リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

中高年雑感

2015-03-22 21:43:47 | 断片
 こんばんは。お元気ですか。私は一ヶ月前飲み屋の外階段最下部を踏みそこなった捻挫が治らず痛いです。暗い階段にはそのうち命を失いそう。皆さまもお気をつけください。
 それにしても6年前に同じところをもっとひどく捻挫したときは「ああ、おいちゃん、年食ったねえ」と自分で思ったものの、腫れ上がった足首は3日で直ったものですが。年上にはもっと上があるもので。

 さて、本日は雑感。雑感の時はつねに酔っ払ってますので。カテゴリー「断片」。
 体力の低下に加え、頭の流動性がなく、そうすると、勤務仕事中は常に仕事にしか頭が動かない。仕事以外に職場の人間はいるだろう、人間的になれ、って。その相手の人間だって勤務中ですから、常に勤務を背負ってますな。要は、相手の人間と接するにも勤務を介することになる。というわけで1日くらい経たないと元に?戻らない。
 ま、若いときゃそんなこたあないのですが、中高年というのはそういうものです。わたしなんざそれでも「若い方」なんですから。
 
 という役に立つ情報はおきまして。
 
 先日、勤め帰りに渋谷の東急ハンズにいきましたところ、まあいるわいるわ若人が。ハチ公前交差点から宇田川町まで、若い人だらけ。わたしのようなおじさんは皆無、って中高年はどうやって勤務先から帰宅しているのか。ともかく、まいったのは若人。彼も彼女もあいつのそいつも、みんな根拠のない夢を胸いっぱい抱えていて、と見えて、ああうらやましい。
 いいねえ、根拠のない夢々。
 わたしなんざ根拠のある希望しか持てなくなって。
 負け。
 だれもあほな中高年と闘う気なんてないけどね。ほんと、若さの特権。決して戻りたくはない若さではあるけれど、みんな、どの年齢でも「とりえ」っちゅうのがあるんだよね、その人それぞれの境遇に左右されず。ただ、生きている限りは。
 
 その2。
 憂さ晴らしの図書館本で、ライカの写真本とニコンの写真本を借りてきてみてました。私の趣味の1は、写真機械。
 で、本には最近のそれぞれのレンズの実写画が載っていて、遅まきながら気づいたのですが、つまんねえの、ピントぴったし。
 ゲップが出てしまいましたよ、どれもこれもおんなじ画で。(作例のような3流諸写真のため、ありありわかる)。
 ピントがシャープでコントラストが効いてカラーもくっきり。なんの欠点があるものか。
 と、私も合理主義者でぶよぶよの有名レンズに悩まされてきたわけですが、もういい。わかった、私が悪かった。
 この40年のレンズの進歩は、無駄。なんのためにあれもこれもどれもおんなじレンズを作る努力をしてきたのかねえ。もちろん、ぶよぶよでいやだな、と思ったんだろうレンズ設計者の気持ちはわかるけれど。
 で、その結果がおんなじ画。
 むなしい、、、
 いえ、これは以前から聞いていた話ではありますが、私自身ぶよぶよ嫌いだったんでそんなはずがあろうか、と。でも、おんなじもんをこれでもか、どうだまいったか、と見せつけられるとほんとにそう。
   おっしゃるとおり参りました。わたしは40年前に帰ります。
  
 ところで本日の注にならない資料、宇都宮大学教授、下田淳「ヨーロッパ文明の正体」なる本。こいつはびっくり、あきれかえり。よくもまあこんな根拠のない話を。
 あきれて半分読んでそれ以上読まず閉じましたが(どうせ借りた本だし。で返しちゃったんで題が0.1%不明確。万が一違う本でしたらごめん)、それはそれで、別に呆れ果てる話は書いた人の根性の問題なので、そんな根性もないそこらの教授連と比べればよいのですが、収まらないのが、これって、かの大手出版社筑摩書房の本だ、ということ。
 なんでこんなあきれ返る本が商業出版できて私の本が自費出版さえできないんだ? え? ピーヘロヘロの出版社さんよお?
 ったく。絶対許さない。
 なんていいながらすぐ忘れてしまいはしますが、ともかくそういう現実のさなかにいるので思い出す場面ではいつでも思い出す不愉快さ。
 一刻も早く、装いだけ変えてどっかで出そう。

 というわけで、大方は年齢上の雑感でした。

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