Nori log

日常のちょっとした出来事を写真で残しています
3年の上海駐在を終え、今は日本の良さを再認識中

指宿トライアスロン 結果

2015-05-18 16:13:39 | レース/トレーニング

「完走できればめっけもん」 の覚悟で挑んだが、 結果

 

リタイア

 

やはり 甘くはなかった

 

当日、前後4日間の連続雨予報が直前に変わり晴れとなった。

晴男であるNoriの面目躍如だ が、良かったのはここまで。

 

会場の駐車場で準備をしていると、スタンドに立てていたバイクの Impulso がなぜか立ちごけ。

ハンドルが曲がってしまい、まるで身を挺して 「今日は出走するのは止めようよ」 と言ってくれたようだ。

だけど依怙地な Nori は準備を止めようとはしない。

 

そしてスタート 

https://youtu.be/I8t9kn_ZEv8

この大会はウェーブスタートではなく、男女400人近い選手が一斉に海に飛び込む。

事前には「ちょっと前からスタートしてチャレンジしてみるか」とも思っていたが、アバラを痛めている今はアウト側後方から恐る恐る泳ぎ出すしかない。

最初っから左手を前に伸ばす動きでアバラが痛い。

左側に他の選手が来ると手足が当たりそうで怖く、なるべくスペースを取った消極的な泳ぎが続く。

「1500mってなんて辛いんだ」 と思いながらも、なんとかスィムアップした。

昨年の天草よりもタイムは10分以上遅い。

トランジットエリアに走る途中で Kazu から 「もう止める?」 と声がかかったが、「いや 行く」 と、ここでも依怙地な Nori だ。

 

次のBikeは14kmを3周回するコース。

DHポジションで走っていると、肘パッドから路面の振動がダイレクトに伝わってきて 痛い。

ギアチェンジのために腕を動かすと ズキリ と激痛が走るようになってきた。

なんとか1周目を回り切り2周目に繋いだが、もう痛みのために車体に付けたドリンクボトルさえも取れない。

ここでやっと諦めがつき、2周回終了時点で無念のリタイア。

コースを離れしゃがみ込んで左肋骨を押さえる選手を、心配そうに見つめる観客の視線が痛かった。

 

それからは競技終了を待たずに会場を離れ、4時間かけて帰宅。

しかしなんとも全身の筋肉痛を伴う疲労感が酷い。

アバラの痛みは当然あるとしても、競技は半分しか行っていないので疲れはさほどないはずなのだが  変だ?

そこで体温を計ってみると、思わず自分で笑ってしまった。

 

38.8℃

 

こりゃあ身体が痛くなっても、当然だね。

当日の Nori を動かしてきたものは、レースという環境で分泌されるアドレナリンだけだったのかもしれない。

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黄色信号

2015-05-15 23:38:07 | レース/トレーニング

明後日は今年のトライアスロン第一戦となる指宿。

体調万全と言いたいところだけど、一週間前にBikeで転倒して肋骨を打撲。

検査結果で骨折はしてないようだけど、未だに大きく息を吸うと痛い (T_T)

 

現時点ほとんど赤に近い黄色シグナルが 点滅中 ・・・

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台湾 4日目 最終日

2015-05-12 00:00:50 | お出かけ:他国

空港へのピックアップは13:40に来る予定なので、午前中は自由に使える。

とても暑い日だったから室内がいいなと、101階建のビル 台北101 に上ってみることにした。

 

チケットを買ってから1時間半くらいかかってやっとエレベータに乗れ、乗ったら 「あっ」 という間に展望台へ。

まあ特に 「これ」 といったものはなく 「はい 展望台です」

 (少々疲れがたまってきたな 俺)

 

この球体が免震機能を担っているらしい

 

「お! ガラスの床かな」 と高所快感症の Nori が喜んで駆けつけた場所は

なぜか? 上下の合わせ鏡

 

そして気が付くと、外の風景を撮ってないかった ・・・

 

その後ホテルの近くまで戻ってから昼食としたが、あまり時間がなかったので 地元食堂 みたいなとこに入ってみた。

メニューは日本語が併記されていたが、突っ込み処がいくつかあるね (^^)

←クリックで拡大

 

ピックアップの車は時間通りに来たが、空港には直行せずにまたまた免税店へ連れ込まれる。

そしてそこで中国本土からの観光客グループに遭遇。

まぁ~~  うるさいっ

中国生活がフラッシュバックした瞬間だったよ。

 

