尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

シリア情勢の混迷を読む-新書③

2012年10月27日 00時15分22秒 |  〃  (国際問題)
 国際問題のカテゴリーで書くけど、新書本の続き。夜まで出かけている日が多くて、なかなかブログが書けないうちに、石原都知事が辞職を表明した。西の橋下、東の石原、書きたいこともあるけど、まだまだ情報もはっきりしないので、先に国際問題を書いておこう。もっとも今日紹介したいシリア問題も、なんだか外から見ているとよく判らない。だから僕は書かないでいた。ただ、今までの国際情勢ウォッチングの経験からすると、「シリアでは市民の弾圧が続いています」「アサド政権の崩壊過程が始まりました」なんてニュースが言ってるのを聞いて、シリアのどこに市民がいるんだよアサド政権はそう簡単にはつぶれないんじゃないですか?などと思いながら、シリア情勢の複雑さを知らないのかと思ってきたわけである。

 国枝昌樹「シリア アサド政権の40年史」(平凡社新書)は、そのようなシリア情勢の飢餓状態を満たしてくれる貴重な本である。著者の国枝氏は2006~2010年に、駐シリア大使を務めた人物。
 「辺境の町まで足を伸ばしてシリア国内を自動車で走り回ること8万キロ。」
 「ゴラン高原も、海面下50メートルの最南端地点から最北端に位置する標高2814メートルのヘルモン山頂まで、地雷が残る緊張した最前線地帯117キロを国連の停戦監視団の行軍に加わって踏破した。」
 「ダマスカス市内はジョギングして年間1200キロを走った。警官や治安軍兵士が自動小銃を下げて警戒する施設の前を毎回何か所も走り抜け、ウォーキングすれば外国人が近寄らないスラム街にも入り込み、一種無法地帯の匂いを嗅いだ。」
 そして多くの人々にも会っている。「バシャール・アサド大統領から始まり、政権中枢幹部、首相、大臣などの政府高官、軍幹部、マスコミ関係者、さらに自由と民主主義を求めて何年の投獄されながら決して屈しなかった人権活動家、2000年の「ダマスカスの春」を演出した在野の知識人たち、NGO運営者たち、また弁護士や大学教授、イスラム教スンニー派指導者や東方キリスト教指導者、ダマスカスやアレッポのみならず地方の有力な実業家、商店主、そして現在は引退しているが情勢を推移を眺めながら静かに暮らしている人々など。」


 政府や軍の幹部に会うのは仕事だが、それ以外にもシリア全土にわたって各界の人々に会っているのに驚く他ない。しかもジョギングしてダマスカス市内を走り回るなど、こんな行動的な大使がいたのか。どうしてこの人がもっとマスコミに出てこないのだろう。テレビなんかはともかく、新聞の論説欄や総合雑誌などにもっと出ていてもおかしくない。と思うんだけど、この人のシリア情勢観が、アメリカやカタールの論調とかなり違うからか

 世界の「中東」情勢ウォッチングでは、カタールにある衛星放送局「アルジャジーラ」が大きな役割を担っている。「アラブの春」でも大きな役割を果たしたが、どうもいい加減な情報も多かったらしいという話もある。アルジャジーラは決して完全にフリーなジャーナリズムではなく、カタール首長家の影響を排除できないだろう。シリア情勢は、周辺国の思惑が複雑すぎて、多元連立方程式が解けない。はっきり言えることは、「シリア国内に自由を求める反体制派市民がいて、市民の蜂起によってアサド独裁政権が追いつめられている」などと言う理解は、表面的なもので、宗教、宗派、部族、民族が絡み合い、そこに国際的な問題があり、とても反体制派が一致できるような状況ではない。

 シリアの情勢を簡単に書くのは難しいのだが、レバノンの治安機関トップのウィサム・ハサン准将という人物が19日に暗殺された。これにアサド政権が関係しているとレバノンのスンニ派勢力は主張している。一方、23日にカタールの首長が「ハマス」が支配するガザを訪問した。パレスティナのガザ地区は、エジプトのムバラク政権時代は、イスラエルによって封鎖されていた。ムルシ大統領になって、事実上ガザの封鎖は終わり、エジプトとの交通が自由になっている。カタールは豊富な天然ガスなどの資金を反シリアのために使っている。シリアに本部があった「イスラム過激派」の「ハマス」は、内戦激化を理由にシリアから撤退して反体制派支持を明らかにしている。カタール首長のガザ訪問は、このようなハマスの変化に対する「ごほうび」だと見られている。

 第一次世界大戦までは、この地域はオスマン(トルコ)帝国の支配下にあった。映画「アラビアのロレンス」に描かれるようにアラブ民族の独立運動が高まったが、大戦後はシリアとレバノンがフランスの委任統治領、イラクとパレスティナがイギリスの委任統治領と、英仏で分割された。シリアとレバノンという区分けも、それまであったわけではなく、事実上一体の地域を統治に便利なように分けてしまった。別の国ではあるが、今に至るもシリアがレバノンに圧倒的な支配力を持っているのは理由があるのである。第二次世界大戦後のシリアは正式に独立するが、アラブ民族の統一を目標に1958年から61年まで、シリアとエジプトが合同して「アラブ連合共和国」という国があった。国境が離れた連合は無理があり過ぎて3年でつぶれたが。

