Nori log

日常のちょっとした出来事を写真で残しています
3年の上海駐在を終え、今は日本の良さを再認識中

小田原ガイド協会 退会

2024-01-25 16:13:58 | 小田原ガイド

昨年4月から育成講座を受講し、12月に仮入会した小田原ガイド協会を、昨日退会した。

老害はびこる当協会に不満を溜めながらもなんとか我慢してきたが、とうとう許容値を超えたので。

 

最近の不満としてはP当番と称する4~5回/月の業務だ。

有料レンタサイクルの貸し出しや

車の有料駐車場の業務

これらは3万5千円を支払ったガイド育成コース申し込み時には、一切説明がされなかった。

このようにこの協会は後になって「あれやれ、これやれ」」「あれするな、これするな」が頻繁だ。

もう一度言う

「受講料を取った後にだ」

全く興味を引く業務でないうえに、何も得るものもない。

支給は交通費と食事代のみで、ほぼ無償に等しい。

ボランティアという美名に隠した「ただ働き」を強いられているわけだ。

 

それでもグッと飲み込み「1年くらいは続けてみるか」と我慢していた。

が、先週の当番時に初めて朝ミーティングに参加したところ、先ず全員にお茶が出てきた。

「いまどきお茶出しがあるなんて、旧態依然だな」

と、驚いた。

そしてミーティングの後にお茶出ししてたクソババア年配女性ガイドがなんと俺に

「新人は進んでお茶くみしろ」

だと

即座に切れそうになった。

しかしそれは大人になった俺、一旦飲み込んだ。

そして1週間考えた、が

怒りは収まるどころか、そいつに殺意すら沸いてきた。

「もう限界だ、怒鳴りだす前に、辞めよう」

という訳で、昨日の最終講習の後に退会してきた。

講習課程は終了したということで、終了証は出されたけど。

年配の同期生からは

「辞めるなよ、俺たちでこの協会を変えていこうぜ」

とも引き留められたが

「残り短い人生の時間を、こんな協会でやな思いをしながら、しかも無償で費やしたくはないんだ」

と答えると

「俺も実は同じ気持ちではいたんだが・・・」

 

退会時には協会に「このままじゃまずいよ」という点をいくつも指摘してきたが、多分変われないだろうな。

てなわけで、円満?に退会してきたぜぃ

 

さてガイドとしての活動はなくなったんで、今年は何をしようかな?

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ガイド育成コース実習 @ Umeco

2024-01-10 22:10:12 | 小田原ガイド

小田原ガイド育成コースの実習第二弾

小田原駅近くの市民交流センター Umeco でのレンタサイクル業務だ

 

朝の集合は小田原城址公園の中にあるガイド協会事務所

雰囲気あるね

昭和初期に町の図書館だった建屋らしい

 

ちょっと早めに到着してしまったけど、こんな朝景が見れたのは「三文の得」だったかな

 

さて本日の実習としては、レンタサイクルの受付を先輩達に付いてやってきた。

 

しかしレンタル自転車達は手感でのいい加減な点検のみで、あまりにも悲惨な状態・・・

安全性にも懸念が・・・

「こんなんじゃダメだよ」と指摘しても

「それだけやればいいと言われてるから」と、思考停止状態のボランティア先輩たち・・・

こいつらに言っても、無駄かぁ

 

これは協会の上層部に提言するつもりだけど、なんかこの組織 なんだかなぁ~

来月の正規入会、どうするか考え中

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ガイド育成コース実習 @ 早川駅

2024-01-08 12:51:29 | 小田原ガイド

小田原ガイド育成講習もいよいよ実習が始まった。

第一弾は JR早川駅。

駅前で観光客に道案内するのがメイン業務。

 

ここにはこんな案内板が設置されている

観光客のほとんどが 小田原漁港漁港の駅TOTOCO 目当ての方々だった。

 

TOTOCO は2019年11月にオープンした、道の駅の海版 といったところ。

2,3 階にはレストランもあり、高い位置なので眺めもいい。

駐車場も広いので、休日はいつも賑わってるよ。

 

