巨大な古城で有名なハイデルベルクから北東に車で1時間弱のところにあるエルバッハ城館は、エルバッハ=エルバッハ家の住居です。それは中世期に建て始められましたが、今日の姿は主に18世紀前半に行われた改築の結果です。お城にはとりわけ、エルバッハ=エルバッハ伯爵フランツ1世の有名な古美術品のコレクションがあるとのことです。
城館 1 & 2
城館 3 ・ 城館の入り口
城館を中庭から見る
城館の中庭に面する建物 1 & 2
エルバッハ城の建物の最古の存在証拠は12世紀にさかのぼり、その後、壁と堀がある丸い水城塞が14世紀の初頭に文書で最初に言及されました。城塞を建設した理由ですが、当時ロルシュ修道院の執行官とライン河近くのプファルツ伯爵の紛争の最中だったため、安全保障上の側面があったと思われます。16世紀の前半にこの城塞はルネッサンス様式の城館に改装されましたが、残存している高さが67mで下の部分の壁の厚さが2,40mの力強い防御塔は12世紀の建造物です。もっとも、ゴシック様式の尖塔は15世紀の末に建てられたそうです。20世紀の終わり頃にこの防御塔は大幅に改装され、尖塔がリニューアルされました。当時の城塞の中庭であり現在の城館前の広場の周りには、当時の穀物舎や家畜小屋など沢山の別館が立ち並んでいます。
城館の一部と防御塔 with 尖塔 ・ 城館前の広場に面する旧町役場
18世紀の前半に新しい城館の建設が中世の城塞の基礎の上に始まり、その際、それまで存在していた水路は埋められました。そして20世紀の初頭に城館は現在のネオバロック様式の外観になったのです。
お城の複合施設には、後期バロック様式のオランジェリー (温室)と〔喜びの庭〕という名の庭園も含まれています。
オランジェリーと庭園
城館に展示されているエルバッハ=エルバッハ伯爵フランツ1世の古美術コレクションは、彼の死後、孫のエーバーハルト15世 (1818-1884) がその管理を引き継ぎ、現在はアンティークと中世のコレクションだけでなく、自然と狩猟のコレクションも含んだ構成になっています。
今世紀の初めに、ヘッセン州がコレクションのほとんどと城館の大部分をエルバッハ=エルバッハ家から購入しました。その際にお城はマンション法に従って法的に分割され、上層階は今でもエルバッハ=エルバッハ家の住居として機能し、他の階と古美術品のコレクションはヘッセン州が管理運営をしています。
2016年、それまで他の組織に属していたドイツ象牙博物館をヘッセン州が取得し、城館の新しい展示コンセプトに組み込まれました。私たちはドイツで象牙細工がされていたとは全く知らなかったので興味をそそられ、この博物館を見学したのです。
なぜこの町で象牙細工が発達したのでしょう。
ここでまたエルバッハ=エルバッハ伯爵フランツ1世が登場するのですが、彼が18世紀にこの地域に象牙の彫刻を導入したのです。新しい収入手段を通じて構造的に弱い地域の経済的機会を増やすことが目的だったようです。同時に、彼はこの地域にすでに存在する動物の角と木材の彫刻の伝統を継承しました。その結果象牙彫刻の需要は大きくなり、ほぼ工場のように運営される強力な生産活動につながりましたが、その一方で特別注文に答えるアーティストの個々の作品もまだありました。特に第一次世界大戦中を含む何度かの危機にもかかわらず、象牙の彫刻は20世紀の30年代までエルバッハ町の主な収入源であり続けました。
エルバッハの街並み 1 & 2
しかし1989年に象牙の売買が世界的に禁止されたため、象牙が彫刻の原材料として使われることがなくなったのです。
象牙博物館の展示物ですが、小物がほとんどで大きな作品は少なく、全体的に中国のものに比べて繊細度が低いという印象でした。でもそれなりに面白く見学出来ました。残念ながら、撮影禁止だったのでここに提示することは出来ません。
弁当
さて、曇り空だったし風が吹いて寒いので、車の中で昼食の弁当を食べました。いなり寿司です。その他は、昨夜の夕食の残りのハンバーグと炒めたかぶと豆のゴマソース和えです。いつもながら美味しくいただきました。
〔2022年7月〕