亡き袁術は外郭南門近くに広大な屋敷を構えていた。
三公九卿を輩出するに相応しい門構えで、
同族の袁紹よりも家格は一段上に見られていた。
屋敷の奥まった一室に三人の女人が集まっていた。
袁術の正室、高夢春。
亡き先代の正室、賀璃茉。
亡き先々代の正室、姜雀。
屋敷は静まり返っていた。
物音一つしない。
みんなが三人の話し合いを邪魔せぬように振る舞っていた。
屋敷の外は祭りのような騒ぎであった。
都人は、「鮮卑の騎馬隊を撃退した」ことを喜んでいた。
その証に宮殿正面の広場では凱旋した部隊が、
太后皇后臨席で報奨を授けられている頃合いだろう。
この屋敷の主人、袁術の戦死は暫くは公にされることはない。
凱旋に水を差したくなかったからである。
朝廷より葬儀が許されれば、朝廷よりの勅使が遣わされ、
盛大に催される手筈になっていた。
それでも戦死の知らせは、縁戚から噂として流れるに違いない。
それだけは止めようがない。
袁術は男子を残したが、今だ幼く、成人するかどうかは分からない。
それ以前に、成人するまでの後見を必要としていた。
袁術に兄弟がないので、叔父甥関係の血の濃い者の内から、
誰かを後見に選任すべく三人の女人が額を寄せ合っていた。
ところが、これといった人物が見当たらない。
何れもが器量と人格が噛み合わない。
器量があっても人格は不安、人格が優れていても器量に乏しい、そんな人物ばかり。
話し疲れから、三人揃って深い溜め息をついた。
部屋の壁際の椅子に三人の女中が控えていた。
いずれも正室三人、それぞれの侍女である。
その一人の表情が揺れ動くのを姜雀は見逃さない。
姜雀の侍女であった。
彼女は姜雀が袁家に嫁いでよりの侍女であり、気心が知れていた。
この屋敷だけでなく、領地にも血縁の者達がいるので、
その人脈により、嫁いだ当初は大いに助けられた。
姜雀は侍女の名を呼び、
「何か言いたいようね。
私達は困っているの。
何か策があるのなら、言いなさい」と問うた。
侍女は姜雀よりも十才も年上。
高齢で隠居しても、おかしくはない。
ただ姜雀が許さない。
思慮深いので、傍から手放したくないのだ。
老侍女はやおら立ち上がり、姜雀ではなく、高夢春と賀璃茉二人の顔を交互に見た。
年の功を活かしてか物怖じしない。
「聞きたくない昔話かも知れませんよ」前もって注意した。
高夢春と賀璃茉は互いに顔を見合わせ、 姜雀の顔色を読み、同時に了承の頷き。
老侍女の口から名が一つ飛び出した。
「袁燕お嬢様をお忘れですか」
三人は虚を突かれた。
姜雀と賀璃茉にとっては久しく聞く名前だが、忘れたい名前。
高夢春にとっては会ったことはないが、聞いた覚えのある名前。
この袁家では禁句になっている名前。
三人とも押し黙り、暗い表情で先を促した。
「袁燕お嬢様のご懐妊をお忘れですか。
許されないご懐妊。
隠れてお産みなされましたが、死産であったそうです。
ご存じですよね」と念を押し、姜雀と賀璃茉を見た。
二人が頷くのを見て続けた。
「お嬢様は屋敷から領地に移られ、そちらでお産みになられました。
あの当時は賀璃茉様も領地にいらっしゃいましたよね。
死産した乳児のご確認をなさいました、とか」
賀璃茉は誰とも目を合わせない。
黙って浅く頷くだけ。
満足そうな老侍女。
「ずいぶん後になってから流れた噂が一つ有りました。
あの当時、誰かが乳児を密かに買い取ったそうです。
その真偽はハッキリしませんが、
乳児を売ったと噂された家の懐具合が良くなったことから考えて、
たぶん事実なんでしょう」
三人の正室が顔を上げて老侍女を見た。
それでも誰も口を開かない。
それぞれの心中に疑問が芽生えたようだか、一切口にしない。
「口にすると自分も汚れる」と思っているのかも知れない。
残りの侍女二人の表情が強張っていた。
このまま同席して良いものかどうか、迷っているらしい。
老侍女は天井を見上げた。
「袁燕お嬢様のご出産から暫くして、
武人であった左志丹が禄を離れ、領地から姿を消しました」
と疑問には構わず、次の言葉を発し、
「左家は我が袁家を古くから支えた家柄、大事な支柱の一つです。
その頭領が妻や子供を置き去りにし、黙って姿を消したのです」と続けた。
ようやく姜雀が口を開いた。
「左家はそれでも存続しているわよね」
「はい。
当初は禄を半分に削られましたが、息子が成人するや元に戻されました。
どこかのどなたかが密かに左家を擁護していたようです」