一方の小田原漁港は神奈川県で三崎港に次ぐ水揚げ量を誇る港に

多くの中小食事処が並ぶ

こちらのほうが Nori 的には好みだな。

昭和の生まれなもので(^^)

 

この二つは徒歩コースで 1km ほどと近いので、迷ったら両方試してみるといいかもよ。

 

さてその他のガイドとしてのお仕事は、レンタサイクルの貸し出しと手荷物預かり。

レンタサイクルの貸し出しは当日ゼロ。

荷物預かりが5件ほど。

早川駅にはコインロッカーさえもないので、ここガイド協会が請け負ってるわけだ。

 

さて一日、先輩方に付いて実技をさせてもらった。

こんな業務拠点は他に4カ所あり、月に4回ほど当番が回ってくるらしい。

感想としては「つまらない」

ガイドするわけではなく、路上での案内と事務作業・・・

来月にはガイド協会に正式入会するか否か決めなければならないが

「どおすっかな~」

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仮入会

2023-12-14 10:18:19 | 小田原ガイド

小田原ガイド育成講座のカリキュラムがほぼ完了し、昨日は協会への仮入会式が行われた。

今後は 4~5回/月 の頻度で先輩ガイドについて実地を学び、3月に本入会となる。

なんかこれまでのこと、全然頭に入ってないんだけど ね ゞ(- -;)

 

2週間前に行われた最終実技テストの評価も配られた

結構いい評価がもらえたみたいだ。

この実技試験は他の受講者からは「難しい」とか「私できそうにない」なんて声をよく聞いた。

ところが Nori はほとんど苦労してない。

サラリーマン時代に会議でのプレゼンや報告が頻繁だったのが、ここにきて生きてきたみたいだ。

ただ心配なのが、一般のお客からの質問だな。

仕事のプレゼンではどんな質問がくるかある程度予想ができるし、目論んだ質問に誘導することもできた。

しかしそれは聞き手と話し手のベースがある程度一致していてこそできること。

観光ガイドをする際、いろんなベースを持つお客からの質問は予想できないことだらけだろうな。

不安もあるけど、楽しみにしている自分もいる。

 

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小田原の不思議なお話2 蛙石

2023-12-06 09:31:37 | 小田原ガイド

昨日に続き、小田原ガイド育成講座に提出した自主テーマの2話目です。

 

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小田原の不思議なお話1 火牛の計

2023-12-05 13:18:12 | 小田原ガイド

4月から受講している小田原ガイド育成講座では、グループ毎に自主研究の提出を求められる。

Nori の班では「小田原の不思議なお話」と題して、小田原の逸話を集めてみた。

その中で Nori が担当した記事をここで紹介してみたい。

2話あるので本日はその一話目を

 

 

12/5 13:20 追加

携帯の画面では読みにくいとの声があったので、文章のみ下に追記します。

 

1>はじめに

歴史ある小田原には数々の逸話が語り伝えられている。

それらの中にはまるで都市伝説かのような不思議な話も散見される。

今回は興味をひくこれらの逸話について調べてみることにした。

尚この調査の目的は根掘り葉掘りで真実を浮上させることではなく、ガイドとしての

引き出しを増やすことにある。

2> 不思議なお話

 1;火牛の計

  <伝説の内容>

  1945年(明応4年9月)

  韮山城を出北条早雲は箱根を超え、1000頭の牛の角に松明を結び付け当時

  小田原を支配していた大森氏に対して突入させた。

  今もその雄姿を見せる北条早雲像は小田原駅西口に鎮座している。

 <火牛の計を考える>

有名な伝説ではあるが、先ずの疑問点は本来臆病な性格の牛が角に火を灯され

ると前には進まず後ずさりし、とても突進なんてことはできないはずだ。

火牛の計について過去を調べてみると、BC

3世紀の中国で斉の田単将軍が行ったとの

伝説が残っている。千頭の牛の角に刀剣を

括り付け、尾に松明を灯し敵軍に突入させた

とのこと。

この逸話をまねて源平盛衰記に

「源義仲が倶利伽羅峠の戦いで角に火を点けた

500頭の牛を平家軍に突入させた」

との記載があるが、後にこれは否定されている。

仮に早雲が銅像と違い牛の尻尾に火を点けたとしても、千頭もの数を思い通りの

方向へ走らせられるのか? 暴れまわって自軍への被害が出るのではないか?

