書籍之海 漂流記

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原田環  『東アジアの国際関係とその近代化-朝鮮と越南-』 から

2009年03月27日 | 抜き書き
 財団法人日韓文化交流会議 『日韓歴史共同研究報告書(第1期《2002-2005年》)』(2005年6月)所収。
 〈http://www.jkcf.or.jp/history/report3.html

 清が勅使を派遣したのは、朝鮮、越南、琉球の3国だけで、その他の南掌(ラオス)、暹羅(シャム)、蘇禄(スールー)、緬甸(ビルマ)等には勅使は派遣されなかった。朝鮮、越南、琉球の3国は属国の中でも重要視されていたのである。しかしこの3国の間には、さらに清の位置づけの差があった。朝鮮への冊封使の清における品階は正3品以上であったのに対して、越南と琉球への冊封使のそれは正5品から従7品に止まっていた。朝鮮は越南や琉球よりも優遇され、属国の中の首位に置かれていたのである9。
  9 山本達郎編『ベトナム中国関係史』(山川出版社、東京、1975)、496、553-554頁。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  1) 朝鮮と清の関係 」 76頁)


 清からの越南への勅使(冊封使)は北京から直接派遣されるのではではなく、広西按察使が勅使として越南に派遣された。勅使は清初の乾隆末年までは北京から安南に派遣されたが、1793年に西山朝の阮光纘を安南国王として冊封した時以降は広西按察使が勅使として派遣された。越南への勅使の品階は、既に見たように、従5品から従7品で、朝鮮への勅使の品階よりも低かった13。
  13 注9、552-555頁。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  2) 越南と清の関係」 77頁)



 〔朝鮮から清に対する〕朝貢に対して、清の皇帝からいわゆる「朝貢回賜」が行なわれた。「朝貢回賜」は一般に「薄来厚往」といわれ、朝貢国に利益をもたらしたが、朝鮮の場合には歳幣費、方物費、貢使経費、勅使迎接費等と清の皇帝からの回賜等を差し引きすると、朝鮮側の持ち出しになった。
 清と朝鮮の冊封体制(朝貢関係、宗属関係)は、清にとってこの体制がもつ本来の軍事的安全保障の面と満州への物資補給基地の確保の2点があったが、朝鮮にとって満州への物資補給である国境開市(辺市)をはじめとして、本来は「薄来厚往」といわれた朝貢も負担となった10。  
  10 全海宗『韓中関係史研究』(一潮閣、ソウル、1977)、59-112頁。糟谷憲一「近代的外交体制の創出」(荒野泰典他『アジアの中の日本Ⅱ 外交と戦争』(東京大学出版会、1992)、224-228頁。原田環『朝鮮の開国と近代化』(渓水社、広島、1997)、33-39頁。なお、朝鮮の対清貿易史については次のものを参照。張存武『清韓宗藩貿易-1637~1894-』(中央研究院近代史研究所、台北、1978)、李哲成『朝鮮後期対清貿易史研究』(国学資料院、ソウル、2000)、柳承宙・李哲成『朝鮮後期中国との貿易史』(景仁文化社、ソウル、2002)。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  1) 朝鮮と清の関係 」 76頁)


 清と越南の宗属関係の成立は、越南の側からの働きかけによるものであり、清の側からの働きかけによって成立した朝鮮の場合とは全く対照的な事例である。越南が清との宗属関係の成立を求めたのは、①清に従順であることを示し、越南の国際的な安全保障を確保する、②清の冊封を得ることによって、越南国王としての正当性を確保し、国内における安全保障を確保する、③清の皇帝の朝貢回賜によって、絹織物、漢籍、医薬品などの貴重品を得る、等の理由によるものであった12。
  12 坪井善明『近代ヴェトナム政治社会史』(東京大学出版会、1991)、91-92頁。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  2) 越南と清の関係」 77頁)



 朝鮮の貢使は、定期的なものとして1637年から1644年の間は1年間に年貢使(歳幣を献上する使節=歳幣使)と三節使(冬至使、聖節使、正朝使)が派遣された(1年4貢)。ただし、冬至使が年貢使(歳幣使)を兼ねた。1644年以降は冬至使が聖節使、正朝使をも兼ねた結果、三節兼年貢使あるいは単に冬至使と称するに至った。臨時の使節としては、謝恩使、進賀使、陳奏使、奏請使、陳慰使、進香使、告訃使、問安使などがあった。こうした貢使以外に訳官(通訳官)が当てられた齎咨官、齎奏官等も派遣された。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  1) 朝鮮と清の関係 」 76頁)

 越南が清に派遣した貢使は、越南では如清使と呼ばれた。如清使は、当初の1803年の規定では、歳貢の2年1貢と4年遣使入京1次(北京に貢使を4年に1回派遣)を同時に行うことが定められていた。しかし、1839年に歳貢の2年1貢が4年1貢に改められ、貢物も半減されたため、歳貢が朝貢貿易として持っていた当初の経済的な意義は大きく低下した14。
  14 同上、496、555-559頁。
 (「2. 朝鮮、越南両国と清の関係  2) 越南と清の関係」 77頁)

 ★李氏朝鮮から清への朝貢使を指して時に用いる「燕行使」という語は、実際に使われた例はそれほど多くないらしい。→夫馬進「朝鮮燕行使と朝鮮通信使-1811年金善臣の通信行と1826年申在植の燕行を中心に-
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