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同族の袁紹よりも家格は一段上に見られていた。
屋敷の奥まった一室に三人の女人が集まっていた。
袁術の正室、高夢春。
亡き先代の正室、賀璃茉。
亡き先々代の正室、姜雀。
屋敷は静まり返っていた。
物音一つしない。
みんなが三人の話し合いを邪魔せぬように振る舞っていた。
屋敷の外は祭りのような騒ぎであった。
都人は、「鮮卑の騎馬隊を撃退した」ことを喜んでいた。
その証に宮殿正面の広場では凱旋した部隊が、
太后皇后臨席で報奨を授けられている頃合いだろう。
この屋敷の主人、袁術の戦死は暫くは公にされることはない。
凱旋に水を差したくなかったからである。
朝廷より葬儀が許されれば、朝廷よりの勅使が遣わされ、
盛大に催される手筈になっていた。
それでも戦死の知らせは、縁戚から噂として流れるに違いない。
それだけは止めようがない。
袁術は男子を残したが、今だ幼く、成人するかどうかは分からない。
それ以前に、成人するまでの後見を必要としていた。
袁術に兄弟がないので、叔父甥関係の血の濃い者の内から、
誰かを後見に選任すべく三人の女人が額を寄せ合っていた。
ところが、これといった人物が見当たらない。
何れもが器量と人格が噛み合わない。
器量があっても人格は不安、人格が優れていても器量に乏しい、そんな人物ばかり。
話し疲れから、三人揃って深い溜め息をついた。
部屋の壁際の椅子に三人の女中が控えていた。
いずれも正室三人、それぞれの侍女である。
その一人の表情が揺れ動くのを姜雀は見逃さない。
姜雀の侍女であった。
彼女は姜雀が袁家に嫁いでよりの侍女であり、気心が知れていた。
この屋敷だけでなく、領地にも血縁の者達がいるので、
その人脈により、嫁いだ当初は大いに助けられた。
姜雀は侍女の名を呼び、
「何か言いたいようね。
私達は困っているの。
何か策があるのなら、言いなさい」と問うた。
侍女は姜雀よりも十才も年上。
高齢で隠居しても、おかしくはない。
ただ姜雀が許さない。
思慮深いので、傍から手放したくないのだ。
老侍女はやおら立ち上がり、姜雀ではなく、高夢春と賀璃茉二人の顔を交互に見た。
年の功を活かしてか物怖じしない。
「聞きたくない昔話かも知れませんよ」前もって注意した。
高夢春と賀璃茉は互いに顔を見合わせ、 姜雀の顔色を読み、同時に了承の頷き。
老侍女の口から名が一つ飛び出した。
「袁燕お嬢様をお忘れですか」
三人は虚を突かれた。
姜雀と賀璃茉にとっては久しく聞く名前だが、忘れたい名前。
高夢春にとっては会ったことはないが、聞いた覚えのある名前。
この袁家では禁句になっている名前。
三人とも押し黙り、暗い表情で先を促した。
「袁燕お嬢様のご懐妊をお忘れですか。
許されないご懐妊。
隠れてお産みなされましたが、死産であったそうです。
ご存じですよね」と念を押し、姜雀と賀璃茉を見た。
二人が頷くのを見て続けた。
「お嬢様は屋敷から領地に移られ、そちらでお産みになられました。
あの当時は賀璃茉様も領地にいらっしゃいましたよね。
死産した乳児のご確認をなさいました、とか」
賀璃茉は誰とも目を合わせない。
黙って浅く頷くだけ。
満足そうな老侍女。
「ずいぶん後になってから流れた噂が一つ有りました。
あの当時、誰かが乳児を密かに買い取ったそうです。
その真偽はハッキリしませんが、
乳児を売ったと噂された家の懐具合が良くなったことから考えて、
たぶん事実なんでしょう」
三人の正室が顔を上げて老侍女を見た。
それでも誰も口を開かない。
それぞれの心中に疑問が芽生えたようだか、一切口にしない。
「口にすると自分も汚れる」と思っているのかも知れない。
残りの侍女二人の表情が強張っていた。
このまま同席して良いものかどうか、迷っているらしい。
老侍女は天井を見上げた。
「袁燕お嬢様のご出産から暫くして、
武人であった左志丹が禄を離れ、領地から姿を消しました」
と疑問には構わず、次の言葉を発し、
「左家は我が袁家を古くから支えた家柄、大事な支柱の一つです。
その頭領が妻や子供を置き去りにし、黙って姿を消したのです」と続けた。
ようやく姜雀が口を開いた。
「左家はそれでも存続しているわよね」
「はい。
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