 

こうして3泊4日の台湾旅行は終了

 

 

最後に台湾の印象を

 

台湾人は中国語を話すけれど、中国人とは全く別の人種だと分かった

 ・大声をたてず、穏やかに話す

 ・笑顔で会話してることが多く、楽しく人生を送っているように見える

 ・日本語ができる人が多く、その人達は日本人と話すことを楽しみにしているようだ

 ・こちらがちょっとでも困っている素振りでいると、通りがかりでもすぐに声をかけてくれる

 ・道などを聞くとまるで 「聞いてくれてありがとう」 みたいに喜んで教えてくれる

 ・道を歩く人々はお互いに譲り合いながら他人に気をつかっている

 ・歩きタバコや建物内での喫煙は全く見かけない

 ・レストラン店員の接客態度が良い

 ・ところかまわず物を食わない

 ・そこらじゅうにタンを吐かない

 ・電車は降りる人を待ってから乗車する

 ・列に割り込む輩は皆無

 ・車の運転は必ず歩行者優先

 ・タクシー運転手の愛想がいい

 ・めったやたらにクラクションを鳴らさない

 ・緊急車両には道を譲る

  (上記をひっくり返すと中国人になる)

 

環境も中国とは別物

 ・どこに行ってもトイレがきれい  これ大事

 ・タクシーが清潔で、サスペンションがへたってないので乗り心地が良い

 ・怪しいものを売りつける呼び込みがいない

 ・紙幣がきれい

 ・食物が安全

 ・街がほこりっぽくない

 ・晴れた日には青空が見える

  (これらも上記を反転させると中国になる)

 

以上から、日本人が最も快適に旅行できる国だと思われます。

リピーターが多いのもうなずけるね。

 

台湾人の親切さと親日感を体感でき、 「も一度行ってみてもいいな」 と思わせる国でした。

 

 

P. S.

楽しかった台湾旅行だったが、気にかかったことが一つだけ。

ツアーガイドの説明に 「日本統治時代の・・・」 というフレーズが頻繁に出てくるが、それを楽しそうに語っていること。

日本人にとってはちと気が引ける言葉なのだが、台湾人はどう感じているのだろう?

日本語が堪能なガイドに対してでも、面と向かって聞くことはできなかったが ・・・

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台湾 3日目 高雄編

2015-05-11 00:01:03 | お出かけ:他国

今日もツアーを予約している。

ホテルの朝食は7時からなので、これを摂っていると集合時間までがかなり慌しくなる。

そこで少し早く起きて、露天のこんな店で朝食を調達してみた。

  

勿論路上で食することはせず、部屋に持ち帰ったことはご承知おきいただきたい。

 

宿泊しているホテルから歩いて10分ほどの天成大飯店がツアーの集合場所。

そしてそこに隣接する台北駅が今日の出発地点となる。

 

今回利用する台湾高速鉄道は日本の新幹線700系の車両を導入しており、乗り心地はとても良い (写真は撮り忘れ)

これに乗車ほんの一時間半で台湾南部の都市 高雄 へ到着する。

以前は台北⇔高雄に飛行機が就航していたが、この高速鉄道が開通してから廃便になったとのこと。 そらそうだろうな

 

高雄最初の観光地は慈清宮

元は医者である保生大帝が祭られており、病気平癒のご利益があるとのこと。

 

かなりきらびやかな寺だが煩くはなく、センスの良さを感じるな。

 

しかしその寺の正面にはセンスのかけらもない竜虎が

台湾ではお寺でも同じだが、入口/出口が決まっている。

龍の口から入り、虎の口から出る。 (虎口を脱す ということか?)

反対に通るとと良くないことが降りかかるらしいので、これから行かれる方はご注意を。

 

次は高雄タワー

外観は 高 の字をイメージしている

←画像はWikiから借用

本来はデパートとして建てられたらしいが、この地域はデパート激戦区。

他に押されて廃業し、今は宝石店が下層階に入っているのみとのこと。

 

上部は展望台になっており、日本製の高速エレベーターで 「あっ」 という間に到着。

高雄市の全貌が見渡せるが、意外と大きな街であり区画整理もきっちりしていることに驚かされた。

眼下にはこの後渡るという旗津島が見下ろせる。

 

昼食に連れて行かれたのは 紅毛湾海鮮饗廟

 

海鮮が得意なレストランらしく中々美味しかった.

