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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Wikipedia 「唐宋八大家」項

2013年11月09日 | 東洋史
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E5%AE%8B%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%AE%B6

 いま沈徳潜(1673-1769)の『唐宋八家文読本』を頭から読んでいるのだが、どうみても韓愈と欧陽脩の文章は語義を含めた語彙、そして表現レベルから違う。司馬遷と班固くらいか、否それ以上の差を感じる。
 前者は824年没、後者は1072年没である。その間2世紀半の隔りがある。考えてみれば同じ古文であるとはいえ両者の文体が異なるのは当然であるのだけれど、私に言わせれば。範を何時の誰(流)に取るかで、語彙文体はおろか時に文法までもが変わってくるし、また、それがよしんば奇跡的に一致しても、250年の歳月は表現者の心性を異なるものにしているだろう。