる学生がいる。(8.22朝日新聞)会社の中でいじめられている人もいる。だから、まずそれらは「血液型差別」という社会的差別問題だとはっきり定義しなければいけない。「セクハラ」はそれまで職場で日常的に行われてきた言動を「性的いやがらせ」と定義して、初めて問題と意識した人がいる。世の中には相手が嫌がっているのに気づかない人がいる。社会的に命名して「社会問題」にしなければ、見えてこない問題がある。

 「差別」は増えているのだろうか。それとも減っているのだろうか。社会科の教科書に出てくるような歴史的な背景を持った様々な差別、差別、在日韓国・朝鮮人差別、女性差別や障がい者差別などは一見減ってきているような感じを受ける。法的な措置も進展はしてきたし(まだ人権侵害救済法や国際人権機関への個人通報制度がないが)、人権教育や人権啓発活動も全く効果がなかったというわけでもないだろう。

 しかし差別が減っているというなら、社会が明るく連帯の気風が満ちてきているはずであるが、そういう感じは受けない。人々はグローバリズムの下、労働市場の中で独りぼっちで耐えている。昔だったら、職場で悩んだら「組合」に駆け込むということができた。もちろん今だってあるところにあるけど、そもそも非正規労働者として働いていたりするから、誰も頼りにできない。住んでいるところは、全国どこでも同じような、都市郊外のコンビニやファミレスのあるような町で、そこにも文化や連帯はない。個人情報保護と言う前に、もともと一人ひとり家族で住んでいてもバラバラで、他人のことはわからない。だから、みんなバラバラで他人の個人情報が判らないから、生まれ育ちの情報に基づく差別はできない。それで一見差別が減っているような感じも受けるが、人の心が変わって減っているのではないから、「遊び」的なカラカイや、誰でもはっきり確認できる学歴や容姿に対する差別意識はむしろ増えているのではないか

 そう考えてみると、たった4パターンで人間を決めつけることができる「血液型」というものを有難がる人が多いのも当然だろう。「差別」というものは、もともと本人の本質以外の問題を取り上げて、あの人はああだこうだと決めつける行為である。血液型も本人には選びようがないという点で、性別や国籍となんら変わりはない。血液型には実に多くの分類方法がある。ABO式が人間の性格に関わるという科学的な根拠は全くない。そんなものを本気にしている人はおかしい。遊びでやってるというかもしれないが、「セクハラ」や「性的マイノリティ」に対するカラカイ的言動もいつも「単なる遊びではないか。その程度のことも言っちゃダメなのか」という人がいる。現にあなたの言葉で決めつけられると、傷つく人がいるんだよ

 テロ後の世界に広まる不信と憎悪の連鎖、原発事故で大規模な放射線被ばくが起こり気づいた真に科学的な知識と勇気の必要性。経済性より人権を尊重する社会への転換。
 そんな大規模な問題をすぐには解決できない。けれどごく身近なところで、血液型による人間の分類なんて非科学的で信じない、そんなことはやめようという声をあげることならできるかもしれない。それが科学的なものの見方を作り、人権を尊重する社会への一歩となるのではないか。

 この記事のカテゴリーを何にするか迷ったけど「教育」にした。理由を書く。
①就職にあたって面接で血液型を聞く企業を、学校側でも問題化するべきである。してはならない質問の例に血液型も入れるべきである。大学でも調査して公表するべきだ。
②保健、理科、社会などの科目で、またはホームルームなどで「血液型」による決めつけはおかしいという教育を行うべきである。
学校で生徒の血液型を聞くことをやめるべきである。ケガをして輸血することなどほとんどないし、仮にあってもちゃんと適合検査をしてから輸血するので全く必要ない。(本人の申し出のみで輸血するわけがない。)
④教師も、生徒の自己紹介とか卒業文集の一言なんていうものを書かせるときに、よく血液型なんていう欄を作ってしまいがちだが、それは止めるべきである。
*まあそんな意味をこめて「教育」への提言として書いた。

*追記.松本龍環境相、復興担当相(前)が「問題発言」で辞任したあとで「血液型」を理由とした。それが外国に大きく報道されたが、日本国内では大きな問題にはならなかった。民主党代表選で投票に参加しなかったのは、衆参両院議長と松本氏であるが、辞任後「躁病」ということで入院したと報道された後、どうしているのだろうか。松本氏は解放同盟の幹部で、有名な松本治一郎の孫(生涯を運動に捧げた治一郎は甥の英一を養子にした。英一は元参議院議員。龍氏はその子供。)昨年秋の生物多様性条約会議の議長などはなかなか見事にやっていたと思う。そういう松本氏が血液型を口にしてしまうという日本の状況を僕は大変憂慮しているので、ここに書いておく。
 また、福島では様々な「差別」が現に起こっている。放射線に対する無知無理解から心ない扱いを受ける人々がいる。「新しい差別」が起こってしまったのである。(このことについては「週刊金曜日」最新号を参照。)なお、血液型で職場で決めつけられるというのは、卒業生の声に基づいている。
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1 コメント

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Unknown (MNX)
2011-10-23 12:02:34
血液型差別は深刻だと思います。
日本においてはB型とAB型が血液型差別を受けやすいようです。
私も血液型の話題の中で良い思いをした事ないです。
血液型だけで、本当の性格も知らないのに「お前は自己中だ」とかあまりにも酷いと。
血液型による決め付けをブラッドタイプハラスメントといいますが、血液型差別を悪い事、決め付けはいけないという意識がない人間が多いですよね。

血液型性格判断は差別だとレッテル貼りされ、精神的苦痛を受けたと言って提訴までした人間もいますから。
本当に呆れてしまいますね、精神的苦痛を受けたのは血液型差別されてる人です。
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