お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

カルロヴィ・ヴァリ

2022年09月13日 | 旅行

チェコ共和国西部のヘルスリゾート、カルロヴィ・ヴァリ (ドイツ語ではカールスバート) で1週間弱過ごしました。この約5万人の人口を持つ町は、世界で最も有名で伝統的な健康リゾートのひとつです。そして2021年7月、他の10のスパタウンとともにユネスコ世界遺産 (Great Spas of Europe) に登録されました。

 

町の様子 1 &

 

町の様子 3 &

スパ施設は町の南部の狭い谷に位置していて、まわりの山々には良く整備されたトレッキングコースが縦横に走っています。山中の町を見下ろす場所には、徒歩または鋼索鉄道で到達できる1914年に建造された35mの展望塔が建っています。オーストリア・ハンガリー帝国の時代にカルロヴィ・ヴァリは最も人気のある健康リゾートのひとつになったのです。

 

町の様子 5 &

ところで、カルロヴィ・ヴァリ温泉の治癒効果はおそらく14世紀にすでに知られていたようです。温泉の発見には伝説があり、それによると、のどが渇いた鹿が水を探してひづめで地面を掘り、それにより最初の温泉が発見されたとの事です。温泉は最初入浴だけに利用されていましたが、16世紀からは飲泉治療のためにも使われ、1522年に温泉の癒し力に関する最初の論文が出版されました。

 

町の様子 7 &

 

町の様子 9 & 10

ところが、すべてが順風満帆という訳にはいかないのがこの世の常です。カルロヴィ・ヴァリの町は16世紀の後半に激しい洪水で浸水し、17世紀の初めには火災で町のほとんどが破壊されました。それのみならず、三十年戦争もその痕跡を残したのです。町はゆっくりとしか回復しませんでした。しかしその後、皇帝ジョセフ1世が自由王都としての特権を町に与え、とりわけ18世紀の前半にロシア皇帝ピョートル大帝が訪問したことによってスパ事業が促進され、町内で最初のスパハウスが建設されました。18世紀後半にまたもや火災によって町の大半が焼失しましたが、その後温泉治療法はデイヴィット・ベヒャーという医師によって決定的に促進されました。彼はカルロヴィ・ヴァリの温泉治療に関する論文を発表し、この地で作られる浴用化粧品や入浴剤の宣伝を提案したのです。18世紀の終わり頃には町を再建する助けにしようとスパ料金が導入されました。そして19世紀半ば、入浴施設の営業が大きな成長を遂げたのです。その決定的要因はカルロヴィ・ヴァリがヨーロッパの鉄道網に接続されたことでした。20世紀の前半の時点で町の人口は約1万8千人だったそうです。

 

町の様子 11

その後勃発した二つの世界大戦は、当然のことながら、カルロヴィ・ヴァリのスパビジネスの転換点となりました。

最初の戦争によりオーストリア・ハンガリー帝国の二重君主制が崩壊し、チェコスロバキアが1918年に結成されました。そして第2次世界大戦の直前にはミュンヘン協定によりカルロヴィ・ヴァリはドイツ第三帝国に併合されました。戦争中、スパ事業は停止して軍事病院の町になり、この事は国際的に登録されて認められていました。それにもかかわらず、町は1944年と1945年に連合軍によって爆撃されたのです。攻撃の時、赤十字のマークが付いた2本の病院列車が停車していた駅も攻撃されました。ひとつの救いは、町の大部分は破壊されましたが、スパ地区は影響を受けなかったことです。カルロヴィ・ヴァリは1945年5月にまずアメリカ軍に占領され、10日後にソ連軍に引き渡されました。

戦後、ドイツ・ボヘミアの住民は1945年に財産を没収されて追放されました。その代わりに国の方針として移民の増加が促進され、帰還者や少数民族ロマ族の人々もカルロヴィ・ヴァリに移住しました。

戦争被害をまぬがれて1946年に国有化されていたスパビジネスは、1989年に共産主義政権が終焉して以来再び国際的な顧客を対象としており、湯治客を増やす努力をしてきました。ところが、武漢コロナとロシアによるウクライナ侵攻のせいで約70%を占めていたロシア人湯治及び観光客が激減してしまいました。カルロヴィ・ヴァリ町としてはロシア人がいつか帰ってくる可能性は少ないとして旅行好きなドイツ人を引き込む戦略を立てている、と先日テレビで報道していました。

私たちが1週間弱滞在した印象から言っても、町の観光業のロシア依存が顕著でした。ロシア語の看板が至る所に見られるし、ほとんどの観光業に携わる人々がロシア語を解するようです。反対にドイツ語を話す人は皆無でした。

カルロヴィ・ヴァリは、我々には華麗な歴史を感じる町、瀟洒な町、フッと怠惰な雰囲気が漂う町です。

 

