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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

岡田英弘 『岡田英弘著作集』 Ⅴ 「現代中国の見方」

2014年11月26日 | 東洋史
 一読、とりあえず気の付いたことをメモ。

1.「シナにおける正義、シナにおける思想」

 シナには正義という観念がない。それに当たる言葉もない。『正義』という漢字が意味するものは、時の政府が公認した解釈ということであって、英語の『ジャスティスjustice』ではない。 (533頁)

 私もそう思う。そしてこのことは、「公正」という概念もまたないことと、おそらくは繋がっている。

2.「中国人の行動原理」

 中国語には建前と本音を区別する言葉がない。ということは、言葉で出していることはみな建前で、本音はけっして口に出すものではない。 (109頁)

 これも賛同。ただここに少しく付け加えるなら、氏がすこし前、別のところで言及しておられる「原則」が、強いて言えば「建前」に当たるのではないか。

3.「中国人とは?」

 たとえば日本語や英語では、建前だけを述べ続けるのはたいへん難しい。ことに英語では、ほとんど不可能と言っていい。なぜなら英語は、建前だけならべていると論理に整合性がなくなり支離滅裂になるという構造の英語だからである。一方、中国語には、単語の変化形がない、性・数・格・時称がない。つまり文法というものがないので、論理を正確には表現できない。そのため中国語で滔々と演説をしても。そこに論理らしい論理がない、というケースが非常に多い。 (522頁)

 ここに、中国外交部の発言人が何を言っているのか分からないという具体的現象への本質的解答が明晰すぎるほどの明晰さで示されている。それはさておき、ここで一つだけ勝手ながら師とも仰ぐ方へ異を唱えさせていただくとすれば、中国語(漢語)は、英語や日本語とは「論理」そのものが異なっているのではないか
 そして、だから、英語に載せるのが不可能なのは中国式の建前ではあっても、日本語に日本語の建前があるごとくに英語にもまた英語の建前public character and speechがあるだろう。

(藤原書店 2014年10月)