 

食後は僅か5分のフェリーで旗津島上陸

 

上陸すると、こんな通りの先には海水浴場がある

と まあ、 「だから 何?」 と言われても 答えに困るが ・・・

 

しばらく散策した後フェリーで高雄側に戻り、名物らしいマンゴーカキ氷店が密集する一帯へ案内された。

どの店も満席の盛況ぶり。

しかしツアーの時間が押しているらしく、次への移動のバス内で食することになった。

これがまた  美味い♪  マンゴーの甘味がすごい!!

けどまた ・・・ 写真撮り忘れ

 

ツアーの最後はお決まりのお土産屋に案内された。

もはや何の興味も惹かれず早々に店を出ると、84歳のおばあちゃんと87歳のおじいちゃんに日本語で話しかけられた。

道向いにある日本統治時代に建てられた学校を指差し 「この学校を卒業したのよ」 とか、

「東京や北海道にも行ったことがあるよ」 等々、日本人と話すことがとても嬉しそうだ。

そしておばあちゃんが言った 「私は昔の日本人」 という言葉が とても強く印象に残った。

 

そして高雄駅からまた高速鉄道で一路台北へ。

最初の慈清宮の前で売っていたぶっとくて甘いバナナをつまみに、ビールをグビりながら。

 

 

台北へ着いてからは夕食に、中山駅近くの呂桑食堂というレストランに寄った。

 

Kazuが台湾通の知り合いから勧められた店だ。

台湾料理は広州料理に近いようで、強烈な辛さなどなくて日本人に合いそうだね。

上海時代に好きだった鳥の蒸し物も美味しかった。 ワサビと合わせるのは初めてだが、これも あり♪

 

そして昨日行かなかった志林夜市に行ってみたが

台北最大の夜市はとてもじゃぁないが、買い物する気になれないほどの人でごったがえしていた。

 

通り抜けるだけで疲れてしまい、そのままホテルに直帰した Nori & Kazu でした。

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台湾 2日目

2015-05-10 00:02:24 | お出かけ:他国

今日は台北市内と九汾のツアーに申し込んでいる

とても内容が充実した・・・というか、大忙しの一日となった

 

朝はちょっと早めに起きて、ホテル近くの公園に散歩に出てみた。

太極拳ではなく、フォークダンスと体操を合体させたようなものを数グループがやってたよ。

 

←説明版 クリックで拡大

 

ホテルで朝食を摂り部屋でユルユルしてたところ、予定より10分も早くツアーの迎えが来たので 慌てて飛び出す。

 

先ずは有名な故宮博物館

 

ガイドに付いて足早に館内を巡り、「はい次は20分後にここに集合してください」 と、なんとも慌しい。

館内は撮影禁止だったから、目玉の2品の映像を拾ってきたので張っときます。

ヒスイの白菜と、玉髄石の豚角煮 (^^;)

 

これらが展示されている部屋は立ち止まるとせかされる、まるでドライブスルー状態。

博物館はもっとゆっくり、自分のペースで巡りたいものだなぁ

 

次は 忠烈祠

大陸での大戦で戦死した兵士の遺体は台湾に送ることができなかったため、供養で祭っているところらしい。

ここの目玉は衛兵の交代式。 彼らは軍隊でも選りすぐりのエリートとのこと。

 

 

次は お茶屋

いくつかのお茶を日本語で能書き説明をしながら入れてくれ、試飲させてくれる。

 

勿論店の言いたいことは 「買え」 ってことだよ

 

さてこの後やっと昼食

小籠包では超有名な店 鼎泰豊(ディンタイフォン) の本店だ。

 

小さな屋台から初めて、今や世界10カ国以上に支店を置くまでに成長したシンデレラストーリーで知られている。

ここも店員は日本語で接待し、勿論味は美味しい。

ただ個人的に言うと、も少し小籠包内のスープは多いほうが好みかな。  ツユダクでよろしく

 

行天宮

商売の神様らしい

境内には何本もの列ができ、その先頭では青い服のおばさんがお祓いをしてくれている様子。

しかしそろそろ飽きてきて、写真は上の一枚しか撮ってないようで・・・

 

そしてお決まりの免税店へ案内され、勿論写真なんか残してません

 

免税店を出てバスの乗り換えを待つ間に飲んでみたマンゴージュースは、甘くて美味し~

 

