『大東文化大学漢学会誌』45、2006年3月掲載、同誌1-18頁。
2015年7月11日「原孝治 『中国における墨子学』」より続き。
呉毓江氏の「墨子校注」とそれ迄の多くの墨学研究者の努力によって、古本墨子による校勘は殆ど終了したと云へるであろう。今後は余程の古本が出現しない限り、古本墨子による校勘は期待出来ないと考へてよい。 (15頁、原文旧漢字、以下同じ)
そうだろうか。
古書の校勘は典籍の本文の原文の姿を突き止めようとするものである。その方法には、文献によるものと論理によるものとがある。これ等は別々に用ひられるものではなく、一体として当該箇処に最も適する方法が用ひられるのだる。〔略〕これを「墨子」に当て嵌めると、論理による考訂が未だ不足していると考へられるのである。〔略〕「墨子」の文献的な校勘は前述の如く呉毓江迄で殆ど終了したと云ってよい。然し、論理的方法にはまだ残されたところがある。 (17頁)
中国、あるいは漢字・漢文文化圏における「論理」の問題をクリアしなければならない。
2015年7月11日「原孝治 『中国における墨子学』」より続き。
呉毓江氏の「墨子校注」とそれ迄の多くの墨学研究者の努力によって、古本墨子による校勘は殆ど終了したと云へるであろう。今後は余程の古本が出現しない限り、古本墨子による校勘は期待出来ないと考へてよい。 (15頁、原文旧漢字、以下同じ)
そうだろうか。
古書の校勘は典籍の本文の原文の姿を突き止めようとするものである。その方法には、文献によるものと論理によるものとがある。これ等は別々に用ひられるものではなく、一体として当該箇処に最も適する方法が用ひられるのだる。〔略〕これを「墨子」に当て嵌めると、論理による考訂が未だ不足していると考へられるのである。〔略〕「墨子」の文献的な校勘は前述の如く呉毓江迄で殆ど終了したと云ってよい。然し、論理的方法にはまだ残されたところがある。 (17頁)
中国、あるいは漢字・漢文文化圏における「論理」の問題をクリアしなければならない。