痛風やワクチンの接種でしばらく走れてなかったけど、今日はTREK520 で R135 を南下してみた。
暴力的な太陽の圧力は治まってきたけど、ぬるま湯に浸した毛布にくるまれたような蒸し暑さ。
ドライサウナからミストサウナへ、みたいな変化かな。
先ずは早川港(小田原漁港)に寄ってみると、満車の駐車場へは渋滞が続き、人出も多い。
そりゃもう2年近くも続く自粛生活だから、我慢できなくなる気持ちは分かるよ。
これを「ダメ」だと言うのならロックダウン等の強制措置が必須だけど、お上にはその覚悟もなさそうだね。
その先の米神港では、釣り人や海水浴客が楽しんでた。
夏ももうすぐ 終わるね
出発が遅かったので、湯河原で正午になってしまった。
釣り公園で持参してきたカロリーメイトでエネルギー補給を試みていたところ
こいつが足元から 離れない
「餌は自分で取れ」と突き放してたが、つい最後のひとかけらをあげてしまったところ
「お前ら、どこから湧いて出た」
おまけに鳥類以外の種も寄ってきた (^^;)
湯河原から再出発しての熱海の手前で、初島とその右先に伊豆大島がいたよ。
そうこうしてると熱海に差し掛かり、これまで走ってきたR135から伊豆山交番の信号で県102に右折した。
途端に激坂
これが熱海の地形の特徴。
海岸線から急激に絶壁のような斜度が切り立つ。
「押して登るか」との弱気もよぎったが、足を着きながらもなんとかヨチヨチ漕ぎ登る。
そしてここが今日の最終折り返し地点
ここから先は、部外者は入っちゃいけないんだ。
「なにか助力できないかな」と思ってるけど、熱海市は現時点、ボランティアは熱海在住者に限っている。
そうだよな、このコロナの折に俺みたいな神奈川県からのボランティアは「有難迷惑」だよね。
他に何かできること、考えてみろ 俺
コロナワクチンの2回目を昨日接種してきた。
注射は1回目に比べて今回の方が痛かったような気がする。
当日は36.9℃の微熱 (平熱36.2℃)
現在は37.4℃の熱が続いており、ダルさを感じる。
腕を上げると注射部が痛むのは1回目と同じだ。
まあこの程度で治まってるので「よし」としようか。
さあこれで 一安心だ。
接種場所は前回と同じ小田原市保健センターで、最寄り駅は鴨宮。
この駅の南口には新幹線の碑があり 「新幹線の発祥地・鴨宮」 と記されている。
新幹線は1930年代に「弾丸列車計画」として発案されたが、第二次世界大戦で中断。
戦後に鴨宮と綾瀬の間で試験線が敷かれ、ここ鴨宮に試験基地が置かれていた、etc. とプレートに。
↓
本来の「新幹線発祥地の碑」は駅保線区内に建てられており、一般人は立入禁止となっている。
そのため鴨宮が発祥の地と知る人が少なくなってきたことから、2009年にこの碑を目につく所へ建てたとのこと。
しかし鴨宮は新幹線の停車駅ではない。
その駅が「発祥の地」を忘れられないように碑を建てるなんて、
「がんばれ」とも思うけど、「なんか、寂しいな」とも感じた。
雨続きで外遊びできませぬ(T T)
先週末はほど近い山中湖村に 大雨・洪水警報 とのニュースを見た。
それを聞いて気になったことが、「富士五湖の排水はどおなってるのかな?」ってこと。 ちと調べてみた。
山中湖を除く4湖は自然の水路はないが、増水対策の人工水路で放水されているとのこと。
唯一自然の水路を持つ山中湖の水は桂川に流れ込み、都留ー大月と流れ、神奈川県に入ると相模川と名を変え平塚・茅ヶ崎から太平洋に注いでいた。
小田原に移住してからというもの、相模川は頻繁に渡り、富士山北麓の玄関として山中湖も多く訪れるようになった。
しかしその二つが大きく回って繋がっていることには、気づかなかったよ。
なんか凄い発見をしたような気になってるんだけど、知らなかったのは俺だけかな?
