尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

水戸巌さんを思い出す

2011年07月07日 23時31分28秒 | 追悼
 今日はレイトショーで「土佐の一本釣り」を見ていて遅くなった。銀座シネパトスという東銀座の地下にある、地下鉄の音のする映画館。1980年作品で青柳裕介の漫画の映画化。というか、田中好子(スーちゃん)追悼特集。有名な漫画だけど当時は見てないので、今見るとあまりのマッチョな展開にびっくり。主人公純平役のデビュー新人加藤純平という男の子が、誰か昔の生徒に似てるんだなあ、誰だっけということで悩んでしまった。一生懸命思い出そうとして、途中でふっと思い出した。

 こういうことが時々あるんだよね。生きて来てずいぶんいろんな人にあったけど、その大部分は生徒として教室で接した相手だ。若い時にベテランの先生が、昔の生徒の名前はよく覚えてるんだけど、最近の生徒の名前はすぐ忘れるんだよねなどと言ってるのを聞いた。そんなものなのかと思っていたけど、自分も歳取ってみるとやはりそれは正しかった。

 今まですいぶんいろいろな人に会った中で、「すごい人」と言えば誰だろうか?自分の直接の先生とか同僚だった人は除く。それより「ちょっと会った人」、国木田独歩の「忘れえぬ人々」のような人を歳とるとよく思い出すし、そういう思い出が自分の財産のような気がする。

 何と言っても僕が会った一番すごい人は、野口体操を始めた野口三千三(のぐち・みちぞう)さん。朝日カルチャーセンターの野口体操に通ったことがあって、すごい人だったと思う。

 もう一人が水戸巌(みと・いわお)さん。昔教員になる前、アムネスティの死刑廃止グループなど死刑廃止関係の集まりに顔を出していた時がある。その時、いつも中心になって活躍しているおじさんがいた。その人が「みとさん」という人で、新左翼系の学生運動の救援を行っていた救援連絡センターを作った人だという。そういうすごい人で、「過激」な人かと思うと、実に穏やかにして実務的、若い人に交じって偉ぶらず一緒になんでもやるというような人だった。そのうち、この水戸さんという人の本職は芝浦工業大学教授で、東大の理学部を出た放射線物理学の大家にして反原発運動家だという話を聞かされた。思った以上にすごい人だった。

 水戸さんの名前を最近よく聞くようになった。反原発の「不屈の研究者」小出裕章さんが「恩師と呼べる数少ない一人」と言っている人だからだ。なぜか扶桑社から出てる「原発のウソ」にそう書いてある。(118頁)水戸さんが長く取り組んだ反原発運動がこのように再び盛り上がるときに、水戸さんの名前が思い出されるのは当然だろう。

 しかし、水戸さんが一生懸命取り組んだのは死刑廃止運動もあった。こちらの活躍も振り返って思い出しておきたいのである。アムネスティで取り組んだ国会議員署名活動などでも、一緒に国会議員会館を回った思い出がある。いつもエネルギッシュで、笑顔でみんなを引っ張っていた。さらにすごいなと思ったのは、私立の高校生が文化祭の研究発表で死刑問題を取り上げた時に、実に熱心に若い人の疑問に楽しげに応じていたこと。それに応えた高校生も立派な報告書を作った。当時はまだガリ版刷りの時代である。今も探せばその報告書は僕の家のどこかにあると思うけど、そういう地の塩のような活動が大事なんだなあと今になると思い出すのである。

 僕は水戸さんの私生活は何も知らなかったので、もうずいぶん前になるが1987年正月の新聞に載った雪山遭難の記事で水戸さんの写真を見たときは、本当にびっくりした。双子の大学生の子どもと毎年冬山へ行っていたのだそうだ。北アルプスの剱岳である。ちょっと前の映画で「剱岳ー点の記」というのがあった。日本地図で最後に残った場所である。日本百名山最難関の山と言われる大変なところである。冬山の救援なんて僕にはできないから、心配して見ていただけだったが、水戸さん親子はついに戻らなかった。1986年12月30日のことという。

 四半世紀たってみると、それが水戸巌と言う人の生き方だったんだと思うしかない。
 その最期の鮮烈さこそが一番の思い出となって多くの人に忘れがたいイメージを残した人。ほんのちょっとした触れ合いだったけど、反原発運動家にして死刑廃止運動を含む救援運動家だったある大学教授の名前を知って欲しいと思って書きました。

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1 コメント

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はじめまして (chitarrita)
2011-07-13 13:32:21
私は一度も水戸巌先生にお会いしたことはありませんが、水戸先生のことを語られる方に浮かぶなつかしい笑顔に出会うとお会いした気分になります。浅間山荘事件で赤軍派に説得に行かれた時の先生とチェルノブィリの事故後の報道の先生を覚えております。
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