幹事クリタのコーカイブログ

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星野仙一死去

2018-01-06 23:30:47 | 野球
 星野仙一が亡くなりました。70歳。すい臓がんだったそうです。まだ若いイメージでしたが、もう70歳だったのか、とか、でも亡くなるにはやはりまだ若いよなぁ、とか。思い出深い野球人だけにいろいろと想いは巡ります。

 星野が中日に入団した時は僕は8歳、小学校3年生でした。田淵幸一・山本浩司・富田勝の「法大三羽ガラス」が注目されていたドラフトで、星野は巨人が田淵の外れ1位で指名するという話だったのに、巨人がまさかの「島野」を指名して、「星と島が違うんじゃないか」と星野が激怒した話は有名です。

 現役時代は打倒巨人に燃える男でした。中日ファンからするとその闘魂は素晴らしいものがありましたが、よくONに打たれていたイメージも強いです。ストレートが速いわけでも魔球があるわけでもなかったので、気持ちだけで向かっていっては痛打されていました。もちろん中日のエースではありましたが、20勝もせず最多勝も防御率1位のタイトルも取らず、同時代のセ・リーグのエースだった江夏や堀内、平松に比べると格が落ちるな、残念だなという感じで見ていました。

 星野が野球人として名を馳せたのはむしろ監督になってからです。中日の監督時代は剥きだしの闘志で選手を叱咤激励してチームを引っ張っていく姿が印象的でした。若手選手を登用して育て上げていく姿は「チームを変える」という意思に溢れていて、それまで何となく沈滞ムードだった中日を戦うチームに変貌させました。第一次、第二次のそれぞれの監督時代に1回ずつリーグ優勝をしましたが、チーム力を考えたらもう少し勝てたのではないかという気もします。ただそれでも中日ファンの人気は高い監督でした。

 問題は中日退団後、すぐにライバルである阪神の監督になった時です。さすがに「それはないだろう」と憤慨しました。恐らくかなりの数の中日ファンが怒ったと思います。これを機会に星野の応援をやめたという中日ファンをたくさん知っています。「星野は名古屋を捨てた」「裏切者」という声もたくさんありました。実際、その後の星野は中日OBらしいところも見せず、阪神、そして楽天の人間として最後まで過ごしました。長年中日の顔であった人物だけに本当に残念なことでした。

 今回亡くなったという報道に接して、複雑な心境の中日ファンも結構いると思います。もちろんその死を悼んではいますが、阪神監督就任以降の言動には未だに許せないと思っている人も多いでしょう。結局星野と名古屋のファンが和解をする機会もないまま彼は亡くなってしまいました。もっと長生きしてくれていたら、いつか時がファンのわだかまりを溶かしてくれたと思うのですが、二重の意味で残念です。ただし僕はとっくにそんなわだかまりはありません。ご冥福をお祈りします。
 

 
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