●啓蒙主義のユダヤ人への影響
アメリカ独立革命、フランス市民革命が起った18世紀は、啓蒙主義の時代だった。啓蒙主義は、自然科学の発達を背景に、人間理性を尊重し、封建的な制度や宗教的な権威を批判し、合理的思惟によって社会の変革をめざした思想・運動の総称である。17世紀後半のイギリスで始まり、18世紀にはフランス、アメリカ、ドイツに広まって、宗教思想、認識論、社会思想、経済思想、文学等の多様な領域で展開され、時代を支配する思潮となった。
18世紀のドイツでは、啓蒙主義の影響下に、ユダヤ人哲学者モーセス・メンデルスゾーンが、ユダヤ人のキリスト教文化への同化を進めるハスカラー運動を唱道した。同化はユダヤ教の棄教またはキリスト教への改宗を伴う。メンデルスゾーンを精神的父と仰ぐユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ人固有の文化を捨ててヨーロッパの世俗文化を学ぶことが、中世以来の社会的差別からユダヤ人を解放する前提であると考えた。彼らの唱道により、19世紀にかけて知識人を中心に同化が進んだ。
キリスト教社会への同化によってユダヤ教を捨てた多くの個人は、反ユダヤ主義的な価値を受け入れ、出身文化を嫌悪するようになる。これをトッドは「ユダヤ人の自己憎悪」と呼ぶ。
例えば、カール・マルクスは、祖父がユダヤ教指導者のラビだった。だが、父がキリスト教に改宗したので、マルクスは、非ユダヤ教的な教育を受けた。脱ユダヤ教的なユダヤ人であるマルクスは、ユダヤ人の拝金主義を、怒りに満ちた言い方で激しく批判した。トッドは、これを「ユダヤ人の自己憎悪」の一例としている。
トッドによると、「ユダヤ人の自己憎悪」はドイツ社会で特徴的である。ドイツの社会は直系家族が支配的である。直系家族は、父親の強力な権威と兄弟間の不平等を特徴とする。権威と不平等を社会における基本的価値とする。トッドによると、ドイツ人の直系家族的な心性は、家系への執着、誇り高き群小貴族の乱立とそれが産み出す自由主義なき民主制、政治的細分化と縦型の統合、ユダヤ人など差異を背負う住民を身近に必要とすること等、さまざまな現れ方をする。
直系家族は、不平等の価値によって差異主義を表すが、その差異主義は権威主義的である。一方、絶対核家族も不平等を価値とし、差異主義を表すが、こちらは自由主義的である。そのため、直系家族のドイツの差異主義は、絶対核家族のアングロ・サクソンの差異主義とは異なった特徴を示す。ドイツの権威主義的な差異主義は、移民を集団として排除しようとする。こうした社会において、ユダヤ人は「自己憎悪」を表した。このドイツにおけるユダヤ人の「自己憎悪」は、イギリスにおけるユダヤ人の「自己主張」と対比される。トッドは、ともに差異主義的な社会の中で押しつけられた「偽りの自覚」だと見ている。
ドイツの社会の通婚制度は、族外婚である。外婚制の直系家族社会は、内婚制のそれよりも、異質なものを激しく排撃する傾向を持つ。ドイツではユダヤ人の同化が進んでいながら、粗暴な差異主義が潜在しており、それがやがてナチスの人種差別主義として猛威を振るうことになる。
ところで、啓蒙主義の影響によって、ユダヤ教において新たな動きが現れた。19世紀の西欧では、ナショナリズムに基づく国民国家の形成が進んだ。その中で、ユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ教の伝統的教義である民族と宗教の間の不可分な関係を否定する宗派を創設した。これを改革派という。改革派の出現は、ユダヤ教の歴史に新たな段階を開いた。改革派は、西欧から北米へと広がっていった。これは、ユダヤ教の歴史では、中世におけるカバラー神秘主義の発達に続く、大きな出来事だった。改革派の教義は、ユダヤ人がユダヤ教の信仰を保ったままキリスト教社会で生きることを容易にした。また、ユダヤ人が資本主義社会で利潤追求の活動を行うことを容易にした。それは、ユダヤ人が一層活躍し、またそれによってユダヤ的価値観が広く、深く社会に浸透・普及することを可能にした。