等々考えていたところ、興味深い考えを見つけた。

 

<静岡県 伊東市史・災害編>

  市内の宇佐美遺跡の発掘調査で津波堆積物とみられる地層が発見された。

  津波の高さは7~8m に達していたと思われる。

  これは1495年8月の明応大地震によるものとみなされる。

 

  現地ではその跡を見ることはできなかったが、発掘写真等を見せて貰うこと

  ができた。

  提供;伊東市役所 生涯学習課

 

  伊東市でこの高さの津波なら、小田原へも同程度かそれ以上の津波が押し寄せ

  た可能性が高い。

  ここで日付けを見てみよう

 ・明応大地震 (1495年) 明応4年8月15日

 ・火牛の計  (1495年) 明応4年9月

  あまりに一致した時期ではなかろうか。

  以上より伊東市役所の鈴木氏は

  「火牛の計とは、は押し寄せる波の比喩

  として伝えられたのではないか」

  と推測している。

  しかし津波で打ち崩された街を攻撃するなど、日本人の考えでは「卑怯」だと

  感じるだろう。

  当の早雲にしてもその後ろめたさはあったのかもしれない。そこで「火牛の計」   

  なる逸話  に作り替えて後世に残したのではなかろうか。

  歴史は常に「勝者の歴史」であるのだから。

 

  参考資料 伊東市史 災害編

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小田原ガイド育成講座から得たもの

2023-12-04 10:46:34 | 小田原ガイド

4月から受講している小田原ガイド育成講座は、先週の小田原城ガイド実技をもってカリキュラムはほぼ終了。

Nori は非公式情報ながら、良い評価を得られたようだ。

後は来週の協会仮入会を済ませ、1月からは先輩ガイドのお手伝いで現場を踏むことになる。

そして4月には正式入会となる予定だ。

 

しかし受講当初の目的は、自分が小田原の良い所を知りたかったためで

「ボランティア(無償)のガイドなんかやる気ね~よ」

が本音だった。

歴史なんかも興味なかったし。

しかしガイド実技に挑むにはある程度の知識は必要なので、調べたり資料を作ったりしなきゃなんない。

そうしてるとね、なんか不思議な気分になってくるんだ。

その時代の光景を頭の中で妄想する。

そしたら実際に見てきたような気持になる。

そうこうしてると実際にその時代に生きていて、それからすっごく長生きしてきたような錯覚を抱く。

歴史好きの人って、こんな楽しみ方をしてるのかな?

俺だけなのかな?

 

小田原城ガイド実技の前に、現場で練習もしてみた。

そのとき周りの観光客の声が聞こえてきて

「あれ、何だろうね?」とかには、「教えたい」って思った。

家族づれのお父さんが知ったかぶりで間違いを話してるときは

「それ、ちゃうで~」とか突っ込みたくなる。

 

俺って意外と、ガイドに向いてんのかな?

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小田原ガイド講習 小田原城

2023-10-11 17:05:12 | 小田原ガイド

今日の小田原ガイド育成講座は小田原城の実地講習。

城内のガイド協会をスタートし

銅門(あかがねもん)等をくぐり

本丸に至る

 

小田原城は明治3年に廃城となった後、とても史跡らしからぬ扱いを受けて過ごしてきた。

その敷地跡には、御用邸・軍施設・学校・市役所・野球場・遊園地、等が建設され、

なんと動物園もあったとか

しかし昭和13年に国指定史跡に認定された後、史跡にふさわしくないこれらの施設は廃止あるいは城外へ移されてきた。

が、動物園の猿舎だけは今もここに。

な ぜ か ???