そしてバスは台北から1時間弱東へ走り、九汾へ。

ここは以前は9軒の家しかなかったことが地名の由来だけど、金鉱が発見されてから一時的に栄えた場所。

山の斜面にしがみつくように家々が連なっている。

 

もう夕刻となってきたので、先ずは夕食に九戸茶語へ

 

レストランのテラスからは東シナ海が望める。

炭鉱最盛期は写真の湾にある港町からこの九汾が、不夜城のように明るく浮かび上がって見えたそうだ。

 

 

そろそろ暗くなってきた

 

この町の本番はトワイライトから

 

夕食後は町の散策で、ここの目玉は これ

千と千尋の神隠しに出てくる湯ばあばの館は、この阿妹茶楼がモデルになっているらしい。

しっかし人が多い。 写真下側を見ればお分かりになれるでしょうか。

 

その後少し町中の路地を散策したんだけど、中々雰囲気が面白い。

 

                                  しかしこの幅の路地に車が通るなんて、ある意味 すごいな。

 

そしてまたバスの人となり、1時間ほどで台北へ戻った。

 

これからまたお土産用のお菓子屋へ案内され、更に台北最大の夜市である志林まで行って解散とのこと。

もう観光はお腹いっぱいの Nori & Kazu はガイドに断り、お菓子屋に着いたところでタクシーを拾ってリタイア。

 

はあ~   効率的に見て回れたことは良かったけど、かなり疲れた一日だったなぁ

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台湾 1日目

2015-05-09 13:57:54 | お出かけ:他国

Kazu は上海駐在中から中国語の勉強を続けている。

しかし Nori は金輪際中国など行く気はない。

そこで中国語を使いながらも親日的と言われる台湾をゴールデンウィークの旅行先に選んでみた。

福岡から直行便で2時間半と、成田から飛ぶより近いのも魅力だね。

 

現地時間14時くらいには台北市内のホテルに到着し、早速市内の散策に出かけることにした。

最寄りの中山という地下鉄の駅に10分ほどの歩きで到着し、切符を買おうと券売機に行くが・・・

・・・100元札までしか使えない・・・手持ちは1000元札・・・

困ることほんの10秒くらいだったか、台湾人のおじさんが 「あっち 交換 できるよ」 と、日本語で話しかけてくれた。

到着した途端に台湾人の親切さに触れたよ。 ありがとう

 

窓口ですんなり両替をしてもらって無事にトークンを購入し、2駅乗って西門駅に。

先ずは近場の公会堂へ。

日本統治時代の1936年に台北公会堂として建設され、今は中山公会堂と呼ばれている。

中山とは台湾の国父である孫文が、日本への亡命中に自ら名乗っていた日本名だ。

 

内部はとても趣のある重厚さが漂っていた

 

 

公会堂を出てブラブラとカメラ街を通り、これも日本統治時代の建物が今も使われている中華郵政台北郵局(建設当時は台北郵便局)

 

 

郵便局の北側には、東西南北に四つあった中で唯一建設当時の状態を残す 北門がある

1895年の下関条約で清朝から日本へ統治権が移され、日本が台北に初めて入城したのがこの北門からだったとのこと。

入口の左下に小さく見える石は当時日本が設置した水準点で、台湾全土を測量する基準となっていた。

 

次は北門駅からまた地下鉄に乗って龍山寺へ。 ここは台北最強のパワースポットらしい。

 

学問のご利益もあり、シーズンとなると多くの受験生が合格祈願に訪れるとのこと。

 

さて日も翳ってきて、台湾観光の楽しみのひとつである夜市に突入だ。

龍山寺から道を一本挟んだ反対側の夜市入口 ・・・ 読めないけど

 

一歩踏み込むと

ん~ いい感じのカオス状態だ

しかし中国本土ほどのうるささはなく、すれ違う人もお互いに道を譲りあい、快適に漂えるところがいい。

 

露店の屋台で餅なんか買い食いして、歩きながら食してみた

 

そしてまた、上記の路地に直交する別の夜市の路地が

 

その中で、こんな店を選んで夕食を摂ってみた

 

ここはさすがに日本語は通じず、Kazu の中国語が役にたったよ。

夫婦で切り盛りするこの店は、二人とも一時も止まることなく動き続けていた  「よく働くな~」

 

台湾ではこの手の店がいっぱいあるので、家庭で料理するより外食で済ませることが一般的らしい。

台湾庶民の生活に少し触れられた気がした一日目の夜。

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