吹き出す源泉 ・ 飲む源泉 

20世紀の初め、カルロヴィ・ヴァリには18のアルカリ性塩源泉がありましたが、現在12で、温泉の温度は20数℃から72℃だそうです。温泉の用途は多様です。消化器系の障害、代謝障害、糖尿病、痛風、肥満、歯周炎、筋骨格系の疾患、肝臓、胆嚢、胆管および膵臓疾患、ならびに腫瘍学的疾患。何にでも効きますよ、といったところです。治癒用水の下剤効果はグラウバー塩 (硫酸ナトリウム水化物) によるものだそうです。。

 

温泉水を飲む容器 (多様な大きさとデザインあり)

立派な宿泊施設が軒を連ねていますが、谷の比較的奥深い所で 谷川の畔にあるのが1770年に建てられたグランドホテル・プップです。この、国際的にみても超一流ホテルの内装は完璧なユーゲントスタイルを維持しており、観光客に見学を許可しています。

 

グランドホテル・プップ 1 &

 

グランドホテル・プップ 3 &

プップに対抗するかのように小高い丘の上に建っているのが、1912年に開業したホテル・インペリアルです。丘の麓からホテルへ行く専用のケーブルカーが走っています。

 

ホテル・インペリアル ・ ケーブルカーの駅

スパ運営に必要なホテル、その他の宿泊施設、スパハウス、レストラン、娯楽施設 (カジノ) は、職場の供給や町の経済成果に大きく貢献しています。これらの施設の3分の2は、ロシアや他の旧ソ連邦の国々からの個人投資家によって所有されているそうです。

その他言及すべきは毎年恒例のカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭です。

さて、休暇用アパートメントを常用する私たちにしては珍しく、レストランで食事をしようということになりました。宿から歩いて5分ほどの所に良さそうなレストランを見つけました。T-シャツと半ズボンを身に着けた経営者が自ら給仕をしている気さくなレストランです。味の方は大丈夫かな? と少し心配になりましたが、、、。

 

レストランの入り口 ・ テーブルセッティング

まずアルコールフリーの地産ビールで乾杯。妻が後でチェコ産の赤ワインを注文しましたが、意外にもワインで有名な国のそれに負けないくらい美味しいのです。良い意味で驚きました。

 

ビール ・ 突き出し

これも意外でしたが、突き出しが供されました。マッシュポテトとマッシュセロリで、安い材料ですが美味しい。

私たちは冷たいズッキーニスープとタコスを前菜として注文しました。

冷たいスープなので、スペインのガスパッチョの様で旨い。暑い日だったらもっと美味しかったでしょう。

 

ズッキーニスープ ・ タコス

タコスには〈花咲きしめじ〉とも呼ばれる平茸の一種、アボカドムース、そして新鮮生野菜がのっています。少々食べにくいけれども、ムースも生野菜も大変結構。ただ、私の嫌いなコリアンダーが混ざっているのが気に入りませんでした。

妻のメインディッシュはアヒルの腿肉料理。付け合わせはコールラビが入ったひき割り麦とチンゲンサイです。ソースと混ぜたチンゲンサイも少し酸っぱいひき割り麦も旨い。この料理にもコリアンダーが入っていますが、妻は気にならないようです。

 

アヒルの腿肉料理 ・ ラムチョップ

そして私の主菜はペパーミントソースで食べるラムチョップです。下に敷かれているのは、ローストニンニクとスパイシーな調味料が混ざったパスティナックピューレ。焼き具合を訊かれたときに、私はミディアム・プラスと答えました。ウェルダン・ミディアムのつもりで言って、給仕のおじさんもそのように理解してくれましたが、出て来たのはミディアム・レアでした。初めは、いい加減だ、と思いましたが、多分料理人がミディアム・プラスをミディアム・レアと解釈したのでしょう。だから肉がかなり冷たいのです。焼き直してもらうのも面倒なのでそのまま食べましたが、肉は美味しいと感じませんでした。ペパーミントソースとパスティナックピューレはたいへん美味しかったのに、残念です。これからは注文の時にミディアム・プラスと言うのはやめようと思った次第です。

最後にエスプレッソと一緒に頼んだのはルバーブのデザートです。パイ生地の上に砂糖で煮た酸味の強いサクランボが載り、その上に漬け込んだルバーブが載っています。そして横にはコテージチーズが添えられています。盛り付けが華やかで楽しく、ルバーブが少し硬いのですが重くなくて美味しいデザートでした。このデザートは一人前しか頼まなかったのに、二人で食べられるように二人分の食器を持って来てくれたのには感心しました。

 

デザート ・ エスプレッソ

エスプレッソは喉から食道にかけてグッと染み入る美味しさです。

前述のラムチョップですが、後で改めてメニューを見てみると他の料理の2倍以上の値段でした。この料理を選択したことだけは失敗でしたが、その他に関しては十分満足感が得られました。経営者のおっさんの心のこもったサーヴィスも印象的で、またカルロヴィ・ヴァリに来ることがあったら是非再訪したいと思えるレストランでした。

 

〔2022年9月〕

 

コメント
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