 

戦国時代、小田原城を落としたのは こいつだよね ↓

そしてこいつ ↑ は、この男から ↓

「サル、サル」と呼ばれていたよね

だからオダワランは

「猿を外に放ってはならんっ」

と最後まで監禁し続けていたとのこと。

信じるか信じないかは、あなた次第です(^^)

 

その7匹の猿たちも、今年末には茨城に引き取ってもらうことが決まってる。

秀吉への恨みもやっと「今は昔」となったのかな。

めでたしめでたし

 

しかし4百年もの恨みの持続、

かなりしつこそうだぜ オダワラン

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総構実習 平地部

2023-09-28 09:19:51 | 小田原ガイド

今週の小田原ガイド育成講座は総構の平地部めぐり。

小田原駅東口を出発して5㎞を歩く。

屋外は午前中だけだったし、曇り気味の天気だったし、先週の山間部実習より暑さ的にはやや楽だった。

 

しかし平野部の総構はほとんど形を残してなく、これは観光資源にはなり得ないんじゃないかな?

この右手の盛り上がりが土塁で、道の下に走る暗渠が堀だった ・・・ とか言われても ねぇ

かろうじて形を残しているのがここ蓮上院の土塁だけなので、他は推して知るべし・・・

 

今回で良かったことは、一般者立入禁止の小田原城は御用米曲輪の発掘現場を見れたこと。

ここは上層に江戸時代、その下に戦国時代が埋まっているとのこと。

発掘後にこの2層をどうやって見せるかを検討中らしい。

楽しみだね。

 

そんな午前中を過ごした後の午後の座学は、眠いったらありゃしねえ

(_ _)zzzzz

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総構 実習

2023-09-22 14:21:22 | 小田原ガイド

今週の小田原ガイド育成講座は総構(そうがまえ)の実習だ。

総構とは城や城下町をぐるりと囲む外郭のこと。

小田原城は3重の構えで囲われており、最外郭の長さは9Kmに及ぶ。

ウォール シーナ・ローゼ・マリア のミニミニ版だね。

どのようなもので囲われていたかというと

この全周を3年で作ったというから驚きだ。

今回は西部の約半分の距離を実際に歩いての講習だった。

小田原駅西口を9時にスタートすると、既に暑っつい。

(講習中は撮影禁止なので、今回の写真はネット上で拾ってきたもので代用)

 

<城下張出>

右手の高くなっている部分が張出。

堀底部からの画角だが、底部は埋められて平坦にされてる。

小田原の史跡は保存状態が良くない部分が多い、というか、実生活が優先されてきた傾向にあるな。

 

<山ノ神堀切>

左の斜面が主の土塁で、右の木々の手前辺りが掻揚土塁、それらの間が堀部になる。

ここでも掻揚土塁が削られて堀が埋められているね。

 

<稲荷森>

主土塁の上から堀を見下ろす画角。

ここは往時の様子を比較的よく残している所だ。

竹藪や木々で囲まれていて、心地よい空気が流れている。

 

<東堀>

総構の記事には必ずここのシーンが出てくるほど象徴的な場所だ。

ここも比較的に保存状態はいいが、当時は10mほどの深さだったらしいので大分埋まってきてるようだな。

まあ400年経っている割にはよく残っていると言えるだろう。

ここには横矢掛(よこやがけ)というクランク部も残っている。

敵襲のスピードを落とす目的と、複数方向から弓矢や銃で迎撃するための仕掛けだ。

 

当時に思いを馳せながら下っていくと突然、なんの余韻もなく現実世界に出くわす。

なんか残念な気分にさせられたのは、俺だけじゃなかっただろう。

この後は小田原城まで住宅街等を通り抜けながら「ほら、あの斜面が土塁の跡だよ」とかの説明を受ける。

ん~ なんか、つまらんなぁ~

自分でうまくガイドできるかどうか、あまり自身がない所だ。

 

