切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2020紅葉 南禅寺 京都市左京区

2020-12-04 23:15:57 | 撮影
 

『南禅寺
 五山之上瑞龍山太平興国南禅禅寺と正称する。当寺は、禅宗の臨済宗南禅寺派の大本山である。
 鎌倉時代の文永元年(一二六四)亀山天皇は水石明媚の当地を愛されて離宮禅林寺殿を営まれた。天皇はその後、東福寺第三世無関普門禅師に深く帰依されて法皇となられ、正応四年(一二九一)離宮を施捨して禅寺とされた。開山は大明国師(無関普門禅師)、開基を亀山法皇、また伽藍を完成させた二世南院国師(規菴祖円禅師)を創建開山と仰いでいる。
 歴史上の特色は「五山之上」に列せられたこと、当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山したこと、その結果五山文学の中心寺院として栄えたことなどである。
 創建当時の伽藍は室町時代明徳四年、文安四年、応仁元年の三回の火災に遭い 一宇も現存しない。現在のものは江戸時代初期以降の再興である。
 ( パンフレットより)』

   

『南禅寺
 臨済宗南禅寺派の大本山での正応4年(1291)亀山法皇の離宮の地を賜り、無関普門(大明国師)規庵祖円(南院国師)によって創建された。以来歴朝の勅願所として、また、中世五山制度が行われると「五山之上」という最高位に列せられ天下の尊崇を得て今日に及んでいる。
 勅使門、三門は重要文化財に大方丈(清涼殿)小方丈は国宝に指定され、内部の襖絵の多くは重要文化財に指定されている。方丈前庭は小堀遠州作「虎の子渡し」といい代表的な枯山水庭園として有名である。
  京都市』  (駒札より)

     

 南禅寺は三条通りの北側にある。
 東山区という印象があるがここは左京区となる。三条通りの地下を地下鉄東西線が走り最寄りの駅は、蹴上駅。撮影に行ったこの日は、山科から三条通りを通って南禅寺に入ったので、蹴上駅からまるで人々が地面から湧いてくるような状態に見えた。南禅寺を目の前にして車は大渋滞。1~2m進んでは延々と止まり、その繰り返し。ようやく境内の端にある駐車場に到着。ここも順番待ちで空くのを待つ。ようやく車を入れて正面の入り口に向かう。大変な人出だ。やはりGo to travelの影響もあるのか、外国人がいないというのにこんなにすごい人出とは正直思っていなかった。
 境内への入り口の北側に国の重要文化財である「勅使門」がある。ほとんどの人はこれが重要文化財などとは意識していないだろうと言うか、全く知らないだろうと思う。何しろ境内に入った途端、眼前には広大な境内。その境内には大木の紅葉が赤や黄色に輝いている。当然見とれないはずがない。レンタル和装のカップルなども含め、みんながみんなそれこそ見事な紅葉をバックにスマホで撮影。
 私自身も南禅寺そのものには何度も来ているが、紅葉の時期に訪れたのは初めてだ。正しく圧倒される。境内の両側に並ぶ多くの塔頭寺院にも紅葉が見られる。とても全部は回っていられない。そして三門の正面に立つ。三門まではかなり長い距離があり、紅葉のトンネルをくぐるかの如く前へ進んでいくが、多くの人が集中してまさしく蜜の状態になっている。 少しずつ三門が近づく。写真を撮りながら進むのでかなり時間がかかった。周囲の人も同様だ。そしてようやく三門前。石段を上がるが一段ごとの高さが非常に高い。これでは子どもやお年寄りは厳しいので、当然横の方から回ってなだらかな坂を上がる。三門の横には長い行列。南禅寺の三門は上がることができる。私もかつて上がったことがある。小さめの仏像が並んでいるし景色も良い。

  
  (山科疎水)
 
   (国宝 方丈)
  

