生き残った人の証言や遺書に記された語句。そんな中埋められた土の中からビンに入った分厚いメモが見つかる。70年以上の時を経ているので、かなり文章は判読しにくくなっていた。しかし最近のデジタル技術によってそれらの文章はついに明確な状態で判読できるようになったのだ。
そのメモはポーランドのユダヤ人が捉えられアウシュビッツに送られた後、健康状態がいいので労働従事の方へ回された。メモはそこからの過程が記されていた。彼が命じられた労働は単純に製造すると言うものではなく、「判別」業務だった。これは各地から貨物列車で送られてきたユダヤ人の中から体つきの良い健康そうな者を抽出し、実際の労働に回す。そして選ばれなかった者は即ガス室行きとなる。無論断れば彼自身が家族とともに殺害される。おそらく彼が任務に就いている間に妻や子供はガス室に送られたものと思われた。こうした彼は特殊な業務と言うことで「ゾンダーコマンド」と呼ばれたのだ。
次第に捉えられ移送されてきたユダヤ人たちも、このゾンダーコマンドが同じユダヤ人であることを知るようになり、彼は「裏切り者」として扱われるようになる。いくらナチスの命令とはいえども仲間を仕分けするなどと言うのは、同胞への裏切り行為とされても仕方ないだろう。彼自身の残したメモの中に、自分自身がゾンダーコマンドとして任務についたことが克明に記されていたのだ。そしてこれを瓶に詰めて地中深く埋めて、自分たちが亡くなった後いつの日かこれが発見され解読されて、強制収容所の中での実態解明の1つになることを覚悟して実行したと言う事だ。無論彼は後世においても、同じポーランド人のユダヤ人を裏切った者として扱われることになるのは、充分承知の上の事だろう。ちなみにゾンダーコマンドの存在については、ナチスが全ての証拠になるものを処分し、正式記録は何も残っていない。またゾンダーコマンドに指名されたユダヤ人たちもほぼ全員が殺害されたと言う。
このようにしてまた1つ強制収容所の中の実態が明らかにされた。戦後何回にもわたってドイツやその他の国は強制収容所の実態を解明するために、様々な角度から調査を行っている。そのたびに表沙汰になっていなかった真実が明らかになってきた。今回もゾンダーコマンドと言う存在が明らかになった。強制収容所を生き延び今となっては年老いた高齢のユダヤ人も、1部はゾンダーコマンドの存在を知っていたようだ。中には思い出したくない人もいるだろうし、絶対に許すことができないと言うことで、積極的に明らかにしてきた人もいるだろう。ただ当人たちの証言だけでは記憶違いなどの問題もあって、確信を得るには弱い面があったのかもしれないが、このようにして、ゾンダーコマンドとして従事した本人のメモが解明された事は極めて意義ぶかいことなのだ。
アウシュビッツなどの強制収容所においては、このようなゾンダーコマンドと言う存在があったわけだが、具体的に他にも様々な任務につかされたユダヤ人もいるわけで、どこまでがゾンダーコマンドに該当するのかはまだわからない面もある。ゾンダーコマンドとはまた別の意味で、収容所のナチス将校に気に入られた女性ユダヤ人が仕分けされて、将校のもとに送られ性の相手として扱われたと言う事実も判明している。これがゾンダーコマンドに該当するのかどうかはわからない。多数の証言と具体的な文字記録を下にして、少しずつ収容所内での実態が明らかにされ、旧ナチスドイツの行った非人間的な行為がさらに非難を浴びることになる。ドイツでは戦後の教育の中で、自国が過去に行ったこのような事実を子供たちの教育に生かす形で、二度と同じことが繰り返されないように教育を続けている。しかし21世紀に入り世界の状況は少しずつ変わってきた。
■ ネオナチの台頭、ナチスドイツへの評価について
戦後間もない頃の世界は改めて国際連合を組織し、世界の様々な課題に対して話し合いを持って取り組むことになった。しかし世界各地での様々な紛争は、単なる話し合いでは解決できず、国際連合の中にも国連軍と呼ばれるいくつかの国の合同の連合軍が組織されるようになり、実際に戦闘行為にも参加するようになる。また経済大国であるアメリカを中心とした世界の産業や資源に対して様々な形で、いわゆる先進国による収奪が始まる。国連の中心を組織する国が、自ら背景に巨大企業を抱えながらコングロマリットとして世界の資源を手に入れていくことになるのだ。
そんな最中にそれまではあまり世界の表に舞台に立ってこなかった、東南アジア諸国やアフリカ諸国、中南米諸国が自主独立を求め、ときにそれは紛争を伴い多くの難民を生むような形で激しさを増していく。それまでの世界秩序は、アメリカを中心とする欧米の資本主義国による世界支配が当然の世界であり、新たな勢力の進出は世界秩序を乱すものとして考えられるようにもなっていく。こうして世界各地で独立に名を借りた様々な紛争が勃発する。中東戦争においても、ベトナム戦争においても、またアフリカ諸国の局地戦においても、その背後にはアメリカやソ連といった強国の思惑が透けて見えるような形になってきた。このような混沌とした時代背景を下にして、いわゆる先進諸国の中でも若者を中心に様々な価値観が台頭し、それは極右の考え方、あるいは極左の考え方といった形でさらに対立が鮮明になる。そこに加えて宗教上の対立も含まれてくるようになる。
そんな中ドイツにおいても、ネオナチと呼ばれる極右勢力が進出し、1部にはユダヤ人大量虐殺はなかったなどと言う主張まで現れるようになる。無論それはごく少数意見ではあるものの、このような動き自体が危険性を持っているのだ。100年経ち150年経ち200年経っていくと、ひょっとしてこれらの出来事はきちっとした形で残されているのか、あるいは風化していくのか、あるいは時の政権によってなかったものにされていくのか。様々なケースがあり得ると言っても良いだろう。そのような状況においても、少なくとも現政権が過去の政権に引き続いて旧ナチスドイツが行った非人道行為に対して調査を続け、新たな事実を明らかにし続けている。もちろんアウシュビッツ収容所に関する展示館も整備されている。ドイツは少なくとも今の段階では、自ら犯した過ちを積極的に発信していると言えるのだ。無論これは当然のことであり、今後も良識ある人々によってずっと続けていかなければならない。もうあと2〜30年もすれば、アウシュビッツから奇跡的に助かった人々も全て人生を全うすることになるだろう。それでも教科書にこの事実が掲載され、小学生から大学生までがこの過去の事実をしっかりと学習する責任がドイツと言う国にはあるのだ。