歴史遺産は一度壊してしまうと決して元に戻らない。

失くてしまった後で後悔しても後のカーニバルだもんね。

自然や動植物もそうだな。

以前の講習で

「現在の自然や遺産は自分たちのものではなく、今後の世代から借り受けているものだ」

と教わったことを思い出し、実感が湧いた一日だった。

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一夜城ガイド 実地試験

2023-09-15 10:55:46 | 小田原ガイド

10日ほど前、ガイド育成講座の一夜城実地試験を受けた。

その結果が出たので、前回の模試と比較して見てみよう。

先ずは評価表

評価表の様式が少し変わってるので単純比較はできないけど、

「大変良い」が3から8に増えているんで、進化はしているんだろうな。

コメントとしては

 

お次はポイント別のチェック表

ゼロだった S(完璧)が一個ついた♪

しかし B(普通)が5ポイントと変わらず(T T)

まだまだかな。

コメントは

良かった所、悪かった点等、分かりやすく指摘されている。

褒めるだけの前回評価に比べ、今回は有益なコメントをもらえたな。

 

なんかガイドする楽しさを少し、感じてきた。

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小田原ガイド講習 実技試験

2023-08-10 17:24:11 | 小田原ガイド

先週、ガイド育成講座の実地模擬試験を受けた。

今回のお題は「小田原一夜城のガイド」をするというもの。

評価者である現役ガイド2人の前で、実際に模擬ガイドをするテストだ。

制限の1時間ギリギリだったけど、内容は無難に話せたと思う。

その評価は

コメントはベタ褒めだけど、評価表では50点中43点。

チェック表では14項目中5項目がB(普通)

その足りなかった部分を指摘してほしかったんだけど なぁ

確かに俺は褒められて伸びるタイプだけど、方向性が分かんないとちと 迷うんだよねぇ

 

今回は先輩ガイドによる仮テストだったけど、1ヶ月後はガイド協会理事による本番評価が控えてる。

「緊張するよ」とか言われたけど、サラリーマン時代のプレゼン等に比べると世間話程度の気分でいる俺は、舐めすぎか?

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小田原ガイド講習 小田原城

2023-07-13 13:41:29 | 小田原ガイド

昨日は暑い中、小田原城でのガイド講習だった。

城内にはガイド協会の本拠地がある。

最初は町営の図書館だった建屋らしい。

 

馬出門から天守閣を目指す

これが正規の登城ルートとのこと。

 

銅門(あかがねもん)

この門だけで復元に15億円かかったとのこと

ちなみに現在の小田原城にオリジナルの物は一つもなく、全て復元されたものだという。

石垣さえも全て崩されていたらしく、新たな石を加えて積み直されたらしい。

なんか有難みに欠ける気がするのは、俺だけじゃないだろう。

 

かって城内に小学校と女学校があったらしい。

現在ニンジャ館になっている建屋は小学校の講堂だったそうな。

今回の講師である小河原城天守閣館長が言うに、この城は史跡としては酷い扱いを受けてきたらしい。

学校もそうだけど、動物園・遊園地・御用邸・軍事施設・市役所・野球場、等が入れ代わり立ち代わりだったようだ。

それを聞くと確かに、史跡として大事にされてはいなかった感じだね。

 

天守閣に着いた

これも鉄筋コンクリートで復元されたものだ。

 

Nori は熊本に住んでいたことがあり、熊本城の年間パスを持っていた。

それと比べてはいけないんだろうけど、やっぱ小田原城は「ショボい」と思ってしまうのは致し方ない。

ここをうまくガイドできるようになるかどうか・・・今は 自信ないな。

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小田原ガイド講習 一夜城

2023-07-06 17:21:59 | 小田原ガイド

昨日はガイド育成講習12回目で、一夜城の現地実習だった。

箱根登山鉄道の入生田駅から徒歩で登り、一夜城で2時間の実習後はJR早川駅へ降りるコース。

カンカン照りじゃなかったものの、暑っつかったぁ(−−;)

 

一夜城とは、秀吉が小田原城攻略の目的で築いた城だ。

総面積は 58'000㎡ で東京ドーム 1.2 個分。

4月にはシャガが咲き乱れ、Nori のお気に入りの場所になっている。

 

以下、ガイド協会の解説文をコピペ

▼石垣山の由来
 石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大軍で包囲。その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。
 関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江(滋賀県)の穴太衆(あのうしゅう)〔石工の技術者集団〕による野面積み(のづらづみ)で、四百数十年の時を経ても当時の面影を色濃く残しています。

