太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

B級読書考その2

2018-01-17 08:47:42 | 社会観察

芥川賞、直木賞の発表があった。作者にとてはさぞ喜ばしいことだろう。いち早く本屋さんの店頭に並ぶものを買うほど裕福ではないので古本屋に降りてくるのを待つ。近所に大手古本屋があるので比較的良く行く。1冊100円から定価の6割くらいのものまでが主流である。大凡の内容を掴んで買うのだが、9割くらいは表現力も想像力もない著者に幻滅し、よくまあこれを製本して出版する会社があるのものだと感心する。それでも折角買ったし、著者や出版社に申し訳ない気持ちで最後まで読む。睡眠導入剤となる。それでも偶に大変面白いものに出会う時がある。その時は同じ作者のものを続けて買うことが多い。2冊続けて面白いものはまず無い。3冊となると皆無に近い。偶々面白いものに最初にあたったのだろう。作者の限界のようなものが見えるとたちまち興味を失ってしまう。当たり前のことだが古本屋に降りて来るものは、こんなに面白いものなら一人でも多くの人に読んで貰いたいと卸す人は居ない。大概はもう一生読み返す事も無いし、役に立ちそうもないと思っているものだろうから、面白いものは鉱山でダイヤにぶち当たるより難しい。

大概は個人の体験や経験を元に豊かな想像力、類稀な表現力で綴られているからどうしてもリソースに限界がある。人気作家が次々と作品を発表するのは脅威である。直木賞や芥川賞の作品は著者渾身の作であろうから当然面白いだろう。ただ、受賞後の作品の方が早く古本屋に並ぶのは作者の限界の表れである。一応巻末の作順を見て買う様にはしているが。

経験や体験、人生は1億人居れば1億通りである。これを文学に仕上げるかどうかの問題であって本当はリソースはほぼ無限にあるはずだが、想像(創造)力のちょっとした差が作品になるかどうかの差になる。文学の世界で何時まで個人が頼りにされるのだろうか。最近AIがプロ棋士を負かしたという話が良く有る。駒に個性を与えて擬人化すればライバルが競う物語りが出来あがる。斜に構える角田君はとんでも無い方向から飛んで来て我々を悩ませる。力は有るが飛田君はあまりに愚直で攻めるには戦略がバレばれだとか、桂君は奇想天外な行動をするとか。擬国化すれば戦記物が書けるだろう。少しルールを変えれて王と玉が有る範囲まで近づけば障害を乗り越えて結ばれる恋愛小説だ。世界の文学をデータベース化し、著作権に触れない程度に繋ぎ合わせて小説でひと稼ぎする会社も出て来るかも知れない。

独創的であるが故に芸術と思われている分野は何れAIにとって代わる可能性は十分にある。ピカソのタッチでレンブラントが肖像画を描いたらどうなるか、最近の「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」などはその前触れだろう。その時は平凡であること、拙文であることが逆に独創的なものとなる。誰も真似しない、データベース化しない。そこが私のブログの出番である。