 当時のアラブ世界では、イスラム世界がヨーロッパに負けない国力を身に付けるにはどうしたらいいか、大きく分けて二つの考えがあった。一つは「社会主義」で、もう一つが「イスラム教」である。50年代、60年代は社会主義の影響力が強かった。エジプトやイラクは王政だったが、革命がおこり軍人政権で社会主義的な開発政策が進んだ。その当時にシリアで結成されたのが「バース党」。「アラブ社会主義復興党」の略称である。シリアでは政権を握り、今のアサド政権もバース党。そのイラク支部が「イラク・バース党」。同じバース党なんだから仲がいいだろうと思うと、これが犬猿の仲。シリアを追われた指導部をイラクが匿ったとか、主導権争いがあってバース党同士で仲が悪かった。イラクの独裁者だったサダム・フセイン政権もバース党で、イラクではバース党政権が崩壊したわけだが、やはりシリアとイラクの関係は悪い。それはイランとの関係による。イランはアラブ民族ではなく、イスラム教の少数派シーア派である。イラクからペルシア湾岸にかけてシーア派は多いが、どこでもスンニ派が権力を握りシーア派は恵まれない立場にある。

 シリアのアサド政権はアラウィ派が事実上支配している。シリア内では少数派で2割いない。スンニ派が7割を占めるが、フランス支配時代にアラウィ派を重用して、分断支配した。アラウィ派は教義的にシーア派に似た部分があり、イランはシーア派扱いして、シリアとの関係を深めてきた。間にあるイラクとは、イランもシリアも対立を抱えていたから、典型的な遠交近攻策とも言える。そして、レバノンの「イスラム過激派」ヒズボラはシーア派組織なので、シリアを通してイランが支援してきた

 このシリア・バース党政権の中で、70年に権力を握ったハーフェズ・アサド大統領が30年間権力を維持した。その間には反体制派とのし烈な争いもあったが、最大の反体制組織は「ムスリム同胞団」だった。エジプトのナセル、サダト、ムバラク時代の最大の反政府組織も「ムスリム同胞団」だった。つまり社会主義か、イスラムかというのが、この何十年かの最大の争いだったわけである。そのムスリム同胞団はスンニ派で、パレスティナで作ったのが「ハマス」である。エジプト革命でムスリム同胞団が権力を握ったことで、地域の勢力バランスが変わってきているのだ。

 ということで、簡単にアラブ内の構図を見る。湾岸のバーレーンやクウェートでは反体制運動が盛んで王制(首長制)崩壊の危機さえある。これはサウジアラビア王制の危機につながりかねず、シーア派国民の反体制運動を支援するイランとは骨肉の争い。カタール首長家が反シリアで突っ走るのは、イランの勢力を削ごうという考えであるだろう。シリアは事実上イランしか支援国がない。だからアサド政権の崩壊も近いと見る向きもある。しかも、エジプトでムスリム同胞団政権が誕生し、同じスンニ派でシリアとクルド人問題を抱えるトルコの公正発展党のイスラム政権(エルドアン首相)も、反アサド政権の姿勢をはっきりさせてきた。もう「社会主義」ではなく、イスラム圏では「イスラム主義」が優勢である。

 では、アサド政権はつぶれそうなものだが、アラウィ派の支持が固いのと、いったん政権が崩壊すると、リビアやイラクのような無秩序が広がり、民族、宗派間の争いで今以上の悲劇が起こることを心配するスンニ派内の有力勢力がいるのではないか。もう一つはイスラエルである。アサド政権はレバノンのヒズボラを支持し、ハマスを匿ってきたという「イスラエルの明白な敵」である。しかし、力の弱さをよく知るアサド政権は、反イスラエルを掲げつつ、決してゴラン高原回復などと言って単独でイスラエルに戦争を挑むような暴挙は行わなかった。明白な敵ではあるが、敵同士という暗黙の了解があったと言ってよい。イスラエルからすれば、ヒズボラもハマスも敵なんだけど、ヒズボラはシーア派、ハマスはスンニ派で基盤勢力が違う。シリアのアサド政権が崩壊してしまえば、ムスリム同胞団政権になる他はないだろう。または無政府状態。この無政府状態はイスラエルにとってアサド政権よりずっと危険。エジプトとシリアが同じムスリム同胞団になって、南北から圧迫を受けるのも実際は困るのではないか。イスラエルはイランの核を危険視しているので、イランと提携するアサド政権も支持することはできないが、現状維持でも良いと考えているのではないかと思う。

 このように、中東各国の思惑が複雑に絡み合い、反体制派も各国の意向を受けざるを得ないので、四分五裂状態。反体制派も残虐行為が絶えず、アサド政権に自由がないのは確かだが、どっちもどっちの状態。もともと国民的一体感があった国ではないので、国民皆が独裁に反対する国民連合ができるということはない。このまま、内戦状態のような感じでしばらく続かざるを得ないと思う。で、どうなるか。北朝鮮はもうつぶれるなどと言って「反北」を売る本がいっぱいあったが、今も朝鮮労働党政権が続いて、急激な政権崩壊は考えられない。同じように、マスコミではアサド政権の命脈は尽きたかに報道されていても、なお政権は続くというのが現時点の見通しではないか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« PC遠隔操作冤罪事件 | トップ | 映画「希望の国」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (国際問題)」カテゴリの最新記事