▼一夜城の由来
 この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓(やぐら)の骨組みを造り、白紙を貼って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し、それを見た小田原城中の将兵が驚愕し、士気が低下。しかし、実際はのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間を費やしました。

 

講習中は写真撮影禁止なので、以下の画像もガイド協会Webより拝借。

<南曲輪の石垣>

ここに来ると先ず、この半ば崩れた石垣が目に入る。

以前は地震が原因と考えられていたが、今は城割(廃城にする作法)で人為的に崩されたと言う説が有力だ。

 

<井戸曲輪>(いどくるわ)

規模が大きく、石垣の保存状態もいい部分。

谷をせき止める形で配され、すり鉢状の底には今でも水が湧き出している。

淀君の化粧水とも呼ばれてるとのこと。

 

<二の丸>

平らな芝地でなにもないが、気持ちの良い場所だ。

 

<本丸>

当時はどうだったか定かではないが、今は木々が茂り日陰を好むシャガが足元を覆っている。

三層の天守閣は、左後方のコンモリ盛り上がった部分に建ってたそうだ。

今でも瓦のかけらが普通に見つかるとのこと。

 

今日も多くの情報をインプットされたが、今月末には受講生がここの模擬ガイドを行うテストが実施される。

評価者は現役ガイド達だ。

今までは聞いてればよかったこの育成講座、いよいよ実戦化してくるね。

楽しみ感と不安もあって、心地よいプレッシャーを感じる。

脳みそ筋肉化防止には最適だな♪

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小田原ガイド育成講座

2023-06-29 17:39:20 | 小田原ガイド

昨日は小田原ガイドになるための講習の11回目だった。

今回のお題は 小田原城 (画像は今年春)

戦国最大規模の中世城郭だったとのこと。

しかし現在の天守閣は江戸時代のものを再現しており、土で築かれた戦国時代のものとは違うらしい。

関西では当時でも石垣の城が大半だが、関東はまだ土塁だった。

砂質の関西は石垣で固めなければ崩れてしまうが、関東ローム層はカチカチになって崩れにくいから石垣は必要なかったとのこと。

 

講習では城の歴代変遷等を学んだが、小田原城といえばお城を中心に配された壁、総構(そうがまえ)だろう。

(以前に総構を歩いた記事は こちら

壁は内側から 二の丸外郭・三の丸外郭・総構 の3重で、まるで ウォールシーナ・ローゼ・マリア だな。

武田信玄や上杉謙信の攻撃を退けた時期には三の丸外郭までしかなく、その外の城下町は略奪/陵辱の苦しみを受けた。

それに心を痛めた領主である北条氏は、長さ9kmに至る大外郭の総構で町ごと囲んだということだ。

その土塁はこのような構造。

攻撃側は堀底で動きを奪われ、守備側の矢の餌食になる運命しか残されていない。

ただでさえ登りにくいこの関東ローム層の法面に、水を撒くことで更に滑りやすくすることまで考えていたらしい。

この構えには当時破竹の勢いだった豊臣秀吉も力押しはできず、包囲戦を選ぶしかなかった。

これに100日耐えた北条氏も家臣と民のことを考え、自分と引き換えに無血開城を選んだとのこと。

早雲から氏直までの約100年に渡る後北条氏の終焉だ。

 

さて今回の講師は小田原城天守閣館館長。

この人ねえ、「俺がやった」とか「俺が身体をはって止めた」とかの自慢話が結構随所に。

それさえなけりゃ興味深い良い講習だったんだけど ねぇ

まあ良かった点は吸収し、気になるところは反面教師として自分を律していくとすればいっか。

そこまで含めると有意義な講習だったのかもね。

 

余話だけど、小柳ルミ子のデビュー曲「私の城下町」のジャケ写真はここ小田原城だったらしい。

格子戸を くぐり抜け 見上げる夕焼けの空に ~ ♪

俺は記憶あるけど、大半が知らない世代だろうな 今はね~

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