お盆になると必ず思い出す出来事がある。
もう30年も前の事だけど、不思議な体験を再現してみましょう。
当時、歯科医の伯母は病院を息子に譲り、僻地医療の一環で鹿児島は長島町の診療所に赴任していた。
親戚付き合いが苦手な Nori だが、この伯母は稀な存在だったので時々遊びに行ってた。
島と言っても九州本島と橋で繋がっているので、車で行きやすかったこともある。
その夏、車で助手席に元カノを乗せて伯母の診療所を目指した。
8月13日と、お盆の初日だったことを覚えている。
長島の南岸道路は眺めが良く、日中に走れば左手にこんな眺望が楽しめる。
( google street view )
しかしその時は日もとっぷり暮れ、かろうじて空と海と陸がコントラストで識別できるくらいだった。
助手席から海を見ていた元カノが
水平線上に10ほどの光が見えた。
きっとイカ釣りの漁船達だと、この時は思った。
しばらく車の進行方向に視線を戻して車内の会話を続けていたところ
ほんの数十秒だったと思うが、光がかなり近寄ってきてた。
でも、まだこの時点では、港に戻る漁船の光だと思っていた。
今思えば、横一線のまま異様な速度での接近に不自然さを感じてもよかったはずだが・・・
この後ほどなく内陸側へ向かって海岸沿いを離れので、この先は見ていない。
伯母の診療所に着いて
Nori 「漁の明かりを見たよ。島に帰ってくるスピードって速いんだね」
元カノ「私も見ましたよ。奇麗でした」
伯母 ・・・・・・・
「この辺りでお盆に船を出す漁師は いないよ」
「地獄の釜の蓋が開いて、そこに引き込まれると信じてるから・・・」
じっ じゃぁ あれは?
南から帰って来てたということは、南方戦線の兵士達なのかな。
不思議に「怖い」とは感じなかったけど、お盆にしか日本に帰って来れないことへの理不尽さを悲しく思った。
南に戻ることなく、ずっと日本に居れたらいいのに ね
今日は長崎に原爆が落とされた日。
長崎に限らず、第二次世界大戦で亡くなられた御霊のご平安をお祈りします。
私はアメリカが嫌いだ。
戦争をすれば相手国の軍だけでなく民間人を殺しまくる。
「俺は核を持っているがお前は持つな。持ったら攻撃するぞ」という我がままさ。
それでいて正義面する厚かましさ。
この絵からは同じ思いが伝ってくる Napalm(ナパーム)
バンクシー さすがだ
トライアスロン復帰を妨げる新たな敵が出現した
二日前、左足親指の付け根がなんとなく違和感。
グリグリ動かしてみると痛痒い感覚がこもる。
昨日、親指付け根を曲げる動作(歩くとか)で痛みが走る。
曲げなければ痛くないので、自転車には乗れた。
今日、痛くて歩くのにびっこをひく有り様。
「こりゃまずいな」と、近くの病院で診てもらうことにした。
先ずは問診票で、正確に記入しなきゃね
診察室に入る
医者;「尿酸値が高いと言われたこと、ありますか?」
Nori;「ずっと基準値を超えてます」
(主食が酒の Nori はここ30年ほど基準値を超えっぱなしだ)
医者;「最近多量の汗をかいたりしたこと、ありませんか」
Nori;「炎天下の自転車とランニング等、いくつも思い当たります」
医者;「おそらく痛風ですね。その脱水がきっかけでしょう」
診察後は採血され、2週間ほど対処薬を服用するようにとのこと。
その後痛みがひいた時点から尿酸値を下げる薬を投与されるらしい。
今時点で投与すると痛みが増すからだと。
またトライアスロン復帰に対し、難敵が現れたなぁ。 しかし
俺の身体は順調に劣化してってるようだけど、も少しあがいてみてやるぜぇい
今日、沼津トライアスロン事務局からメールが届き、8月22日に予定されていた大会は10月に延期するとのこと。
通知メール抜粋 ↓
このご時世だから、賢明な判断だろう。
「中止」ではなく「延期」にしてくれたことに感謝だよ。
さあこれで「最強の敵」には不戦勝できた。
次の難敵はすぐにサボリたがる「自分」だな。
折角の猶予をもらったんで、10月には練習充分でレースを楽しみたいものだ。
8月22日の沼津トライアスロンまで3週間となったが、なんとも気分が上がらずトレーニングができていない。
スィム750m + バイク15km + ラン6km と短いので、なめてる気がどこかにあるのかもしれない。
しかし「さすがにまずいな」と思い、バイクとランを続けてやってみた。
先ずは酒匂川サイクリングロードでバイク
熱っいよ。 午前中ながら実測37℃ (;´д`)ゞ
しかしバイクは走行風があるからまだましだ。
お次はランだが ・・・ 走り出した途端に
「あ あれ? ランってこんなに きつかったんだっけ?」
なんとか走り続けるも、身体は熱をため込み続けてヒートアップ。
そして3km地点で、上下に揺さぶられる胃の中に塊りが生じ、ウップウップしてきた。
やがてその塊りは熱い胸を駆け上がり、乾いた喉から外へ迸ろうとする。
上がる心拍数に「これは恋かな」と勘違いするくらいに思考は低下。
てな状態で、僅か4㎞ でストップした。
本番は6㎞走んなくちゃなんないんだけど、あと3週間で間に合うのか 俺?
そのために勝たねばならない最強の敵は「暑さ」だな