尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「希望の国」

2012年10月28日 20時10分40秒 | 映画 (新作日本映画)
 園子温(その・しおん)監督(1961~)の新作映画「希望の国」。この数年来、問題作を連発している園監督だが、今年はすでに「ヒミズ」が公開され、続く「希望の国」は原発問題を正面から描く。ついに国内では資本が集まらず、外国資本も入って製作された。日本の閉塞状況をよくあらわすエピソードである。チラシには「園子温監督最新作」と大きくうたわれ、俳優の名前は小さくしか出ていない。いまや園子温は監督の名で客を呼べる数少ない一人なのか。
 

 とにかく話題作であり、問題作である。じゃあ、傑作かというとその判定は難しい。多分誰にとってもそうではないか。話としてストーリイが判らない部分はない。立派に「社会派エンターテインメント」している。ただ、原発問題をどのように描くべきか、それが判らない。話は何年か後、福島で事故を起こした日本を再び大地震と大津波が襲い、長島県の長島第一原発でメルトダウン事故が起きるという設定。原発近くで酪農を営む老夫婦と若夫婦がいて、その家族(小野家)がいかに分断され追いつめられていくかが、この映画の中心的なストーリイになっている。一方、畑が中心の隣家は夫婦と息子と女友達。その小野家と隣家の間の道が、ちょうど原発から20km圏内の境目となる。隣家は強制的に避難させられ、ペットの犬を置いてあわただしく出ていく。(その犬は、小野家の父親(夏八木勲)が避難区域に入って助けてくる。)小野家は当面避難しないでよいが、家の裏庭が避難区域になってしまった。父親はチェルノブイリの時に買ったというガイガー・カウンターを出してくる。長島原発ができるときは反対していたのだ。そして息子夫婦には早く避難するように強く促す。息子の妻(神楽坂恵)には、これから子供を産むのだから、この本を読めと原発本をたくさん手渡す。

 隣家の息子の女友達は、家が津波が来た地域にあり毎日二人で避難所から捜索にいく。ある日、その地域も避難区域に指定され出入りできなくなると、知恵をしぼってなんとか入りこむ。小野家の母(大谷直子)は認知症で、盆踊りに呼ばれていると思い冬の避難区域に入り込む。そういう「放射能と津波に襲われた空白の地域」を幻想的とも言える美しい映像で描き出す。一方で、実家からそう遠くない都市に避難した息子夫婦には子供ができる。妊娠した妻は放射線を怖がるあまり、家の中をシェルター化し、外出するときはいつも防護服を着るようになる。そのことを周りから非難されたり、敬遠されたりして、避難した都市で孤立していく。そして実家のある場所も避難地域に指定されることになり…。小野家の老夫婦はどうするのだろうか??

 僕は評価をためらうのは、この父親と「嫁」の描き方をどう評価するべきか、僕にはよくわからないからだ。原発事故(に限らないと思うが)に見舞われた際の人間の反応のあるタイプ。そう言ってもいいけど、かなり「極端化」されている。もっとも現実にもあったことを描いているわけだが、でも実際にはこうならない人の方が圧倒的に多い。それはもちろん劇映画だから構わない。原発事故がまた起きたという設定なのだが、もし実際にそういうことになったら、だいぶ違うような気もして、僕はそのリアリティに疑問も感じた。しかし、実際は現実の福島第一原発の事故と避難者を取材する中で作った映画だから、これは「次の事故」を描いた映画ではなく、今の映画と見るべきなのかもしれない。原発事故と避難者については、かなり報道もあるような、またほとんどもう忘れられてしまったかのような状況である。記録映像としてもかなり発表されている。しかし、そうなると全体像を見渡すのが難しく、フィクションによって全体を再創造するというのも大切な試みである。だけど、まだまだ進行中の出来事で、描き方が難しい。

 だからこの映画では、たまたま避難区域で分けられた二組の家族を中心にした。そして見えてきたのは、「絶望の果てにたどりついたのは、長年、苦楽をともにしてきた夫婦愛だった。」(梁石日) 「地震や原発事故を過激に描き出すのではなく、突如訪れた悲劇の中で一日一日を必死に生きる人々を繊細かつ感動的に活写する。」(ジョヴァンナ・フルヴィ=トロント国際映画祭プログラマー)ああ、そうなんだろうなと思いつつ、そういう「家族の物語」に回収されていくことへの不安と不満、と言うべきか。

 映画内のテレビでは、原発事故から他局に変えると、お笑い番組をやって不安にならずに笑っていようと言っている。これが日本か。福島に続き、もう一回メルトダウン事故を起こしながら、真正面から向かい合えない日本と言う社会。そういうことにしては絶対にならない地震がいずれ起きることの方は防げないから、原発の方で防ぐよりない。それにしても、大地震に見舞われ大津波が来て原発も事故を起こしたと言うのに、主人公の家を初め周りの家はほとんど壊れていない。内部は混乱したろうけど、津波が来なかった地域では、実際に家屋全壊は非常に少なかった。だから、家が建ってるので、原発からの距離だけで機械的に避難が決められることが不条理に思える。だけど、それほどの地震で倒壊しない家にいたという事実もすごいなと思う。みんな案外気づかず当然視しているが、公共施設、商業施設、民家の耐震性は大方問題なかった。でも僕はそれってすごいことではないかと思う。

 夏八木勲は長いキャリアにもかかわらず、映画だけでなく、舞台やテレビでも賞に縁がない。老年になっていい味を出しているし、この映画の存在感は非常に大きい。主演賞をどうだろうかと思った。またまた役所広司でもあるまいと思い(「わが母の記」に加え、「キツツキと雨」「終の信託」があるから、本当は今年の主演男優賞は役所広司がふさわしいのだろうと思うが)、あえて一言。

 「希望の国」というけど、「希望」はない。監督はWEB上で、「シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。」と語っている。昔大島渚の監督昇進作として、中編シナリオ「鳩を売る少年」が映画化されたとき、会社によって「愛と怒りの町」が「愛と希望の町」に変えさせられた。それとは違うけれど、ある種皮肉な題名かと思ってたけど、見たら「ここから始まる」という意味では「これも希望」なのかという気もした
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1 コメント

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タイトル (PineWood)
2015-04-18 18:27:56
確かに、ラストシーンが何処までも迷宮入りの状態で、映画(猿の惑星)みたい。タイトルは(絶望の街)があっているかもー。原発の日常の不安を東京から見つめた映画(穏やかな日常)なんかもブラック・ジョーク的なタイトルだった。不安を抱えつつバイクに乗って3.11直後の夜の東京で歌を歌い続ける映画(トウキョウ・ドリフター)なんていうのもありましたね
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