次回に続く。
アメリカ独立革命、フランス市民革命が起った18世紀は、啓蒙主義の時代だった。啓蒙主義は、自然科学の発達を背景に、人間理性を尊重し、封建的な制度や宗教的な権威を批判し、合理的思惟によって社会の変革をめざした思想・運動の総称である。17世紀後半のイギリスで始まり、18世紀にはフランス、アメリカ、ドイツに広まって、宗教思想、認識論、社会思想、経済思想、文学等の多様な領域で展開され、時代を支配する思潮となった。
18世紀のドイツでは、啓蒙主義の影響下に、ユダヤ人哲学者モーセス・メンデルスゾーンが、ユダヤ人のキリスト教文化への同化を進めるハスカラー運動を唱道した。同化はユダヤ教の棄教またはキリスト教への改宗を伴う。メンデルスゾーンを精神的父と仰ぐユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ人固有の文化を捨ててヨーロッパの世俗文化を学ぶことが、中世以来の社会的差別からユダヤ人を解放する前提であると考えた。彼らの唱道により、19世紀にかけて知識人を中心に同化が進んだ。
キリスト教社会への同化によってユダヤ教を捨てた多くの個人は、反ユダヤ主義的な価値を受け入れ、出身文化を嫌悪するようになる。これをトッドは「ユダヤ人の自己憎悪」と呼ぶ。
例えば、カール・マルクスは、祖父がユダヤ教指導者のラビだった。だが、父がキリスト教に改宗したので、マルクスは、非ユダヤ教的な教育を受けた。脱ユダヤ教的なユダヤ人であるマルクスは、ユダヤ人の拝金主義を、怒りに満ちた言い方で激しく批判した。トッドは、これを「ユダヤ人の自己憎悪」の一例としている。
トッドによると、「ユダヤ人の自己憎悪」はドイツ社会で特徴的である。ドイツの社会は直系家族が支配的である。直系家族は、父親の強力な権威と兄弟間の不平等を特徴とする。権威と不平等を社会における基本的価値とする。トッドによると、ドイツ人の直系家族的な心性は、家系への執着、誇り高き群小貴族の乱立とそれが産み出す自由主義なき民主制、政治的細分化と縦型の統合、ユダヤ人など差異を背負う住民を身近に必要とすること等、さまざまな現れ方をする。
直系家族は、不平等の価値によって差異主義を表すが、その差異主義は権威主義的である。一方、絶対核家族も不平等を価値とし、差異主義を表すが、こちらは自由主義的である。そのため、直系家族のドイツの差異主義は、絶対核家族のアングロ・サクソンの差異主義とは異なった特徴を示す。ドイツの権威主義的な差異主義は、移民を集団として排除しようとする。こうした社会において、ユダヤ人は「自己憎悪」を表した。このドイツにおけるユダヤ人の「自己憎悪」は、イギリスにおけるユダヤ人の「自己主張」と対比される。トッドは、ともに差異主義的な社会の中で押しつけられた「偽りの自覚」だと見ている。
ドイツの社会の通婚制度は、族外婚である。外婚制の直系家族社会は、内婚制のそれよりも、異質なものを激しく排撃する傾向を持つ。ドイツではユダヤ人の同化が進んでいながら、粗暴な差異主義が潜在しており、それがやがてナチスの人種差別主義として猛威を振るうことになる。
ところで、啓蒙主義の影響によって、ユダヤ教において新たな動きが現れた。19世紀の西欧では、ナショナリズムに基づく国民国家の形成が進んだ。その中で、ユダヤ人啓蒙主義者は、ユダヤ教の伝統的教義である民族と宗教の間の不可分な関係を否定する宗派を創設した。これを改革派という。改革派の出現は、ユダヤ教の歴史に新たな段階を開いた。改革派は、西欧から北米へと広がっていった。これは、ユダヤ教の歴史では、中世におけるカバラー神秘主義の発達に続く、大きな出来事だった。改革派の教義は、ユダヤ人がユダヤ教の信仰を保ったままキリスト教社会で生きることを容易にした。また、ユダヤ人が資本主義社会で利潤追求の活動を行うことを容易にした。それは、ユダヤ人が一層活躍し、またそれによってユダヤ的価値観が広く、深く社会に浸透・普及することを可能にした。
次回に続く。