 この三門は藤堂高虎の寄進によるものだと言う。これも国の重要文化財だ。並んでまで上がる時間がないので三門をくぐり庭園の入り口に向かう。ここも大変な人。建物内を進むとすぐに方丈となる。この方丈から、小堀遠州作といわれる見事な枯山水庭園を望むことができる。大勢の人が部屋の中に座っており、ゆっくりしている人、写真を撮っている人、おしゃべりしている人、様々な人達で満室に近い状態。縁側も人が並んで写真を撮るのに一苦労だ。庭園の写真を撮った後、縁側を進んで廊下に出て小方丈の方へ向かう。この端から庭園と先ほどまでいた大方丈が全て見える。
 この大方丈は小方丈とともに「国宝」だ。こんなことを意識しているのは多分私くらいのものだろう。一般にお寺や神社を訪れる人々は、参拝や拝観、あるいは見学が目的であって、よほど好きな人でない限り、あれが重要文化財、これが国宝などとはあまり意識しないだろうと思う。しかしできればそういったことも意識して見て欲しいものだと思う。
 こうして庭園を撮影し終わった後、また境内に出て写真を撮る。帰る時もなかなか大変。ようやく撮り終えてコインパークへ戻る。まあ自分なりに自己満足だが、良い写真が撮れたと、まさしく自画自賛だ。
 南禅寺の由緒についてはパンフレットや駒札の通りであり、創建は鎌倉時代初期となる。 臨済宗南禅寺派の本山であり、特に室町時代には人々から盛大な信仰を集め、多くの人々が訪れている。
 また文化財の宝庫でもあり、上に述べた勅使門、三門、方丈と言った建物の他に、さまざまな古文書等も多い。さらに各部屋にはめ込まれている襖絵にも重要文化財に指定されているものが多く、特に有名なものは狩野探幽の「水呑の虎。」 膨大な文化財を見られることはあまりないが、少なくとも建物はいつでも見られるので、京都を代表する巨大寺院として是非とも訪れるべき場所の一つと言えるだろう。

         
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2020紅葉 青蓮院 京都市東山区

2020-12-04 22:02:48 | 撮影
 

『青蓮院

三千院、妙法院と並ぶ天台宗三門跡の一つで、 天明の大火(一七八八)の際に仮の御所となったこ とから、 粟田御所とも呼ばれる。
 最澄 (伝教大師)が比叡山に建てた僧侶の住居の 一つ「青蓮坊」に始まるとされ、平安時代末期の行玄のときに三条白川(現在地のやや北西)に移り、 鳥羽法皇の第七皇子が行玄の弟子として入寺して以来、皇族や摂関家の子弟が門主 (住職)を務める 「門跡寺院」となった。
 歴代門主のうち、三代の慈円は歴史書『愚管抄』の著者として有名で、十七代の尊円入道親王は和風と唐風を融合した青蓮院流 (のちの御家流)と呼ばれる書風で知られる名筆家であった。
 境内全城が国の史跡に指定されており、粟田山の山裾を利用した庭園は、龍心地を中心とした優美な池泉回遊式庭園で、主庭は相阿弥の、霧島の庭は小堀遠州の作と伝えられている。 また、神宮道沿いの門前には、この寺で出家した親鸞聖人のお手植えと伝わる巨大な五本の楠 (京都市登録天然記念物)がある。
 寺宝として、青黒く描かれていることから「青不動」の名で知られる「不動明王二童子画像」(国宝) をはじめ、多数の文化財を蔵する。円山公園東の山頂に、飛び地の境内である将軍塚青龍殿を有し、そこからの京都市街の眺めは格別である。
  京都市』  (駒札より)


  (パンフレットより)

        

 青連院は青蓮院門跡とも言う。知恩院のすぐ北側に広い境内を有している。紅葉の名所でもあり年中訪れる人は多い。由緒については駒札にある通りだ。
 創建の時期の詳細については分かっていないが、平安時代後期に伝教大師最澄が比叡山延暦寺を開くにあたって、修行僧たちの住坊を何棟も建てたが、そのうちの一つが青蓮坊と言う。これが後に比叡山頂から京都盆地に下されこの地に造営されたものと言われている。門跡寺院ということで、住職が皇室関連、あるいは摂関家との関連が深く代々の門主はその関係者が勤めていると言われている。
 山門をくぐるとすぐに真っ赤な紅葉が目に入り、左側の事務所に受付がある。内部に入ると順路に従って思いのほか広い建物の中の廊下を進んでいく。様々な角度から山裾に伸びている広い庭園を見ることができる。典型的で見事な枯れ山水庭園であり、その様が岩や植物そして紅葉などの配置も非常に見栄えのするものとなっている。人はそこそこ来ていて畳の上に座りゆっくりと庭園を眺めている人たちが多いが、同時にカメラを構えてあちこち撮っている人々も多い。私もそのうちの一人だ。一通り撮り終えて庭園に出る。回遊式になっていて順路に従って山裾の小高い所へ登っていく。これも様々な角度から庭園や伽藍を見渡すことができてなかなかいいものだ。
 庭園全体が国の特別名勝に指定されており、やはりそれだけのものはあると思える。青連院が保有する国宝の「青不動」は残念ながらこの場所にはなく、別の境内地に建てられた宝物館のような建物の中に安置されているとのことだ。
 なお数年前に背後の山の上に境内地があり、昔からコンクリート製の展望台みたいなものがあったが、それがリニューアルされ木造の広い展望台となっている。そこに上った時にあの無骨なコンクリート製ではなくて木製の展望台になったということで、なかなか感じが良かった。京都市街が一望できるので、少し足を伸ばして行ってみるのも良いと思う。


                 
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